07
その身から滲みだす凶悪な気配と気を失ってなお、容赦の無い追撃。
鷹臣の手元にいた久保田は既に顔を腫らして気を失い、辻共々床の上を転がっている。他にも反射的にこの場から逃げ出そうとした不良の背中にはくっきりと靴の跡が付いている。
「はっ、やべぇな。この惨状」
「そうですよ、狐先輩」
タイガーもとい鷹臣の暴れっぷりをつい眺めてしまう。その感想を口にした伏見の隣にいつの間にか個室から出てきた椿が並ぶ。同じく鷹臣の雄姿に瞳を輝かせている。
「お前、知ってたのか?」
そして、椿の登場にも動じない伏見は少しだけ非難めいた口調で聞く。
「いいえ。実際目にするのは初めてですよ」
その物言いに伏見は少し考える。
つまり、北條=タイガーという図式に近い何かは持っていたが、それを確信に変えたのは今と言うことか。伏見はそう椿の言葉を解釈した。
「狐先輩」
「なんだ?」
「物は相談なんですが。ちょっと軽く一発殴らせてもらってもいいですか?」
「…いいぜ」
二人の視線の先では最後の一人である不良の横っ面を殴り飛ばして不敵に笑う鷹臣の姿があった。
「では、いきます」
「おぅ」
その鷹臣に倣う様に椿の右拳が伏見の左頬に決まる。
「―っ、は…っ」
頬に加えられた力を逃す様に伏見の顔が右に振られる。手加減されたパンチは伏見の左頬を微かに赤く染めた。
「痛いですか?」
「あぁ…、夢じゃねぇな」
殴っておいて痛いですかも何もないが、二人の間にはそれで通じる何かがあった。そんな話をしながらも二人の視線は常に鷹臣を捉えていたが。
リビングの中、ただ一人の勝者として立った鷹臣に椿はタイミングを見計らって声をかける。
「会長。お疲れ様です」
その存在には途中から気付いていた。個室の扉から影の様にするりと抜け出す様に現れ、リビングの壁沿いを歩いて伏見と合流していた。
声を掛けられた鷹臣の双眸が椿に向く。
「面倒な後始末は俺と狐先輩でやっておくんで、会長は高杉先輩の所に戻って貰って大丈夫ですよ」
「…もう一人。教師がいたと思うが」
隠されることの無い、敵対する者に向けられる冷ややか過ぎる感情を乗せた声音にぞくりと背筋が震える。それでも椿は常と変わらぬ様子であっけらかんと答えた。
「あっ、そっちは東雲先輩の手下に確保され済みです」
「ちっ…」
思わず鷹臣の口から舌打ちが漏れる。
やはりその姿はこれまで学園の生徒達が見てきた、生徒会長北條 鷹臣の姿とはかけ離れていた。
「北條」
今度は伏見が声をかける。
椿からすぅっと流された鋭い視線が何だと視線で問う。
「俺とデートしてくれ」
「断る。そいつとでもしていろ」
何を言い出すのか。鷹臣はきっぱりと切り捨てる。そして、自ら進んで後始末を買って出た椿に全てを丸投げして玄関へと向かう。
その背後で恐る恐る個室の扉が開く音がした。
「うわぁっ!?な、なにこれっ!?みんな大丈夫なのか!?」
伏見は。北條会長はと、リビングの荒れようと倒れ伏す不良達という酷い惨状に宮城は少しパニックに陥ったように叫ぶ。
「あっ…、っと。狐先輩。ここは虎の威を借る狐作戦で事を治めましょう」
「まぁ、そうだな。いいぜ」
ひそひそと会話を交わして、少し意味は違うが、何故ならその故事の狐とは違い、狐と呼ばれる伏見にはきちんとした実力があるのだ。虎の威を借りなくても立派に通じる実力が。しかし、問題をややこしくしない為にも、とりあえずはその作戦に伏見は頷き返した。ことを丸く治める為に。
「宮城先輩。こいつらは気絶してるだけなので、何の心配もいりませんよ。悪い奴らは全部こちらの伏見先輩が片付けてくれたので」
「おぅ、安心しろ宮城。北條も無事だ。アイツは用があるとかで先に帰したが」
「えっ、あ、そうなの?って、伏見!怪我したのか!?その頬…!」
「あぁ、これか?ちょっとな。でも大丈夫だぜ」
話しを振られた伏見は宮城を安心させる様にからりと笑って返す。
「後はこいつらの生徒証を回収して。風紀に引き渡した後、この部屋のハウスクリーニング代を彼らの口座から引き落としてもらいましょう」
椿はそう言って倒れ伏す不良達のポケットや上着から容赦なく生徒証を抜き取って回る。
それに伏見も協力し、同時に怪我の程度もチェックしていく。
「ん?おい、こいつ。久保田のやつ、生徒証持ってねぇぞ」
不良達の中でも一人異質な存在感を放っていた黒幕とも呼べるべき人物。
伏見は久保田の身に着けている衣服を探り、そう声を上げた。
この学園では寮部屋の鍵兼財布となる生徒証を生徒達は常に携帯しているのが普通であった。
「もしかして何処かに置いて来たのか?」
万が一の時の為に。そうだとすると賢いな。
伏見のその呟きを否定するように、久保田の衣服を漁っていた伏見の元へ他の不良達の学生証を回収し終えた椿がやってきて言う。
「それは違いますよ。伏見先輩」
「ん?どういうことだ?」
そして、説明を求めた伏見に対して椿は今回の騒動の元となったであろう事柄を口にする。
「持っていなくて当たり前です。その彼、久保田という名の生徒は今月の頭に七泉学園から除籍されています」
つまり、久保田はもう学園の生徒ではないということだ。
退学か転校か、その理由がなんであるかまでは知らないが、学園に籍がないことは確かだ。
「これは佐賀先輩からの情報なので確かです」
椿は淡々と話を続ける。
「それともう一人。今回表舞台には出て来てませんが、久保田にはとても大事にしていた同室者がいたみたいですね。そこに転がる不良達と同じチーム【ロクマル】に入っていた」
「【ロクマル】?聞いた事ねぇな」
首を傾げた伏見に椿は肩を竦めて言う。
「本当に小さなチームですから、伏見先輩が知らなくてもしょうがないですよ」
この先は本当に運の無い、不幸な話です。
ウルフに喧嘩を売ったチームと【ロクマル】は仲が良かった。故にその場に同席してしまった。その場に一緒にいたというだけでチーム【ロクマル】はウルフの手により潰された。時期はタイガーが姿を見せなくなった後、その頃のウルフは機嫌の悪い日が多かった、むしろ機嫌の良い日などあったのかと思うほど荒れていましたからね。
「まぁな、あの時はみんなやべーなって話してたからな。馬鹿な連中は馬鹿な話を作り上げて盛り上がってたけどな」
「そんなこんなで【ロクマル】はチームを潰され、久保田の同室者であった彼は大怪我を負って入院。親からは酷く叱責され、二度と馬鹿な真似をしないようにと親元に引き戻された」
「転校したのか?」
「まぁ、親からすれば当然の処置とも言えますね。このまま寮に放り込んでおいたら、また喧嘩に明け暮れる毎日。どこかで軌道修正を図らないとまずいとでも思ったんじゃないですか。腐っても家の大事な跡継ぎですし」
その実態を目の当たりにした親は焦って、彼が入院している間に退寮届や転校手続き、その他諸々の手続きを彼の意向を確認しないまま進めた。
「じゃぁ、こいつは…」
「えぇ。きっと別れの言葉も交わせないまま、一方的に縁を切られたと思ったでしょう」
だから、その原因となったウルフへの恨みが強い。
自分は大事なものを失い、そこへ原因となったウルフが編入して来た。
その上、ウルフは会長の事を大事そうに扱い、毎日楽しそうに過ごしている。同じ目に合わせてやろうと思っても不思議ではない。だが…。
それまで黙って二人の話を聞いていた宮城がおずおずと口を開く。
「その、彼の同室者が今何処にいるのか分からないのか?」
自分が聞く事ではないかもしれないけど、話を聞いてしまった以上は何とかならないのかと宮城は椿を見る。
「んー…分からない事もないんですけど」
「おい、ひぃ。もったいぶるな」
「ひぃ?」
「あぁ、コイツの事だ。椿 緋色(ひいろ)」
それで、どうなんだと伏見は椿を急かす。
椿は気を失っている久保田を見下ろし、そっと瞳を細めて告げた。
「灯台下暗し。彼は全寮制の学校でもなく、実家にいますよ。そこから地元の学校に通っているみたいですね」
「はっ?」
「それなら会いに…」
「そう簡単には行かないでしょうね。彼の側には家の人間が付いているし、向こうの方が家格は上。勇気を出して行った所で、前の学校の人間と関わる事を良しとしない親の意向を考えれば、門前払いが関の山」
まぁ、それでも大事だと言うなら何度でも足を運ぶべきなんだ。それが出来ないならば、お互いの為にさっさと忘れるべきでしょう。
「これ以上は当人達の問題です」
冷たいようだが、外野が出来ることは何もない。宮城先輩には悪いけど。
椿はそう言って首を横に振った。宮城もそこまで説明されれば感情的には納得できなくても、頭ではきちんと理解できてしまって「そっか」と小さく呟く。
「やれやれ、今回はとんだとばっちりだったってわけか」
伏見は椿が語った内容を一言でそう纏めると肩を竦めて続ける。
「とりあえず、コイツだけは逃げねぇように縛っておくか」
「そうですね。そろそろ…」
ガチャリと玄関の方向から扉が開く音がした。
「あっ、来たみたいですね。回収係が」
失礼しますと言って、ぞろぞろと部屋の中に上がり込んで来たのは風紀会の役員達だ。その数六名。先程、学生寮前にいた風紀役員達とはまた別の生徒達であった。
リビングに入って来た役員はまず部屋の主である宮城の姿を確認するとほっと表情を和らげて、それから頭を下げる。
「ご無事で何よりです。また、この度は騒動に巻き込んでしまったこと、風紀会長東雲に代わりお詫び申し上げます。後日、東雲会長本人が謝罪に参りますので、宮城様につきましては、その時、ご自身の欲しい物やご希望がありましたら遠慮なく仰って下さい。何でもご用意致します」
「いやっ、あの、そこまでしてもらわなくても…」
怖かったのは本当だが、そこまでしてもらうのはちょっと恐れ多いというか、何と言うか。宮城は困ったように口籠り、ちらりと伏見を見て言う。
「ちゃんと伏見に守ってもらったし」
宮城の視線が伏見に流れたことで役員の目も自然と伏見に向く。
「伏見様につきましても、お力添え感謝致します。こちらも後日、東雲よりお礼がありますので」
「おぅ。っつても、そんな気にしなくていいぜ。クラスメイトの誼で力を貸してやっただけだしな」
畏まって告げる風紀役員にも伏見はからりと笑って返す。そして、最後に椿に目が向く。
「椿様には東雲より伝言が御座います」
「ん?なに?」
「彼らを風紀の反省室に放り込むのに協力した後、風紀室にて仔細報告せよ、とのことです」
「あ、こいつら運ぶなら俺も手伝うぜ」
どうせなら最後まで付き合うと伏見は自ら進んで協力を申し出る。それとは対照的に指示を受けた椿は少しだけ不満そうに呟いた。
「えー、俺だけ何も無し?」
しかし、風紀役員は椿の呟きを無視して、もしくは耳を貸すなと最初から言い含められていたか、てきぱきと次の行動に移る。
リビングの床に伸びている不良達を一人、一人、廊下に待機させていた台車に乗せ、部屋から運び出して行く。
「宮城様はこのまま登校して下さって構いません。こちら、風紀会で発行した公欠証を教員に渡して貰えれば、受けられなかった授業に関しては公欠扱いとなりますので。どうぞお使い下さい」
「あ、ありがとう」
何から何まで。
そうして、宮城は三日ぶりに部屋から出ることが出来たのであった。
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