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自分の意志とは関係なく賑やかな教室で瑛貴が時を過ごしている頃、鷹臣は生徒会長に与えられた豪華な広い部屋で一人ゆったりと、溜まっていた授業のプリント類を片付けつつ静かに過ごしていた。

こんなに身体の節々が痛くなって、自分の身体とは思えないぐらい怠くて仄かに火照ったように熱を感じるのはいつ振りだろうか。…瑛貴に初めて抱かれた時以来か。

ふぅっと心を落ち着かせる為に吐いた吐息がまだ熱い。それを誤魔化すように、瑛貴がテーブルの上に用意していったティーポットを持ち上げる。ソーサーにセットされていたカップに紅茶を注いだ。

「これじゃまるで俺の執事だな」

何から何まで準備していった瑛貴の姿を脳裏に思い浮かべ、執事服を着た瑛貴というのを想像してみて、それも良いなと一人呟く。ただし、その場合報酬は高くつきそうだ。

「あー…馬鹿なこと考えてたら余計にきた」

自分で時間を貰っておきながら、瑛貴の事を考えてしまっている。もう会いたいとさえ思ってしまっている自分は重症だ。
こんなにも自分は堪え性がなかったのかと、自問自答して首を傾げる。
半年も瑛貴に会いに行かなかった自分の心理が今は全くもって理解出来なかった。

「はぁ…その反動がこれだけで済んでる事を喜ぶべきか、微妙だな」

とにかく気を紛らわそうと次のプリントに取り掛かった。

人に見られたら酷く行儀の悪い体勢で、ソファに寝転がったまま時折鈍く痛む腰を擦りつつ熱い吐息を吐き出す。

「う…ん、」

考えないようにしているのが逆効果なのか、中々身体から熱が抜けていかない。わざわざ瑛貴に回収してきて貰ったプリント類も気付けば全て処理し終えてしまった。

「これは困ったな」

緩く兆しを見せる己の下肢に、部屋着代わりにしているスウェットの上からそっと右手で軽く触れる。

「…っ」

しかし、少し考えてからゆっくりとソファから身を起こし、バスルームへと向かうことにした。

「ここは手っ取り早く物理的に冷ますか」

バスルームの手前にある脱衣所で着ていた服を脱ぎ、備え付けの棚を開けて中からタオルを取り出す。そこには久しく使っていない髪染め用のスプレーとカラーコンタクトを入れたケースが一緒に入っていた。
シャワーのコックを捻り、頭から冷たい水を浴びて熱を帯びた身体を冷やす。

「はぁ…っ」

瑛貴が直ぐ側にいるのにこの熱を機械的に一人で処理する気にはなれなかった。
その後十分に熱を冷ました俺は瑛貴が紅茶と共にテーブルの上に用意していったクッキーを数枚摘まみ、寝室へと引っ込んだ。








「…………」

さらりと頭を撫でられる感覚に、優しく頬に触れる温もり。
ゆっくりと浮上してきた意識で頬に触れていた温もりを右手で掴む。うっすらと開いた瞼の先にきらきらと光る銀髪、俺を見下ろす赤い瞳がそこにあった。
目が合った瞬間、赤い瞳がゆるりと細まり、その間にあった距離がスローモーションを見ているかの様にゆっくりと縮まった。柔らかく温かな唇が重なる。

「ん…」

「目が覚めたか?もう昼休みだぜ」

触れるだけで離れていった唇が俺を現実へと引き上げる。

「えいき…」

「身体の方はどうだ?落ち着いたか」

頭を、髪を梳くように撫でられる。ベッドの端に腰を掛けたまま聞いてくる瑛貴に俺は身を起こしつつ、はっきりとした意識で自分の身体の調子を確認した。

「だいぶ楽になった。無理しなきゃ問題はない」

「そうか」

緩く表情を崩した瑛貴に、瑛貴の手を掴んでいた右手を逆に掴み直される。そのまま右手を引かれて瑛貴の唇が右手の甲に落とされた。

「先に昼飯は作ってある。食べるか?」

「食べる」

俺が寝ていたからか起こさずにいてくれたのか。瑛貴が帰ってきていたことにも全く気が付かなかった。
寝室を出れば食欲を刺激する良い匂いが鼻孔を擽った。

「麻婆豆腐?」

「お前は座って待ってろ」

寝る前にリビングのテーブルの上に放置したままだったティーポットやカップ、クッキー等は既に綺麗に片付けられていた。
朝と同じソファに腰を下ろしつつ、俺の事に関しては本当に面倒見が良過ぎる出来た恋人の後ろ姿を目で追う。

「俺が駄目になりそうだ」

瑛貴の事だからそれも有りだと考えて実行に移している可能性も無くはない。まぁ、そうなったらそうなったでとことん責任を取って貰うまでだ。
ちらりと目を向けた置き時計の針はちょうど午後1時を指す所だった。
遅い昼を食べながら瑛貴に教室での話を聞く。

「お前のこと、大人しい優等生だって言ってたぜ」

「誰がそんなこと」

「道化と吸血鬼」

「田町と芦尾か…そう見えるのか?」

「俺に聞くな」

他人からどう見られているのか何てさほど気にも留めないが、初めて聞くクラスメイト視点の話に首を傾げて聞き返せば、当たり前だが瑛貴はすっぱりとその話を切る。それよりもあいつらそんな名前なのかと遅蒔きながら顔と名前を一致させていた。

「実際奴らはお前に対してどんな感じなんだ」

「まぁ、伏見は割と俺にも普通に話しかけて来るな。東雲とは立場上色々と話すこともあるが」

田町は時折、芦尾に至っては用事が無ければ特に話したりはしない。佐賀も。その他クラスメイトも芦尾と同じ扱いだ。俺も学園ではクラスメイトとしてしか認識していないし、寧ろ気にも留めていない。
そう口にした俺に瑛貴はどことなく愉快そうに口端を緩める。

「そういや狐の野郎はお前と同じ事を言ってたな」

お前は自分達の事を気にしちゃいねぇんじゃねぇかって。当たりだな。

狐は英語でフォックス。俺達への勧誘が煩くて俺達の手で潰したチームの一つであり、クラスメイトでもある伏見の事だ。

「それで、お前のお眼鏡に適う奴は教室にいたのか?」

午前一杯をあの教室で過ごしていれば多少は瑛貴の目に留まるような人間もいたかも知れない。そう思って聞けば瑛貴から予想外の言葉が返ってきた。

「そうだな、…東雲以外にもう一人、こっちに引き込んでおくか」

「誰を」

「俺がいても暢気に教室で爆睡してた奴がいた。アイツはたしか…トロイとか言ったか」

【トロイ】の佐賀。腕っぷしもあるが、奴のチームは主に情報戦に長けたチームだ。佐賀本人は毎日ゲームのし過ぎで寝不足で、同室者である田町に引き摺られて教室に登校してきている。ある意味で自分のペースを絶対に崩さない男だ。ウルフである瑛貴が教室に現れても全く動じる気配はなかった。

「ここは表で堂々とケリを付ける連中がすくねぇようだからな」

そう続けて言った瑛貴の含みのある言い方に眉を顰める。瑛貴を真っ直ぐに見つめ返して口を開く。

「何かあったのか?」

俺の知らない所で。誰かが瑛貴に何かしたのか。

「別にお前が気にするような事は何もなかったぜ」

そう鷹臣が気に掛けてやることなど自分以外には何もない。
瑛貴は口に出さずとも絡めた視線でそう告げ、あったと言えばと話を変えた。

「例の書記が生徒会業務に関する書類を俺の所に持ってきたぐらいだ」

今日中に目を通しとけって、貢物だとか抜かしてゼリーと一緒に置いていった。

「ゼリー?」

「普通に購買で売ってるやつだと、東雲には確認してある」

特に変わった細工もねぇから普通に食べられるものだろう。ご丁寧にも同じ味が二つずつ入れられていた。
冷蔵庫へとそのゼリーを取りにソファから立ち上がったその後ろ姿を瞳を細めて見つめる。

「よく捨てずに貰って来たな」

「俺が受け取ったのが不満か?」

見ず知らずの者ならば今の問いに間髪入れず頷き返しただろうが、ゼリーを貢物だと公言して渡してきたのがあの書記だと思うと不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。

「そうじゃない。他人からの物を受け取ったお前が珍しいと思ってな」

「そっちか。何となく、鷹臣がアイツの事は信用してるみてぇだったからな」

害は無いだろうと。念の為、貰った物は調べさせてもらったが。
ゼリーと一緒にスプーンを用意して戻って来た瑛貴の台詞に俺があの書記を信用してる?と自分の認識と瑛貴の見解との違いに瞼を瞬かせた。

「あ?違うのか」

「…考えた事も無かった。使えるやつ程度には思ってたが」

ゼリーとスプーンを受け取り、瑛貴が隣に座る。手渡されたゼリーはどうやら色と見た目からしてオレンジゼリーのようだった。

「それならそれで良いさ。害がねぇなら放っておきゃいい」

その辺りは大丈夫そうだと、俺も頷き返す。書記とは俺が生徒会長になってからの短い付き合いしかないが、何となくその点は心配ないと俺の勘が告げていた。
それよりも透明の蓋を剥がし、さっそく一口食べてみたオレンジゼリーは味が濃厚で果肉もたっぷりと入っていて美味かった。

「これ、幾つ貰ったんだ?」

「あー…確か他にブドウとモモが入ってた気がするな」

袋ごと冷蔵庫にしまってあると、俺が食べ始めたのと同じゼリーの蓋を剥がしながら瑛貴は少し考えた様子で言い、俺の顔を見る。

「気に入ったのか」

「こういう物は買わないからな。たまには良い」

それにするりと口に入るから若干酷使した気がある喉には優しかった。
瑛貴はゼリーを一口、二口食べるとそのスプーンを俺の方に向けて来た。

「俺はもう良い。後はお前にやる」

ほらと口許に差し出されたスプーンを俺も遠慮なく口に含んだ。
その後も俺は部屋から出ること無く、つい学校をサボってしまった。これで二回目だが、体調不良なのは事実なので後日その名目で事後承諾という形で休みを申請しようとした所、何故か書記の手により既に申請はなされていた。

そして、俺が知らないうちにもう一つ何かが起きていた様だがそちらは全く俺の耳に入ってくる事は無かった。



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