11


東雲は文句を言いながらもその場で手紙の封を切ると折り畳まれていた紙を取り出し、目を通す。
そこにはシンプルに今日の日付と場所、時間が書き込まれており、先に指定した場所に必ず一人で来るようにと記されていた。

「呼び出しか」

東雲の視線が一瞬、机に伏す伏見に向くが直ぐにその視線は手紙の宛先となっていた瑛貴へと戻される。

「いかねぇのか、高杉」

差出人名は書いていないが、北條の親衛隊が動いている事を考えれば十中八九ろくでもない呼び出しなのは間違いないだろう。
そして、呼び出しイコール喧嘩を売られたと捉えられる事態に何故か瑛貴は大人しく椅子に腰掛けたまま動く気配はない。
東雲の問い掛けに瑛貴は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「はっ、行くわけねぇだろ。時間の無駄だ」

そんな事も分からねぇのかと瑛貴は吐き捨てる。
むしろそんな事してる時間があるなら鷹臣の為に使う。実際、昼飯を作る約束もしている。

「そうか…」

これまで売られた喧嘩は全て買って、相手を完膚なきまでに叩き潰してきた瑛貴の事だから東雲はてっきりここで北條の親衛隊を潰しに行くのではと考えていた。だが、どうやらそれは東雲の考え違いだったらしい。
東雲が早とちりしたかと誤解した瑛貴の行動だが、その指針は実に単純明快なものだった。今の瑛貴の優先順位が半年振りに再会した鷹臣に傾いているというだけの話であった。

「おはー…、ってウルフ来てるじゃん」

そうしている間にも教室には生徒達が登校して来ていた。
未だ眠そうに船を漕ぐ佐賀の襟首を掴んだまま教室へと入って来た田町は東雲達のいる方へと足を向ける。
そこで東雲の手に握られている手紙に目敏く気付いた田町はパッと愉しげな笑みを浮かべ、口を開く。

「命知らずがいるもんだな。で、いつどこで吊るす予定なんだ?」

やはり田町も瑛貴が呼び出しに応じる前提で話を進めてくる。生き生きとした表情で、観戦でもするつもりなのだろう、東雲が呆れた様子で田町に答える前に瑛貴が冷めた目で口を挟んだ。

「吊るしたきゃ勝手に吊るしてこい。雑魚に割く時間はねぇ」

「おっ、良いのか?」

「いいわけねぇだろ。お前まで首を突っ込むと余計ややこしくなるわ。風紀で片付ける」

何だ、つまんねぇなーと本気なのか冗談なのか分からないが唇を尖らせる田町はどうでもいいが、瑛貴が動く気がないと知り、東雲は内心でひっそりと安堵の息を吐く。とりあえず学園内で血を見るような事態は今のところ避けられそうだ。
東雲は狸寝入りをする伏見の頭を軽く叩いてから、手紙を手にしたままクラスメイトと話をしていた芦尾の名を呼ぶ。自分の席へと向かいながら東雲はあれこれと頭の中で今後の予定を立てていた。

「ところで、北條は一緒じゃないのか?」

ぐるりと冷めた目で教室内にいる人間を今更ながら確認していた瑛貴へと、まだ側にいた田町が声を掛ける。船を漕いでいた佐賀はいつの間にか自席に着席し、机に突っ伏して寝息を立てていた。

「何でどいつもこいつも鷹臣の事を気にする」

「え?そりゃぁだって、クラスメイトだし。あのウルフのお気に入りってんなら尚更だろ」

ウルフを知る者なら誰だって気になっている事だ。
自分に向けられた鋭い眼差しをからりと受け流して田町は続けて言う。

「それに俺、ウルフには一つ聞いておきたい事があったんだ」

何だと視線で先を促せば、田町はウルフを知る者なら誰もが心の中で知りたいと思っていた疑問を話題に上げた。

「タイガーの奴は何処にいるんだ?夜遊びはもう止めちまったのか?」

「ふっ…、くくくっ……」

投げ掛けられた間抜けな質問に瑛貴は唇を歪めると低い声で笑い出す。

「何?何かおかしなこと言ったか俺?」

その様子に田町は何が何だか分からず、きょとりと瞼を瞬かせると首を傾げた。

「さすが道化。…笑わせてくれる」

「それって褒めてないよな?」

何となく褒められた意味じゃないと感じた田町が眉をしかめて言えば、笑いを噛み殺した瑛貴が喉を震わせる。

「あぁ…アイツはよくよく俺を楽しませてくれるな」

例え鷹臣にその意図がなくとも、タイガーの事を気にする人間が俺以外にいるなら正体を隠しておいて正解だった。俺の知らない所でタイガーが絡まれていたと知れば俺は確実に不愉快な気分になった。だが、それが実際にはどうだ?鷹臣は誰にも自分がタイガーだと悟られることなく、周囲を翻弄していた。これ程滑稽で可笑しな話しもねぇ。

「はっ、別にアイツは夜遊びを止めたわけじゃねぇ。気が向いたらまた行くだろうが…」

そこまで言って瑛貴はふと言葉を途切れさせた。

待てよ。始めの頃は違ったのだろうが、鷹臣は俺と出会ってからは俺に会う為にこの学園を夜になって抜け出して来ていたのだろう。しかし、昼の中で再会を果たした今、夜に限らず学園の中で俺と鷹臣は好きな時に好きなだけ会える。ならば…。

ようやく質問の答えを返された田町は大人しく続く言葉に耳を傾けている。

「アイツがどうするかは俺次第だ」

「えっ?どういうことよ、それ」

タイガーの行動は瑛貴次第だと主導権を握っているのは俺だと告げた瑛貴に田町はますます困惑した顔で首を傾げる。また、タイガーの居場所についても有耶無耶に流され、田町はその居場所を掴むことは出来なかった。

やがてショートホームルームの時間となり、ちらほらと空席がありつつも朝のホームルームが始まる。教室に入って来た担任の教師は肩まで長さのある黒髪のサイドを後頭部で纏め、きりりとした眼差しで教室内にいる生徒を確認すると今日の連絡事項から伝え始めた。

ホームルームが終われば、十分間の小休憩を挟んで一時間目の授業が始まる。
鷹臣のお願いでとりあえず教室に来た瑛貴は、暇潰しも兼ねてこの学園の授業がどんなものか受けてみることにした。机の中に用意されていた教科書等を引っ張り出す。
そして、朝のホームルームには来なくても一時間目の授業が始まる頃になって登校して来る生徒が数名いた。

「えっと、それでは授業を始めます…」

最初の授業に現れた教師は気の弱そうなひょろりとした体型の眼鏡を掛けた男だった。ただし、その声は見た目を裏切るほど艶やかで耳に甘く残る魅力ある低い声音だった。
元より三年S組に集められた生徒の頭は優秀で、授業も進学を前提に組まれた受験対策内容だったりと中々に進んでいた。ためにはなる授業であった。

「次回は最初に小テストをやるので、忘れないで下さい」

五十分の授業が終わればまた十分休憩があり、次の授業が移動教室の生徒達がS組の教室の前の廊下をバラバラと歩いて行く。
教室内は再び朝の騒がしさを取り戻していた。

「なぁ、ウルフ。何でお前編入なんかしてきたんだ」

悪い意味じゃねぇぞと付け足して言って来た男を横目に見れば、机の横にやって来た芦尾が興味津々といった程で瑛貴を見下ろしていた。そこへ、芦尾が投げ掛けた話しに興味を持った田町が側へと寄って来る。先程の手紙の件で瑛貴に用事の出来た東雲も伏見を連れて瑛貴の元へと近付いて来た。
その様子を面倒臭そうに眺めながら、瑛貴は芦尾の問いに答えてやる。

「俺がどうしようが俺の勝手だ」

基本的に群れる事を嫌う傾向にある鷹臣はこの様な面倒事を避けたかったのだろうと瑛貴は内心で確信を持つ。

「ま、そりゃそうだな。此処に何かあるのかと邪推するのも俺の勝手だよな」

「とか言って、芦尾はただ暴れたいだけだろ?ウルフが来たなら血を見るような何かが起こるんじゃないかって実は期待してるだろ?」

にやりと笑った芦尾の言葉に被せる様に田町も口角を吊り上げ、似たり寄ったりな笑みを浮かべる。その田町の後頭部を近付いてきた東雲が持ち上げた右手で容赦なく叩いた。バシッと小気味の良い音が立つ。

「いてっ…、何で俺だけなんだよ」

「芦尾には一つ借りがあんだよ。でもな、俺の目の前で風紀を乱すつもりなら、てめぇら纏めて反省室に突っ込むからな」

「俺、この面子なら反省室に入ってもいいな」

東雲の矛先とは別にその場に集っている顔を見回し、伏見がおかしなことを言い出す。それに東雲は殊更嫌そうな顔をして、お前らのせいだと田町と芦尾を睨み付けた。伏見は身長もあり、頭も顔も良く、腕っぷしが自分より強い者が好きだと公言している性癖の持ち主だ。付き合う相手により攻めでも受けでもどちらでも構わないらしい。
東雲は退屈そうな顔でこちらのやり取りを眺めていた瑛貴に向かって、気を取り直して用件を告げる。

「高杉。呼び出しの手紙の一件は俺達が処理するが良いな?」

「好きにしろ」

「それと…お前等に限って必要はねぇだろうが。昼休みの間、北條からは離れるなよ」

「へぇ、俺の鷹臣に手を出そうって奴が此処にはいるのか?」

東雲からの忠告にそれまで興味無さげな態度をとっていた瑛貴の瞳に愉快そうな光が灯り、歪んだ唇が忍び笑いを漏らした。

「俺のって、本当に北條はウルフのお気に入りなんだな…」

まざまざと目の辺りにした瑛貴の変化に、田町達は驚いた顔をする。
しかし、鷹臣が自分の唯一の恋人でもある瑛貴にとっては彼らのその反応こそ当たり前の事に今更何を言っているのかと、滑稽にすら思えた。自然、東雲へと流された視線に嘲笑の色が混じる。

「俺が鷹臣に構うのがそんなに意外か」

鷹臣イコールタイガーの情報を打ち明けられている東雲は肯定すべきか否定すべきか一瞬迷って口を閉ざす。その間に鷹臣の正体を知らないクラスメイトは口々に自分達が鷹臣に抱いている印象を口にした。

「だってなぁ、北條だろ?俺達とは対極にいるような絵に描いたみたいな優等生だし、俺達からしたら少し近付きづらいよな」

そう言った芦尾に同意する様に田町が続けて言う。

「そうそ!話しかければ普通に喋ってくれて、悪い奴じゃないのは分かるんだけど。何かなぁ…」

「教室にはあんまり来ねぇし、来たとしても大人しい奴だ。そもそも向こうも俺達の事なんか気にしちゃいねぇんじゃねぇか」

最後に鷹臣をそう評した伏見は中々的を得たことを言っていた。要約すれば彼らの事など鷹臣からすれば眼中にないのだ。確かにその通りだろうと瑛貴は口端を緩めて笑う。

「あー…、まぁなんだ。生徒会長の北條はそんな感じの奴だから、お前の好みからは外れてるんじゃねぇかって皆不思議に思ってんだ」

東雲は口にする言葉を慎重に選びながら瑛貴の疑問を解いてやる。それに彼等も頷いた。

「はっ、そりゃ余計なお世話だ。鷹臣ほど俺好みの奴はいねぇぜ」

はっきりと言い切った瑛貴に東雲以外の三人が顔を見合わせる。

「まぁ…北條の奴、顔は良いよな。生徒会長に選ばれるぐらいだし、頭も…」

「おい、俺の前でふざけたこと考えんじゃねぇぞ」

「いやぁ、今のは芦尾にも悪気があるわけじゃ…って、それじゃぁタイガーは?北條はタイガーのこと知ってるのか?」

芦尾をひと睨みで黙らせた瑛貴に田町が仲裁する様に間に割って入り、その途中で重大な事実に気付いたという顔で矢継ぎ早に瑛貴に問いかけた。

「あ?」

その何とも間抜けな質問に傍から見ていた東雲は頭が痛くなってきたと、己の額を右手で押さえると、瑛貴が何かを言う前に強引に話を遮る。

「とにかく、今日の昼休み、北條から目を離すなよ高杉。風紀じゃねぇが、こいつを一応北條の守りには付けておくからな」

こいつと指されて伏見がひらりと片手を振る。

「ふん…必要ねぇと思うがな」

「俺もそう思うが、格好は付けさせといてくれ」

そして東雲が話を切ったタイミングで二時間目の始まりを告げる予鈴が鳴る。

「残念。ウルフとはまだ話したいことがあったんだけどな。次の休み時間まで持ち越しか」

わざとらしく肩を竦めた田町に冷たい声が突き刺さる。

「俺にはねぇ」

芦尾と伏見は大人しく自分の席へと戻ったが田町は東雲に肩を掴まれ「無駄に騒ぎは起こすな」と引き摺られていった。
そうして静かに二時間目の授業を受け終えた後、田町の願いは叶えられる事はなかった。
何故なら…。

「高杉先輩!良かった、こっちにいた」

瑛貴の元に生徒会書記が訪ねて来たからだ。その上、書記は三年の教室にも関わらず「失礼しまーす」と言うと、物怖じせずにすたすたと教室に入って来た。自分へと集まる奇異や好奇の視線をものともせずに瑛貴のいる席へと足を運んだ書記はその右手に持っていた書類とおもしき紙を数枚、クリアファイルの中から引き抜くと机の上に置く。

「これだけ今日中に目を通しておいて下さい」

「俺が?」

「高杉先輩でも会長でも、どっちでもオーケーです。内容さえ軽く頭に入ってれば良いんで」

「ふぅん」

机の上に置かれた紙を一枚手に取り、瑛貴は気のない返事を返す。
それを了承と捉えた書記はそれと、と続けて左手に持っていた半透明の手提げ袋をガサリと音を立てて机の上に乗せる。

「これは俺からの貢ぎ物です。会長と一緒に食べて下さい」

じゃ、用件はそれだけですと軽く瑛貴に向かって頭を下げてから、書記は三年の教室を出て行こうとした。が、その途中で眉間に皺を寄せた東雲がこちらを見ていた事に気付き、書記は一度その場で足を止めるとへらりと笑った。

「東雲先輩には今度俺が何かお腹に優しいご飯でも作ってあげましょうか?」

「誰がいつ腹の話をした。お前、わざとやってんだろ」

「さぁ?ちょっと何の事だか分かりませんねー」

首を傾げて言うと書記はそのまま教室を出て行く。

「あの野郎…」

「はははっ、韋駄天の問題児は健在だねぇ」

「赤穂(あこう)、笑い話じゃねぇんだ」

東雲は窓側に立っていた、小柄な生徒を睨む様にして見る。赤穂と呼ばれた生徒は赤茶色に染めた、右サイドの髪だけが不自然に長い髪を揺らして尚も笑う。

「そう?彼のおふざけは可愛いじゃないの」

「当事者じゃなけりゃな」

「かと言って、彼を手放す気もないくせに。そういうこと言うんだから。東雲は人たらしだね」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ」

赤穂は【吸血鬼】芦尾のチームで副総長を張っている人物だ。芦尾の恋人とも言われているが本当かどうかは本人達にしか分からない。
 

[ 24 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -