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困惑を滲ませて言えば遊士はそれをはっと鼻で笑い飛ばす。
「逃がす?何を勘違いしてんだ。…逃がしたつもりはねぇよ」
「…だったら、目的は何だ?」
冷静さを取り戻し真っ直ぐに目を見て言えば遊士は獰猛さを隠さずニィと口端を吊り上げる。
「とりあえずはこれで貸し三つだ。覚えておけ」
一つは助けてもらったこと。
二つ目は今匿われたこと。
三つ目は投げて寄越された袋の中身。
「内一つはお前の呼び出しに応えることだろ?あとの二つは…?」
「追々返してもらうさ。それより早くしろ」
お前の周りを彷徨く番犬共も煩くなってきてる。
「和真と孝太が…」
「騒ぎにしたくねぇのは俺もお前も同じだろ。まぁあんな番犬共散らすのは簡単だがな」
確かに。今の現状を知られたら何となく血を見ることになりそうだ。
何が一番最適かを考えて俺は癪だったが正論を吐く遊士の言葉に従った。
借りたバスルームでジャージに着替え直し、髪もスプレーで黒色に染めていく。
もう眼鏡がないのは諦めるしかない。
「そういやこの服…」
ジャージを羽織って呟く。もしかしなくても今俺が着ているぶかぶかのTシャツは遊士の…。
「洗って返せばいいか」
脱いだズボンを簡単に畳み、バスルームを出ればリビングで遊士は寛いでいた。
がさりと音を立てた袋に遊士が振り向く。
「よぉ、似非優等生」
正体を知ってまでまだ言うか。
俺は反論の言葉を飲み込み、スプレー缶の入った袋とスボンを持ち上げて訊いた。
「これは?」
「その辺に適当に置いとけ」
その辺と言われると困るんだが。とりあえず一人がけのソファの上に置くことにした。
「じゃぁ…」
それから奇妙なぐらいあっさりと俺は遊士の部屋を後にした。
何だか胸がざわざわとして落ち着かない。
それは敵だと思っていた奴に助けられたからか。
それとも…。
「………」
部屋に一人残った遊士はソファから立ち上がると寝室に行き、ナイトテーブルの引き出しを開ける。
「ヒサの奴、気付かなかったな」
中から歓迎会用に用意された鬼を示す赤い布を取り出し、クツリと笑う。
「貸し…四つだ」
これでもうお前は俺から逃げられねぇ。
面白くなりそうだと遊士は愉快げに喉の奥で笑った。
何とか人に見つかることなく寮を出た俺は原点に戻ろうと中庭を目指す。
途中、運悪く遭遇した連中は容赦無く倒したり、撒いたりして中庭へと足を踏み入れた。
歓迎会が終わるまでもう絶対に油断はしねぇ。
一度草むらの中へ身を隠し、なるべく音を立てぬよう周囲を窺う。周りに人が居ないことを確認してから中庭で一番背の高い木の下へ走った。
そして、木に登ろうと上を見上げて間抜けな声が零れた。
「へ…?」
「あ?」
そこに思わぬ先客がいた。気だるげに木の幹に背を預けた先客は俺に気付くと軽く目を見張り、直ぐにまた面倒臭そうな表情に戻った。
「また会ったな、糸井」
「春日先輩…」
何でここに、と俺は先輩を見上げたまま首を傾げる。
「ここなら誰にも気付かれねぇんだろ。朝、お前がそれを実証してた」
「見てたんですか?」
まったくそんな素振りは見受けられなかったし、果たしてあの教室からここが見えただろうか?
「視線を感じた」
「視線って…」
それだけで分かるものか?
春日先輩への疑問が増えていく。
「糸井」
しかし、その思考を遮るように艶を帯びた低い声で名前を呼ばれる。
「校舎から追っ手が掛かってるぞ」
「えっ!」
慌てて振り向けば校舎から出て来ようとしている生徒の姿がちらほらと見えた。
「それから、黒いのが庭園でお前を捜してる」
「黒いの?」
この言葉を信じる信じないはお前次第だと、春日先輩は話を畳んでしまいそれきり俺からも視線を外した。
「…ありがとうございます」
不思議と俺は謎のありすぎる春日先輩を信じてみようと思った。それは部室棟への警告があったせいかも知れない。
何故先輩が俺に親切にしてくれるのかは分からないけれど、嘘は言ってないそんな気がした。
校舎から出て来る生徒達に気付かれる前に木の下から身を翻す。
黒いの…黒騎が俺を捜しているという庭園へと向け、人目を避けて俺は走った。
「くそっ」
庭園へと近付けば悪態を吐く声と、複数の人の気配がする。
「落ち着け、カズ」
「落ち着いてられるか!こんだけ捜しても何処にも居ねぇのはおかしすぎるだろ!」
殺気染みた気配を垂れ流す和真をどうやら孝太が宥めているようだ。
その様子を目にして自分がどれだけ心配をかけていたのか今さら実感してちくりと胸が痛んだ。
「和真…」
背を向けていた和真に静かに駆け寄る。声に反応するより前に気配に気付いた和真が振り向いた。
苛立ちを孕んでいた目が見開かれる。
「久弥!お前、今まで何処に…!」
「ぅわっ!?」
「久弥さん!」
和真に駆け寄った瞬間、俺は真っ直ぐに伸ばされた手に捕らわれ、強い力で体を浚われた。
「何処も何ともないか?無事だな?」
すっぽりと和真の腕の中に抱き込まれ、矢継ぎ早に訊かれる。
「ちょっ、離せって!俺は大丈夫だから!」
確認の為か腰に片腕を回されたままもう一方の手で頭を撫でられ、後頭部を辿って下りてきた手が背中をなぞり尻へと触れてくる。
「っ、おい!マジではなっ…」
「あぁ。無事だな」
尻から離れた手が腰を抱く腕に重なり、俺の頭上でほっと安堵の息が溢された。
じくじくと良心は痛むが俺に男と抱き合ってる趣味はない。
「〜っ、いつまで抱きしめてんだてめぇは!他にもっと確認の仕方があるだろ!」
と、軽く和真の足を蹴ってやった。
「―っ、容赦ねぇなぁ」
微かに足に走った痛みに顔をしかめ和真は離れる。
「いつまでも久弥さんを抱き締めてるからだろ。まったく自分だけ…、狡いぞカズ」
恨みがましく和真を見た孝太に和真はお前も出来るならやればいいだろうと言い返す。
途端に何を想像したのか孝太は赤く頬を染めた。
「やっ、やっぱ良い。何か畏れ多くなってきた…」
「……?」
何が畏れ多いのか知らんが、張り詰めていた雰囲気が今のやりとりで解けたことに俺は肩から力を抜いた。
そしてこれだけは言っておかなければと二人に向き合う。
「心配かけて悪かった」
「いや、お前が無事なら問題無い」
「そうッス。ここにチップが落ちてた時には驚きましたが」
「チップ?…あっ!」
何かあった時の為に二人から持たされていたGPS機能付きのチップだ。
俺が一定時間同じ場所にいたら駆け付けてくれるという…。
「って、待て。チップが落ちてた?」
「ん?あぁ。そこの噴水の近くに。だからお前に何かあったんじゃねぇかと思ってな。なぁ、孝太?」
「あぁ。この場からずっと動かないからおかしいと思って」
「………っ」
これは…。セーフなのか?
もし落としていなかったら今頃寮内では戦争が始まっていたかもしれない。
気付かぬ内に自分は何てぎりぎりのラインの上を渡っていたのだろうか。
「ところで、眼鏡とそのチップを挟んでた布はどうしたぁ?」
「あ?あー、眼鏡はやむを得ない事情でどこかに置き去りに。布はちゃんと腕に…って、無い!?あれ?俺どうして…」
まさか誰かに盗られた?
いやいやそれはない。
親衛隊に襲われた時もちゃんと回収して、ここに来た時もまだ手に持ってた。
その後意識を失ったけどちゃんと…ちゃんと?持ってない。
俺が目を覚ました時には着替えさせられてて。布はもう何処にも無かった。
「………」
段々と険しくなっていく表情に和真と孝太は顔を見合わせる。
「久弥?」
辿り着きたくない、外れて欲しい結論に辿り着き、俺はそれを否定するように頭を振って唸るような声を出した。
「………無くしたかも」
「えっ!マジですか?」
「久弥…無くすって、歓迎会始まって以来たぶん初めてだぞ」
「う、うるさい!無くしちまったもんは仕方ねぇだろ」
でも誰かに拾われてると厄介だな。仲間に探させとくか、と総長の顔を見せた和真は直ぐに新たな指示を出す。
それで無事見つかれば嬉しいが、俺は見つからないんじゃないかと半ば嫌な予感を感じていた。
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