15


次に目が覚めた時、俺は牢屋の中にいた。
手刀を落とされた首筋と殴られた腹が鈍く痛み、俺は硬い寝台と思われる台の上に体を横たえたまま目だけで牢内に視線を走らせた。

ライに無理矢理魔王族とやらにされたお陰か、暗い牢内であっても昼間と同じように俺の目には物がはっきりと見えていた。
とはいえ見えるのは無機質な鉄格子と、じゃらりと重たい俺の足と寝台の脚を繋ぐ鎖だけ。

その上服は引き裂かれた時のままで、素肌から伝わる寝台の冷たさに体が震えた。

堅く冷たい寝台に転がされていたせいか腕を持ち上げただけで鈍く体が痛む。左の薬指に填められた指輪に右手で触れ、俺は無意識に胸元で指輪を包んだ。

「ライ…」

すると、細身の銀色の指輪に数粒デザインされていた無色の小さな硝子玉がぽぅと淡い黄色の光を溢す。指輪から溢れだしたそれは瞬く間に俺の身体を包み、溢れ出した柔らかく温かな空気が冷えきっていた俺の身体を温めていく。

「これって…」

身を包む魔力からライヴィズの気配を感じる。
ここには居ないのに、まるで守られているような気さえする。

やがて淡い黄色い光は緑色へと変化し、俺が男から受けた怪我を癒してふわりと消えた。

「気がする、じゃねぇ…守られてるんだ」

目の前で起きた現象がそう告げている。
俺は楽になった体をベッドの上で起こし、無様にも拐われた己を叱咤した。

「そうだ。俺は守られてるだけの女じゃねぇ。ライが助けに来てくれるのをただ待つだけの女でもねぇんだ」

姿形は変わってしまっても、中身は変わっていない。
毎日喧嘩に明け暮れ、不良と呼ばれていた時と何ら変わりはねぇ。

「囚われの姫なんて俺の性には合わねぇよな」

まずは俺の右足と寝台の脚を繋いでいる鎖を何とかして壊すんだ。
起こしていた上体を前に倒し、足から伸びる鎖を引っ張ってみる。

ジャラジャラと耳障りな音を立てる鎖は鉄で出来ているのか重量感があり、掴んだ掌に冷たい感触を伝えてくる。
そして、足首に填められた金属の輪に指を滑らせれば何か浅く彫られた溝が曲線と直線を描いていた。

「これって、もしかして文字…か?」

この世界の。
しかし、それが分かったところでこの世界の文字など俺が読めるわけもなく。

「無魔(むま)、拘牢(こうろう)…?……あ、読めた」

意外に読めてしまった。それならそれで不便な事にならなくていいが、これも魔族になったおかげというやつか。
違和感なく頭の中に入ってきた文字に、輪っかの意味を知る。

無魔は魔族か魔力を無にするということだろう。
拘牢も然り、拘束とか牢屋の字を使うぐらいだ、閉じ込める為の魔術が組み込まれているに違いない。

とりあえずライの私室にあった硝子の置物を壊した時の様に鎖を手に持ち、意識を鎖に集中させてみる。
心の中で強く壊れろと念じ暫し鎖を睨み付けてみたが、望んでいた結果は現れなかった。

「なんでだ。やっぱりこの鎖に魔力を無効化させられてるのか?それともライのくれた指輪が…」

左手の薬指に填められたライの守護と俺の魔力を制御する力の込められた指輪をジッと見つめる。

「外したらヤバイよな…?」

誰に言うでもなく呟いた声に、脳裏でライの言葉が返る。

《その指輪は俺様にしか外せねぇ。無理に外そうとすれば指を失うことになるぞ》

思い出してゾッとした。
ふるりと震えた己の体を抱き締め、そこであれ?と違和感を覚えた。

「待てよ。それじゃおかしくねぇか?」

足に填められた拘束具は魔力を無効化するはず。
なのに、この指輪はそんなこと関係無く力を発揮していた。
それはライが凄いのか、この拘束具に弱点があるのか。

微かに見えた希望に心震わせた時、注意を払っていなかった鉄格子の向こう側に誰かが立った。
深い蒼色の髪に、忘れもしない凍てついた蒼銀の瞳。
コイツは俺を連れ去った…。

「起きたか。気分はどうだ?」

その口調は心配しているというのには程遠く、嘲るように冷たく、俺を見下した声だった。

「良いわけねぇだろ。最悪だ。アンタの顔見たら余計悪くなったぜ」

「ふん…、牢屋にぶちこまれて大人しくなるかと思ったが、まだ生意気な口を利く元気があるようだな」

「だったら何だ」

俺と男の距離は鉄格子を挟んで十メートル弱。
絡んだ視線の先で、スゥと蒼銀の瞳を刃のように鋭く細めた男はクッと唇を歪めて笑った。

「憐れだな。自分の末路を知らねぇ奴は」

「何だと」

「お前はこれから死ぬ寸前まで魔力を搾り取られるのと同時に奴の掛けた術が無効になるまで奴を憎む男共に汚されるんだ。…ククッ、魔力の枯渇した奴は悲惨だぜ。理性を失って獣以下に成り下がる。楽しみだなァ」

蒼銀の瞳に宿った狂気を目にして息が詰まる。
ここまでヤバイ奴と対峙するのは初めてで、少し声が震えた。

「…なんで…そこまで、ライが憎いのか?」

「憎い?そんなものとっくに通り越したさ。何百回殺しても殺したりねぇぐらい…奴は…」

ライがこの男に対し何をしたのか俺は知らない。
無慈悲な王と呼ばれたライを俺は知らない。
だから、安易に言葉を発することは躊躇われ、そんな俺をどう思ったのか男は無感動にその台詞を口にした。

「奴は何の罪もねぇ俺の一族を皆殺しにした。女子供構わず、それこそ殲滅だ」

「――っ」

「奴が助けに乗り込んで来たその時こそ、…奴の目の前でお前を殺す」

視線で人が殺せるというのは本当かも知れない。
感情という感情が飽和してしまった眼が、俺を突き刺し去って行く。

その背中にうすら寒いものを感じて俺は小さく体を震わせた。

結局、あの男の言っていることが本当なのか嘘なのか俺には判断することが出来なくて、それよりもまず目先の心配をすることにした。

「どうあれまずは脱出しなきゃ話にならないよな」

魔力を奪われたら危ないと、ここへ来る間に思い知らされた。
あれは自分の意思とは関係無く体から力が抜け、どんなに立とうと足掻いても足に力は入らず、立って逃げることも儘ならなかった。

逃げることが出来ない、イコール命の危機だ。

「一か八か…」

俺は唯一魔力の発動が確認できた左手の薬指に填められた指輪を、右足首に填められた銀の拘束具に近付けてみる。

「頼む…」

心の中でライヴィズの名を呼び、強く強く願った。

「こうなった責任取りやがれ…っ」

カッ―…と一瞬で指輪を填めた指先が熱くなり、散りばめられた硝子玉が赤い光を放つ。

そして…、
パキィンと足を拘束していた足枷は呆気なく壊れた。

「すげ…」

しかし、感心してばかりもいられない。
俺は寝台から足を下ろすと鉄格子の前に立つ。
ここは明かり取りの窓も何もない。逃げ出す為の道は鉄格子の先にしかなかった。

鉄格子の柵に指先を滑らせ、刻まれた文字を確認する。鉄の柵に書かれた文字は封魔(ふうま)。
魔族を封じるの意か。

「けど…」

俺は左手を柵に翳し、ニィと口角を吊り上げる。
指輪の発する魔力に引き摺られてか、何だか異様に気分が高揚してしょうがなかった。

「そんなもの俺の前じゃ無意味だ」

密室を作っていた柵がスパッ、スパッと不可視の刃によって切り刻まれる。
カン、カン、と甲高い音を立てて短い鉄の棒と化した柵が地面に落下した。

その様を見下ろし、カツリと足を進める。
牢屋から出れば左右に置かれた蝋燭の火がゆらゆらと揺れ、唇に弧を描いた端正な横顔を照らす。

淡い光が仄めく薄暗い通路の中で、はらりと肩から溢れた銀の髪が後方へと流れた。

「見張りも無しとは随分余裕じゃねぇか」

ぺろりと舌先で唇を湿らせ、苛烈な光の宿った紫電の瞳を細める。
道は一本道なのか、真っ直ぐに伸びた闇の先を俺は睨み据えた。



[ 16 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -