06


学園の人間達が北條 鷹臣=タイガーの図式を繋げられないのには、実は生徒達の観察眼が劣っている以外にも理由があった。

それは…。

鷹臣の生家が代々判事や検事、弁護士などを法曹界に輩出してきた名門、北條家だからだ。鷹臣の周囲にいる人間達は皆、鷹臣自身の意志もそっちのけにして彼もまた自分の父親や五歳年の離れた兄同様に法律家への道を進むと勝手に思っているのだ。
ちなみに鷹臣の母親は厳しすぎる北條家のしきたりに嫌気がさして、鷹臣が三歳になる頃には家を出て行ってしまったという。

そんな環境の中、育てられた鷹臣は北條家の厳格すぎる窮屈で色のない狭い世界で常に兄と比較され、与えられる情報も制限がかけられていた。自分の一番身近な者をライバルとして切磋琢磨し、悪の道へ落ちぬように情報の取捨選択が子供の内からなされていたのだろう。今の鷹臣ならそうと理解できたかも知れないが、当時はまだ親の愛情が必要な年齢だった。しかし、日々与えられるのは厳しい言葉に教育。年上の兄へ賛辞が送られるのは年齢的に考えても当たり前のことであったが鷹臣からしてみればそれは不条理でもあった。それでも同年代の子供と比べて聡明な頭脳を持っていた鷹臣は子供ながらに早々に全てを悟り、厭い、諦めた。

いくら頑張ろうが自分は所詮優秀な兄の引き立て役であり、頑張った所で意味は無い。何より無意味な努力ほど虚しいものは無い。

―では、自分は何がしたいのか。

ふとそこで初めて自分に対する疑問が浮かんだ。

―そもそも自分とはなんだ?

はたと我に返った時、鷹臣は自分が自分であるという強い意志も、感情も、何も持っていない事に気付いた。逆に何もない事こそが鷹臣を構成している全てであったのかも知れない。だが、それでは意志の無い人形と同じではないか。
だから鷹臣は自分という人間を探すことにした。

小学生の頃は常に家の目や兄の目が近くにあり自由に動くことが出来なかった。
その間の鷹臣は本当に人形のように言われたことをただこなすだけの小等部では模範的ないち生徒であった。
先に兄が小等部を卒業しても兄の影響が残る小等部ではやはり人目が多く、また成長するにつれ周囲の人間から妙な視線を向けられる事も増え、鷹臣はその頃から周囲の視線を遮る様に伊達眼鏡を使用するようになっていた。

完全に家の目も兄の目も届かなくなったのが、中学生の時であり、鷹臣はこの機会を狙って初めて学園を抜け出したのである。

外にはこれまで自分には与えられなかった数多の情報が溢れており、鷹臣はその中で何者でもない、自分を知ることにした。

 




学園を抜け出す時には、自分が北條家の人間であり、北條 鷹臣だと絶対に知られぬように、学園で着けている伊達眼鏡を外した。その上でカラーコンタクトを入れ、髪の色をスプレーで適当に変えた。とにかく印象操作を行ったのだ。

そして、学園を抜け出すことに慣れてきた頃。

夜の街中を彷徨い歩いていれば様々な人間がいることに気付く。
特に怪しげな店が並ぶ裏通りや細い路地を入った先にあるネオンが眩しい通りなど。人間の本性を観察するには調度良い場所だった。

今も顔を真っ赤に染めた青年が友人と思わしき男に引っ張られて、地下へと続く階段を下りて行く。その足は躊躇う言葉とは裏腹に軽く、またその先の通りでは綺麗に着飾った女がホストの男と腕を組み、店の中へと入って行く。道の真ん中では酔っ払いが通行人に絡み、大声で何か怒鳴っていた。
しかし、それらの様子を眺めてみても鷹臣の感情は一ミリも揺らがない。

「……」

しょせん他人事だ。自分には関係が無いし、興味も無い。

「そうか、…俺は他人に興味が無いのか」

そうして一つ、自分という人間について学ぶ。



あくる日には、裏道を歩いていただけで何だかよく分からない集団に言いがかりをつけられた。

「おいおい、誰の許可を得てこの道を通ってんだ」

「……」

「聞いてんのか?無視とは良い度胸だな」

「…私有地でもあるまいし、公道に許可がいるとは初耳だ」

「はぁ!?ガキが舐めた口利いてんじゃねぇぞ!」

何故か会話も通じずに殴りかかられたが、北條家の人間は総じて多種多様の武術を教え込まれている。それは鷹臣も例に漏れず。むしろ鷹臣は手加減を知らず、相手が泣いて許しを請うてきてもその言葉を不思議そうに思うばかりで、受け入れなかった。

「いきなり殴りかかって来たのはそっちだろう」

それなのにもう止めてくれとは何を言っているのかと、鷹臣は泣いて謝罪してくる男が鬱陶しくなって、路地裏のゴミ捨て場に向かって胸倉を掴み上げた男を投げ捨てる様に放り投げた。

「時間を無駄にしたな」

その夜は僅かな苛立ちを覚えた。



平日の夜より、休日の夜の方が賑わいをみせる歓楽街に鷹臣は度々足を運ぶようになり、時折、意味も無く自分へと絡んでくる不良と言われる人種を相手にする。
その過程でまた一つ、鷹臣は自分を知る。自分は自分の時間を邪魔される事に苛立ちが募る事を発見した。
同時に殴り倒した男の血を拳につけたまま、鷹臣は我知らず気分を高揚させていた。
そんな淡々とした日々が続く中で、鷹臣はとある男と邂逅を果たす。

「お前は何だ?」

誰も気づかなかった、鷹臣自身でさえ未だ答えを得られずにいる、その問いを発したのが後に恋人となるウルフだった。

だからと言って鷹臣はウルフを直ぐに受け入れられたわけではない。元より他人には興味の無かった鷹臣はこれまでと同じようにウルフをあしらった。
ただ一つ計算外だったのがウルフの強さだ。他の連中とは違い、掠めたとはいえその拳を顔に貰ったことだ。
そのせいでしばらく鷹臣は学園内でマスクを付けるはめになった。周囲には風邪をひいたと誤魔化したが。鷹臣はその後しばらく外出も控える事にした。

それから気付けば、半月も経ち、鷹臣は気まぐれの様にふらりと再び夜の街へと足を向けた。

そこで二度目となる、ウルフに声をかけられ、再戦を申し込まれる。かと思えば何故か心配されていたことを知り、とにかく意味の分からない男だと思った。

何一つ持っていない俺に何があるというのか。

以降、度々現れては付いて来るウルフに俺の邪魔をしないならと放っておくことにした。



その夜もふらふらと裏通りを歩き、何を見ても、どんな光景を目にしても揺れない己の感情について考える。歓楽街で豪遊する男、女連れでホテルへと消えていく男。どれも一般的に羨ましいと言われる事柄に対しても自分はまったくそう感じられない。豪遊することの何が楽しいのか、理解出来ないし、女のどこが良いのかもまったく分からない。

そうやって手探りで一つ一つ己の感情を精査して、自分を探していた鷹臣だが、そのやり方に始めから欠点があったとは知る由もない。
元から他人に興味を持てない人間が、他人に共感することは難しかったのだ。

更に一歩踏み込んで、鷹臣は自分に絡んできた不良を締め上げる。

「何とか言え」

どんな理由で、どんな理屈で俺に絡んで来たのか。その感情はどこから来たのか。
お前の中身を全部見せてみろ。

胸倉を締め上げた男とは別に地面を這い蹲って逃げようとする男の腹を蹴り上げる。

「ぐわっ―…!」

「もっ、もう…やめてくれ…。ゆるしてくれ…」

俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。
俺が聞きたいのは、欲しいのは…。

いつしか耳障りな声は無意識に振るっていた拳により途切れていた。
じくりと痛みと熱を発する赤みを帯びた拳を開き…ぐっと強く握る。

「はっ…、はは…っ」

そうだ、この手に伝わるこの感触だけは、確かに自分だけのものだ。

「おい、いたぞ!よくもうちの奴らをボコボコにしてくれたな?」

「……誰の事だ」

鷹臣に絡んでくる連中はみな、似たり寄ったりな言葉しか言わず、男が誰を指して怒っているのか鷹臣には本当に分からなかった。そんな冷めた態度が男の怒りに油を注ぐ。

「んだと、てめぇ?うちの奴らに覚えがねぇとは言わせねぇぞ」

何やらお揃いの上着を身に着けている男達に鷹臣は囲まれる。その集団の頭と思われる男の台詞に鷹臣はただ首を傾げただけだった。

「ふざけやがって!てめぇら、やっちまえ!」

「「おぉ!!」」

不用意にも得物を手にした彼らは自分達が持ち込んだその武器が自分に向くことを考えていなかった。手首ごと蹴り飛ばされた右手から折り畳み式のナイフが宙を飛び、別の仲間の腕を切り裂く。

「ぎゃぁ!いってぇ…!」

鷹臣に向かって振り上げられた角材は根元から折られ、ばきりと折れた角材が振り被っていた男の頭を直撃する。

「うごっ…」

「この野郎!!」

背後から襲い掛かってきた相手を鷹臣は最低限の体捌きで躱すと、突っ込んできた男の顔面を拳で殴打した。その際、また別の男が鉄パイプを振り回してきたが、鷹臣は拳で殴打した男の肩を掴むと鉄パイプの軌道上にその男を押し出し、仲間同士で同士討ちをさせた。

「あぁっ!」

「わ、悪いっ!」

拳についた汚い血を払い、相手はいつも違うが、いつもの如く変わらぬ様相をていしてきた事態にじくじくと拳が熱を帯びていく。鷹臣は自分でも気づかぬまま、薄っすらと口角を吊り上げ艶やかに笑っていた。

「…何だか今夜は気分が良い」

いつもなら面倒にしか思っていなかったことが、不思議だ。
鷹臣は熱くなった吐息を吐くと、ボロボロになった男達へ視線を向ける。

「これで終わりか?かかって来いよ。まとめて相手してやる」

鷹臣は僅かばかり手応えのある連中に挑発的な言葉を投げつけた。

 

そんな折、再びウルフに問われる。

「いつもここに来るが、誰かを待ってるわけでもねぇ。目的は何だ?」

目的が何か。そんなものは一つしかない。

あらゆる欲に塗れた人間が夜の街を行き交う。陽の下では秩序に縛られ、人目を気にする人間達が、この闇の中では生き生きとしている。自由で、呼吸がしやすい。それは己にも当てはまるのだろうか。血に染まった己の拳を握り、開く。拳に宿った熱が身体の中を巡り、気分が高揚する。鷹臣はウルフの質問に口元に笑みを刻んで答えていた。

「ここには俺には無いものがある」

それが俺は欲しいのだ。空っぽの器は人形と変わらないだろう。

「喧嘩が好きなのか」

「…嫌いじゃない。…好きかも知れない」

唐突に投げられた質問に、一瞬間が開く。

喧嘩が好きか嫌いか、考えたことはない。いつも一方的に絡まれ、返り討ちにする。それに意味は無い…はずだ。

「かもしれねぇ?冗談だろ。俺が見てきた限り、お前は喧嘩が好きだ。それも強い奴が」

「………」

そうなのだろうか。

「喧嘩を吹っ掛ける積極性はねぇが、売られた喧嘩は全部買ってきたのがその証拠だろ」

「…そうなのか」

「あぁ」

きっぱりと言い切られ、そうなのかと再三己の心に問う。その隙をつかれ、ウルフに右腕を掴まれ、強引に路地へと連れて行かれる。
何をと睨み付ける前に自ら視線を合わせて来たウルフの視線の強さに、鷹臣は言葉を呑み込む。絡んだ視線の先でウルフは自信に満ちた表情で言葉を紡いだ。

「お前の探し物、俺が見つけてやる」

「何の話だ?」

俺は誰にも何も話していない。俺が誰で、どんな人間か。それこそ北條 鷹臣を知る人間には到底理解されないだろう、俺と言う中身の話。

「何度ここに来たって、今のままじゃ何も手に入らねぇぜ」

それをこの男は理解できるというのか。何も持たない俺が欲しいもの。器だけの北條 鷹臣ではなく、俺という確固たる意志を持ったもの。その核となる感情。それはどこにあって、どんなものなのか。

「……お前に、分かるのか」

夜の街へと足を運ぶきっかけとなったその目的。お前なら見つけられると言うのか。
じっと見つめ返した視線の先で、ウルフが不敵に笑う。

「あぁ、教えてやる。本当に欲しいものの手に入れ方ってやつを」

不遜にも聞こえる、自信に溢れたその声が鷹臣の心を小さく揺らした。




日時と場所だけを決め、待ち合わせる。
それは顔を合わせた時に、口頭のみで交わされる約束。
始めのうちは連絡先など後で記録に残るようなやり取りはしていなかった。

最初の内はお互いそれだけで十分だったのだ。



扉が開かれる。
その瞬間、辺りを支配していた静寂が嘘の様に音と光の洪水が溢れ出した。
肌に感じる空気が熱を増し、視覚と聴覚を刺激してくるそのクラブという煌びやかな社交場に鷹臣は眉を顰めた。隣に立ってここまで鷹臣をエスコートしてきたウルフに声をかける。

「ここに入るのか?」

自分達よりも年上と思われる若者達が流れる音楽にあわせて身体を揺らしたり、ステージに立って歌うバンドメンバーへと向けて歓声を上げている。一方で用意されているテーブル席に着き、静かに飲み物を傾けている者、話し込んでいる者達の姿もある。また、ウルフの登場に気付いた一部の女達がこちらへ投げてきた視線に、鷹臣は更に顔を顰めた。その嫌そうな反応を見て、ウルフは確認するように鷹臣に聞き返した。

「人混みは嫌いか?」

「……好きじゃない」

ちょっと間を開けて答えた鷹臣に、ウルフはそっとその肩を抱くように腕を回すと、女達の視線から鷹臣の姿を隠すようにして歩き出す。

「とりあえず奥行くぞ」

「あぁ」

その夜は、ウルフがどうやってクラブの入場チェックをパスしたのか分からなかったが、鷹臣はウルフの先導により、初めて夜のクラブというものに出入りをしたのだった。



翌、深夜には電車に乗せられ、何故か人もいない砂浜へと鷹臣は降り立っていた。
目の前には真っ暗な海。ザザーッと波の押し寄せる音が静かに鼓膜を揺らす。

「……なんなんだ?」

この状況はと。流石の鷹臣も困惑を隠せず、隣に立つウルフに視線を投げた。するとぶつかった視線の先でウルフが事も無げに言う。

「お前は感情がないんじゃなくて、極端なんだな」

希薄なだけで、それが無いわけじゃない。

「…?どういう意味だ?」

ウルフの言葉の真意を掴み損ねて、鷹臣は眉を寄せる。

「ひとつ、試してやる」

会話を噛み合わせないまま、ウルフが鷹臣の両手をとる。身体の正面で両手を握られた鷹臣は困惑したまま、ウルフの端正な顔が近付いて来るのを見つめた。そっと押し付けられた唇に、近すぎて視界がぼやける。ぴくりと反応を見せた手はウルフに封じられたまま、鷹臣はただ初めて感じた他人の熱に目を見開いた。

「っ、」

「…ほらな。ちょっと刺激を与えてやれば、お前もちゃんと感じるだろ?」

触れるだけ触れて離れて行ったウルフの唇を見つめ、鷹臣はいつの間にか解かれていた手で己の唇に触れる。

「たしかに、今のは驚いた」

「それだけか?」

「…あとは一瞬の事でよく分からない」

「へぇ…」

真面目に答える鷹臣に相槌を打ちつつ、ウルフの頭の中では様々な考えが巡らせられる。

その後は暗闇に包まれた砂浜を歩いたり、静かに打ち寄せる波の音を聞いて、何はせずともウルフの隣にいる心地良さを無意識のうちに鷹臣の心が覚えて行く。

そんな中でも鷹臣がウルフの素性を聞くことは無い。詮索もしない。
それは鷹臣自身が明かせないから。
人には聞いて、自分は黙っている。それは不平等だと思うから。だから、何も聞かない。
今、自分にはウルフがくれた名前がある。それだけで十分。その名前で呼んでくれるだけで。自分は自分であると強く思える。

「ウルフ…」

「どうした?」

「いや、…なんでもない」

そして、俺にとってこの男、ウルフはウルフである。

二人の間では、それだけ分かっていれば十分であった。


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