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ほっと安堵の息を吐いたのも束の間。
俺を逃がさぬ為かベッドの端に腰を下ろした遊士は表情を引き締めると真っ直ぐに俺の目を射抜く。

「それで…」

さすが学園でもチームでも頭を張るだけある。視線だけで気圧されそうになって、それを堪えて俺も遊士を見返した。

こんなにも素に近い状態で視線を交えたのは初めて対峙したあの夜以来か。
向けられる強い眼差しにざわりと胸が騒いだ。

「なんで変装なんかした?そこまでして俺から逃げたかったのか」

「さっきから意味わかんねぇんだけど、いつ俺がアンタから逃げたっていうんだ」

面倒事を避けた覚えはあるが俺に逃げた覚えはない。

「だったらその手の込んだ変装は何だ」

「これは…俺が自由を取り返す為のものだ」

望むのは平穏な学園生活。無事切り抜けなければ俺の卒業後の自由がどうなるかしれない。

きっぱりと言い切れば遊士は端整な顔を奇妙そうに歪めた。

何だよ。俺は可笑しなことは何も言ってねぇぞ。

「理解力はあるようだが説明になってねぇ。分かるように言え」

「はぁ?てか、こうなったのもそもそもお前が悪いんじゃねぇか」

思い出してむかむかしてきた。
意味が分からないと見返す遊士を力の限り睨みつける。

「お前とやりあったあの夜。親にバレたんだよ。夜遊びして喧嘩してたこと」

「鈍くせぇな」

「誰のせいだと!」

「自分だろ。それでどうした」

さらっと流されて苛立ちが増す。

「っ、入る予定も無かった此処へ放り込まれた。良い所出の坊っちゃんが通う学校で更正してこいってな」

現実はまったく違ったみてぇだけどな、と嫌みを付け足して言ってやった。にも関わらず遊士は俺の最後の台詞を綺麗に無視しやがった。

「なるほど。お前のあの馬鹿みたいな優等生振りの謎が解けたぜ」

次いでに変装の理由もそこからかと、高い理解力を発揮して遊士は頷いた。

「馬鹿みたいって、真面目な優等生振りだったろ」

「どうだか。他の奴等は知らねぇが俺から見たらお前は優等生って割りに目が好戦的過ぎたな」

「しょうがねぇだろ。お前を前にすんと勝手にそうなっちまうんだ」

「へぇ…」

って、なに敵と和んでんだ俺。

慌て始めた俺に対し遊士はゆるりと余裕の表情で口端を吊り上げる。
俺の第六感ともいうべき感覚がぞわりと嫌な予感をもたらした。

ベッドから腰を上げた遊士はベッド脇に備え付けられていたナイトテーブルの前に立つとその引き出しを開ける。
引き出しの中に入っていた何かを取り出し、俺に見せるように手の中の物を翻した。

「見覚え…あるな?」

「俺の携帯!」

パチリと俺のいる目の前で勝手に人の携帯を弄り始めた遊士に俺は急いでベッドから降りて、携帯を取り返そうと手を伸ばす。

「返せ!」

「…もういいぜ」

ぽんと意外と簡単に手の中に戻ってきた携帯に俺は疑わしげな眼差しを遊士に向けた。
その先で遊士がニヤリと笑う。

「俺が呼び出したら必ず来い」

「ふざけ…」

「助けてやった恩を忘れたのか」

「ぐっ…」

そこを突かれると痛い。
怯んだ俺に遊士は畳み掛けるように言う。

「はっ、優等生って奴は恩を返さねぇのか」

「ンなわけ…返しゃいいんだろ!」

「変装のことは黙っててやる」

それは平穏な学園生活を送る上で必須事項だ。けれども。

「は?なんで」

遊士には黙ってる必要もないことだ。そもそも俺達は敵同士。見つかった時点で紅蓮の前へ引きずり出されてもおかしくはない関係…だったはずだ。

「鈍いな」

「は…?」

真剣な話をしている最中に何故そんな盛大なため息を吐く。そして残念そうな者を見る眼差し。

直ぐ側に立っていたせいか僅かに次への反応が遅れた。俺の頬へと触れてきた手が流れるように頤を掴み、上向かされる。

「ちょっ…」

近付く漆黒の双眸にはどんな引力が働いているのか、この俺が反撃もままならず唇を許してしまった。

「んっ…ふ…ッ、てっ…」

何とか足で遊士の足を踏んでやろうと気力を奮い立たせた時には既に遅く。奴はもう俺から離れていた。
なんてタイミングの良い…。

「なっ、何すんだてめぇ!」

人並みに感じた羞恥に顔を赤くしながら濡れた感触の残る唇をごしごしと手の甲で拭って睨み返せば、予想外の台詞が返ってくる。

「好きだから以外に何の理由がある」

「え………?」

「自ら敵を増やすのは馬鹿がすることだ」

あまりにも簡単に告げられたものだから理解するまで数瞬かかり、理解した途端ぱっと頭の中が真っ白になった。ぶわわっと広がった熱に更に顔が赤く染まる。

「なに、じょ…冗談…」

「俺が今冗談を言ったようにみえたか」

「うぐっ…」

逃げることを許さない真摯な眼差しに俺は言葉を詰まらせた。

頭の中がこんがらがって返事を返せずにいれば不機嫌そうに瞳が細められる。再度伸ばされた手がぶかぶかのTシャツから覗いた首筋に触れ、反射でその手を弾けば苛立ちを増した鋭い双眸に射竦められた。

「…面白くねぇんだよ。他の野郎の痕なんかつけてきやがって」

「これは俺が悪いんじゃねぇ!」

「だとしても、お前に隙がありすぎるから痕なんか付けられんだ」

うぐぐっと悔しげに唇を噛む。
その様子に遊士はふんと鼻を鳴らし、次の言葉を口にしようとして遮られた。

ピンポーンと機械音が室内に響く。
ちらりと寝室の入口の方を見た遊士はそれだけで来訪者を無視することに決めたようだった。
しかし、俺はそうもいかない。

誰が来たのか知らないが突入でもされたらやばい。髪の色は元に戻ってしまっているし、カラコンをしているとはいえ間近で見られたらアウトだ。

そういや眼鏡は奴等に取られて…。あぁそうじゃなくて、早く逃げなければ。何よりやばいのはここが学園を牛耳る遊士の部屋だという…。

「おい」

「今考えてんだから話しかけんな」

「この状況で良い度胸だな」

「この状況だからこそだろっ!ちょっと黙ってろよ!」

遊士に構ってる場合じゃないと今だ押し続けられるインターフォンに次いで内線までもが鳴り出す。
その音にぎくりと肩が跳ねて、あまりの煩さに遊士が舌打ちした。

「誰だ。まだ歓迎会の最中だぞ」

不機嫌さを隠さず寝室にある内線を取った遊士は聞こえてきた声に眉を寄せる。

「急用だって言っただろ。閉会の言葉?お前が適当に挨拶しとけ」

電話に出る為に俺に背を向けた遊士に逃げるなら今かと隙を窺う。

「あ?糸井 久弥を見失った?」

「――っ!?」

会話の中に俺の名前が出てきて息を飲む。電話の相手は誰だ?そして遊士は何と答える?

「チッ、使えねぇ奴等だな。草の根分けてでも探せと言っておけ」

身構えた俺は居場所を告げられなかったことに安堵し、今の内に逃げようとそろりそろりと窓辺へ移動する。

遊士は電話の相手と会話を交わしながら動いた背後の気配へ鋭く言葉を投げた。

「身投げをするつもりがねぇなら止めとけ」

「なに…」

窓から逃げようと思ってカーテンを開けばやたらと見晴らしが良かった。

「げっ…、ここ何階だよ」

こっから飛んだら確実に死ねる。窓から逃げることは始めから不可能だった。

その間にも通話を終えた遊士が振り向く。

「まだ死にたくはねぇだろ」

「あ、あぁ…」

だったらどうすれば。

「幹久は追い返した。お前ももう戻れ」

「え…」

そういえばいつの間にかインターフォンの音も途絶えている。

「うちの連中がお前を探し回ってる。それが掃除屋にバレるとますます厄介だ」

面倒臭い幼馴染みもとい掃除屋コンビを思い浮かべて遊士は言う。

「歓迎会はあと一時間で終わりだ。それまで精々捕まらねぇ事だな」

ほら、といきなりナイトテーブルの足元に置いてあった袋を投げ渡される。

「おわっ!」

慌てて受け取れば、いつの間に用意したのか袋の中には新品のジャージとスプレー缶が一缶入っていた。

着替えて早く行けと顎で寝室の扉を指す遊士に俺は躊躇う。

スプレー缶は髪を黒く染める為のものだ。

「………何でここまで。良いのか?俺を逃がして」



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