04


路地裏から廃材置き場に場所を移し、再び有象無象に囲まれ、デートの邪魔をされていたウルフであったが、その表情は不機嫌になる所かどこか愉快そうに笑んでいた。

ウルフの視線の先、そこにはタイガーこと鷹臣の姿がある。鷹臣が動くごとにきらきらと金髪が煌めき、翻る。苛烈な熱を宿した青の双眸が鋭く細められ、弧を描いた唇からぞっとするほど低く深められた声が零れる。

「さっきの台詞、もう一度言ってみろ」

鷹臣はすでに赤紫色に顔を腫らし、息も絶え絶えな様子の男の胸ぐらを掴み上げている。

「いっ、いや…。さっきのは…っ、俺らの…間違いでッ…」

何を言い渋っているのか。ウルフは足蹴にしていた男の仲間をそのまま地面に転がすと男の代わりに鷹臣の質問に答えてやる。

「タイガー。そいつは俺に別のオンナが出来て、お前は捨てられたんだと。そう言ったんだ」

タイガーが姿を見せなかったこの半年の間。様々な噂話が夜の街には広がっていた。それはウルフも知ってはいたが放置していた。噂話は所詮噂話でしかない。

二人が仲たがいをしたとか、どちらか片方に新しい恋人が出来て捨てられたとか。そんなバカげた話を信じているのは二人のどちらかに恋人を奪われた人間ぐらいのものだ。勝手にウルフやタイガーに惚れて、別れを切り出される。二人にとってはどうでもいい、傍迷惑な話しだ。

そして、鷹臣に暴言を吐いたこの目の前の男は、どうやら鷹臣に恨みがあったらしい。

まさか俺の目の前で、お前はウルフに捨てられたんだ。それで姿を消していたんだろう!などと、馬鹿な事を言うとは思わなかったが。

つぃと男から離れた視線が瑛貴に流れる。真っ直ぐに向けられた青の双眸に瑛貴は笑った。絡めた視線を甘く溶かして自信に満ちた声で告げる。

「戯言だな。俺の恋人はお前だけだぜ、タイガー」

そう言葉にして伝えれば絡めた視線の先でタイガーが甘く表情を崩す。

「そうだよな」

あぁ、もったいねぇ。
嬉しそうに頬を緩ませた鷹臣のその顔を誰にも見せたくねぇ。

そう思考した時には既に身体は動いていた。

鷹臣に近付き、その手に掴まれていた男の頭を後ろから鷲掴む。するりと簡単に解けた鷹臣の手から男を奪うと、それをそのまま地面へと投げ捨てた。

「ぶべっ!?」

蛙の潰れた様な声がしたが、全て無視だ。瑛貴は何か言いたげな鷹臣の視線に気付くと、視線を絡めたままその口から紡がれる言葉を待った。

「俺が顔を出さなかった間に随分と不愉快な話が広まってたんだな」

今まで何も知らなかったと、鷹臣は自ら瑛貴に手を伸ばす。
瑛貴の頬に右手で触れ、するりと首筋をなぞった右手が瑛貴の右胸の上で止まる。

「たとえ噂話でも俺は気分が悪い」

瞳の奥に揺らめいていた炎が色を変える。少し前まで艶を帯びて濡れていた美しい青色が、苛烈な炎となり鋭い光を宿す。

瑛貴は己の右胸に添えられた鷹臣の手を掴むと、うやうやしくその手を持ち上げ、手の甲に口付けを落とす。

「だったら、どうする?」

挑発的な視線を向けて問いかければ、それが正しいと断言する口調で鷹臣が答える。

「噂の元を潰す」

「それじゃ、今夜は久々に夜遊び決定だな」

甘い熱に溶かされて濡れた瞳を見つめるのもいいが、獰猛な光を宿して熱く煌めく瞳を眺めるのもいい。その理由が自分に関わる事なら尚更。

「嬉しいぜ、タイガー。お前があんな戯言に怒ってくれるとはな」

鷹臣は自分がウルフに捨てられたという発言には動揺すらしていない。それは何故か。それは瑛貴が、鷹臣が疑う余地もないぐらい、愛しているとここ数日身をもって示してくれているから。瑛貴の熱は心と身体に刻み込まれている。

鷹臣は本当に嬉しそうに笑う瑛貴の顔をちらりと見て、逆に聞き返す。

「お前は大丈夫なのか?」

タイガーが姿を現さないのは、タイガーの方に新しい恋人が出来たからだ。ウルフは飽きられたんだと。そんなバカげた噂も一緒に出回っていると聞く。

そう聞き返した鷹臣の視線の先で瑛貴は口端を吊り上げる。

「お前には俺しかいねぇ。お前の全てを満たしてやれるのは俺だけだ」

タイガーという器に命を吹き込むように。とろりとろりと甘い毒を注いできた。今更、俺から離れられると思うな。その毒は既に全身に回っている。その髪の毛、一本までも。

「お前は俺のものだ」

不遜という言葉がぴったり似合う。自信に満ちた言葉で、心を射抜かれる。そう、それは鷹臣が瑛貴に捨てられることはないと自信を持って確信できる熱と同じ熱さで。どろりどろりと息苦しいほど深い愛情で全身を絡めとられる。

じわりと薄く赤く頬を紅潮させた鷹臣に瑛貴は甘く囁く。

「なぁ?お前の恋人は俺しかいねぇだろ」

それが分かっているから噂も放置していた。
俺にとってはお前の行方が最優先だった。

「ウルフ…」

「ん、どうした?言ってみろ」

僅かに迷いを見せて揺れた瞳に瑛貴は優しく先を促す。鷹臣はまだ少し子供の部分を覗かせる様に口を開いた。

「ただの噂でも聞きたくないと思う俺は心が狭いと思うか?」

噂をまったく気にしない瑛貴と自分と比べて気になったのだろう。
その何とも可愛らしい質問に瑛貴は瞳を緩めると鷹臣の髪に口付けを落として囁く。

「いいや。俺は嬉しいぜ。たとえ噂でも俺を誰かにとられたくねぇんだろ?」

「あぁ」

俺は瑛貴を誰にも渡したくない。
瑛貴が言ってくれたように、俺は瑛貴のもので。瑛貴は俺のものだ。
そうはっきりと自覚したところで、久々に熱の籠った声で鷹臣が告げる。

「…行くぞ。ふざけたことを抜かす連中を潰す」

「いいぜ。今日はお前の好きにしな」

俺はそれに付き合うぜ。

ぽろりと零された独占欲を心地好く感じながら、瑛貴は機嫌よさげに笑みを深めた。





「いち、にぃ、さん、し、ご、ろく、なな…」

指折り数えていた手が止まる。
そこで顔を上げた伏見は正面から注がれる不思議そうな視線に苦笑を返した。

「あぁ、わりぃ。邪魔したか」

正面に座る相手の手にはカバーの掛けられた本が開かれている。
伏見が読書の邪魔をした事を謝ると、その相手、同じく三年の宮城は首を横に振って返した。

「大丈夫。邪魔どころか助けてもらってるし」

「そんなことねぇよ。本来なら巻き込んじゃいけねぇんだ」

伏見がいるのは学園寮。三年宮城の部屋である。
運悪くウルフのルームメイトに選ばれたばかりか、そのせいで事件に巻き込まれている最中であった。

ウルフのお気に入りと言われている生徒会長北條 鷹臣をボコる為の人質。いわば囮のようなものだ。

部屋へと押しかけた集団が去ってから、倒れた宮城を介抱しつつ伏見は己が風紀から頼まれてあの集団に潜り込んでいる協力者だということを宮城に告げた。

始めは伏見にもビビっていた宮城であったが、風紀会長である東雲へと送ったメールや東雲から返されたメールの文面を見て、何とか信用してもらうことに成功した。

「お前にはわりぃけど、月曜までこの部屋から出ねぇでくれ」

もちろん最初から宮城の身をロープで拘束するとか、そんなことをする気はない。部屋の中にいてくれるなら、好きに過ごしてくれていいと。伏見はそう言った。
それに対して宮城は素直に受け入れてくれた。

「でも、なんで僕が?」

人質扱いされるのか。その理由が宮城には分からなかった。

伏見もその点に関しては説明が難しかった。一般人である宮城にはウルフだの何だのと言ってもピンとこないだろうし、本人を知らなければ理解出来ない事もある。

「北條会長?確かに編入生の件で少し話したことはあるけど、たいして親しいわけでもないし」

分かりやすく、生徒会長を呼び出す為の人質だと説明した所で宮城は更に首を傾げた。

同時に伏見の中でも小さな不安が生まれる。

学園内で生徒会長である北條は誰からも一目置かれるような存在であるが、伏見の目から見ると、その逆、北條から見たその他大勢。自分を含めてだが、その他大勢に向けられる意識が希薄に思えてならない時がある。ウルフにも言った。北條は自分以外の人間、その他の人間は眼中に無いのではないか。

そう考えると、言い方は悪いが、少し会話を交わしただけの宮城を人質に北條を呼び出せるのか。

伏見はそこまで考えて無理やりその思考を断ち切る。北條を呼び出すのは自分の仕事ではない。自分の仕事は一般人である宮城を保護する事だ。今は余計な事を考えている暇はない。

「それで、何を数えてたんだ?」

首を傾げた目の前の宮城に意識を戻す。伏見は指折り数えていた手を振りさらりと答える。

「ちょっと頭の中でシュミレートしてただけだ」

この部屋に引き込んだ連中相手に大立ち回りを演じることになる。その時、何人、どうやって相手を伸すか。伏見は自分の力を過信する事無く、第三者の視点からそれを考えていた。

「それって…」

話しを聞いて、想像しただけで顔色を悪くした宮城に伏見は安心させるように笑って見せる。

「大丈夫だって。俺の後ろには風紀もついてる。お前は安心して奥の部屋に隠れてろ」

「う、うん。そうじゃなくて、伏見が危なくないのか?」

「あー、俺?」

伏見は自分の事を風紀の協力者だとは説明したが、不良チームのひとつでもあった【フォックス】元総長だとは説明していなかった。宮城から向けられる心配そうな眼差しに伏見は少しだけ困ったように笑って、それから嘘では無い事実を告げる。

「俺、腕っぷしは強いから風紀から協力を要請されんだよ」

だから何も心配はいらないぜと、伏見は宮城を安心させるように言葉を紡ぐ。

「でも…、それでも危なくなったら伏見もちゃんと逃げて欲しい」

「…おぅ。分かったぜ」

伏見が頷けば宮城も少し安心した様に表情を緩める。
その空気を壊さぬように伏見は殺伐としたその話を切り上げ、別の話を振る。

「それにしても、お前の部屋って本が沢山あるんだな」

「え、うん。本を読むのが好きで」

「なんか俺でも読めそうなお薦めの本とかあるか?」

「う〜ん…、そうだなぁ。伏見は普段どんな本を読んでるの?」

嵐の前の静けさ。まだその部屋で何が起こるか分からぬまま、今はまだ和やかな会話が続いていた。






「一、二、三、四、五、六、七、八…」

また別の場所でもそう数を数えている者達がいた。
夜の帳が落ち、辺りはすっかり夜の気配に包まれている。
時刻でいえば深夜一時を少し回った頃か。

「確認できただけで八チームは確実っすね」

「そんなにか!?」

「まぁ、どこも規模の小さなチームですし、影響は少ないかと」

「まったく、姿を現して早々…。奴らは二人に何をしたんだ?」

「さて。そこまではまだ…」

こそこそと交わされる会話。その視線は中立地帯と認識されている深夜のバーへと注がれている。

「だが、これでタイガーが帰って来たのは確定したな」

「あぁ。一夜で八チームも潰して回るとか、あの二人以外ありえねぇだろ」

バーの周辺に集まっていたチームが無言で頷き合う。

「お前ら分かってんな?」

「もちろんす!」

「あの二人には喧嘩を売らない、関わらない」

「よし!それでいい。それ以外なら好きにしろ」

最重要事項を確認し終えたチームはそれぞれ自分達が縄張りとしている拠点に散って行く。その夜は中立地帯であるバーやその周辺に足を運ぶ人間が後を絶たなかった。

そんな人の出入りの激しいバーであったが、そんなことはまったく気にも留めずに二人は店内のカウンター席でグラスを交わし合う。

「どうだ?久々に暴れた感想は」

くつくつとどこか面白そうに瞳を細めて瑛貴が囁く。

「あぁ…、すっきりした」

何も難しい事は考えなくていい。ただ己の心に従って、敵と見定めた相手を打ち倒す。己が己である為に。自分の為だけに拳を振るう。

鷹臣はグラスから離した手を握り、仄かに色づいた頬をゆるりと緩める。

「とても気分が良い」

まだ喧嘩の余韻を引き摺っているのか、それとも久々に口にしたアルコールのせいか、身体の中を巡る血が熱い。

そう零した鷹臣に、気分が高揚しているのは瑛貴も同じで。

吐息のかかる距離。ふいに瑛貴の右手が鷹臣の肩に回される。

「なぁ、タイガー」

「ん、なんだ?」

耳元に寄せられた瑛貴の唇から熱を伴った低い声が落ちる。

「そろそろお前を食いたい」

耳元に寄せられていた唇が悪戯する様に耳朶を食む。
ぴくりと肩を揺らした鷹臣は瑛貴へ視線を投げ、艶やかに笑う。

「いいぜ。全部、食べてくれよ」

瑛貴へと身を寄せた鷹臣は自ら瑛貴へと口付けを返す。

「ん…っ」

それを合図に二人は席を立った。

瑛貴は鷹臣の腰を抱くとそのまま深夜のバーを後にした。


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