01

 
無事と言い切るには少しどころか、多分に不安の残った新入生歓迎会を何とか乗り越えた俺は今、次なる敵へと備えつつ束の間の休息を堪能していた。

「はぁ…。やっと平穏な時間が俺にもやってきたぜ」

今日も今日とて購買で買ってきたパンに齧りつきながらそう呟けば、こちらも同じく購買で買ってきた弁当をつついている和真が俺に可哀想な者を見る目を向けてきた。
ちなみに俺達が今いるのは視聴覚室だ。

「ヒサ。喜んでるとこ悪ぃが、たぶん一時的なことだと思うぞ」

「っすよね。久弥さんには悪いすっけど、俺もカズと同意見です」

和真に続くように、何故かクラスも違うのに当たり前の様に合流して来て一緒に昼飯を食べ始めた孝太が言う。

「中間考査が近いからなぁ。奴らもそこまで馬鹿じゃないってことだ」

「うんうん。ただし、それが終わればまた…」

ふつりと途中で言葉を切って沈黙した二人に向かって俺は、口の中のものを呑み込んでから、じとりと二人を見据えて言う。

「何でお前らは俺の平穏を崩すようなこと言うんだよ!」

少しぐらい現実逃避をしたって許されるだろ。俺だって言われなくても、分かってるんだよ。
むすっとした顔でコロッケパンに齧りつく。

「お前らは俺の味方だと思ってたのに」

裏切者!と大げさに言ってやれば、和真は苦笑しつつ、孝太は慌て出す。

「そんなわけねぇだろぉ。ほら、俺の唐揚げ一つやるから」

「そ、そうっすよ!俺とカズは久弥さんの事を心配して…」

俺は和真から差し出された唐揚げを一つ奪い、孝太をじっと見つめる。

「うっ…。そんなに見つめられると俺やばいっす」

「ヒサ。コウタは後で俺がシメとくから、本題に入ろうぜ」

和真から伸ばされた手が俺の視界を塞ぐ。
なんだよ、睨み付けるのも駄目なのかよ。
塞がれた視界の中、和真は孝太から、孝太が購買で昼飯と一緒に買ってきていたゼリーを一つ奪うと俺の前に置く。

「あ、おいっ!カズ!」

「裏切者にされたくなかったら、大人しく献上しておけ」

孝太と和真のそんなやりとりがあって、俺が目隠しを外された時には俺の所にグレープのゼリーとプラスチック製のスプーンが置かれていた。
会話から察するにこれは孝太の物だろう。俺はちらりと孝太の顔を見て聞く。

「いいのか、貰っても?」

「は、はい!もちろんです」

もう一つピーチもありますからと、孝太は快く返事をしたが、俺は次に和真に視線を流した。

「強制して貰っても嬉しくないぞ」

「強制なんてしてないって。それは孝太の気持ちだ。なぁ?」

「はい。俺は久弥さんになら、何だってあげますよ。味方ですから!」

「おぉ…そうか。ありがとな…?」

力強く味方だと宣言してくる孝太に、逆に何だってくれるという孝太に戸惑いつつも俺は頷き返しておいた。半ば冗談で口にした裏切者にこんな反応を返されるとは、思いもよらなかった。
ストローを刺した紙パックを手に取りつつ、和真の言う本題へと話を振る。

「それで今夜、藤峰先輩と夕飯を食べる約束をしたんだけど、何か注意した方がいい事ってあるか?」

今朝、連絡が取れる様にと交換しておいたアドレスに藤峰先輩からメールが届いていたのだ。今日の夕飯を一緒にとれないかと。新入生歓迎会の褒賞として与えられた特権。生徒会役員を一人指名しての食事会。俺は生徒会役員の誰かではなく、同等の権力を与えられている組織、風紀委員会副委員長の藤峰先輩を指名していたのだ。そして、日時については、何時でもいい俺と忙しそうな藤峰先輩では、先輩に決めてもらった方がいいだろうと思って、セッティング全てを藤峰先輩に丸投げしていたのだ。

俺の問いかけに和真と孝太は特に顔色を変えることもなく、揃って口を開く。

「藤峰先輩はなぁ…まぁ、大丈夫だろ」

「学園の中では、掃除屋としても常識を弁えた人かと」

「ふぅん。二人から見てもそう見えるのか。なら、大丈夫かな」

そう考えて俺も藤峰先輩を指名したわけだが。じゃなきゃ、ただの食事会で終わる気がしない。それに紅蓮の総長こと生徒会長の志摩 遊士のことや、掃除屋冷泉先輩について話を聞くいいチャンスなのかもしれない。あと、謎の多い春日先輩のことについても。
春日先輩は連絡先を交換したものの、まだ何も連絡が来ていない。何もないという事はないと思うのだが。

何故なら、この食事会をしないという選択肢は選べないのだ。
授業の一環としてカウントされた新入生歓迎会は単位が付く。イコール当然そこには授業料が掛かっている。この話は全て褒賞とされていた食堂にも通達されており、そこで食事会についてもチェックが入る様になっていると生徒会副会長である鳥羽 幹久から口頭で説明された。サボりやズルは許されないのだ。

「それじゃ、今夜は気楽に風紀室に行けばいいか」

藤峰先輩は俺の立場を考慮してか、他の生徒達の目に触れぬよう、風紀室を食事会の会場として用意してくれたようであった。
その気遣いの点から見ても藤峰先輩は、断トツで俺の中では良い先輩としてランキングされていた。

「うん。まぁ、二人きりでも…」

ちらりと和真の視線が俺の顔の上を滑っていく。

「なんだよ?藤峰先輩と二人きりだと何か問題があるのか?」

俺は俺を珍獣と呼んで飼いたがる冷泉先輩よりはるかに安心だと思っているのだが。カズは違うのか?煮えきらない様子のカズに視線を返す。

「まぁまぁ、カズ。それより俺は食事会の事より橘の方が心配です。久弥さん、あれから大丈夫なんすか?橘に手を出されたりは?」

橘と言われて、一瞬誰の事か浮かばずに素で首を傾げた。すると和真が呆れた様な顔を隠さず、俺の額を指先で小突く。

「何でそこで首を傾げるかなぁ。橘って言ったら、來希だ。ライキ」

「あぁっ!そういや、そんな名字だったな」

橘 來希。俺が使ったのは数回だけで、もはや俺の中では來希は來希になった。アイツは呼び捨てで十分。ムカつく危険人物であり、俺のルームメイト。
アイツに付けられた噛み跡もだいぶ薄くなり、もう鏡を見ても気にならなくなってきていた。

「う〜ん、今の所は…まぁ大丈夫だろ」

來希とは新入生歓迎会の後、寮の部屋で会った。不覚にも新歓の途中で伊達眼鏡を失くし、なんとか和真の仲間である黒騎の人に変わりになる眼鏡を貸して貰って新歓を終えたが。寮の自室に戻ってからはその眼鏡も外していた。やはり借り物の眼鏡では疲れるし、しっくりこなかったのだ。
伊達眼鏡の供給先でもある本庄先生の所には和真と孝太が話をつけに行ってくれるというので俺は一足先に、身体を休める為にも寮の自室へと帰った。

眼鏡を共用のリビングのテーブルの上に置き、流石に少し疲れたなとソファに身を沈めていた所に來希が帰って来たのだ。今まで何処にいたのやら。
來希はソファに身を沈めた俺を見て、口端を吊り上げた。

「一応無事そうだな」

「余計なお世話だ」

その時一瞬、來希の真剣な表情とあの台詞を思い出してむっとしたものの、親衛隊達の魔の手から逃げ出すことが出来たのもコイツへの怒りのおかげかと思ってしまい、口先だけの攻撃に留まった。するりと全身を舐めるように滑った來希の視線が俺の顔で止まる。

「お前…」

「何だよ?」

もういい加減こいつも面倒臭いな。眼鏡を壊されたこと俺は許してねぇぞ。
來希と何度目になるか、視線を絡ませ睨み合う。來希は絡めた視線の先で面白そうに瞳を細めたが、ふと思案する様な素振りを見せると、來希にしてはまともな事を口にしてきた。

「部屋の中じゃその目に入れてるもの、とった方がいいぜ」

もちろんカラーコンタクトの事だろう。それについては俺も少し考えた事がある。何故なら…

「視力矯正じゃねぇ。色付きのものはずっと入れてると目を傷つけることになるぜ」

そうなのだ。眼鏡と違ってコンタクトレンズは直接眼球に触れる。必要な時以外は外した方がいいのだが。生憎俺が一人になれる場所は寮の個室か、トイレ、洗面所、浴室ぐらいだろう。和真達の所でなら平気かもしれないが、とにかく外せる場所は限られている。
俺は忠告をくれる來希をじろりと睨み返して突き放すように言い返す。

「何の事だか。言ってることが分からねぇな」

最後の悪あがきだと自分でも思うがそこまではまだ認めない。

「まっ、お前がそれでいいなら俺は構わねぇがな。鳴かした後でじっくり拝むのも悪くねぇ」

たしか蒼天のヒサは綺麗な蒼い瞳だったか。愉しみだと來希は笑いながら、個室へと入って行った。もはや來希には全てバレている気がしなくもなかったが、俺はまだ認めてやる気にはならなかった。

「今は平気でも油断はするなよ。アイツ、マジでお前のこと狙ってたからな」

和真は新歓での事を指して言ったが、俺はその前にあったことを思い出していた。
たしかに來希はからかいやちょっかいで手を出すレベルを超えて俺と本気で殴り合った事もある。だが、それは來希だけでなく、俺にも言えることかもしれない。

「安心しろよ、カズ。次は俺が絶対に勝つ。俺だってやられっぱなしで済ませるつもりはねぇ」

新歓前にあった戦いを思い出すと、親衛隊なんかを相手にした時より、遥かに気分が高揚してくる。
素直に認めるのは癪だが來希は強い。アイツに勝ったらさぞ気分が良い事だろう。
生き生きとした表情で強くそう宣言すれば何故か和真と孝太の二人は不安しかないといった様子で溜め息を吐いた。

「俺が心配してるのはそういう意味じゃないんだがなぁ」

「久弥さんですから。強いのは認めますが、ちょっとそれはないっすよ」

「あぁ?何だよ二人とも。俺がアイツに負けると思ってんのかよ」

ぎろりと本気で睨めば、和真は両手を降参の形に持ち上げて言う。

「いや、身ぐるみだけは剥がされないでくれよ」

「はぁ?そんなもの、逆に俺がアイツの身ぐるみを剥いでやるよ」

それで、この間のお返しに噛みついてやるのも良いかも知れない。
そう本気で考えた事はなんとなく口には出さずにおいた。和真と孝太は色々と心配性すぎるからな。
俺は最後に孝太から貰ったグレープゼリーを美味しく頂き、満足する。

「とにかくしばらくは平穏に過ごせるといいなぁ」

來希にだけは注意しておけよと和真に口煩く言われて、俺達は話を切り上げた。
そろそろ昼休みも終わりだ。午後からはまた眠たい授業だ。

「次は菊地の授業か」

「うちは数学だな」

孝太とは隣の教室の前で別れ、一年A組の教室の扉を開ければ食堂から戻って来ていた宮部達に睨まれる。だが、和真達いわく彼ら親衛隊は馬鹿な事をする割にはクラス落ちを心配してテスト期間が近くなるとその活動は自然と大人しくなるそうだ。彩王学園のテスト成績は来年のクラス替えに直接関係してくるんだそうだ。高等部から新入生として入った俺にはよく分からない制度だが、俺的には何組になろうと無事にこの学園を卒業できればそれでいい。

俺は和真と別れて自分の席に座る。
担任の菊地が来るまで、どうでも良い事を考えながら次の授業を待っていた俺は視界の端を掠めたその存在に目を見張った。

「え…?」

思わず小さく声が出た。
教室の前扉から入って来た非常に気怠そうな顔をした男子生徒。グレーの髪に色素の薄い灰色の瞳。ブレザーのボタンは全開で、ネクタイはしていない。ワイシャツのボタンも上から三つほど開いており、その下からは健康的な肌が惜しげもなく晒されている。そいつは、通称不知火(しらぬい)と言い、白火というチームに属しながらも神出鬼没の自由人でもあった。
宮部達クラスメイトもその男を見て囁き合っている。

「久しぶりに見るね」

「牙城様だ!」

「はぁ〜、今日も格好良い」

不知火こと牙城(がじょう)という名のそいつはひそひそと囁き合う声を無視して、自分の席へと向かう。そこは俺が入学してからずっと空席になっていた席であった。
ついその姿を目で追っていれば、その途中で和真と視線がぶつかる。

『前に言っただろぉが』

口パクでそう告げられ、記憶を引っ繰り返す。
そうだ、黒騎のアカとして参戦させてもらった黒騎と白火の喧嘩の時に、たしか和真が言っていた。不知火は教室にいなかった、と。
俺は前に向き直って納得する。

やはり、この学園のどこが良いところ出の坊ちゃん達の学校で、品行方正な生徒達が通う学校なのか。同じクラスに少なくとも不良が三人もいるなんて。どうかしている。
当たり前のことだが、その数には自分は含まれていなかった。
 





さて、色々と思う事はあっても時間というものは止まってはくれない。
夜になって俺は一人、私服に着替えてから寮内にある風紀室へと向かった。

また誰かしらに遭遇しやしないかと警戒したものの、エレベータでも上階の廊下でも誰にも会う事は無く、俺は無事に風紀室の扉の前に辿り着くことが出来た。
一応、礼儀として扉をノックすれば、中から扉が開けられた。

「悪いな、糸井。こっちの都合に合わせてもらって」

中に入ってくれと、扉を開けた藤峰 誠士郎に促がされて、俺は風紀室に足を踏み入れた。

「いや、先輩を指名したの俺ですし。俺は何時でも空いてますから」

「それでもこの時期だと試験勉強とかあるだろう」

風紀室内には執務机が並べられたエリアと応接室とが仕切りで区切られている。俺は応接室の方へと案内されて、そこにあるソファを見てほんの少し眉を寄せた。
そういや俺、ここのソファに転がされてた覚えがある。
厳密には校舎の方にある風紀室であったが、寮内と校舎内にある風紀室の造りはそれほど変わらないので、備品もほぼ同じもので揃えられていた。

「好きな方に座ってくれ」

それから料理については、本来なら食堂でコース料理となるが、まぁ交遊と言う名が示す通り、親睦を深める為の時間ということであるが、ここまで食堂から何往復もさせて運ばせるのも手間なんで糸井には悪いが料理は全て先に運ばせてもらった。

藤峰先輩の言う通り、応接室のテーブルの上には所狭しと銀の蓋で覆われた料理皿がいくつも並んでいた。
俺は下座となるソファに腰をおろし、藤峰先輩が対面のソファに座るのを待って口を開く。

「別に俺は全部一緒でも気にしませんよ。むしろ、食堂じゃなくて良かった」

コース料理を食べ終わるまで食堂から出られないなんて、初めて知ったし。そんなの周囲の目が気になって食事どころじゃなさそうだ。心底そう思って感謝していると藤峰先輩が苦笑を零した。

「そう言ってもらうと俺も助かる。さて、冷めないうちに食べようか」

マナーは気にせず、好きに食べてくれと藤峰先輩は俺が食べやすい様に先にナイフとフォークを手にし、さっそくステーキに手を付け始める。

「…いただきます」

だからか、俺も気負う事無くいつも通りに食事を始めることが出来た。
なんというか、藤峰先輩は頼りがいがある上に、気遣いも出来て、安心する。俺より一つ上の先輩というだけなのに、なんか温かくて良い人だなと食事会をしてそう思った。

 


[ 49 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -