04


赤穂が何と言ってあのウルフを大人しくさせたのか知らないが、そのおかげか、三時間目も四時間目の授業も比較的穏やかな空気を取り戻し、不要な緊張を強いられていた生徒達もいつの間にか肩の力を抜いていつもの日常へと戻っていた。

やがて昼休みを告げる鐘の音が鳴り、授業から解放された生徒達は皆、思い思いに席を立つ。
校舎内にある食堂に行く者達、購買へと昼飯を買いに行く者達。様々な行動を取る生徒がいる中で、教科書やノートを机の中に片付けた鷹臣も彼ら同様に席を立つ。
それに併せる様に椅子から腰を上げた瑛貴は、教室の後ろを見るように振り返ると、暢気に欠伸を零す佐賀へと鋭い視線を投げた。

「っ、佐賀。ウルフがお前を御指名だぞ」

「俺達の心の平穏の為にも早く行け。骨は拾ってやるから」

そう佐賀の周囲にいたクラスメイト達が呼び出しを受けた本人以上に慌て、佐賀をせっつく。そんなクラスメイト達の心情を知ってか知らずか、佐賀はのろのろと席を立ちつつ、自分の昼飯の心配をしていた。
食堂でも購買でも良いが、昼飯を食べる時間ぐらいは欲しいなと。
そんな今はどうでもいい思考を読んだわけではないだろうが、さすがはルームメイト、瑛貴の後をついて歩き出した佐賀の背中に田町が声を掛ける。

「佐賀―!昼飯ぐらいは確保しておいてやるから、後で面白い話聞かせてくれよ!」

「死人に鞭打つ気か、道化」

「いや、死んではないだろ」

だが、気にはなると芦尾の台詞に呆れた口調で突っ込みを入れつつ、東雲は今度は何を仕出かすつもりかと鷹臣を先頭に教室を出て行く三人の背中を眺めていた。

 




教室を出た瑛貴は鷹臣の隣に並ぶと、昼飯をどうするかと問う。

「生徒会室でいいだろう。昼休みに来る人間はいない」

書記から提案されたデリバリーサービスを使ってみるのも良いかも知れないと、鷹臣は前回利用しそびれたサービスを試してみる事を前向き検討する。瑛貴も邪魔が入らないという意味ではそれが良いと、二人きりになれるのなら文句は無いと鷹臣の案に乗る。
二人はそんな会話を交わしながらも、佐賀が後をついて来ている事を疑ったりしないのか背後を振り返って確認したりもしない。

「……」

佐賀は前を行く二人の背中を眺めつつ、歩みを進める事にぴりぴりと高まる本能的な警戒感に教室を出る前までは気だるげだった表情を一変させる。気を引き締め直し、佐賀は前を歩く瑛貴では無く、鷹臣の背中を見て、瞳を細めた。

警戒すべきはウルフでは無く、こちらの方だと己の本能が告げている。

この時点で佐賀は自分を呼び出したのはウルフだが、本命は北條の方ではないかと疑っていた。

何故なら、編入してきたばかりの瑛貴ではまだ足を踏み入れた事もないだろう特別棟へと続く渡り廊下へ差し掛かったからだ。こちらの棟は一年から選べる選択授業で使用される教室が入っており、他にも文化部専用の部室や教室が並ぶ。

案の定、北條が高杉に特別棟の簡単な説明をしている。

「この特別棟は選択授業で使う他に文化部系の活動拠点も入っている」

「ふぅん」

選択授業で使用される音楽室とは別に吹奏楽部用の音楽室AとBなどと、同じ教室が二つ以上ある場合もある。

「瑛貴も前の学校で選択授業とかなかったか?」

「一応あったが、どれも興味が無くて適当に選んだな」

「そうか。俺はお前が前の学校でどう過ごしてきたか興味がある」

「知りたいなら教えてやるぜ。俺にはつまらねぇ毎日だったが」

前を行く二人の背中を警戒しながらも、佐賀は情報屋としてつい興味深く二人の会話に耳を傾けてしまう。それほどウルフの日常の話は貴重だ。
トロイとしてその情報を扱う事は決してないが。

「そもそもが寮生活じゃねぇ。学校の近くに家借りて、そこから通ってた」

「一人で住んでたのか?」

「あぁ。一人の方が自由も利くしな。適当に学校行ってりゃ、文句も出ねぇ」

誰から文句が出ないのか、佐賀は気になったが、鷹臣は別の事を疑問に上げた。

「適当に行っておきながら、良くうちに編入して来れたな。編入試験は難しいって話だったが、そうでもなかったのか?」

「いや、難しかったんじゃねぇのか。知らねぇけど。俺はお前の為に本気出してやっただけだ」

瑛貴はタイガーである鷹臣を捜して、この学園に目を付けたのだ。とするなら、大前提として学園に潜入できなければ意味がない。
まぁ、瑛貴は学園内を捜すこともなく、タイガー本人に出迎えられたわけだが。
そう思うと鷹臣は苦笑を浮かべるしかない。

「お前らしいと言えばいいのか。…良く来てくれた」

「その割りにふざけた出迎え方をしてくれたな」

「先に俺を待たせたのはお前だろう?」

「あれぐらい、俺を待たせたお前に比べりゃ待ったとは言わねぇな」

「それは悪かった」

「もう気にしちゃいねぇ。話を聞いて納得もした。お前の気質は分かってる」

基本面倒臭がりで、本当に自分の興味のあることにしか本気にならない。半年の間、鷹臣の心が瑛貴から離れたわけではない。身動きの取りづらい面倒な立場に置かれて、連絡を疎かにしていただけ。

自分の事を自分自身よりも、一番理解してくれている恋人に鷹臣は小さく笑みを溢す。

「頼もしいな」

「あぁ、後は俺がお前から目を離さなきゃ済む話だ」

部活動に熱心な一般生徒や特別棟の静かさを求めて部室で昼食をとる生徒達。そんな彼らをちらほらと特別棟内で見かけながら、鷹臣の足がとある教室の前で止まる。

瑛貴との会話を切り上げた鷹臣は自分のカードキーとは別に用意していた無地のカードを懐から取り出すと扉横に設置されていた機械に翳し、教室のロックを解除する。カチリと外れた鍵に鷹臣はさっさと扉を開けて中へと入った。

室内にある全ての窓にはスクリーンカーテンが下ろされ、昼間にも関わらず室内は薄暗い。鷹臣は扉脇にあるスイッチを押して灯かりを付け、瑛貴と佐賀の二人が室内に入った事を確認すると内側から教室の鍵を閉めた。
蛍光灯の明かりに照らされた室内には何十台ものパソコンが等間隔に置かれた机の上に設置されている。
ここは情報メディア室と呼ばれる、情報技術の選択授業でも使用される教室の一つだ。

「それで、用件は?」

無駄を嫌ってか、佐賀の方から単刀直入に切り出して来る。
その上、瑛貴を真っ直ぐに見て、すっと鷹臣へと振られた視線に鷹臣は感心した様な声を漏らす。

「ほぅ…瑛貴の目に止まるだけはあるな」

それはどういう意味だと眉を寄せた佐賀を他所に、手近なキャスター付きの椅子を引き出して座った瑛貴が口元に笑みをはいて言う。

「だろう?他にも個人的に処理してぇ事が出来たし、コイツには使い道がありそうだろう」

瑛貴からの珍しい高評価に鷹臣も佐賀への評価を改める。

それは鷹臣がタイガーであると匂わせても良いと思えるほどのメリットが佐賀にはあるという事だ。まぁ、基本的に佐賀と言う人間は鷹臣と同じく、面倒事に自ら首を突っ込んでいくタイプでもないし、逆に面倒になりそうな事からは全力で逃げる事に尽力するタイプである。後は自分が良ければ他はどうにでもなると考えている思考が、瑛貴達には近かった。

目の前で交わされる自分の評価に佐賀は何の話かは分からないが、面倒事は御免だとばかりに口を挟む。

「俺に何をさせたいのか知らないけど、俺には北條やウルフほどの力はないし、北條なら東雲に頼めば力を貸して貰えるだろ。分かったら、他をあたってくれ。俺は帰ってゲームの続きがしたい」

扉の鍵を開けてくれと、自分の意見をはっきりと口にし、例えそれが面倒事から逃げる為の口実であれ、瑛貴と鷹臣の二人を前に大した度胸だと面白そうに瑛貴と鷹臣は密かに視線を交わす。

「東雲に頼れないからお前を呼んだんだ」

「……?」

生徒会長である北條が頼れない?と本当に帰ろうとしていた佐賀は動きを止めて訝し気に発言者である鷹臣へ視線を向ける。

「学園内に存在する親衛隊とやらの情報を風紀が一括管理しているのは知っているな?」

「まぁ…。俺にはあまり関係ないけど。それが?」

何か問題あるのかと話が見えない佐賀は首を傾げて問う。

「その情報を渡せと言ってもアイツは寄越さねぇだろ」

佐賀の言葉に被せ気味に言葉を放った瑛貴に、やや表情を強張らせた佐賀の視線が向く。

そりゃそうだ。情報を渡した瞬間、血を見ると分かっていてどこの誰がこんな危ない相手に情報を渡すと思うのか。
瑛貴は本人がその存在を認めていないとはいえ鷹臣に親衛隊がある事を知っている。更に言えば、瑛貴はそんな不快な組織から手紙とはいえ、呼び出しを受けた。
教室にいて、一応一連の流れを把握していた佐賀はウルフに喧嘩を売った親衛隊を心の中で罵倒した。自分は何もしていないのに巡りに巡って何故か無関係であった自分の元へ面倒事が転がって来た。

「俺に風紀の情報をリークしろと?」

場合によっては血を見ることになるが、北條はそれでも良いのかと佐賀は鷹臣の顔色を窺う。北條であれば、尚且つ常識人であれば、あわよくば止めてくれないかと微かな希望を胸に佐賀は鷹臣を見たが、その希望は灯る前に打ち砕かれる。

「もちろん、タダでとは言わない。代わりに生徒会長権限でこの教室の使用許可を出す」

鷹臣は己の手元にある無地のカードキーを示し、交渉材料とする。

授業時間以外は使用可能で、ここにあるパソコンも好きに使うと良い。
なんなら、学園内にある【トロイ】の拠点を情報メディア室に移しても良い。

十分に職権乱用だが、鷹臣に罪悪感は全くない。

そして、己のメリットとデメリットを瞬時に計算した佐賀はウルフに目をつけられた名も知らぬ親衛隊の人間達より、生徒会長である北條の後ろ盾とウルフの好感度、仲間達の安全を選んだ。

「風紀の情報を盗むにはそれなりの準備がいる」

「ここを好きに使え」

鷹臣は無地のカードを佐賀に向かって投げ渡す。

「情報はどうやって渡せばいい?」

「俺の方に送れ。鷹臣は…そういや、スマホを買いに行かねぇとな」

側に戻って来た佐賀に連絡用の宛先を伝えつつ、瑛貴は思い出したように呟く。
鷹臣もそれにあぁと忘れていたのか続いて声を出した。

「鷹臣。今週の土曜、出かけるぞ」

「分かった。ついでに外泊届も出しておく」

街に下りるのは実に半年ぶりだと何気なく口にした鷹臣に佐賀は一瞬動きを止める。

「まさかな…」

佐賀の呟きは口内で消え、スマホをポケットにしまった瑛貴が最後にもう一つだけ佐賀に指示を出していく。

「赤穂に見せられて知ったが、鷹臣に関する写真がやり取りされてるらしいな」

「あぁ…うちには表と裏の二つ。学園内で作られた内部サイトがある。人気者の写真は高値で取引されることもあるから」

「見つけ次第抹消しておけ」

「了解。…サービスで写真を購入した連中にウイルスを送り付けて、端末ごとクラッシュさせておく」

それぐらいの憂さ晴らしは許されるだろうと、佐賀は以前にクラスメイトの誼でもあるからと赤穂にもそうしてサービスをしてやったことがある。当然、赤穂は佐賀に感謝したし、【吸血鬼】から【トロイ】への好感度も上がった。
例に漏れず、ウルフの機嫌も取れたのか、佐賀は知りたいような知りたくなかった爆弾を落とされる。

「へぇ…、賢い人間は嫌いじゃないぜ。俺も、タイガーもな」

ちらりと北條へ流されたウルフの視線に、佐賀はハッとして勢い良く同じ方向へ目を向けた。

「っ…!!」

そこにはゆるりと口端を吊り上げ、艶やかに笑う北條の姿があった。
まさかと思った矢先の肯定に佐賀の背中にヒヤリと冷たいものが落ちる。

「はっ…、…まじか…」

同時に自分の選択が間違っていなかった事に安堵の吐息が零れた。

普段から北條に熱を上げている連中が清廉だなんだと穢れを知らないアイドルの如く神聖視している生徒会長北條 鷹臣が、その実、己の身の内に狂暴な獣を飼っているなど。ウルフと同種の愉悦さを秘めた双眸に、佐賀の中にあった北條の印象が崩れ去る。はっと人目を惹くような艶やかさの中に荒々しく鋭い気配が滲んでいる。

鷹臣が自ら興味を持って目に止めた者にしか向けられない視線が今、佐賀へと注がれていた。
伊達眼鏡に髪型や髪色、瞳の色の違いなど多々あれど、そんなことは些細な事だと佐賀は今になって思い知る。どんなに姿形が違えど、タイガーが自体が纏う苛烈な空気は間違えようがなかった。目の前の生徒会長北條 鷹臣はウルフと共に夜の街を暴れまわっていたあのタイガーである。

「酷い詐欺だ…」

愕然とした様子で言葉を途切れさせた佐賀に、椅子から立ち上がった瑛貴が鷹臣の側に歩み寄り、その肩に手を置いて喉を鳴らす。

「そりゃ、てめぇらの目が節穴だってだけだ。なぁ、鷹臣?」

「お前には初見で見抜かれたからな」

「俺がお前を見逃すかよ」

ふっと吐息で笑って瑛貴は鷹臣の髪に唇を寄せる。それを自然の事の様に受け入れる鷹臣と瑛貴のやりとりに佐賀の眼差しが遠いものを見るように虚ろになる。

過去に佐賀は夜の街でウルフとタイガーが仲睦まじく戯れる姿を見た事があった。
そして、それは佐賀が、チーム【トロイ】として、二人の情報は絶対に取り扱わないと手を引く決意をした瞬間でもあった。


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