03


隠すこと無く告げられた独占欲に、向けられた鋭い眼差し。そこにウルフの本気が滲む。
もっとも間近からその殺気にも似た重苦しい圧力を受けた田町の顔から一瞬で笑みが掻き消える。

「勘弁してくれ。俺は何もする気はないよ」

大袈裟なほど両手を上げて肩を竦める仕草をした田町は、同時に同じ距離にいて、平然とした顔をしている鷹臣の姿を視界におさめて顔には出さずに心の中だけで驚く。

マジか。そりゃぁ自分に向けられてるわけでもないし?いや、でも、ウルフの威圧に何の反応もなしなの?北條はそれに気付かないぐらい鈍感なのか、はたまた耐性があるのか。ウルフとの付き合いはそこそこあるようだし…。

そんな田町の内心の驚きに気付くわけもなく、鷹臣は淡々と口を開く。

「そろそろホームルームの時間だ。席に戻った方が良い」

「あ、あぁー…そうだな、うん」

「瑛貴もだ」

教室内に放たれた重苦しい空気に反射で身構えた者、身体を硬くした者、無意識に後ずさった者、口端を吊り上げて好戦的に応えた者。様々な反応を見せたクラスメイト達だったが、…次には田町と同様に驚愕の入り混じった戸惑った様な視線を鷹臣へと向けていた。

「あのウルフに命令してる…?」

ぼそりとクラスメイトの誰かが呟く。

「仕方ねぇ…。まぁ、俺は俺で好きに楽しませてもらうぜ」

しかし、そんな周りの視線など気にせず瑛貴は鷹臣の声に応える様に椅子から腰を上げた。素直に鷹臣の言葉を聞いた瑛貴に思わずクラスメイト達の視線が移る。

「あぁ、そうだ。忘れるとこだった」

視線を集めた本人は独り言を溢すと、自席に向かう前に机に突っ伏して微動だにしない男へと声をかけた。

「そこの狸寝入り野郎。後で面貸せ」

「………」

眠るに眠れないでいた佐賀の頭が、上から落ちてきた強制力を伴った台詞に微かに動く。
田町からはあからさまに「お前、何やったんだ」と言う、哀れみの籠った視線が突き刺さっていたが、名指しされた佐賀の方がそれを一番知りたかった。何の呼び出しだと警戒心を強めて、のろのろと腕の中から顔を上げる。

「いいな」

「……了解」

佐賀を見下ろす鋭い眼差しからは何も読み取る事が出来なかったが、敵意は含まれていない様なので佐賀は渋々と頷き返す。ウルフと敵対するほど佐賀は暇じゃない。そんな事をするぐらいならばリアルで仲間を集めて遊ぶか、今すぐ寮に戻ってオンラインゲームの続きをするか、睡眠を取るかのアウトドア派何だかインドア派何だかよく分からないと言われる趣味に精を出す。

佐賀を筆頭にそんなよく分からない内情も含んだ【トロイ】ではあるが、その実、周囲からのトロイへの評価は高い。
何故ならば、情報戦主体のチームである【トロイ】にはもう一つ情報屋としての顔があるからだ。それが他チームが安易に佐賀を敵に回さぬ理由でもあった。
正確無比の情報屋【トロイ】から情報を買うチームも多いが、その逆もしかり。【トロイ】に弱味を握られているチームも数多いるという街の噂は尽きない。

またここ最近【トロイ】への問い合わせで多いのが、ウルフとタイガー関連であるが、ウルフとタイガーに限っては元から情報も少なく、【トロイ】は進んで藪をつつきに行って蛇を出す様な馬鹿なチームでもなかった。

佐賀から言質を取った瑛貴は何事も無かったかの様に自分の席へ着くと周囲の事などまったく気にした素振りも見せず、机へと頬杖をつくと前へと視線を流す。

しばし教室には何とも言えない空気が漂っていたが、時間通りに教室へと来た担任により、その空気も自然と解けていった。

ホームルーム後の授業はそのまま担任が担当する現代文の授業が組まれており、短い休憩を挟んで一時限目の授業が始まる。

いつもと変わりなく、寝坊した生徒が授業の途中で教室に入って来るのは皆慣れたもので。教壇に立って教科書を捲る教師はそんないつもの光景であるはずの教室内の空気に微妙な違和感を覚えて僅かに首を傾げた。

何と言うか、見目や言動に反して皆真面目に授業を受けてくれる、もっとも授業のしやすいクラスのはずが。彼等の目線は確かに教鞭をとる教師に向いているはずなのに、皆どこか上の空で授業を聞いているような気がした。何か他へと意識が向いているような。

ならば、いつも以上に変わっている事は何だと。珍しく生徒会長が出席していることかと、違和感の正体を彼のせいかとあっさりと結論付けた教師はそれならばしょうがないかと深く考えずに頷く。生徒会長北條 鷹臣は教師陣の間でも人気があり、とても優秀で有能な人物として評価が高い。彼ならばクラスメイト達から注目を集めるのもしかたがないだろう。

教師はそこはかとなく感じた違和感をそう受け止めて、気にすること無く自分の職務を全うする。

「ねぇ、誰か注意してあげなよ」

教師の声に隠れるように小声で、窓際に座った赤穂が近くに座る生徒達に言う。

「注意ったって…」

「無理だろ」

赤穂の声を拾った生徒は口々に難色を示す。

「うーん、俺もそれは無理って言うか、無謀だと思うよ」

赤穂の後ろの席に座っていて、形ばかり教科書とノートを開いていた田町が赤穂の背中に小声で言葉を投げた。

「何しろ睨まれたばっかじゃん」

ウルフに威圧されたばかりの人間に出来る事じゃないよと、田町は窓側最後尾の席から教室内に視線を巡らせて言う。

「って言うかあれ、北條は気付いてないのかな?」

教師の感じた違和感の正体は半分当たりで、半分外れていた。
クラスメイト達の意識は確かに生徒会長へと向けられていたが。それはウルフの言動に警戒や興味を引かれてのことだ。一度霧散したはずの妙な空気が授業が始まって早々、瑛貴のとった態度に寄り、再び教室内に流れていた。
そして今、クラスメイト達の意識の大半を占めているのは困惑だ。
何故なら…

「ウルフの奴、意外と狐と気が合うんじゃねぇか」

そう口の中で呟いたのは廊下側の席から斜め前方を眺めていた芦尾だ。

伏見の隣の席に座る瑛貴は最初から授業などそっちのけで、前を向いてはいるがその視線は斜め前方の席に座る鷹臣の後ろ姿へと固定されていた。
後ろからではよく分からないが、クラスメイト達を威圧するぐらいの溺愛ぶりだ、ウルフはさぞ熱い視線で北條を見つめているに違いない。

「ここまでくるとご愁傷さまだぜ」

芦尾は他人事の様に呟いて、そっと机の下でスマートフォンを操作した。
ちなみに芦尾の左側、一つ机を間に挟んで、佐賀は机に突っ伏して眠る努力をしながらも周囲の様子を感じ取っていた。

「………」

自分へと無遠慮に視線を向けて来る主が誰かなど鷹臣には振り返らずとも分かっていた。
その他大勢から向けられる視線とは違う、熱い眼差し。羨望や己の欲を優先して一方的にぶつけてくる視線とは違う。ゆっくりと優しく愛撫するように滑る視線は熱くもあるが、温かく愛情の感じられる心地良さだ。

「何をするのかと思えば…」

声には出さずに小さく笑う。
好きに楽しませてもらうとは、このことかと、鷹臣は気付かない振りで授業を受ける。
クラスメイト達の困惑もスルーして、鷹臣は瑛貴から向けられる視線なら害は無いと判断して、いつも通りの涼しい顔でさらさらとノートにペンを走らせた。

何のリアクションも無く、前を向いて授業を受け続ける鷹臣に瑛貴は口元に弧を描く。
何の反応も見せない所を見るに、こうして眺めていることは許されたようだ。

「鷹臣…」

お前と同じ学校、同じ教室で。同じ授業を受けるのはこれが初めてのことだ。
そう考えると退屈なこの時間も大切なものに思えるから不思議だ。

瑛貴は机に頬杖をつき、時折見える鷹臣の端正な横顔を見つめ、赤い瞳を細めた。

「ま、これも悪くねぇか」

学園の外では決して見られる事の無かった姿、その光景に瑛貴は満足げに表情を緩めた。
そして、性懲りも無くちらりと二人の様子を瑛貴の隣の席で堂々と盗み見ていた伏見が無言でも通じ合っている様子の二人に微かな既視感を覚えて首を傾げていた。

「んー…?何だったっけかな?」

いつか何処かで感じた事のある感覚。

そんなこんなで表面上は静かに過ぎていった一時限目の授業も終わりに差し掛かった頃、教室の後ろにある扉が開けられた。

「遅くなりました」

教室に入って来たのは風紀会長の東雲だ。

鞄を片手に教室に姿を現した東雲に教師は注意するでもなく、頷いて着席を促す。東雲はちらりと教室内の様子を確認すると風紀会長らしく、暗黙のルールを守り、残りの時間だけ真面目に授業を受けた。

「………」

チャイムが鳴り、教師が教室を出て行った途端にさざ波が広がる様にざわざわと教室内は騒がしくなる。

「はぁ………アイツら何してやがんだ」

朝から風紀室にいた東雲は芦尾から届いた妙なメールを見て、教室に顔を出したのだが。さっそく頭が痛いという様に眉間にしわをよせ、右手で己の額を押さえた。

「よぉ、苦労人。アレ、何とかしねぇとマジであぶねぇぞ」

そんな東雲の元に他人事を楽しむかの様な態度で芦尾が近付いて来る。
もっとも芦尾が東雲に対して送った北條の身が危なそうだと言うのには二重の意味が込められていたが。

「だからって何で俺を呼ぶんだ。直接、本人に言いやがれ」

全てを把握している東雲から見た現状は、馬鹿馬鹿しいの一言である。
北條は自ら進んで高杉にその身を捧げているのだ。また、高杉には北條がタイガーであるという事実を隠す気があるのか無いのか。高杉が北條に向ける熱量がタイガーの時と一緒である。同一人物なのだから、仕方がないと言えば、仕方がないのかも知れないが。

いちゃつくなら自室でだけにしろと東雲は言いたい。

北條の実態を知らない芦尾がクラスメイトへ向ける心配も東雲には分からなくはないのだが。
嫌そうに芦尾に視線を流した東雲に、芦尾が肩を竦める。

「おいおい、俺はここじゃただの一般人だぜ。風紀会長様の言葉とは思えないな」

「何が一般人だ。こういう時だけ惚けやがって」

「もう、二人とも頼りにならないねぇ。それじゃぁ僕が注意してきてあげるよ」

東雲と芦尾の会話に窓際から近付いて来ていた赤穂が割って入って言う。その背後には成り行きを面白そうに眺める田町がいた。

「赤穂」

「お前が?無理はすんな」

ひらりと軽く手を振った赤穂に東雲が引き留める様に名前を呼び、芦尾は一瞬驚いたもののあっさりと赤穂を高杉の元へ送り出す。

「ありゃ、そんな簡単に見送っちゃうんだ」

「あ?何が言いてぇ、道化」

「うーん…純粋に赤穂の身が心配じゃ無いのかと思って」

赤穂は芦尾の恋人だろうと、田町は首を傾げる。そんな可愛い恋人を狼の元に送り出すなんてと田町は続けて言った。
すると芦尾はくっと喉を震わせて笑い、鋭い双眸を田町に向けた。

「アイツがそんな柔なわけねぇだろ。俺の相棒だぜ」

「まぁ、ここは街と違ってルール無しの無法地帯じゃない。赤穂にも考えがあるんだろう。俺はただ問題を大きくしなきゃそれでいい」

「ふぅん。それじゃぁ、お手並み拝見といきますか」

三人は高杉の元へ向かった赤穂の小さな背中を注視した。






瑛貴の元へ向かった赤穂は、ちょうど良く教室を出て行った伏見の席を借りる事にし、椅子を引くと隣の席に座る瑛貴の方に身体を向けて腰を下ろした。

「ちょっと良いかな、高杉」

声をかけた赤穂にちらりと鋭い一瞥が飛ぶ。それを一方的に肯定と受け取って、赤穂は遮られる前に言葉を投げた。

「きみが誰憚ること無く、溺愛する彼を愛でたい気持ちは僕にも十分分かるんだけど、一つ注意して欲しいんだ」

命令形ではないからか、それとも機嫌が良いせいか、珍しく瑛貴は赤穂の話を一蹴する気配も無く黙したまま、真剣な目を向けてくる赤穂の話に耳を傾けている様だった。鷹臣はそんな二人の姿をちらりと振り返り見ただけで、次の授業前に提出するプリント類の確認をする。

「夜の街と違って閉鎖されたこの学園の中じゃ、ひと目を引くものほど好奇の視線に晒され易いってこと」

高杉と彼ほどの人物なら物理的にも負けることはないと思ってるけどと、一段と声量を落として告げられた台詞に瑛貴の瞳が細められる。その言葉に込められた意味に気付いて口を開く。

「へぇ…、お前、何処の奴だ?記憶にねぇな」

「【吸血鬼】の赤穂。でも、覚えなくて良いよ。それよりウルフに重要なのはこっちだから」

赤穂はそう言って自分のスマートフォンを操作すると椅子から立ち上がり、瑛貴の方へと身を寄せた。後方からこちらを窺う視線をわざと遮った赤穂に何も知らない後方からはぎょっとしたような声が上がったが、赤穂はそれらを無視して自分の身体で遮った視界の中で瑛貴へと自分のスマートフォンに表示させた画像を見せた。

「こういうの、気分が悪いでしょ?」

どこの誰が撮影していたのか、そこには仄かに立ち上る色気を纏わせた鷹臣の横顔が写っていた。今朝方、瑛貴と一緒に登校して来た時の顔と思われた。

「おい、」

一瞬で不穏な気配を纏った瑛貴に、赤穂はその画像を瑛貴の目の前で削除する。次いで赤穂のスマートフォンには芦尾の写真が表示されたが、赤穂は構わずに話を続けた。

「佐賀に頼めば今上げられた画像はすぐにでも抹消してくれるよ。…でもね、例えこの連中の居所を掴んで一掃しても、また直ぐに羽虫の様に湧いてくる。だから、きみが彼の全てを独り占めしたいなら、なるべく公の場での過度なスキンシップや露骨な態度は控えた方が良いよ」

にっこりと微笑んで告げた赤穂の言葉にはどことなく重みがあり、その双眸は仄暗く好戦的な色を宿していた。
赤穂は男子高校生としては小柄な部類で、瑛貴や芦尾達と並ぶと華奢に見えるがその拳はチーム名【吸血鬼】に劣らず、相手の返り血を浴びて度々赤く染まることがある。

「さすがにネットの世界の話は東雲達も詳しくないからね。僕の話はそれだけ」

スマートフォンをポケットに戻した赤穂は瑛貴から身を離すと伏見の席に座り直す。

「一応、頭に入れておいてよ」

そう言って赤穂は何故か伏見の机の中を探り、話を切り上げた。

「………」

瑛貴の返事を聞くことも無く、伏見の机の中を物色し終えた赤穂は席を立つと、物言いたげな視線を投げてくる東雲達の視線をかわして自分の席へと戻る。
そうして短い休憩時間は終わりを告げ、二時間目の授業へと突入していった。



[ 29 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -