08


北條に伏見、佐賀に、いつも通り寝坊してくる数名とHRが終わった頃に登校して来る数名。ぽつぽつと空席の目立つまま一時限目の授業は始まっていた。

カツカツと黒板の上を走るチョークの音。
時折、教科書を捲る音に教師の低い声が鼓膜を揺らす。ぺきりと何処かでシャーペンの芯が折れた音もする。

授業を受けつつも意識を他所へと向けていた東雲の元へ、教師が黒板の方を向き、背を向けたタイミングでかさりと、くしゃくしゃに丸められた紙が机の上に飛んできた。
なんだと、紙の飛んできた方向へ目を向けるも、どいつもこいつも澄ました顔で前を向いている。
一番の問題である高杉は、あれから机に突っ伏して寝ることに専念しているし。

東雲は丸められた紙をノートの上で開く。するとそこには人らしき落書きが描かれていた。ただ、人というには、眉間に皺を寄せて難しい顔をする、その頭には何故か角が二本ついていて。わさわさとした服の様なものから突き出した両手には刃先の長い包丁のような物が握られており、大きく開いた口には牙が付いている。

(これは、なまはげか?)

いわゆる「悪い子はいねがー」といって集落の家を回る、秋田県の一部などで行われているという民俗行事。それに出て来る神の遣いだ。よく見れば、その絵を指して東雲会長と矢印が引かれていた。

(阿保か…)

とりあえず下手くそと書き込んで、手近な人間の机に向かって投げる。もちろん、真面目に授業を受けているクラスメイトは避けて。

そんなしょうもないことが描かれた紙切れが教室の中を密かに巡り、一時限目の終わりが見えてきた頃。教室の後方の扉が開いた。

「……」

教壇に立っていた教師の視線が一瞬そちらを見たが、何事もなかったかのように授業は続けられる。無言で教室内を進み、自席に着いたのは鷹臣だった。

東雲や田町、芦尾の視線が鷹臣に向く。
瑛貴は変わらず、机に顔を伏せたまま何の反応も示さなかった。

「なんだ、何もないじゃん」

田町は口の中だけでそう呟きを零すと手元に戻って来た、色まで付けられたなまはげの絵に赤ペンで大きな花丸を描く。下手くそという文字を掻き消すように、その上によくできました!と文字を被せた。

よし、後で教室の後方にあるホワイトボードに飾ろう。

「では、今日はここまで」

一時限目終了のチャイムが鳴る前に教壇に立つ教師はそう言って授業の終わりを告げる。広げていた教材を片付け、教師が教室を出て行く。がやがやと音を取り戻した様に騒がしくなった教室の中、遅れてチャイムが鳴った。
鷹臣は迷わず席を立つと自分の腕を枕に机に顔を伏せている瑛貴の元へ向かう。

「北條」

しかし、それにストップをかける者がいた。同じく自席を立った東雲がスマホを片手に鷹臣の元に近付いて来て声をかける。瑛貴の側で足を止めた鷹臣はすぐそばまでやって来た東雲にちらりと目を向け、短く応じる。

「なんだ?」

そのやり取りに耳は傾けているであろう瑛貴のさらりとして手触りの良い銀髪に手を伸ばして、東雲と会話を交わしながら鷹臣はさらりとその髪に触れる。

「っ、向こうは大丈夫なんだろうな?」

さらさらと指の隙間から零れ落ちるその感触を楽しむように口端を緩めれば、周囲からは何故か息を呑む様な気配がした。鷹臣は僅かに潜めるように発された東雲の問いかけに、すっとその視線を東雲の右手に握られているスマートフォンへ流して言う。

「それを俺に聞いてどうする?報告なら自分の部下から聞けばいいだろ」

「そうじゃねぇよ。こいつはお前がやり過ぎてねぇか聞きたいんだろ?」

顔を上げた瑛貴が面白がるように鷹臣の指先を掴み、その指先に唇を寄せて言う。しかし、そう言われても鷹臣の返答は変わらない。

「同じ事だろ」

「じゃぁ、俺が聞き方を変えてやる。鷹臣、楽しめたか?」

「いいや、全然」

それが答えだ。

落ち着いた様子で即答した鷹臣に東雲はそうかと、相手にもならなかったかと受け取った。ならば、一方的にやられた分だけ、被害はまだマシということだ。

「そんなことより、何か面白いことでもあったか?」

下から鷹臣の顔を覗きこむように、椅子を引いて立ち上がった瑛貴が鷹臣と視線を絡めて言う。

「分かるか?」

首を傾げた鷹臣に、その微かな変化に気付いた瑛貴は笑って頷く。

「消化不良の割には腐ってねぇからな」

それに冷めた瞳の奥には微かに揺らめく熱がある。子供のように無垢で純粋な、混じりけの無い危険な色。

鷹臣は自分のことを自分以上に理解してくれている、唯一の存在はやはり瑛貴しかいないとその想いをより一層強く実感し、未だ掴まれていた指先をくっと引く。

「場所を移そう」

「いいぜ」

もとから鷹臣を待っていただけの瑛貴は鷹臣の誘いにあっさりと頷き返す。
先に歩き出した鷹臣の手に指先を絡めるようにして、指先を繋ぎ直した瑛貴は鷹臣に連れられる様にして教室を出て行く。
東雲はそれを止めることも無く、諦めた様に見送った。
始めからあの二人を止める事は誰にも出来ないのだ。

「なぁんか、ウルフって北條の尻に敷かれてるって感じしない?」

「やたら甘い感じはするな」

あれほど無防備に、好きに触らせるとは。驚き以外の何ものでもない。

田町と芦尾は口々に感想に漏らす。
それはクラスメイト達も感じた事であった。

「もしかして、逆に北條がウルフの弱みを握ってるとか…?」

不意に真剣な表情を浮かべて田町がぽつりと零す。

「ぶはっ!」

そして、それを聞いて盛大に吹き出して笑った者が一人。赤穂だ。

「ははっ、なにそれ!面白い!」

「ちょっと!俺は真剣に言ってるんだけど!」

「だって、あのウルフに弱みって…」

まんまじゃないか。

赤穂は瑛貴が編入してくる前から鷹臣の正体について薄々勘付いていた。それはちょっとした出来事に偶然遭遇したからでもあるが。もちろんそれを口外するつもりはない。本人は隠してもいない様子だが、赤穂がわざわざ言う事でもないだろう。

「芦尾」

「お?どうした?」

言い合いをする赤穂と田町の話を遮って東雲が芦尾に声をかける。

「俺も少し用が出来た。こっちは頼むぞ」

「おぉ。風紀会長様も大変だな」

ひらひらと手を振る芦尾に見送られ、東雲も教室を後にした。







校舎内で二人きりになれる場所。

そう考えて鷹臣が向かった先は生徒会室だ。その中にある応接室。花瓶に活けられていた花は新しい物に代わっていた。きっと朝一番に生徒会室に立ち寄った副会長辺りが差し替えたのだろう。その辺りはマメな男だ。

鷹臣は応接室のソファに瑛貴を座らせると、自分もその隣に腰を下ろす。

「で、どうした?」

瑛貴は機嫌よさげに鷹臣の横顔を見て、先程の話を再開させる。
鷹臣は鷹臣でそんな瑛貴を見つめ返してゆるりと唇を解く。

「随分と面白い事を言われた」

「へぇ、なんて?」

一体何が鷹臣の心を揺さぶったのか。瑛貴は興味深げに聞き返す。

鷹臣は瑛貴以上に自分の興味の無い物や事柄に関しては無関心な男だ。その気を引くものとなれば、気にならないわけがない。

「俺のことをばらすと脅してきた」

「それはタイガーとしてってことか?」

ひと暴れしてきたなら、いくら鈍い連中でも鷹臣の正体に気付くだろう。だが、それは別に鷹臣がすすんで隠しているわけでもない。脅したところで鷹臣の弱みにはならないだろう。
瑛貴の指摘に鷹臣は頷き、続きの言葉を口にする。

「学外、世間に公表してやると言われた」

「はっ、負け犬の遠吠えが」

たしか、鷹臣の生家は法曹界に多くの人間を輩出している名家であったか。鷹臣が夜の街で暴れまわっていたタイガーであると公表されれば本人はもとより北條家の名に傷が付くことは確実だ。

しかし、淡々と言葉を紡ぐ鷹臣にはそのことを気にする様子はない。

また、鷹臣の生家の内情は瑛貴にもよく分からないが、鷹臣と出会った時の様子やこれまでの鷹臣の様子を鑑みるに北條家というのは鷹臣にとって決して良い環境というわけではないのだろう。そう瑛貴は感じていた。

そして、その印象を肯定するように鷹臣の口から冷めた声が紡がれる。

「だが、俺には関係ない。俺にはお前がくれた名前があればいい」

それはもうずっと前から心の中で燻っていたものだ。

じわりと内に籠る熱い熱を溶かして強さを増した眼差しが瑛貴を捉える。

「俺は俺だ。家は関係ない」

心の底からそう思っているのだろう。きっぱりと告げられた言葉に迷いはない。

だったら、瑛貴が返す言葉も一つだ。

ソファの上で身体ごと鷹臣と向き合い、視線を絡めて瑛貴は口を開く。

「そん時は俺がお前を貰ってやる」

その時期が少し早まるだけで、何も問題は無い。

「瑛貴…」

そうなる事は始めから決まっていたとでも言う様に瑛貴は不敵に笑って言う。

鷹臣の首元に締められていたネクタイに指が伸ばされ、しゅるりとネクタイを解かれる。ワイシャツの下からしゃらりと涼やかな音を響かせて取り出されたネックレス。その先にぶら下げられていた指輪に瑛貴は口付けを一つ落として、至近距離で熱い眼差しを交わす。

「いいんだろ?名実ともにお前を俺のものにして」

甘く熱く鮮やかに。全てを絡め取るように身体の奥深くまで響く深い声。その熱にぞくりと小さく身体を震わせ鷹臣は薄く頬を紅潮させる。自らも瑛貴に向かって手を伸ばし、大きく開いたワイシャツの襟ぐりから覗くお揃いのチェーンを引っ張り出す。その先で同じように揺れる指輪に唇を寄せ、瑛貴の言葉に頷き返した。

「あぁ。俺をお前だけのものにしてくれ」

それが唯一、鷹臣の望むことだ。

「いいぜ。お前の願いは何だって俺が叶えてやる」

生家よりも瑛貴を選んだ鷹臣に瑛貴は一段と深い愛情を湛えた眼差しを注ぐ。それは一歩間違えれば狂気にも似た愛情で。

「瑛貴。それならお前の願いは俺が叶える」

身体の奥深く、心の奥底。隅々までとうに染められた色はもう元には戻らない。それを証明するかの如く、狂気にも似た深くて重たい身体の奥まで侵食してくる熱に鷹臣は恐怖を感じるどころか、絶えず注がれるその深い愛情に心を歓喜で震わせ、心地良さげに笑みを零した。

瑛貴が鷹臣の首に掛かっていたネックレスを外す。

「ここって、アクセの禁止とかねぇよな」

「なかったと思うが」

留め具を外して、チェーンに通されていた指輪を外す。
しゃらりとチェーンだけになったネックレスをテーブルの上に置き、瑛貴は鷹臣の左手を取る。

「瑛貴…」

瑛貴が何をしようとしているのか察して鷹臣は瑛貴を見る。

「これからはここに付けてろ」

ネックレスとして身に着けていた指輪が鷹臣の左手薬指に通される。それから瑛貴は自分の分を同じようにチェーンから外すと何の躊躇いもなく、己の左手薬指に付けた。

お揃いの指輪が左手薬指で輝く。

そっと指輪を右手で撫で、うっとりと瞳を細めた鷹臣はその感触を確かめながら口を開く。

「嬉しいけど、傷が入るのは嫌だな」

だから今まで指には付けていなかったのだ。喧嘩をした時など、傷が入るのが嫌で。

鷹臣のその懸念に瑛貴は口端を緩めて、鷹臣の頬に手を伸ばす。指輪の付けられた左手で鷹臣の頬に触れ、甘く囁く。

「安心しろ。そしたらまた作ってやる」

「作る?…あぁ、そうか」

鷹臣は初めて知る。鷹臣と瑛貴の指にはめられた指輪はオーダーメイドで作られたものだった。
鷹臣は驚いたように瑛貴を見て、それから思い出した様に呟く。

瑛貴が編入してくる時に見た資料。高杉家は宝飾業界で名の知れた有名な老舗メーカーであった。

「もしかしてこれ、瑛貴が作ったのか?」

鷹臣は自身の左手薬指にはまる指輪を目の高さまで持ち上げて聞く。すると瑛貴は当然という様に頷き返した。

「俺のものだからな」

誰かと同じでは嫌だ。だからこそ、鷹臣と自分の指輪は一からデザインをして作り上げた。この世でいう一点ものだ。

「凄いな。そんなことも出来るのか」

ますます愛着の湧いた指輪に鷹臣は絶対大事にしようと心に決める。

瑛貴はその性格故、一般大衆に販売される宝飾品は作らないが、一点ものという括りでいえば既に幾つもの作品を作っていた。そして、それを家を通して販売していたりもする。なので、街に下りた時に立ち寄ったあの1Kのマンションの家賃など光熱費も含めて全て瑛貴が自分で稼いだ金で支払っていた。
そういう意味では学園内にいる生徒達の中でも、瑛貴は一番自立しているともいえた。
それら全て、わざわざ口にすることでもないと瑛貴は表に出すことはしないが。

「やっぱり傷はつけたくないな」

一点ものなら尚更。

鷹臣は悩ましげに眉を寄せる。大事なものに触れるように指輪に指先を滑らせ、それでも目に見える所に付けた事で緩む頬は抑えきれずに笑っている。
分かりやすいその変化に瑛貴も瞳を緩め笑う。

「そう簡単に壊れたりしねぇから安心しろよ」

「そう言われても、心配なものは心配なんだ」

「まぁ、そこまで思われて悪い気はしねぇけどな」

鷹臣、と鷹臣の頬に添えられていた瑛貴の左手が鷹臣の頤に掛けられる。

「一番大事なものを間違えるなよ?」

悪戯じみた光を宿した赤い双眸が指輪に夢中な鷹臣の視線を奪う。
ふっと唇を掠めた吐息に弧を描いて、鷹臣は可笑しそうに笑った。

「分かってる。お前が一番だ」

くつりと零れた笑い声は瑛貴の口内に消えていった。





[ 44 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -