01


仲睦まじく、時折戯れながら、比較的平和に学園生活を満喫していた二人はこの日も仲良く同じベッドで起床し、朝の挨拶代わりに唇に触れる。

「ん…。おはよう、瑛貴」

「あぁ…」

昨夜はただ瑛貴の温もりに包まれて眠った鷹臣の体調は完全に回復していた。
朝の支度を済ませ、朝食の用意をしてくれる瑛貴の姿にうっとりと瞳を細め、自然と口元が綻ぶ。

「鷹臣。そんな熱い視線で追われると押し倒したくなるだろ」

「お前が格好良いのが悪い」

切れ目を入れたベーグルに野菜と肉を挟んで、カップスープを付ける。両手に料理の乗ったトレイを持った瑛貴がキッチンから出てくる。テーブルの上にトレイを下ろした瑛貴はその足を鷹臣の横で止めると、自分のことを目で追って来ていた鷹臣と視線を合わせた。そして、テーブルと鷹臣の座る椅子の背に手を置いて、鷹臣に覆い被さる様にその身を屈める。
じっと見つめてくる瞳にふっと笑みを零して、その唇を自分の唇で塞いだ。

「んっ…」

柔らかなその感触を味わい、少しだけ舌先を触れ合わせる。ぺろりと悪戯に唇を舐めて、顔を離せば、離れた瞬間、吐息ともつかぬ、物足りなさそうな切ない声が漏れる。瑛貴は優しく啄むようにキスを続けて低い声で囁く。

「今日は出かけんだろ?続きは夜にたっぷりしようぜ」

なぁ、タイガー?と瑛貴はわざと鷹臣をその名で呼ぶ。

「ん」

タイガーはウルフである瑛貴が鷹臣につけてくれた名だ。
自分が瑛貴のものであると強く感じられる名前。
鷹臣は瑛貴に頷き返すと艶やかに笑って告げた。

「今日を楽しみにしてた」

「俺もだ」

飲み物を用意して、瑛貴も鷹臣の正面の席に座る。朝食を食べながらこの後の話を続ける。

「髪は染めてから出るか?」

「いや、外に出てから何処か別の場所が良い」

以前は髪を染めてから学園を抜け出していたが、その時刻は常に夜であり、フードも被っていた。夜の闇に紛れる事で不在を誤魔化していた。しかし、今日は違う。昼間、それもまだ朝と呼べる時間帯だ。瑛貴と並んで出て行けば、余計に目立つだろう。

「それなら外にある俺の部屋を使え」

例の1Kのマンションか。そうするかと、頷き返せば、正面からじっと赤い双眸に見つめられていることに気付く。

「どうかしたか?」

「お前はいつまで正体を隠す気なんだ?」

学園外での髪染めに、俺が正体を隠し通したいと思っていると誤解したんだろう。
鷹臣はその誤解を解くように自分の意志をはっきりと口にする。

「隠すとかじゃなくて、俺はただお前との久し振りのデートを誰にも邪魔されたくないだけだ」

学園内で髪色を変えていっても構わないが、そうすると学園内で誰かに見つかった場合、瑛貴共々周囲の人間に騒がれかねない。蹴散らすのは簡単だが、その分確実に時間は取られるだろう。

「俺は嫌だぜ。せっかく良い気分で朝を迎えたのに、他の面倒事に時間を取られるの何て。それなら面倒でも最初からひと手間かけた方がマシだ」

「ふぅん、なるほど。俺との時間を邪魔されるのは嫌か?」

「嫌だ」

即答した鷹臣に瑛貴はくつりと愉快そうに喉を鳴らして笑う。

「…可愛いなお前は」

甘く緩んだ眼差しの先で鷹臣は自らその甘さに身を投じるように瑛貴と視線を絡めて言う。

「またお前の手で俺をタイガーにしてくれないか?」

ウルフが用意してくれた俺用のヘアスプレーやワックス、カラーコンタクトに衣服。それらは大切に保管してある。ウルフに会いに行く夜は、それらの支度を自分でしていたが、今日はそんな気分じゃない。せっかくタイガーの素顔ともいえる自分と出会ったのなら…。

「いいぜ。可愛い恋人のお願いだ。俺が格好良く仕立て上げてやる」

服は持っていかなくていい。向こうの部屋にある俺の服を着ればいい。新しく買っても良いな。

とりあえず必要な物だけを持って、二人は仲良く堂々と学園の寮を出て行く。
一泊分の外泊届は既に受理されており、二人の進路を阻むものは何も無かった。




それが朝、午前八時頃の出来事であった。


情報料として一万円を支払った伏見は【トロイ】から買った学園寮玄関付近の防犯カメラ映像をスマートフォンに表示させながら、酷く残念そうに口を開く。

「この通り。ウルフも北條も出かけた後で、学園内にはいねぇらしい」

「くっそ!またかよ!」

「これじゃ人質の意味ねぇだろ」

「もう直接ボコボコにしてやろうぜ!」

苛立たしげに机を叩いた男に、部屋の隅に追いやられ震えていた男がびくりと肩を跳ねさせる。視界の端で怯えた様子を見せるのは、この部屋の正当な住人、三年の宮城だ。その姿に心を痛めつつも伏見はこの集団の頭でもある久保田の言葉を待つ。

「そう吠えるな。サシで勝てねぇことぐらい分かってるだろ」

それに馬鹿な親衛隊のせいでウルフの周りには風紀の影を感じる。だから、前回の作戦は捨てるとこの間言ったはずだ。今度こそウルフに痛い目を見せる為に…。

「間違えるなよ。本命は北條の方だ」

風紀にはこのままウルフを狙ってると見せかけて、奴のお気に入りだという生徒会長をぐちゃぐちゃに潰してやる。俺達がウルフにかかされた恥や潰されたメンツ。プライドに奪われた恋人の事を思えば、ウルフが気にかけているというだけでも北條も同罪だ。

「学園の中だけでぬくぬくと育った世間知らずの北條なんざ、ウルフから引き離せさえすれば、簡単に潰せる」

北條の親衛隊がうるさく言ってきても、それも同じこと。ウルフよりは簡単に片が付く。

「ははっ、そりゃちげぇねぇ」

「泣いて縋ってきたら、優しく慰めてやろうか」

「あぁ、それも良いな。北條の奴、ツラは良いからなぁ」

げらげらと下品な話で盛り上がる連中に、伏見は僅かに眉をしかめた。人の事はあまり言えないが、どちらもイケる伏見の心情はそれでも最後の良心は手放してはいない。そういうことは双方の合意があってから、楽しむものだと伏見は思っている。

「ひとまず解散だ」

ターゲットが不在じゃ話は進められない。

「次の狙い目は週明けの月曜だ」

号令をかけたら直ぐにこの部屋に集まれ。次こそ北條を捕らえる。そして、ウルフが次に目にするのは嬲られた後の北條の姿だ。

「そういうことなら、この部屋には俺が残るぜ」

そこの宮城が逃げねぇよう、風紀に駆けこませないよう、見張りが必要だろう?
ちらりと顔色悪く震える宮城に視線を投げ、伏見が片手を上げて久保田の前に歩み出る。

「いいだろう。ただし、もう一人付ける。辻」

「はぁ?俺?んなの、だりぃじゃねぇか。こいつがやるってんなら勝手にやらせとけよ」

「一人だと隙が出来る」

トイレや風呂、目を離したその隙に逃げられたら元も子もねぇ。
もっともな正論に辻が黙らせられたのを見て伏見もそれならと代替案を上げた。

「逃げられるのが心配なら縛っておけばいい。ちょうど良い長さの紐も鎖も俺の部屋にはあるぜ」

なんなら、赤い首輪でも持って来てやろうか?と薄っすらと弧を描いた唇で伏見は愉しげに笑って告げた。同時にその場から辻が身を退く。

一瞬落ちた沈黙が奇妙な空気を生んだ。

聞きたくも無いのに聞いてしまった会話に宮城の顔色は青色を通り越して白くなりつつあった。

「おい!俺はこんなやべぇ奴と二日も一緒にいたくねぇぞ!」

その奇妙な空気を辻の心からの叫びが切り裂く。

「はぁ?何言ってんだ、お前?お前は俺の好みじゃねぇし。例え頼まれても首輪ははめねぇし、縛ったりもしねぇよ」

「……好みだと縛るのか?」

「こいつ、見た目よりヤバい奴だったのか」

辻と伏見の言い合いに周囲に居た連中がこそこそと囁き合う。
そして、とうとうその雰囲気に耐え切れなくなったのか宮城の身体がふらりと傾いた。

「あっ、おい!お前!」

慌てて駆け寄った伏見の腕の中で宮城は完全に気を失っていた。

「……」

それを見て久保田がどう思ったのか、無機質な目を伏見に向けてようやく結論を下す。

「そいつは北條に使う大事な人質だ。縛るもヤるも好きにして良いが、絶対に逃がすなよ」

「おぅ、分かった」

こうして無事、宮城の身柄は伏見に任される事となった。






半年ぶりに訪れた1Kの部屋の中は何一つ変わっていなかった。
ベッドの上に用意されたシャツとズボン、上着に着替えて鷹臣は瑛貴の物で身を包む。
その間に、さっそく洗面所で髪を染める準備をしていた瑛貴に呼ばれた。

「鷹臣。こっちに来い」

「今行く」

鷹臣は寮から持ってきた、うんともすんともいわない所か、傷だらけで電源も入らなくなったスマートフォンをローテーブルの上に置く。その画面には蜘蛛の巣状にヒビが走り、更にその上に重なるように細かなヒビが幾重にも入っていた。

寮を出る前に、その惨状を目の当たりにした瑛貴は鷹臣の手からスマートフォンを受け取ると、裏側に引っ繰り返して中のチップも破損してそうだなと呟いた。

「で、これはどうした?」

瑛貴はスマートフォンを鷹臣に返しつつ、酷く冷静に鷹臣に問うてきた。だから、鷹臣もそこにあった真実を包み隠すことなく告げた。

「俺がやった」

壁に叩きつけ、何度か足で踏みつけた。

「それがお前の言う諸事情で壊した、か?」

「あぁ。…半年よりちょっと前か。やたらと見知らぬ番号から電話が来るようになって、苛ついて、気付いたら叩き壊していた」

「物理的にいったか」

「お前には会いに行けばいいと思ってたからな」

どっちにしろ電話だけじゃ物足りない。そう考えていた。
でも、現実は思ったより忙しくなって、会いに行くことが出来なかった。

つまり、その忙しい時期に鷹臣の携帯番号をどさくさに紛れて入手した輩がいるということか。この学園の内情を見るに、ありえない話ではないだろう。とても不快な話だ。だったら鷹臣のとった行動も仕方が無かったのかもしれない。

「番号は新しくするぞ」

鷹臣の話を聞いた瑛貴は怒るでもなく、何故か鷹臣の頭を優しく撫でて終わった。

洗面所に持ち込まれた椅子に座れば、肩にタオルを掛けられる。
部屋へと入ってから眼鏡は外しているので、背後に立つ瑛貴とは鏡越しで裸眼で視線が重なる。

「カラコンは後で良いな。まずは髪染めと一緒に髪をセットするぞ」

「ん。お前に任せる」

今回はカラースプレーではなく、カラーワックスを寮から持って来ていた。
髪染めと同時に髪を整えられるので、時間の短縮が出来るのだ。

手袋を付けた手でカラーワックスをとり、その塊を掌の上で伸ばしてから、瑛貴は目の前の黒髪に触れた。

久々に目にするタイガーの色に、鷹臣は奇妙な心地を覚える。初めて金髪に染めた時はウルフが用意してくれたカラースプレーで、自分一人で染めたのだ。もしかしなくても、こうやって誰かにやってもらうのは初めてだ。ありふれた黒髪から鮮やかな金髪に染められていく。

前髪を持ち上げられ、サイドの髪も弄られる。以前より長くなっていた髪は瑛貴の手により上手く纏められ、左サイドのみピンを付けられる。

鏡越しに見える瑛貴の表情は真剣そのもので。じっとその姿を見ているとなんだか自分も嬉しくなってくる。

「楽しいか瑛貴?」

「楽しいぜ。俺の手で変わってくお前がたまんねぇ」

鏡の中で視線を絡めて鷹臣も、俺もだと甘く笑う。

「お前に変えられるなら悪くない」

「そうか」

鷹臣の返答に瑛貴は笑みを深めて、その手で優しく髪を梳いた。





髪染めが終わった後に、青いカラーコンタクトを瞳に入れれば、そこにはウルフと共に夜の街で暴れまわっていたタイガーの姿が現れる。

「なぁ、瑛貴。…何だが、頭が可愛くねぇか?」

前髪は左半分だけアップにされ、左耳を出す形でサイドの髪は後ろに流されている。そこには黒いヘアピンが二本挿してある。左側は緩くセットされているのに対し、右サイドはふわふわとした遊びがある。
以前自分でセットしていた髪型はもっとあちこち髪を自然な形で跳ねさせて、無造作ではないが、見苦しくない程度に整ってはいたと思う。前髪については学園内では下ろしているので、わざと左サイドに分け目を作って、ある程度上に上げていた。

「気に入らねぇか?」

「そういうわけじゃないが。なんだか見慣れないな」

「新鮮でいいだろ?カッコ可愛いぜ。鷹臣」

ふっと弧を描いた唇が目元に落とされる。

「まぁ、お前が喜ぶなら別にいいか」

そこまで自分の事には頓着しない。鷹臣の基準は瑛貴で決まっていた。

「半年ぶりだな、タイガー」

上から下まで瑛貴の手で整えられた鷹臣は改めて瑛貴からかけられた台詞を静かに受け止め、淡く笑みを浮かべて答える。

「待たせて悪かった、ウルフ」

見つめ合って、鷹臣から距離を詰める。唇を重ね、軽く触れあう。

「ん…」

「タイガー。…鷹臣。外ではどっちが良い?」

「どっちでも。好きな方で呼んで欲しい。でも、今日はタイガーの方が良いな」

せっかくお前が手ずから俺の全部を仕立ててくれたんだ。だから今日は丸ごと、お前の俺でいたい。タイガーはウルフだけのものだろう?

「はっ…いいぜ。けど、その前に」

可愛い事を言う唇を己の唇で塞ぐ。

「ん…っ」

誘う様に薄く開いた唇に舌先を滑り込ませ、瑛貴はそのまま鷹臣の言葉を奪うように舌を絡ませる。すると鷹臣もそんな瑛貴に応えるように瑛貴の首に腕を絡ませ、二人の間にあった隙間を埋めるように身体を密着させた。

「…は…ぁ…」

鼻から抜けるように零された吐息に甘い熱が混じる。
目元を薄く赤く染めた鷹臣の艶姿に、瑛貴にしては珍しく何とかそこで自制心を働かせた。鷹臣の唇を甘く軽く噛んでからゆっくりと唇を離す。

「ん…っ…、瑛貴?」

とろりと濡れた唇から透明な糸が伝い、ぷつりと二人の間で途切れる。
不思議そうに瞬いた鷹臣の唇を親指の腹で拭うと、瑛貴はその指をぺろりと舐めて獰猛な笑みを溢した。

「楽しみは夜まで待つ約束だからな」

これ以上は待てなくなると言外に告げて熱い眼差しで鷹臣を見つめる。

「っ、」

鷹臣は隠される事無く向けられたその劣情を感じ取ってずくりと腹の奥底を疼かせる。けれども、今日は瑛貴の言う通り。目的があって学園から出て来たのだ。

「…あぁ」

ふっと細く息を吐き出すと鷹臣は意識を切り換える様に身体を包む甘やかな熱を意識の外に追い出し、清廉な気を纏う。

「さっさと用事を済ませよう」

「そうだな」

凛とした気配を纏いながらも、己の欲望に素直な台詞。瑛貴は愉快そうに瞳を細めると、口角を吊り上げて鷹臣の言葉に頷いた。




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