02


一番最後にイチゴのシャーベットとムースを食べ、スプーンを置けば藤峰先輩も御馳走様でしたと言って、スプーンを置く。
食事中はそれほど会話も無く、この料理は美味しいとか、このサラダは単品でも食堂で注文出来るとか、料理についてちょっとしたことは話していたが、お互い余計な事は言わずに食事を楽しめた。それも藤峰先輩が醸し出す穏やかな空気のせいかもしれない。

「先輩?それは…?」

そして、空になった食器類をどうするのかと思えば、ソファから立ち上がった藤峰先輩が風紀室の片隅に寄せて止められていた銀色のワゴンを応接室の方へと押してくる。

「あとで食堂の関係者が回収に来ることになっているんだ」

空になった皿をワゴンに乗せ始めた藤峰先輩を手伝い、俺も自分で使った皿などをワゴンに乗せていく。
応接室のテーブルに並べてあったもの全てをワゴンに乗せ終えた藤峰先輩はそのワゴンを風紀室の扉の近くまで押して行くと、ワゴンを扉の横で止めた。そして応接室に戻って来る前に副委員長の執務机に寄って、応接室へと戻って来る。

「糸井。これにサインしておいてくれ」

そう言って差し出されたのは生徒会発行印が押された交遊券という、名刺サイズのカードであった。名前を記入する欄が二つあり、片側には既に綺麗な筆跡で藤峰 誠士郎と手書きで名前が書かれていた。カードと一緒に差し出されたペンを受け取りつつ、俺は藤峰先輩を見る。

「随分と手が込んでるんですね」

あんなふざけた歓迎会に。やや非難交じりの声になってしまったのは仕方が無いだろう。俺だって危ない目にあったのだ。
藤峰先輩も新入生歓迎会の内情を知ってか、苦い表情を浮かべる。

「あれはな…。今となっては忌むべき悪習とも言えるが、昔は違ったものだったらしい」

「そうなんですか?」

俺はカードをテーブルの上に置いて、自分の名前を先輩の隣の欄に記入していく。
対面のソファに再度腰を下ろした藤峰先輩は新入生歓迎会の本来の役割を教えてくれた。

「誰でも考えれば分かる事だ。全校生徒を相手に逃げ切るのは至難の業だ」

そこで、本来ならば鬼として逃げる役目を負わされた生徒にも味方が付くはずであった。たとえそれが外部からの新入生であろうと、同じ学園に通うことになった以上は同じ仲間である。鬼を追う側も、逃げる側も、共に誰かと協力して動く。そこに絆が生まれる。それが本来の新入生歓迎会だったのだ。

褒賞として用意されていた三ヶ月食堂無料利用券は別として、生徒会役員との交遊券は何も一対一と限られた話じゃない。役員一人に対して、指名する側の人数制限など無いのだから。

「それってつまり、俺がここにカズとかコウタも連れて来て良かったってことですか?」

「あぁ、そうだ。指名された俺は一人でも、糸井は友人を連れて来ても構わなかったということだ」

そうしたら、その人数分料理を頼めば良いだけの話だからな。
考えもしなかった。思い込みとは恐ろしい。てっきり一対一の食事会だと思っていた。でも、そう考えると…。

「俺に協力した人間で、俺とは友達じゃなくても、藤峰先輩と一緒にご飯を食べたいって奴がいた場合も、一緒に飯が食えたってことですか?」

それが新入生歓迎会の本当のご褒美か。
共に助け合った者同士、話し合いも出来れば、指名する役員を誰にするか、協力し合った者みんなで決めることが出来る。ちゃんと協力者達にもその恩恵はいくようになっていたのか。

「そうだな。糸井は木下達と協力して逃げ切れたんだろう」

「まぁ…そう、かも?」

名前を記入したカードを藤峰先輩に返しながら、俺は曖昧に頷いておく。
カズ達黒騎に助けられた部分もあるかもしれないが、後は春日先輩や遊士に助けられた部分もある。それを知らない藤峰先輩はやはりそうかと安堵の息を吐いて言う。

なにも学園を挙げての虐めとかじゃなかったのかと、俺も真実を知って安心する。

「一般生徒には伝えていないが、今回の歓迎会の中でも複数名、暴力行為等で風紀で拘束した者達もいる。大半は誰かの親衛隊に唆されたか、春日先輩関係だったが」

「あ!そうだ。先輩。俺、そのことで先輩に聞きたい事があるんです」

ちょうど藤峰先輩の口から出てきた名前に反応して、俺はついでとばかりに質問を口にした。藤峰先輩は何だ?と、ちゃんと聞く態勢も取ってくれる。

「俺、その春日先輩と食事する約束があるんですけど。春日先輩がどんな人か知らなくて。教えて下さい」

何故だか藤峰先輩相手だと俺も素直に教えをこえる。不思議だ。

「あぁ…そういえば。糸井は春日先輩から指名を受けていたな」

なるほどと、一つ頷いた藤峰先輩は自分が知る範囲ではと前置きをしてから言う。

「春日先輩は天才だ」

「天才、ですか?」

恨みを買う、天才とか?

訝しむ様な声で繰り返した俺に藤峰先輩は言いたい事は分かるがと、苦笑して話を続ける。

「たしかに多方面から恨みを買ってはいるが、あの人は間違いなく彩王学園始まって以来の天才だ」

「へぇ…。そうなんですか」

とりあえず、凄い人なんだとは思って相槌を打つ。

「春日先輩は彩王学園の中等部から入学して来た帰国子女で、それまでは海外で生活していたらしい」

それを示すかのように語学が堪能で、何ヶ国語も話せる。頭の回転も速く、本当なら日本の学校に通う必要すらないと言われている。外国の大学を飛び級で卒業できる頭脳の持ち主だ。

「でも、それならますます何で?そんな頭の良い人が、あんな色んな人から恨みを買ってるんだ?」

思わず素の言葉遣いで呟く。
頭が良い人なら、恨みを買うような言動は避けるだろうと思ってつい口に出していた。
けれども藤峰先輩は気にした様子もなく、俺の疑問に答えてくれる。

「それはたぶん主観の違いだな。春日先輩が良かれと思ってしたことが、他の人間には理解出来なかったり。逆に頭が良い分、春日先輩には通じなかったりするんだろう」

よくある例が、数式を見せられて、パッと答えが分かる人間と分からない人間。
瞬時に答えが分かる人間は、分からない人間が何故分からないのか理解できない。瞬時に答えが分からない人間からすれば、直ぐに答えが分かる人間こそ、何故分からないのか分かってくれないんだと理不尽に感じる。そうしてお互い譲らずにぶつかり合う。その平行線のまま…、春日先輩も言葉を尽くすようなタイプではないから、余計な敵を生んでいるんだろう。

「ふぅん…」

そう言われれば春日先輩はちゃんと最後に俺が信じるかどうかは俺次第だと、選択権を投げて寄越して来ていたな。

「そう心配しなくても平気だと思うぞ。あの人は悪い人じゃない」

結構なサボり癖があって、風紀とはエンカウントすることも多いが、校内に流れている噂のほとんどは本当に噂であって、真実じゃない。

「人の恋人を奪ったとかも?」

「良くある話だな。おおかた春日先輩に一目ぼれした恋人に振られた男の恨み言だろう」

それはあるかも。春日先輩は三年生だけあって、がっしりとした男らしい体躯に、長身。俺だってすっぽりと抱き締められてしまうぐらい、いや、俺は小さくない。まだまだ成長途中だ。春日先輩の髪は染めているのだろう、紫色だった。あと、何と言っても…ぞくりと腰に響く甘さの混じった低いバリトンの声。あの声だけで、俺だってぞわぞわとさせられた。

「…大変そうですね」

春日先輩に背後から抱きすくめられた時の事を思い出して深く納得する。

「だが、今のところ春日先輩に特定の恋人が出来たという話は聞かないな」

「そうですか」

「他に何か心配事や聞いておきたい事があるなら言ってくれ」

糸井は外部からの新入生だし、入学早々大変なイベントに巻き込まれているようだからな。何かあれば、俺も出来る範囲で助力しよう。

藤峰先輩はそう言うと、食後のお茶まで用意してくれて、何と出来た良い先輩なのだろうと改めて感じた。俺は有難くお茶に手を伸ばし、先輩の言葉に甘えて次の質問を口にした。

「先輩は冷泉先輩とゆ…、志摩先輩と幼馴染だって言ってましたよね?」

「あぁ。久嗣と遊士、俺達三人は幼馴染だ」

何故かあまり知られていないが。

それは、この間のやり取りを見る限り遊士が一方的に冷泉先輩と距離を取っているからでは?と俺は思ったが、三人には三人の関係があるのだろうと口には出さない。

「糸井。呼びにくかったら無理に変えなくてもいいぞ。この場には俺とお前しかいない」

「…何のことですか?」

「まぁ俺はどちらでも構わないが。久嗣も遊士もお前に迷惑をかけているだろ。すまないな」

「いえ、それは先輩に謝ってもらうことじゃないんで!」

俺は慌てて、頭も下げそうな雰囲気の藤峰先輩を制止する。それよりも俺はその二人について教えて欲しいと、言葉を繋いで会話を続ける。

「そうだな。久嗣はあの通り、自分の興味ある事には熱中するが、本当にどうでもいいと思った事には梃子でも動かない。極端なやつなんだ」

「それで何故、俺は珍獣なんですか?」

冷泉先輩は俺の事を珍獣と呼んではペット宜しく、何処かに閉じ込めて飼おうとする変人だ。俺は愛玩動物でも無けりゃ、れっきとした人間だ。
俺の質問に藤峰先輩は僅かに間を空けた後、言い難そうに口を開く。

「気を悪くしないで聞いてくれ。――久嗣はああ見えて、子供の頃から、自分より小さくてちょこまかと元気に動き回るものが好きなんだ。確か冷泉家では猫を二匹飼っている」

「……やっぱり、ペット扱いなんじゃねぇか!」

言い方は遠回しに言ってくれているようだが、どう聞いてもそうとしか捉えられない。
ソファから立ち上がって抗議の声を上げれば、藤峰先輩は落ち着けと俺に右手を突き出し、掌を向けてくる。

「久嗣に関しては俺の方でもなるべく抑えておくようにする」

「ほんっとうに!お願いしますよ」

付け足された言葉に俺は念を押すように返し、再びソファに腰を落とす。

「糸井も自衛だけはしておいてくれ。久嗣に餌付けされないようにな」

それと絶対に久嗣の部屋には入らないように。そこまで来たら俺でも責任は取れないかもしれない。
深刻そうに告げられて俺も神妙な表情で頷く。

「入らねぇ以前に絶対に近付かねぇし」

ぼそっと吐いた悪態が聞こえてしまったのか、正面から強い視線を受ける。

「何か?」

「いや…。俺からも一つ聞いて良いか」

藤峰先輩は少し考えた後、俺と真っ直ぐに視線を合わせてそう聞いてきた。とはいえ、俺には藤峰先輩から質問をされるような話は思い浮かばない。普通に首を傾げて聞き返した。

「何ですか?」

「糸井は遊士と知り合いだったのか?」

「は?何を…、何処をどう見たらそう見えます?」

問われた内容にこそ、聞き返したい。俺と遊士が知り合い?何で?遊士とは俺が学園に入学する前に一度、それこそ喧嘩の時に少し顔を合わせた程度で、俺と遊士は知り合いでも無ければ敵同士だ。

不可解な認識に俺が眉を寄せれば、藤峰先輩はさらに驚くような発言をする。

「違うのか?二人とも砕けた調子で話をしていたし、喧嘩の腕をみても遊士のチームの人間かと考えたんだが」

「だっ、誰が!アイツのチームに入るか!俺は蒼天の――っ、じゃない!俺はアイツに歓迎会で鬼にされた人間ですよ!」

それこそ主観の違いってやつですよと、俺は捲くし立てて、何とかぽろっと零してしまった己の失言を別の言葉で誤魔化す。

「そんなことより、藤峰先輩もアイツのチームのこと知ってるんですね」

「――あぁ。紅蓮という名は代々彩王学園の生徒会が継いできた別名だからな」

この学園の中でその名を知らないものはいないと思うぞ。
そう言い切られて目を見開く。

「え、マジか…」

初耳なんだけど。ここがたまたま紅蓮のアジトだったわけではなく、この学園自体が紅蓮を生んだ魔の巣窟だったのか。

驚きを隠せない俺の様子をどうとったのか、藤峰先輩はでも、そうか、違うのかと一人何やら呟くと話を最初の質問に戻してきた。

「俺が見た限り、遊士が珍しく感情も露わに糸井を構っていたから知り合いだと判断したんだがな」

「アイツは俺で遊んでるだけですよ」

そう遊士はきっと俺で遊んでいるだけだ。自分だけの玩具に手を出されるのが嫌で、あの時も俺を助けてくれたのだ。遊士から向けられた真摯な眼差しと、投げられた想いを誤魔化すように、そう思い込もうとして俺は先輩からお茶に視線を落とす。

「その割には糸井も遊士には気安い感じで接しているように思えたが…あれも俺の見間違いか」

「へ…?」

「まぁ、糸井の言い分も分かる。遊士の場合は思ったら即行動で、短気な部分もある。だが、久嗣同様そう嫌わないでやってくれ。二人とも一応、俺の大事な幼馴染だ」

何か二人がまた糸井に迷惑をかけたら遠慮なく、俺に連絡してくれ。きつく叱っておくからと、藤峰先輩は二人の幼馴染の話についてそう締めくくった。






俺はその後も少し藤峰先輩と雑談を交わしてから風紀室を後にした。

「嫌わないでやってくれって、言われても…」

冷泉先輩に関しては今の所、実害は被っていないので、遭遇したくはないが、嫌いだと言って突っぱねるほどではない。そこまではまだ至っていない。
ただ、遊士に関しては正直微妙な所で。俺は何と言っていいのか分からない感情を胸に抱えたまま、もやもやとしていた。

「はぁ…。こんなの俺らしくないだろ」

気分を晴らす為にもひと暴れしたい。

とぼとぼと危険思考に片足を突っ込みながら、階下に降りる為にエレベータの前まで廊下を歩く。ボタンを押して、エレベータの到着を待つ。
下から上がってきたエレベータがポーンと軽快な音を立て、到着を告げた。ゆっくりと開いたエレベータに乗り込もうとして、

「げっ!?」

その足が止まった。

「あっ!糸井 久弥じゃん!」

「おや?何故ここに」

「…掃除屋の副委員長と食事会では?」

吉野 昇と鳥羽 幹久。真鍋 京成と…。

「へぇ、よくよく縁があるな。なぁ、似非優等生?」

志摩 遊士が、面白そうに口端を吊り上げて笑った。

生徒会役員、またの名をチーム紅蓮の御一行様が揃ってエレベータから降りてきた。




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