01


その報せが男の元に届いたのは昼休憩に入る直前だった。

「おい。いきなり作戦中止ってどういうことだ久保田!」

久保田と呼ばれた男はウルフに恨みを持つもの同士が自然と集まって出来た集団。その集団の纏め役みたいな事をしている人物の名前だった。
黒目黒髪と見た目は何処にでもいる普通の生徒だが、着崩された制服の隙間から覗く肌には蔦が這うようなタトゥーが入れられている。

「辻か」

耳に幾つものピアスを付けた男。辻は部屋に入って来るなり、久保田に詰め寄った。

「ウルフの奴を潰すんじゃなかったのか!」

「予定が変わったんだ。そう喚くな」

説明してやれと何処までも上から目線な久保田の態度に眉をしかめながら、集まっていた男達の中から一人が口を開く。

「別口の親衛隊のせいで風紀の取り締まりが厳しくなってやがんだよ。それに肝心の人質にする予定の生徒会長の姿がどこにも見当たらねぇ」

「はぁ?」

それだけの事で。今更、風紀にビビってんのかと辻の視線が険しさを増す。
そのやり取りを伏見は部屋の奥に寄せられていた机の上に腰を下ろして、つまらなそうな顔で眺める。
間も無く、久保田に指示されて親衛隊が指定していた教室を覗きに行った男が息を切らせて戻って来た。

「やばい…っ!奴ら韋駄天の東雲に捕まってたぞ!どっかで情報が漏れてたんじゃねぇのか!」

その一声に教室内にいた男達がざわりとざわつく。

「とにかく一度仕切り直す必要がある。風紀に捕まるようじゃ奴らも使えねぇしな」

久保田がその騒ぎを静めるよう言葉を被せ、作戦を練り直すことになった。





その内容を後でメールで知らされた東雲は更に面倒な事になったなと風紀室の椅子に座ったまま眉間に皺を作った。
そして、東雲に厄介ごとを押し付けた一人は確信しながら。もう一人はその事態すら知らないまま、いつも通りに生徒会室に顔を出し、仕事の割り振りを終えてから教室へと向かう。

「お前にはつまらないだろうが、しばらくは授業に出る予定だ」

「別にお前がいればそうでもないぜ」

その道すがら何故か生徒達から向けられる視線が多い。
俺は隣を歩く瑛貴をちらりと見て、ぶつかった視線に口を開いた。

「お前、何かやったか?」

俺が寮で休んでいる間に。そう問いかけたはずが、瑛貴はまったく別の事を口にする。

「あー…失敗した。久々過ぎて忘れてたぜ。そりゃぁ、あれだけやればな」

「何がだ?」

噛み合わない会話を続けながら三年の教室が並ぶ廊下を進んでいれば、突然足を止めた瑛貴に腕を掴まれ、強制的に足を止めさせられる。何だと瑛貴を見れば、絡んだ視線の先で自信に満ちた赤い瞳がふっと笑った。

「鷹臣。俺以外によそ見すんじゃねぇぞ」

「するわけないだろ?」

今更何の確認かと首を傾げつつ頷いて返せば、廊下を歩いていた生徒、教室からこちらを好奇心で覗いていた生徒、親衛隊、他にもその場にいた生徒達が息を呑んだ。

「なに、色気垂れ流しの今のお前を見て、周りの連中が馬鹿な真似に走らねぇようにな。…牽制だ」

そう言って近付いた唇が悪戯をするように前髪に、鼻先にと落とされる。
隠す事無く告げられる独占欲に、ふわりと落とされる甘い口付け。
タイガーの実力を知らないウルフではないが、恋人としてかけられる心配に鷹臣は瞳を細めて、心地好さ気にその言葉を受け取った。

「そうか」

互いに至近距離で視線を合わせて薄く笑い合うとそのまま何事も無かったかのように歩みを再開させた。

そのやり取りを目撃した生徒達が目を見張り、唖然とした表情で衝撃を受けていた事などもはや二人の眼中には無く。二人は三年S組の教室へと入って行った。

「え…、うそ…。今の本当に北條様だった…?」

「俺、まだ寝惚けてんのかな…」

後に残された生徒達は顔を赤くしたり青くしたりと忙しそうに見合わせていた。






鷹臣に続き瑛貴が教室へと入れば、先に登校してきていたクラスメイト達の間に緊張が走る。ウルフのお気に入りだと言われている生徒会長とウルフ本人、二人が揃って教室に登校して来るのは今日が初めてであった。

「え…っ」

「おい、あれ…」

何より彼らも普段とは違う何処か艶やかな空気を纏った生徒会長の姿に目を見張った。
彼らの知る生徒会長北條 鷹臣はこれまでまったくといって良いほど、色恋沙汰とは無縁の空気を纏った人間であった。冷たすぎる事は無いが熱すぎるという事も無い淡白で清廉とした人物として彼らの間では認識されていた。
しかし、それが今はどうだ…。

「へぇ…北條にもあんな面があるんだな。これは高杉じゃなくても確かにそそる」

廊下側、芦尾の席に座って頬杖をついていた伏見の瞳が美味しそうな獲物を見つけたとばかりにうっそりと細められる。

本人はまったく知らぬことだろうが、可哀想なことに北條は元から伏見の守備範囲内だ。だが、アレを見てよくそんなふざけた事がまだ言えるなと芦尾は飽きれ混じりに言葉を落とした。

「雑食が…」

「良いだろ別に。見るのはタダだし、害は与えてない。いたって健全な行為だ」

きっぱりと言い切った伏見であったが、そんな伏見の邪な思いは直後に返された鋭い視線の前に白旗を上げることになった。

「っわ、こえぇー…」

「お、随分と御執心だな。見るのもダメってか」

瑛貴から向けられた刺す様な視線に伏見が首を竦め、芦尾はそら見たことかと呆れたように伏見を見下ろす。だが、伏見はやはり伏見だった。

「はぁ…マジ怖かったけど、やっぱりウルフも良いよな。あの視線だけでゾクゾクするわ俺」

その感想に芦尾は嫌そうに顔をしかめる。

「ほんと懲りねぇなお前は。俺はお前のそのメンタルの強さだけは尊敬するぜ」

「そうか?ついでに好きになってくれても良いぞ。お前も俺好みだし、お前なら抱けるし抱かれてもいい」

「止めろ。俺を口説くな。巻き込むな」

そんな事よりもと芦尾は伏見の戯れ言を冷たく切り捨て、強引に話の方向性を変えた。

「アレを一目見りゃ馬鹿だってウルフが北條に入れ込んでるのは分かる。そうなると尚更北條の守りも重要になってくんぞ。その辺大丈夫なんだろうな、狐」

芦尾はこちらに釘を刺して元に戻ったウルフの視線の意味を殊更真面目な表情を浮かべて考える。ウルフどうこう以前にクラスメイトである北條の事は芦尾も一応気にはかけていた。

「あー…今の所は。様子見って感じで、東雲には連絡してある」

「ってことは、もうどっかの馬鹿が北條にちょっかいかけようとしてるってことか」

「北條が高杉のウイークポイントだって、食堂にいた連中は認識したらしい。ちなみに北條の親衛隊は東雲が上手く言いくるめたみたいだ」

「ふぅん、なるほど。韋駄天のも大変だな。面白い展開になったら俺も参加するとするか」

「良いのか?お前、東雲に一年の護衛を任されてただろ」

「ンなもんは下の奴らにやらせときゃ問題ねぇ」

クラスメイト達の間で交わされる会話やその心情など丸っきり興味の無い瑛貴は勝手に鷹臣の隣の席の椅子を引くと当たり前のような顔をしてそこへ座った。その際、鷹臣へと注がれた伏見の熱っぽい視線を瑛貴は冷ややかな眼差しでもってはね除けると、逆に見せつけるように椅子に座った鷹臣の頬に手を伸ばした。

「瑛貴?」

鷹臣も鷹臣で不意に触れられても別段注意をすることもなく、その行動に不思議そうに瞼を瞬かせるだけだ。
ただし、その手が眼鏡の縁に触れると話は別だ。

「取るなよ」

「面白くねぇな」

「そういう約束だろ」

「ふん…」

そっと頬を撫でて離れていった手を鷹臣が逆に捕まえると、薄く笑みを刻んだ唇が別の見方を示すように囁く。

「今はまだお前だけが知る秘密にしといてくれ」

「口が上手いな、鷹臣」

どうすれば俺が納得するのかをよく分かっている。

生徒会書記には何となくでタイガーの正体を掴まれてはいるが、鷹臣の素顔はまだ見られていない。風紀の東雲に関してはこちらから面倒事を避けるために教えてやったが、瑛貴のカウント的にはあれは数には入っていない。瑛貴から見た東雲は厄介ごとを押し付けるのに便利な人間だという認識と、後は本当に万が一の場合、鷹臣の事を任せても大丈夫だろうという東雲本人には絶対に告げることのない気持ちが一ミリ程度。

瞳を細めた瑛貴に鷹臣は捕まえた瑛貴の手の甲に指先を滑らせると、先程廊下で交わした会話を引き合いに出す様に続けた。

「俺を守ってくれるんだろう」

恋人として。不特定多数の人間から。この伊達眼鏡はいわゆる自衛アイテムの一種でもある。
まぁ、恋人から頼られて悪い気のする人間は、余程特殊な事情を抱えていない限り、いないだろう。そんな例に漏れず恋人から頼られた瑛貴も不敵な笑みを閃かせて頷く。

 「当然。その分報酬は高くつくぜ」

「無償じゃないのがお前らしい」

「そりゃお前の口車に乗ってやる分だ」

酷く親しげに会話を交わす二人の様子に、登校していたクラスメイト達がそれとなく注意を払っていれば、その空気を裂くように登校して来たばかりの人物が教室の中を見回して声を上げた。

「おはー、…って北條も来てるじゃん!もしかしてウルフも一緒に来たの?」

田町だ。そしていつもの如く田町に襟首を掴まれて登校して来た佐賀だが、何故か今日は廊下と教室の境を越えようとした瞬間にパチリと目を覚まし、次には何かを警戒するようにきょろりと周囲へ目を走らせた。

「おわっ!何だ、いきなり…」

その反動で佐賀の襟首を掴んでいた田町が驚いて手を離す。

「いや…何か妙な悪寒が。………帰ろうかな」

珍しくはっきりと目を開けた佐賀は尚も警戒した様子で首筋を擦るような仕草をして言う。また、意外と自分の第六感を信じている佐賀が、言葉通り教室に入りかけてUターンした所で田町が遠慮無く強い力で佐賀の肩を掴んでその場に引き止めた。

「俺の貴重な朝の労力を無駄にする気?」

「それは…感謝してる」

「なら、分かるよな」

佐賀がどれだけルームメイトである田町に迷惑という名の世話を焼かれているのかは分からないが、佐賀は渋々とだが教室に足を踏み入れることになった。

「………」

周囲への警戒を残したままさっさと自席に着いた佐賀は座って寝る体勢をとったものの、一向に戻ってこない眠気に取り敢えず目だけを閉じて眠気が戻ってくるのを待つ。
その一方で自席に鞄を置いた田町は先程声を掛けたウルフに自ら近付いて行った。

「で、ウルフ…じゃなくて、高杉は北條と一緒に来たのか?」

飄々とした様子で話しかけてきた田町に瑛貴ではなく、鷹臣が答える。

「あぁ。行き先は同じだからな」

逆にわざわざ別行動を取る意味が分からないと、鷹臣は田町が疑問符に含ませてきた意図を読んで思う。

「…そう、なんだ。北條はいつから高杉と知り合いなんだ?」

僅かに首を傾げた鷹臣が答えた事に田町は一瞬虚を突かれた様な表情を見せたが、続けて何事も無かったかの様に会話を繋げた。

「いつから、と言われても。…もう五年位前になるか?」

鷹臣が思い返しながら瑛貴へ視線を流せば、瑛貴は何を思い出したのか口許に笑みを刻んで言った。

「こいつには気を付けろよ」

「ん?どういう意味だ?」

意味深な瑛貴の台詞に田町は分かりやすく、好奇心で瞳を輝かせて心持ち身を乗り出す。
その意味に心当たりの無い鷹臣も続く瑛貴の言葉を待った。

「ーーこいつは大人しく見えて色々と凶暴だからな」

瑛貴はその出会いを反芻する様に、愉しげに瞳を細めた。



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