05


3年S組ではカツカツと黒板にチョークで文字を書く音が響く。
教壇に立っている教師は地味目なスーツに身を包んでいるが、それに反して華やかな顔立ちをしていた。

学園の敷地を一歩外に出ればルール等あってないような者達が大人しくその教師の授業を受けていること事態、他のクラスの生徒達から見たらおかしな話かも知れないが、このS組に在籍している族の総長や幹部クラスの生徒達は皆頭が良いので、ただむやみやたらと強ければ何をしても良く、許されるとは考えていなかった。
武と知を兼ね備えてこそ強いのだと理解していた。加えて、高校3年という最終学年に上がったことで将来を見据え始めた者達もちらほらといた。
皆どこかしらひねくれてはいても、腐っても根は大企業の跡取りや財閥の御曹司なのだった。
それ故に他の組と違って授業中は静かなもので、教師達の間では一番授業がしやすいと密かに言われていた。

また、この組の暗黙の了解の一つとして、授業を受けたい者の邪魔はしないというルールが自然と出来上がっていた。
そう言うと意外に思うかも知れないが彼らは仲間内で作ったルールはきっちりと守るという律儀な気質を持っていた。

「では、今日はここまで。明日はこの続きからやるので、練習問題の問一から問五まで解いておくように」

以上、と言葉を切った教師の声に続いて二時間目の終了を告げるチャイムが校舎内に流れる。
授業が終わった途端に騒がしさを取り戻した教室で、東雲は机の上に開いていた教科書とノートを閉じると、隣の席で自分の腕を枕にして机に顔を伏せている男の焦げ茶色の頭を小突く。

「おい、佐賀。授業終わったぞ」

「うぅん…。…うん…、うん?」

寝惚けているのか佐賀と呼ばれた男はうんうん応えるだけで一向に頭を上げようとはしない。そこへ窓側の席から教室の真ん中辺りの席に座る東雲の元へ、茶髪の短い髪を四方八方に自由に跳ねさせた男が歩み寄ってくる。右耳に付けたピアスとカフスがきらりと光る。

「そいつはそんなんじゃ起きねぇよ」

見てろと言って、男は寝惚ける佐賀の後頭部を右手で思い切り叩いた。
ガンっと腕の上からずれた顎が机にぶつかって良い音を立てる。

「うっ…、うーん……何か顎が痛いんだけど」

ようやくのろのろと顔を上げた佐賀に東雲は呆れた様子で起きたか?と横合いから声をかける。

「うーん…痛い…」

「気のせいだろ。な、東雲」

パチリと気障ったらしくウィンクを寄越してきた男、田町(たまち)に東雲は気色悪いと返しながら、しきりに顎を擦りながら首を傾げる佐賀に視線を戻す。
田町はそのまま佐賀の前の空いた椅子を勝手に借りると後ろ向きに座り、東雲に向かって話を続ける。

「で、実際の所どうよ」

空席になっている二人の席へちらりと視線を流して、田町は東雲の用件に辺りを付けて聞く。

「その前に高杉の奴こっちに顔を出したんだろ。どうだった」

今あげる話題など一つしかない。
惚けた様子の佐賀はこれでも【トロイ】というチームを纏める頭である。ふざけた態度をとる田町自身も【道化師〈ピエロ〉】という名を持つ実力者である。

東雲から聞き返された田町は器用に肩を竦め、佐賀はまだ少し眠たそうな顔をして口を開く。

「特に何も起きてないと思うけど。俺、寝てたし」

何か異変があれば起きてると、どこかずれた解答を返してきた佐賀に田町も同意する様に続く。

「このクラスにウルフの強さを知らない奴はいないっしょ。だから故意に敵に回す様な馬鹿はいないし、ウルフに至っては俺達なんか眼中にないっぽかったぜ」

「そうか」

「あ、そういや伏見(ふしみ)の奴がウルフに何か声かけてたな」

北條の親衛隊の事を言ってたみたいだったなと、廊下側の席でクラスメイトと話し込んでいる伏見の横顔をちらりと見る。
伏見は以前まで自分のチームを持っていたが、勧誘がしつこいと、勧誘した者達の手により解散まで追い込まれた過去を持つ。
伏見本人はチームが解散した後も、それは本望だったのだとケロリとしていた。

「あぁ、あいつも大概神経が図太いな」

伏見の様にタイガーやウルフこと高杉の強さに密かに憧憬を抱いている者もこの組には少なからず存在し、それも騒ぎを起こさない抑止力の一つとなっているのかも知れなかった。

「しっかし、北條があのウルフのお気に入りって本当なのか?お前の目を疑うわけじゃねぇけどさ、なんつーかまだ想像できねぇんだけど」

教室に顔を出したウルフと他の連中の様子は特に問題がなかったという話に東雲は一先ず安堵したが、次に上がった名前に安堵の溜め息は悩まし気なものへと変わった。

「北條ってあれだろ、…会長。あんま教室にいない奴」

その役職通り優等生。

田町の言いたいことは分かると欠伸を零しながら佐賀もその話に乗ってくる。

その北條の正体を知らされなければ東雲も二人の様に気をもまなくても済んだかも知れない。
東雲は彼が評する生徒会長北條 鷹臣のこれまでの様子を脳裏に描く。

確かに北條は大人しかった。生徒会業務はきっちりとこなしているし、教室に来れば真面目に授業も受けている。風紀内に存在する規律委員に掛けられるような事も無ければ、風紀室に連行されるような問題を起こすような生徒ではなかった。
まさかその大人しい優等生振りが、全て面倒事を嫌った結果だと、その隣にウルフがいなかったからだとは流石の東雲も想像しえなかった。

東雲は田町と佐賀から向けられた視線に何とも言えぬ表情を浮かべ、疲れたように返す。

「北條に関しては来れば分かると思うが、高杉と同列に扱えば間違いはねぇ」

それだけは言っておくと、こちらの話に耳を傾けているであろう他の連中にも聞こえる様に東雲は告げた。

そもそもタイガーの時の北條と学園での北條の性格が一致しないのだ。
髪色や髪型、瞳の色を変えていたとは言えあれは詐欺だろう。
まぁ、一番の違いは隣にウルフがいるかいないかなのだろう。

「お前も苦労するな、韋駄天の」

そう言って東雲の肩を後ろからポンと叩いて来たのは廊下側の席で伏見と話し込んでいた男だ。名前は芦尾(あしお)、そこそこの規模を誇るチームの頭で、人の事をチーム名で呼ぶ癖がある。

「んで、そんなお前にもう一つ苦労話があるんだか聞くか?ん?」

芦尾の右手には通話中という表示が浮かぶスマートフォンが握られていた。

「聞かねぇって選択肢はあるのか」

「ねぇけどな。ほら」

そう言って差し出してきた芦尾のスマートフォンを東雲は受け取る。

「なに、問題発生?」

そのやり取りに田町は面白そうな顔を隠さず芦尾に尋ねた。
芦尾も芦尾で風紀会長様は大変だなと口にしながら、舎弟から掛かって来た電話の内容を簡単に口にする。

「こいつ以外の韋駄天の連中がやたらと一年に絡んでたろ?」

「あー、馬鹿なことしてる連中か」

「そうそ。んで、その事に逆切れ?した親衛隊がそいつに制裁を下そうと今まさに学内の何処かで、血祭が始まろうとしてるってとこだ」

東雲に頼まれ芦尾も一昨日行われた風紀の通常総会に参加していた身だ。また、芦尾は風紀委員ではないが、そこそこの規模を誇るチームの頭として、この学園内には芦尾の息のかかった生徒は多くいる。それを見込んで東雲は自分の手の足りない部分を補う様に他のチームに頼んだのだ。普通は躊躇する事も躊躇いなく実行に移せる東雲はさすがこの地域一帯の最強の座を巡りもっとも近い位置にいるとされる。韋駄天の総長として広い度量を兼ね備えていた。

「ってもなー、親衛隊の制裁って陰湿で面白くないんだよな」

親衛隊と聞いた途端、田町は興味が失せたというトーンで不満そうに呟く。

「ピエロと同意見ってのはあれだが、確かに面白くはねぇよな。制裁するならもっとこう自分の拳で殴りつけて、その感触を味わいつつまた殴ってってぐらいやんなきゃ決着も着かねぇだろうに」

それこそ正しく自分が口にした制裁による正しい血祭の方法じゃないかと芦尾は持論を持ち出した。しかし、その言葉に田町は仰々しく嘆かわしいという身振り手振りで持って否定の言葉を被せる。

「学園の中だけできゃんきゃん吠える親衛隊にそれを求めるのは酷ってもんだよ、【吸血鬼】。あいつ等ぐらい弱いと血を見ただけで卒倒しそうだ」

なるほどと、それもあり得るかと頷きかけた芦尾に向かって東雲は通話を終了させたスマートフォンを差し出す。

「芦尾、サンキュ。俺、ちょっと出て来るわ」

言いながら東雲は椅子から立ち上がり、芦尾は返されたスマートフォンを受け取りながらまぁ頑張れやと返す。田町はいつの間にか静かになっていた、机に顔を伏せる佐賀の後頭部を見下ろして指先で突きながら片手でひらりと手を振る。

「部下の尻拭いも楽じゃないねぇ。いってら」

「おう、こっちは頼むぜ」

東雲は三時間目の授業に向かう教師と廊下で擦れ違いながら、制裁の場として選ばれた校舎一階の奥まった場所にある視聴覚室へと急ぎ足で向かった。



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