07


実際にウルフと行動を共にするようになってから、それまで手探りで見ていた世界が、ウルフの手によって明確な物へと変わっていく。
使われずに己の中で眠っていた感情が徐々に表へと顔を出し始めていた。

適当に変えていた髪色を金色に固定し、瞳のカラーコンタクトは青色に。闇に溶け込むような黒い服を身に着け、学園を抜け出す。街を一人で彷徨い歩いていた頃と比べると、その足取りに迷いは無くなり、鼓動は弾んでいた。

「今夜は知り合いのバーに連れて行ってやる」

「バー?酒を飲むのか?」

「試しに飲んでみるのもありだぜ」

当然ながら二人は未成年だが、気にした様子もなく、興味を持った様子の鷹臣をウルフは面白そうに眺めて先を促す。

「とりあえずどんな所か雰囲気だけでも感じてみろ」

「分かった」

そうやってあちらこちらに連れ回され、その内に鷹臣自身にも自分が何が好きで、何が嫌いなのか自覚が芽生えて来ていた。そしてそれは他人を眺めているだけでは決して手に入らなかった感情でもあった。自分自身が体感しなければ得られなかったのだ。

蕾が徐々に花開いて行く様に、感情を見せ始めた鷹臣にウルフは焦らずゆっくりとその様子を愉しむように見つめては、その時が来るのを待つ。

「…待たせたか?」

鷹臣に伸され、周辺に転がりうめき声を上げる男達など視界に入れる必要も無い。

ウルフの言葉に鷹臣はゆるく首を左右に振る。

「俺が早く来すぎただけだ」

「へぇ、それは俺に早く会いたかったってことか?」

鷹臣の正面に立ったウルフは楽し気に聞き返すと、鷹臣の頬に触れ、その感触を確かめる様にするりと手を滑らせてきた。二人の間にあった距離がゼロになり、口づけられる。
時折、戯れる様に触れて来るようになったウルフに鷹臣は気にした様子もなく言葉を返す。

「楽しみにはしていた」

今日は何処へ連れて行って、何を見せてくれるのか。
それにより、俺と言う人間の中身が形成されていくのが自分でも分かる。

淡々としていた声に熱が混じり、ウルフを見つめる双眸に爛々とした輝きが灯る。
自分の欲に素直な返事にウルフは口付けを解くと、ふっと吐息で笑って囁く。

「可愛い奴」

「そんなことを言うのはお前ぐらいだ」

「俺だけでいい。他の奴に言われてると思ったら潰したくなる」

「俺を?」

「相手に決まってるだろう?」

「そういうものなのか?」

何だかよくわからないが。

「あぁ。妙な事を言う奴がいたら俺に言え」

「分かった」

良い返事だとウルフは笑い、肩を抱かれる。こめかみに触れて来た唇を受け止めて、鷹臣はウルフと二人、夜の街に消えて行く。






やがて、自分の事が落ち着いてくると、鷹臣は周囲の事にも目を向ける様になった。
そしてそれが必然であるかのようにその意識は共に行動をしているウルフに向く。

「そう言えば…何でお前は俺に構うんだ?」

「はっ、随分と今更な質問だな」

「悪いか?」

「いや、その調子で俺だけ見て、俺のことだけ考えろ」

「ふむ…」

そのうち答えが見えてくるはずだぜ。
ウルフは真っ直ぐに己を捉えて来る眼差しにくつくつと意地の悪い笑みを零すと、鷹臣の前髪に唇で触れて囁く。

「答えが見つかったら教えろ」

ところが、そうすんなりと答えは出せなかった。
何故なら、鷹臣がウルフについて考えを巡らせる度、その思考に水を差す連中が現れる様になったからだ。

「いい加減鬱陶しい。俺の邪魔をするな」

カウンターで相手の顎を捉え、意識を飛ばした所で回転を加えた回し蹴りをその胴体に喰らわせる。鷹臣は自分のことに気を取られて気付いていなかったが、ウルフとつるむようになってから、鷹臣はタイガーとして、その名が知れ渡る様になっていた。特にウルフの相棒的な扱いに、ウルフ狙いの不良共がタイガーにもちょっかいを掛ける様になっていた。

鷹臣は地に伏す不良達の中でただ一人その場に立ち尽くす。

「口では何だかんだ言いながら、良い顔してるじゃねぇか。タイガー」

背後から掛けられた聞きなれた、愉快そうな声音に鷹臣は眉を寄せて背後を振り返る。

「ウルフ。見てたなら手伝え」

「俺はお前から好きな物を取り上げる気はねぇよ」

それにしても今夜もお前はぞくぞくする程熱くて、美しく、綺麗だ。

隠すことなく注がれる熱を帯びた熱い眼差し。鷹臣にはまだ理解が及ばないそれ。

「そうか」

「あぁ、連中に見せるにはもったいねぇな」

だから、ウルフが挨拶代わりの様に重ねて来る唇を鷹臣はただ受け止めるだけだ。嫌ではないから放っておく。かと言って好きかと問われても今の鷹臣にはまだ判断がつかない。
ウルフはそんな鷹臣の心情を知ってか、鷹臣に問う事もしない。初めて会った時から鷹臣の全てを見透かしているような男だ。何を気取られようと今更気にしたりはしない。

「なぁ、タイガー。こんな雑魚共を相手にするより、もっと面白い事を教えてやるよ」

口角を吊り上げ、熱っぽく囁いたウルフに鷹臣はその夜、初めて不良共が作るチームとやらの存在を教えられた。同時にそれが公でのタイガーのデビュー戦となり、一つのチームをウルフと共に初めて壊滅させた日でもあった。

 





夜の街でウルフと肩を並べて歩くことが日常に感じられるようになってから幾ばくか。
鷹臣は当初の目的であった自分探しをすることもなく、ウルフの隣で安定した日々を過ごしていた。

「腹が減ったな。何か食うか?」

今夜は誰にも絡まれることなく、ウルフとの時間を邪魔されることもなく、比較的平和な時間をウルフと共に満喫していた鷹臣はウルフの誘いに迷いなく頷き返す。

「お前に任せる」

「なら、そこの路地を曲がった先にある中華屋でいいか」

ちらりと一瞬、どこかへ視線を流したウルフは曲がり角で足を止めると、右手にある細い路地に目を向けた。鷹臣も後を追う様にそちらに視線を向け、目を凝らす。今いる灯かりの眩い通りと違い、路地の先は薄暗く、ポツリポツリと街灯が疎らに立っているだけだ。

「この先にあるのか?」

「少し歩けば赤い看板が見えてくる」

その時は珍しく何もなかったから、油断していたのかもしれない。

「こんな所に店なんか出して儲かるのか?」

「そりゃ、ここは…、タイガー!」

意識が店の方へと向いていた鷹臣はウルフの鋭い声に反応して、咄嗟に身替え、視線を巡らす。だが、それよりも先に動いたウルフに鷹臣は守られるようにその肩を強く抱き寄せられる。鷹臣の眼前で、鷹臣を庇う様に翳されたウルフの左腕に何かが振り下ろされるのが、スローモーションのようにその瞳に映った。

「っ、」

「ウルフ!」

ぱっと左腕から散った赤い液体に、鷹臣は大きく目を見開く。

「ようやく弱点を見つけたぜ」

「今日こそ覚悟しろ、ウルフ!」

どこか遠く聞こえる雑音など鷹臣の耳には入らない。鷹臣はウルフの左腕からつたい落ちた赤い色から目が離せなかった。

「怪我はねぇな、タイガー?」

「……」

耳のすぐ側で問われた言葉にも鷹臣は答えない。
ただ、微かに震えた指先を持ち上げ、ウルフの左腕に触れた。

「…なに、してんだ」

誰への言葉なのか、口の中で呟かれた言葉は酷く乾いていた。

「おい、二人して無視してんじゃねぇぞ!」

「状況分かってんのか、こら!」

ゆっくりとそちらに目を向けた鷹臣の眼差しは殊更冷たく、冷えているのにぐつぐつとした灼熱を帯びていた。ひたりと視線を向けられた男がその視線に気圧されて、無意識に息を呑む。

「ーーふざけるなよ。お前らこそなにしてやがる」

街灯の届かない入り組んだ道から出てきた男達の手には、わざわざ手を加えたのだろう鋭利な形に整えられた角材が握られていた。ウルフの怪我はその角材のせいか。
ウルフの血で指先を汚した鷹臣は、その指についた血を舐めると、今まで以上に感じたことの無い強い感情の揺れに従うがままに口を開く。

「俺の…、こいつに手を出してタダで済むと思うな」

「は、はぁ?何言ってんだ、馬鹿じゃねぇの?」

「そっ、そうだ!タダで済まねぇのはてめぇらのほうだぜ!」

鷹臣の視線にたじろいだ男はそんな自分を誤魔化すように間髪入れずに声を上げる。また、あのウルフに怪我を負わせたことで、その優越感から他の男達も鷹臣の言葉を馬鹿にするように笑い始める。癪に障ることだらけだったが、ウルフは沈黙を保つ。

「……」

それはウルフを知る者ならば、普段ならば、異常以外のなにものでもない。皆、ぴりぴりと肌を突き刺す寒気にも似た獰猛な気配に気圧され、ウルフの異変に気付かない。
ウルフは唇の端に笑みを浮かべると、静かに鷹臣に視線を注いだ。

「だったら覚えておけ」

鷹臣はゆらりとウルフの腕の中から男達の方へ歩み出ると、素早い動きでウルフに怪我を負わせた男の足を払った。その素早さに対応できず、バランスを崩した男が地面に倒れ込む前に、鷹臣はその男の胸倉を乱暴に掴み上げると、そのまま流れる様に無防備な腹へと拳を見舞う。

「あぐっ…!!」

苦し紛れに手にしていた角材を振るった男に二度目の拳を突き入れ、地面へと投げ捨てる。角材を持つ手を踏みつけ、その際、鈍い音が靴の裏に伝わって来たが鷹臣は顔色一つ変えずに、足元で喚く男とその仲間達を鋭い眼差しで睨み付けた。

「こいつに手を出すことは俺が許さない」

「てめっ!その足をどけやがれっ!」

「返り討ちにしてやる!」

「はっ…、やれるものならやってみろ」

瞬間的に熱くなった頭が、熱が理性を食い破る。吐き捨てた台詞にはいつも以上の熱が籠っていた。

「ぐはっ…」

「ぎゃぁーっ!」

そもそもウルフに返り討ちにされた事のある烏合の衆が、同等の実力を持つ鷹臣に勝てるはずもない。その上、普段はあれでも無意識に理性と言う名のセーブが掛かっていた鷹臣が、今はその理性が利いていない状態で暴れている。結果、その場は惨憺たる状態になりつつあった。もはや鷹臣の独壇場どころの話ではない。

「おい、これは何の騒ぎだ?」

鼻血を吹き出して後方へと倒れ込んだ男の先、中華屋のある方向から一人の男が眉を顰めて歩いて来る。喧嘩には参戦せず、その光景を熱い視線で眺めていたウルフは近付いて来たその存在に視線すら向けず、口元に嘲笑の笑みを刻んで、それでも堪え切れずに込み上げて来た笑いを喉の奥で噛み殺して告げる。

「いつも通り、馬鹿な連中が俺に絡んできただけだ」

血の乾き始めているウルフの左腕に目を向けた男、自ら韋駄天というチームを率いている東雲は、次にウルフの視線が釘付けになっている乱闘現場に目を向けて、いっそう顔を顰めた。闇夜にも鮮やかな金髪が翻り、怖ろしく美しい爛々とした輝きを放つ鋭い青の双眸が瀕死の敵を射抜く。乱暴でありながらも、どこか凛として、美しく、キレのある拳が瀕死の男の頬を捉え、確かな手応えと共に周囲に血をまき散らす。僅かに笑みを刻んでいる様にも見えるその横顔。周囲の戦慄した様子も目に入らないのか、敵とみなした相手への追撃の手が緩むことは無い。
その様子に東雲は口元を引き攣らせると、熱心に金髪の男へと視線を注いでいるウルフに問いかけた。

「まさかとは思うが、あの男が噂の…」

「最高だろう?俺のタイガー」

俺が怪我を負わされたことに怒ってくれてんだぜ?うっとりと自慢するように吐息を漏らしたウルフに東雲は胡乱な眼差しを向ける。

「それ、絶対わざとだろ」

不意打ちを喰らおうが、けろりとして、むしろ嬉々として相手を潰しに掛かるウルフが、この程度の連中を相手に怪我をするなど嘘くさいにも程がある。
ウルフは東雲の言葉に答えず、口角を吊り上げると、独り言を零す。

「そろそろ良いか」

ウルフはその場から逃げ出そうとしていた男の頭を右手で掴むと、鷹臣の方へとその男を引き摺って行く。男が何やら喚いていたが気にも留めず、鷹臣に向かって男を押し出す。流れる様に下から跳ね上げられた右足が一閃。男の胴体を薙ぎ払った。

「ウルフ…」

ウルフに気付いて鷹臣の動きが止まる。

「なに、そんな大した怪我じゃねぇ」

呻き声を漏らす男達の中で二人は視線を合わせて見つめ合う。

「…そうか」

先に視線を外したのは鷹臣で。鷹臣は初めて覚えた強い衝動に、落ち着かなさげに瞳を揺らす。感情を持て余した様子で、冷めきらぬ熱を宿した鷹臣にウルフはひっそり笑みを零すと周囲の事など気にせずに、その場で鷹臣を抱き締めた。怪我をした左腕を使い、鷹臣の背中をそっと撫でる。右手で鷹臣の頭を抱き、突然の抱擁に視線を戻してきた鷹臣にウルフは優しく甘く低い声で囁く。

「それも、教えてやる」

「…ウルフ」

「お前を見つけてやると言っただろ」

だから全部、余すところなく、俺に見せろ。

大人しく口付けを受け止めた鷹臣はウルフのシャツを掴むと、くっと下に引っ張る。

「怪我の手当てが先だ」

「あぁ…、そうだったな」

ウルフからしてみれば本当にたいした怪我ではないが、鷹臣が気にするならと、抱き締めていた腕を解く。右手で鷹臣の左手をとり、指先を絡めて、ウルフはそのまま鷹臣の手を引いて歩き出す。

「この近くに借りてる部屋がある」

そこに行くぞと、鷹臣は自然に繋がれた手から感じるウルフの体温に身体の熱を上げていた。

「あの野郎…。人に後始末押し付けてきやがったな」

「せんぱーい!じゃなかった、総長ー。何してるんですか?麺がのびちゃいますよ?まぁ、質より量ってんなら止めないですけど。美味しくはないっすよ」

中華屋から出て来た男が東雲へと声をかけながら近付いて来る。

「って、うわっ!なにこれ?総長一人で暴れちゃったんですか?」

不満ですと隠さず伝わって来る表情に東雲は違うときっぱり否定の言葉を返す。

「じゃぁ、誰が?」

「噂の男だ。ウルフも一緒にいたが」

「えーっ!総長だけズルい!俺もタイガーに会って見たかった」

うるさく騒ぐ男を放置して東雲は今後更に荒れるだろう夜の街の治安を思って重たい溜め息を吐いた。
自分達の力量をきちんと見極められる常識的感覚を持った人間が多くいる事を願うばかりだ。

 

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