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やや顔色を悪くさせた佐賀が教室に戻って来たのは昼休み中頃の事であった。何があったのかと興味津々で絡んでくる田町を受け流しつつ、机上に確保されていた自分用の昼飯、総菜パンなどを無言で口に運ぶ。

「おい、道化。飯ぐらいゆっくり食わせてやれ」

「えーっ、だって気になるじゃん。芦尾だって気になるだろ?」

食事の事については意外とマナーの良さを窺わせる芦尾の発言に田町は不満顔で言う。

「はっ、気にならねぇわけねぇだろ」

そして、芦尾は田町の言葉を否定したりはしない。ただ芦尾は佐賀が昼飯を食べ終えるのを待っているだけだ。横に居る東雲と同様に。
こちらは既に難しい顔をして、佐賀へと視線を注いでいる。

「韋駄天の。お前は風紀室に居なくていいのか?」

「あぁ。今は特別詰めてなきゃいけねぇ用事はない」

芦尾に問われて、昼飯を購買で買ってきた弁当で適当に済ませた東雲が頷く。

「ふぅん。じゃぁさ、親衛隊の問題は解決したの?」

佐賀をせっつくのを止めて、田町が時間潰しとばかりに東雲の言葉に乗って来る。

「それはうちの連中が絡んでた一年のことか?それとも北條の件か?」

「う〜ん、両方。東雲的に面白そうな事になってるのはどっちなわけ?」

「どっちも面白くはねぇわ。とりあえず、うちの連中と北條の方のは抑え込んだが」

「ヒュ〜♪さっすが、韋駄天の総長様。手回しが早いね」

「手回しもクソもねぇだろ。自分とこの話だ。一般人に迷惑かけてんのがうちの連中だったら、俺直々に血祭に上げてるとこだぜ」

おどけた調子で口笛を鳴らした田町に、芦尾ははっきりと鋭いその双眸をぎらつかせて毒づく。東雲にとっては返答しにくい言葉である。
絡まれていた一年の佐倉が本当に一般人だと言えない以上、口を噤むしかない。
変わりに彼らは何故、【疾風】の総長である佐倉に気が付かないのか、多少の面識はあったはずだと、東雲は疑問に思っていたことを口に上らせた。

「お前らはその一年の顔を見たことないのか?」

問われた田町はあっけらかんと、芦尾は興味なさげに返す。

「遠目にちらっとだけなら。あれは面白いよなぁ。アリにたかられてる砂糖みたいで」

でも基本、親衛隊の制裁は手ぬるいから現状だけ見てスルー。気が向いたらちゃんと風紀に通報してあげるけど、一年と三年じゃ行動範囲は中々被らないから。はっきりとその一年の顔を見た事はないかも。面白可笑しい噂話なら色々と集めてるけど。

「俺も顔は知らねぇな。一年の事は下に任せてる」

学年も違うんだ。わざわざ俺が出張るような話じゃねぇ。風紀の協力者としての仕事の範囲内でなら助けてやるが。道化の言う通り、三年である自分が会う機会など早々ねぇだろ。

「…そうだな」

言われてみれば、だ。佐倉は一年。自分達は三年である。普通であればそこまで関わりは無いはずだ。東雲が学内の風紀を纏める立場であり、生徒会が学内の運営をする側であったから、編入生であった佐倉との接触機会が出来ただけで。故に東雲が佐倉の正体に気付いたのは必然であり、田町達が気が付かないでいるのも何ら不思議な事ではない。

「おっ、食べ終わったな」

田町が弾んだ声を出し、佐賀の前の椅子を陣取る。

「で、ウルフに何を言われたんだ【トロイ】?」

佐賀の座る椅子の横に芦尾が立ち、佐賀を見下ろして聞く。

「素直に吐いた方が、お前の為でもあると思うぞ」

俺はと、芦尾とは逆側に立ち、東雲は低い声で優しくそう促した。

「何かあれって、新しいイジメ?あっ、違う?取り調べかな?」

くすくすと窓際の席に座ってクラスメイトと話し込んでいた赤穂は、教室の中央で開始された尋問の風景に目を向けて愉しそうに笑っていた。

威圧感の半端ない三人に囲まれて、佐賀は少し投げやり気味に口を開く。

「ウルフには私的な事を頼まれただけだ」

「ん−、私的な事って何さ?」

大雑把すぎる回答にすかさず田町が聞き返す。しかし、佐賀の口からその詳細が語られる事は無い。普段の眠気を纏った気怠そうな表情から一転、感情の読めない冷たい眼差しが順番に三人の顔を捉える。

「この先は有料だ。情報屋がタダで情報を渡すわけないだろ」

そろりと顔を覗かせた夜の気配に田町の顔が愉快そうに歪む。

「へぇ…、随分高い買い物でもさせられたのかな?顔色が悪い」

「元からだ。そう思うなら今すぐ寝かせてくれ」

じっと佐賀の顔を覗き込んでその表情から情報を得ようとする田町に芦尾がストップをかける。

「やめとけ、道化。トロイの口の堅さは嫌というほど知ってんだろ?」

それで夜の街を生き抜いてるチームだ。情報屋が有料だと告げた情報は正規の手続きを踏まなければ決して手に入れることは出来ない。

「そりゃそうだけどよぉ、クラスメイト兼ルームメイトの誼で、ついでにいつも朝起こして教室まで引っ張って来てる俺の労力を対価にちょーっとぐらい、零してくれても良いと思わない?」

「随分と恩着せがましいな」

あまりにも清々しく言い放つ田町に東雲は呆れながらも、内容を知りたいと思う気持ちは同じ。東雲は自分の持っているカードを有効活用する事にした。

「佐賀。風紀会長として聞くぞ。高杉に何を頼まれた?学園内での事で、話せることは話せ」

指定する相手はウルフではなく、高杉。学園に在籍する生徒一人の行動に関し、限定的に話を絞って質問を投げる。佐賀は知り得てしまった、ウルフとタイガーの情報は伏せて、しかたなくグレーゾーンぎりぎりのラインで口を開いた。

「その前に、東雲は学内で有名人達の写真なんかが高値で取引されてるのを知ってるか?」

「噂ぐらいなら。実際に関わったことはないな。問題が起きれば風紀でも対処はするが、今の所そんな話が風紀に持ち込まれたこともない」

「それは風紀が掴んでないだけで、実際に問題は色々とある。高杉はその北條に関する写真や画像、学内に出回ってるそれらを全て処分しろと言ってきた」

この件は確かに学内に関する話ではある。そして指定された人物もタイガーではなく、生徒会長の北條に関する物である。なので嘘では無い。

「はぁ?それだけ?」

ようやく口を開いた佐賀が告げた内容に田町はどこか拍子抜けしたと、つまらなそうな顔をする。逆に芦尾はへぇと意味ありげな声を漏らす。

「ウルフの奴もマジじゃねぇか」

独占欲の強いあの男なら、言いかねないと東雲も納得し掛けるが、それだけの事で佐賀を呼び出すだろうかと、僅かな疑問が残る。東雲は他にはないかと重ねて問うた。

「他って、それだけだ。もう良いだろ」

俺は疲れた。寝たいと、佐賀は机に腕を置いて、その上に頭を乗せて寝る体勢に入る。

「なぁなぁ、その売り買いされてる写真って俺のもあるのか?」

気を取り直した田町が寝に入ろうとする佐賀の腕を掴んで揺さぶる。

「…お前は高くても五千円」

「えーっ、安くない?じゃぁ、芦尾と東雲は?」

「芦尾のは無い。東雲は一万から」

ぞんざいな口調で田町の相手をした後、佐賀は本当に寝始めた。

高杉からの依頼は北條に関する写真の抹消。風紀から親衛隊のデータ抜き取りは主に北條からの依頼であり、そちらは情報メディア室の使用権利と交換に【トロイ】として取引が成立している。この際、取引相手が何者であれ、佐賀は今後のより良い取引、関係継続の為、正しく口を噤んだ。





昼休みが終了するぎりぎりになって教室へと戻って来た高杉と北條を後ろの席から眺めつつ、佐賀へと視線を移す。しかし、佐賀は午後の授業を寝て過ごすつもりなのか、微塵も起きる気配が無い。二人に対する反応の変化を見ようと思ったが、まるでいつもと変わらない。【トロイ】の頭を張るだけはある、佐賀の態度に東雲は難しそうに眉を寄せた。

どうにも腑に落ちない。そんな感覚が自分の中にある。

先程、佐賀は学園内の話と限定すれば口を割った。だが、情報屋【トロイ】としての言葉には口を噤んだ。つまり佐賀は高杉から、学外でも有益となる情報を手に入れたという事になる。そう考えて、東雲の頭に真っ先に浮かぶのは…。

「まさかな…」

だとして、高杉に何のメリットがある?

佐賀の得意分野は情報戦だが。学園運営に携わっている生徒会、北條が学園内の情報を把握していないわけがない。それだけの情報を生徒会は持っている。今更、佐賀に探らせるにも意味は無い。探った所で学内の情報を何に使うというのか。

(…いや、待て。意味が無い?本当にそうか)

俺は何か見落としているんじゃないのか。

ぽつりと口の中で零された呟きは授業を進める教師の声に隠れて、誰にも聞かれる事無く溶けて消える。

何かが閃きそうで、何も掴めない。もどかしい苛立ちにも似た焦燥に駆られ、思考の海に深く沈みこもうとした…その時、東雲を現実に引き戻す様に上着に入れていたスマートフォンが振動した。
長さから電話ではないようだが、何の用だと念の為、机の下でスマートフォンを操作し、その画面へ視線を落とす。
着信を告げたメールの差出人は狐。伏見のものだ。

伏見は現在、とある事情で教室の中にはいない。

簡潔に綴られた文章を目で追い、つい舌打ちが漏れる。

『三年の宮城を駒に北條を誘い出す』

三年の宮城といえば、何の変哲もない一般の生徒だ。唯一縁があるとすれば、それは不幸にも高杉のルームメイトとなってしまった事だろう。とはいえ、高杉は入寮すべき部屋には荷物を引き取りに行ったぐらいで、その部屋は使用していない様子。高杉と宮城に面識があるかどうかも不明だ。その点、生徒会長である北條は、編入生が入寮してくるにあたり、直接宮城にあっていなくとも、その調整の為、顔ぐらいは把握しているだろう。だが、それだけだ。言い方は悪いが宮城は北條にとって人質にはなりえない。特に北條の正体を知ってしまった今なら尚の事、そう断言できる。
また、それとは別に、何も知らない一般生徒を巻き込むことは風紀会長としても【韋駄天】の総長としても許しがたき所業であった。

『宮城には風紀の守りを付ける。タイミングを見計らって保護する』

しかし、それでも今すぐに助けに入ることが出来ないのがもどかしい。ここで踏み込めば宮城の身柄は保護できるが、相手に逃げられる可能性がある。更に潜り込ませた伏見の事も勘付かれるかもしれない。ある程度泳がせ、相手を一網打尽にすることが理想的だ。正直、いたちごっこになったら面倒だ。更に言えば、その間は高杉と北條には是非とも大人しくしていて欲しいが、こちらは高望みをし過ぎだろう。

東雲はとにかく、被害が最小限に抑えられるよう、一般生徒に迷惑が掛からぬようにと伏見にメールを返した。

『宮城へのフォローを頼む』

「はぁ…。こりゃ、答えのある授業の方が楽だな」

頭を悩ませる問題ばかりが増えていく。
東雲はそう小さくぼやきながら顔を上げると、前を向く。

堂々と居眠りをする奴。教科書を立てて、違う本を間に挟んで読んでいる奴。真面目にノートをとる連中に、窓辺で船を漕ぎだしてははっと意識を引き戻して頭を振る奴。北條はタイガーであるというその片鱗すら見せずに真面目に教師の話を聞いているし、高杉はその後方で相も変わらず北條の方を眺めている。
個性豊かな連中が集まって大人しく授業を受けている。その何処か奇妙で平和的な光景を悪くないと東雲はぼんやりと思う。

頭は痛いが。

「ん…?」

スマートフォンが再び振動を伝えてくる。
伏見からの返事かと目線を落とした東雲は画面に表示された名前を見て、こいつも問題だよなと、呆れたように気を抜いて、今度は何だとメールを開いた。

『今晩の飯、何が良いですか?1おかゆ、2おじや、3ぞうすい。東雲先輩の為にお腹に優しいメニューですよ。俺ってば、優しくてよくできた後輩だと思いませんか?』

(どこがだ。こいつはまた…。どれも一緒じゃねぇか。そもそも腹は痛くねぇし、いい加減そこから離れろ!)

さっさと返した返事に、素早い返信が来る。

『違いますよ。おかゆとおじや、ぞうすいには厳密な違いがあります。おかゆは米から炊くもので、おじやとぞうすいは炊いた米を使って…《中略》…よく鍋の締めに作るのはぞうすいですね。とはいえ、地域で呼び名は変わるかも知れないので。はぁ…、残念です。色々と。ご飯のお礼に二人の写真を撮って来て欲しかったのに!!』

(こいつは俺の事を何だと思ってるんだ?そんな命がけのこと出来るわけねぇだろ。写真が取りたいなら、自分で…)

待てよ。先程佐賀が口にしていた、学園内で売買されている写真の事。椿に聞けば、何か知っているかも知れないな。こいつはこいつで無駄な情報を持っていそうだ。

東雲はそう思考し、即決すると逆にご飯の誘いをかけた。

『今夜、寮の風紀室へ来い。話がある。夕飯も奢ってやる』

寮の風紀室や生徒会室にもデリバリーサービスは存在している。人に聞かれたくない話をするには食堂より風紀室の方が何かと都合も良い。そう考えての誘いだったが、長文ですら返信の早かった椿からの返事が途切れる。

まぁ、よく考えなくても二年の椿も現在進行形で授業中であるだろうから、何ら不思議ではない。

三分後。

『…ちょっとお応えしかねます。いくら総長とは言え、俺には心に決めた人が…………いないので。―――追伸。一番高いステーキが食べたいです。デザートも付けて下さい』

「は…」

ひくりと口元を引き攣らせ、思わず叩きつけそうになったスマートフォンを握りしめて何とかとどまる。今は授業中だと自分に冷静になる様に言い聞かせ、深く息を吐く。

「おい、何かあったのか?」

東雲の挙動を不審に思ったのか、隣から小さく声を掛けられる。

「いや、…うちの奴の話だ。問題ない」

「そうか」





終業の鐘が鳴る。

本日最後の授業は担任が受け持っている教科で、S組はそのままHRに突入し、他のクラスより一足先に解散となった。騒がしくなった教室内で席を立った鷹臣は自ら瑛貴の元へと向かうと声を掛ける。

「この後はもう何の予定も無いが、どうする?」

「そうだな」

真っ直ぐに寮へと帰っても鷹臣的には構わなかったが、椅子から立ち上がった瑛貴には別の考えがある様子だった。クラスメイト達から向けられる隠しきれない好奇の視線を全く気にせずに二人は教室の扉へと向かう。

「ここって屋上とかは出れんのか?」

「特に立入禁止にされてるわけじゃないが、屋上に何か用か?」

歩きながら話す二人の距離は心なしか近く見えて、首を傾げた鷹臣の背中に瑛貴の右手が添えられる。

「せっかくならこのシチュエーションを愉しもうかと思ってな」

「…意味が良く分からないんだが?」

「大丈夫。俺が教えてやる。全部、な」

愉快そうに口元を緩め、鷹臣と一緒に教室を出て行った瑛貴の姿に教室内に残っていたクラスメイト達がざわつく。

「何かヤバくねぇか?」

「大丈夫か、北條の奴…」

「助けてやった方が」

「いやいや、無理だろ」

鷹臣と瑛貴、二人の関係性を正しく把握できてないが故に誤解は増えていく。

「なぁ、俺、今思ったんだけどさ。ウルフってタイガーと北條、二股かけてんのか?」

「はぁ?そりゃねぇだろ」

「だってさ、ウルフって北條の前じゃタイガーの話をしたがらないだろ?それに北條なら、危ない事に首突っ込んだりしなさそうだから、タイガーの存在そのものを知らなそうじゃん」

田町の言葉に反論の言葉を返していた芦尾だったが、その会話を聞いていたクラスメイト達も含め、その可能性もあり得るのかと新たな選択肢に納得しそうになる。

「ちょっと!勝手に盛り上がるのは良いけど、口には気を付けなよ。ウルフ相手じゃ、馬に蹴られて死ぬ程度じゃ済まなくなるからね」

妙な勘繰りを始めた田町に赤穂が釘を刺す様に口を挟む。それに便乗して東雲も口を開いた。

「余計な詮索は自分の身を滅ぼすことに繋がるぞ、田町」

「はいはい、分かってるよ」

ワザとらしく肩を竦めた田町は、次なるターゲットへと顔を向けて、あっと叫ぶ。

「佐賀の奴、いつ出てった!?」

「え?」

「あれ?そういや、いねぇな」

「さっきまで寝てたのに」

ウルフに捕まりはしたが、基本的に佐賀の危機察知能力と回避力は高い。

「さっ、俺達も行こう。芦尾」

「おぅ、そうだな」

揃って教室から出て行く赤穂と芦尾の姿を視界に入れながら、東雲も椅子から立ち上がった。



出会うべくして出会い、互いを欲した二匹の獣。今は夜も昼も関係なく、想いを重ねて、陽の下でも甘いじゃれ合いを続けていた。



第三話 出会い-完-



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