04


各自振り分けられた仕事に専念しようにも皆どうにも気もそぞろといった様子で、いつもよりその書類を捌く手が遅い。補佐二人に関してはそのまま授業に行ったのだろう、生徒会室に戻ってくる気配はなく。唯一書記だけが調子外れの鼻歌を歌いながら常と変わらなぬ様子で業務日誌を作っていた。

まぁ、その異様な空気を作り出す原因となっているのは言わずもがな瑛貴の存在だろう。とはいえ、俺は決定を覆す気は無い。
会長席に座る俺の真横に立った瑛貴へと簡単な事務処理の説明をしながら俺は改めて瑛貴の頭の回転の良さを実感していた。
そもそも俺と同じS組に編入してきたのだ、頭が良くて当然だ。

「今の所は交流会も終わって、それほど忙しくはない」

通常運営だと告げれば瑛貴はその赤い瞳を細めて俺の顔を見下ろす。

「へぇ…そいつは良いな」

良いと言うのはもちろん俺達にとって、会えなかった分だけ共にいて、触れ合える時間がとれるという意味だろう。かくいう俺も昨日のたった一日だけではお前が足りないと思っていたところだ。隣にその存在を感じるだけで、これまで側にいなかったのが不思議なぐらい心が焦がれている。

微かに熱の籠った視線を絡めれば瑛貴も同じだという様にその口端を吊り上げて笑う。
途端に滲みだした捕食者の気配に同じ室内にいた副会長達の顔色が何事かと蒼褪めていく。双子の会計に至っては器用にも椅子の上で互いの身体を抱きしめ合ってぷるぷると震えだす。

自分に向けられたわけでもないのに何をそれほど怖がる必要があるのか、俺は瑛貴から向けられる全てのものを心地好く感じながら、一つ視界の端で捉えた顔に釘を刺して置くかと、熱を帯び始めた視線を瑛貴と絡めながらその名前を呼ぶ。

「なぁ、瑛貴」

その名を大切に囁くように口にして、俺は自らかけていた伊達眼鏡を外した。

緩く弧を描いた唇が、違う事無くその意図に気付いて愉快そうに歪む。瑛貴は室内にいる面々にちらりと視線を投げるとすぐにまた俺へと視線を戻し、始めから周りのことなど眼中にないといった態度で俺の顎に指をかける。そうしてその口から甘く腰に響く声音が紡がれた。

「たかおみ…」

情事の最中を思わせる艶を帯びた低い声音が室内の空気を震わせ、そのたった一言に皆がぎょっとした様に一斉に生徒会長席を見る。

「ンっ…」

顎に掛けられていた指先が頬を包む様に移動し、口付けで紅潮したその表情を皆の視界から遮る様に隠す。俺としては別段見られても何とも思わないが、むしろそれを意図して行っているのだ、それでも瑛貴がそれは許せないと考えたなら俺はそれを大人しく受け入れるだけだが。

薄く開いた唇の先で軽く戯れる様に舌先を絡ませ触れ合うと、名残惜しげに数度唇を啄んで俺に覆いかぶさるように身を屈めていた瑛貴が離れていく。

「ふ…っ」

間近で熱を湛えていた赤い瞳が一度瞬き、そこに籠っていた熱を一瞬で振り払うと鋭く冷めた眼差しが室内から集まっていた驚愕の視線を射抜く。

「てめぇら間違っても俺と鷹臣の邪魔をしようなんて考えるなよ」

そう思った時点でお前らは″俺達″の敵だ。潰す、と瑛貴は牽制する様に言い放ち室内にいた面々を威圧した。その間に俺は伊達眼鏡を掛け直し、そっとそれぞれの反応を確認した。

俺を心配してのことだろうが、もっともそれは検討違いな上、大きなお世話なのだが、瑛貴と関わる事に苦言を呈してきた副会長は蒼かった顔色を増々悪くしながらも俺が抵抗しなかった事で何とかこの事態を呑み込もうとしている様子が窺えた。双子の会計は顔色を青くしたり赤くしたりと何だかせわしない様子で、瑛貴の鋭い視線にその場に縫い留められてぷるぷると相変わらず震えている。
そしてもっとも俺が気がかりとしている書記は、瑛貴の鋭い一瞥も何のそのこちらをジッと見つめて何事か考え込んでいた。
…と思ったら、俺と視線が重なるなり、パッとその表情を輝かせた。何か良い事でも閃いたといわんばかりの清々しい顔で大きく一つ頷き、書記が席を立つ。

緊張を孕んだ室内の空気などどこ吹く風という足取りで生徒会長席の前まで足を進めた書記は何故か俺に向かって右手を差し出してきた。

「会長、握手して下さい!」

その瞳は輝いており、書記にしては真面目な様子なのも嘘ではないが。
その意味不明過ぎる行動に瑛貴ですら眉を寄せ、副会長達からは何て馬鹿な事をと、命を捨てる気かと小さな悲鳴が上がる。

俺は目の前に差し出された右手と書記の顔を交互に見て、ふとデジャブを覚えた。
それは本当につい最近、一昨日の事だ。
瑛貴、もといウルフを目の前にした時も書記はこの顔をしていた。
…つまりは、そういうことなのだろう。

俺は微かに胸の内で抱いていた不快な思いを、書記の右手を叩き落とすと同時に綺麗に払拭した。

「俺には好んで男と握手する気はない」

「っ、ですよね!…でも、こんな所で揃って見られるなんて」

書記は俺と瑛貴を交互に見てから、失礼しましたと言ってあっさりと自分の席へと戻って行く。

「何なんだ、アイツ」

その背を瑛貴は再び不可解な者を見る眼差しで眺めて呟く。

「後で説明する」

どういう判断の仕方をしているのか俺にもさっぱりだがあの様子では書記には俺があのタイガーであると分かったのだろう。
こんな所で揃ってと口にしたのがいい証拠。瑛貴へと向けられていた眼差しが羨望や憧れからくるものだと自分でも実感出来たので、あれは今後も害がなければ放っておくことに決める。
書記は時折その行動が読めない変人だが生徒会の中では使える人間だ。

俺は短く瑛貴に返答を返し、何事もなかったかの様に職務へと戻った。

さっさと今日の分を終わらせて瑛貴との時間を作るのだ。瑛貴もそれ以上は何も言わずに俺の仕事を手伝いながら、時折悪戯に髪に触れたり、指先を絡ませたり、口付けを落としたりしてきたが、無論俺はそれら全てを大人しく感受していた。
会えなかった半年分を埋めるように。
 




一方、ご機嫌な様子で自席へと戻った書記は、途端に駆け寄って来た副会長と会計の双子にああでもないこうでもないと数多くの小言をぶつけられていた。

「貴方は馬鹿なんですか!何もなかったから良かったものの!」

「本当なら死んでる…」

「死んでなくても意識は刈られてるよ、きっと」

酷い言われようだがあの二人相手に書記はそれもそうかと納得しつつ、まったく危機感のない言葉を返す。

「いや、だってさ。握手ぐらいならしてくれるかなぁって思って。けど、やっぱり断り方も格好良いよな」

「知りませんよ!そもそも握手する意味がわかりません」

「そうそう、何でいまさら会長に握手して下さいなの?馬鹿なの?」

「椿、会長と仲良く食事したりしてるじゃん」

言われてみればと双子の言葉に過去を反芻した書記は惜しいことをしたなぁと、言いながらその口元は嬉し気に綻んでいる。

「まぁでも、もう会長とご飯を食べる機会はそうそうないと思えばラッキーだったな」

「…なんだか貴方には何を言っても無駄な気がしてきました」

「総長から注意して貰った方が良いんじゃない?」

「絶対そうした方が良い」

こそこそと書記の机を囲んで出された結果は彼らの総長でもある風紀会会長、東雲 昂輝の手を借りる事だった。

そんな事が起こっているとはまったく知らない東雲は本日二時間目の授業から久し振りに3年S組の教室に顔を出していた。



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