04


自室の前では和真がうろうろと熊のようにうろついて、俺の帰りを待っていた。

「久弥!大丈夫だったか!?」

そして、エレベータから降り、自室に向かって廊下を歩いていた俺の姿に気付くと和真は駆け寄って来ていきなり俺の両肩をがしりと掴んで言った。

「連絡しても返事は来ねぇし」

「あ、悪い。忘れてた」

和真からの連絡を貰ってすぐ部屋を出てきたから。

「いやっ、お前が無事ならいいんだ」

そう言って肩に置かれていた手が俺の背中に回って来て、そっと腰の方へ降りて来る。

「大げさだな、カズは。藤峰先輩なら大丈夫だって話だっただろ?」

危なかったのは生徒会の連中の方だ。危うくボロが出る所であった。だが、その話はカズにはしない方がいいだろう。なんかやたらと心配されているし。

傍から見ると俺は和真の腕の中にすっぽりと抱き締められている様に見えたが、俺は和真からの連絡に助けられた直後でもあったし、俺は過剰に心配してくる和真のその行為を仕方がねぇなと和真の気が済むまで許していた。

「はぁ…」

耳元で安堵した様に零された溜め息に俺は率直な感想を漏らす。

「心配性すぎるだろ。それでよく黒騎の頭が務まるな」

「それはそれ、これはこれだ」

そっと名残惜しむようにようやく離れて行った腕に俺は何が違うのかと疑問に思いながら、そうだと声を上げて、別の話題を振る。

「今からお前の部屋に行っても大丈夫か?」

「えっ…!」

至近距離から見上げた黒色の瞳が驚きの声と共に見開かれる。

「いや、無理なら別にいいんだけど」

生徒会の連中を前に和真と勉強をすると言い訳した手前、その内容が事実かどうかはさておき、和真と共に行動しておいた方が後々突っ込まれにくいだろう。そう心の中で思って俺は和真からの返答を待つ。

「えーっと、それは…大歓迎だけど。何かあるんだな」

俺の表情から何かを察したのか、一瞬驚きを見せた和真はすぐに冷静な表情に戻ると僅かばかり残念そうな顔をして俺にそう聞き返した。

「まぁ…」

だが、再三言うようだが馬鹿正直に生徒会連中のことは話せないので、俺は曖昧に頷き返す。

「んじゃぁ、俺の部屋に行くか」

それでも和真はそれだけで受け入れてくれた。良い奴だ。

そうして、俺は和真の後について、和真の部屋へと入って行った。
ここに足を踏み入れるのは黒騎のアカとして変装する為に来て以来か。

ふとその事を思い返して、俺は律儀に飲み物を用意しに席を外して戻って来た和真に声を掛ける。

「中間考査が終わったら、また黒騎の喧嘩に混ぜてくれよ」

「あぁ?いきなりどうしたぁ?」

「ストレス発散の場が欲しい」

平穏な学園生活を送らなければならないのは本当だが、それだけではストレスが溜まり過ぎる。学園内にその原因が多すぎるのが問題だ。

「それに後に楽しみがあった方が頑張れる気がする」

「随分追い詰められてんなぁ。そういえば、藤峰先輩から何か話は聞けたのか?」

「あぁ。色々と聞いてきた」

俺は藤峰先輩と生徒会連中から聞いた話を混ぜ合わせて和真に話した。

「どうやら中間考査の最終日に俺は呼び出されるらしい。春日先輩に」

「ふぅん。場所はわからねぇのかぁ」

それならその日だけ、黒騎の連中を貸してやろうかと和真が提案してくる。
とりあえず黒騎の仲間を学園の中に配置しておくかと。

「いや、いい。何かそれだと余計ややこしくなりそうだ」

一応ここは紅蓮のアジトでもあるし、無駄な争いは避けたい。

もともと最終日の呼び出しの件は生徒会連中も知ることだし。
春日先輩はそういうものも嫌いそうだ。なんとなく、俺がそう思うだけだけど。

「じゃぁ、最終日は俺もまた学園の中で待機してるなぁ。何かあったらすぐ連絡してくれ」

すぐに駆け付けると和真は真剣な眼差しで言った。

「おぅ。カズがいてくれると思うと心強いわ」

今日は本当に心の底からそう思った。だから、俺は真剣な眼差しを向けて来る和真と視線を交わしてふっと表情を綻ばせた。

「…だからっ、それは反則だろ」

「ん?どうした、カズ?」

ふいに視線を外した和真に首を傾げる。

小さく息を吐いた和真は何でもないと言って頭を横に振ると、席を立つ。

「中間考査が終わったら喧嘩に混ぜてくれって話だけど、それは俺の仲間としてでいいのかぁ?」

あんに黒騎のアカでいいのかという確認に俺は頷き返す。

「今、蒼天のヒサが黒騎のカズと一緒に現れたら余計怪しまれそうだからな」

そう言えば遊士にはもう俺イコール蒼天のヒサというのはバレている。來希にもバレているかもしれないが、そこはまだスルーしよう。それ以外の奴らにはまだバレていないのだ。だったら、黒騎のアカという存在を使ってもいいだろう。

席を立った和真が髪を染める為のスプレー缶と洋服一式を手に戻って来る。

「一応、また使うかもと思ってとっておいたぜ」

「おぉ!ナイス、カズ!」

「ただ、服に関しては新しく買い直した方がいいかも知れねぇなぁ」

「え?なんで?この間のでダメにしたつもりはねぇけど」

「…気を悪くすんなよ。ぶかぶかだったろ?」

大きく開いた襟ぐりから覗く素肌がちらちらと、アカが戦うたびに見えていた。ほっそりとした白い首筋に赤く染めた髪が嫌に映えて、艶めかしい色気を振りまいていた。そう直に指摘する事は憚られて、和真はざっくりとその理由を告げた。だが、当たり前だが当の本人にはその深い意味は通じずに表面的な言葉にむっとした表情を浮かべて言い返してくる。

「それはカズがデカすぎるからだろ!俺は小さくねぇ!」

「分かってる。でも、動きづらくねぇか?」

「ぜんぜん。問題ねぇし」

「……そうか。しょうがねぇな」

善意で言ってくれてる和真に対し、俺は自分でも気にしている背の事を言われた気がしてつい意地になってそう言い張ってしまった。だから、次に和真が提案して来た言葉をその勢いで受け入れてしまった。

「新しい服が駄目なら、他の服を試してみるかぁ」

あの時は時間が無くてじっくり選ぶ時間もなかったからなぁ。

「他にあるのか?」

「探せば出て来るかも程度だ」

そう言って俺は新たな服選びの為に和真の後について個室となっている寝室に移動したのだった。何故そこで新しい服を自分で用意するだとか、自分の服を着るだとか、思考出来なかったのか。知らずのうちに疲れていた俺は微塵も考えなかった。

クローゼットを開けた和真がシャツやTシャツ、パーカーと何着か俺でも着れそうな服をクローゼットの奥から取り出す。

「俺が中学の時に着てたものが残ってるはず。あぁ、ちゃんと洗濯はしてあるから安心しろ」

「中学…」

俺は中学生か。とはいえ、高校一年生は中学三年生とそうまだ変わらないだろう。そう己に言い聞かせ、俺はとりあえず掛けていた伊達眼鏡を外した。ベッドの側に備え付けられていたサイドテーブルの上に眼鏡を置き、着替える為に上着を脱ぐ。

ちらりと流された和真の視線には気付かず、和真が用意してくれたパーカーから身に着けてみる。

「うわっ、袖ながっ!」

「丈も長いな」

股下まであるパーカーに、すっぽりと覆われた腕。和真が普通に着れば半袖のパーカーなのかもしれないが。これは…。

俺はまじまじとこちらを見て笑う和真に恨めし気な目を向けて文句をつける。

「これは絶対わざとだろ!」

着るまでも無く、分かっててこの服を渡して来ただろうと俺は笑う和真の表情から悟る。

「わるい、わるい。可愛いヒサが見たくてなぁ」

「なっ!俺は可愛くねぇし!次やったら殴るからな!」

「はい、はい」

次はこれだと別の服を渡される。ちょっと格好良い感じの首元にお洒落な紐が付いている。

「首が絞まりそうで怖い」

「んなわけねぇだろ」

パーカーを脱いで、お洒落な飾りのついたシャツに腕を通す。

「うーん、袖は捲ればいけるなぁ。ただ、丈はどうしようもねぇかぁ」

「首元が擽ったい」

「うん?」

首元に手をあてて気にする俺に全体のバランスを見ていた和真の視線が俺の首元に向く。
そして、すぅと細められた視線がとある一点で止まった。

「これは悪くねぇけど、やっぱり首元が気になるからパスだな」

普段からアクセサリーなどの装飾品も身に付けない俺としては、ちょっとその点だけが気になってまた別の服にしようと着ていたシャツを脱ぐ。

そこへ僅かに低くなった声音が滑り込んできた。

「久弥」

「ん?」

次はこっちのTシャツにしようとベッドの上に並べられていた黒に白い英字入りのTシャツに手を伸ばす。しかし、その手がTシャツを掴む前にその腕を和真に掴まれた。

「カズ?」

行動を阻まれた俺はいきなり何だと、腕を掴んで来た和真を至近距離から見上げる。
すると腕を掴んだのとは逆の手が俺の首元に伸びて来た。
着替えの途中で無防備になっていた素肌に和真の指先が触れる。

「…っ」

そこは、もう薄くなって目立たなくなったとはいえ、來希に噛まれたところだ。傷跡は薄くなったが、傷跡というのは触れられれば敏感に反応してしまう場所だ。
微かに肩を跳ねさせた俺に和真が口を開く。

「俺の目の前で安心して着替えてくれるのは嬉しいけど、俺もお前のことが好きだってことは忘れないでくれよ」

「え…」

普段よりも静かで深くなった声音が、近付いて来た和真の顔が、一瞬大人びて見え。さらりと頬を掠めた水色の髪が、数秒俺の思考を停止させた。

「カズ…っ!?」

ふっと首筋にかかった吐息が、敏感になっていた肌の上を滑り、ちくりとした小さな痛みをもたらす。至近距離で交わった視線が、何かを堪えるように瞬く。

「あんまり他の男に痕をつけられんなよ。俺だって自分が何をするか分からねぇんだからな」

その姿は初めて見る、和真の一面。俺は何故か反射的に動くことが出来なかった。普段の気安い感じの和真とは異なる雰囲気にそれを冗談とも笑い飛ばすことも出来なかった。

「悪いけど、後は自分で選んでくれ」

「あ、あぁ…」

完全に押され気味であった俺の腕を離すと和真は俺に背を向ける。

「絶交はされたくねぇから、ちょっと頭冷やして来る。決まったらリビングに戻って来てくれ」

「お、…おぅ」

そう言って寝室を出て行った和真の足音が聞こえなくなるまでその場で固まっていた俺は、静かになった寝室で思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「なんだよ!あれ!」

和真なのに、和真じゃなかった。なんと表現していいのかわからない顔に、完全に圧倒されていた自分に、遅れてやって来たどくどくと早鐘を打つ鼓動。すべてが理解の範疇を越えていて、感情が混乱する。ただひたすら今は顔が熱い。

「やばい…、でも、なにがやばいのかもわかんねぇ」

何が何だか、それすらも分からない。

「落ち着け、俺」

どくどくと早鐘を打つ右胸に手をあて、深呼吸を繰り返す。
そこで今更ながら自分が着替えの途中で上半身裸であったことを思い出す。

「服!」

服を着るべきだと、そこでやっと冷静な思考が生まれて、ベッドの上に並べられていたTシャツを手に取る。そして、それら全てが和真の私服であるということに、ここでやっと思い至った。

「…っ、な、なんだよ。だから、なんだってんだよ」

和真の服を借りるのはこれが初めてではない。むしろ最初から借りる気満々でいた俺は胸の内に生じた動揺を抑え込むように一人呟く。

頭からTシャツを被って、その大きさに和真の姿を思い出す。

「くそっ…」

もはやのんきに服を選んでいられる精神状態ではない。
同時に首元に触れた感触も思い起こされてしまい、カッと頬に熱が上がる。和真に触れられた首筋に手をやり、姿見で自分の姿を確認してみればそこに薄く赤い痕が付いている。

「あいつ…!」

せっかく目立たなくなった噛み痕が今度は赤い華になっている。勝手につけられた痕に腹は立ったが、來希に噛まれた時ほど感じた苛立ちはない。それは何故か…。
痕を付ける前に和真が告げた台詞のせいか。俺を好きだと言った和真の言葉に嘘は感じられなかった。

「だからっ、俺にどうしろって言うんだよ!」

応えるつもりはない。和真も俺に返事を求めて来ているわけでもない。
この学園に来てからというもの俺には難題が多すぎる。
一発殴って全て解決できる問題が恋しくなってきた。これはもう絶対、中間考査が終わったら、黒騎のアカとしてひと暴れしてやる。黒騎の連中に文句を言われようが、全て黒騎の総長カズのせいだ。

「そうだ。何で俺だけがこんなに悩まなくちゃいけねぇんだ」

和真には単刀直入、断りの言葉を返して、その顔を一発殴ってやる。
それでこの痕のことはチャラにしてやる。それでいこう。それがいい。

「よし、そうしよう」

シンプルな解決策が浮かべば、気持ちの切り替えも早い。
それが俺の長所であり、短所でもあった。もっとも本人は長所だとしか思っていないが、ここにとある人物がいれば、それは脳筋の発想だと言っただろうが残念ながらこの場にそういう突っ込みを入れる人物はいなかった。




服選びを終えて寝室から出た俺に声がかかる。

「さっきはいきなり悪かった、ヒサ」

「カズ…」

俺が寝室から出て来るのを待っていたのか、リビングに戻って来いと言った張本人はリビングの手前にある廊下の前に立っていた。

「殴ってもいいぜ」

殴られるくらいのことをした自覚があるのか和真はそう言って俺を見る。
しかし、逆にそう言われると不思議と殴る気も失せてくる。
俺は一つ大きく息を吐き、和真に向き合う。

「言われるまでもなく殴ってやろうと思ったけど、もういい」

俺は自ら和真のいるリビングの方に足を進める。

「ヒサ…」

「代わりに黒騎のアカとして満足できる獲物を用意しておけよ」

もし用意が出来なかったら、その時こそ俺の相手をお前にしてもらうからな。

「黒騎の総長を仲間の前で俺がぼこぼこにしてやる」

「は…っ、そりゃぁ大変だ」

リビングに入る前に廊下に立つ和真の腕を軽く叩いて、俺はリビングに戻った。
だから背後で和真が安堵した様に吐息をもらし、張っていた気を緩めたのを俺は知らない。



そして、先に和真に謝られてしまい、俺は自分のプランを実行する事が出来なかった。和真の態度もいつも通りに戻っていて、自分から話を蒸し返すのにも何だか抵抗があり。その夜は少しリビングで和真と雑談をしてから俺は自分の部屋へと帰ったのだった。


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