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外が静まり返ったのを確認してから口許を覆っていた春日先輩の手が離される。

「何だ、俺を知ってるのか一年」

背中から抱き竦められるように抱かれたまま見下ろされ、口を開いた春日先輩の吐息が俺の前髪を揺らした。

「ちょ、そこで喋られると擽ったいです」

「あぁ…、それで?」

「さっきちょっと通りがかった三年の先輩方が名前を呼んでたので。それだけです。…あ、それと、助けてくれてありがとう御座いました」

「それは別に良い」

抱き締められたままジッと見下ろされ続け、首を傾げる。

「春日先輩?」

「…お前、名前は?」

「糸井 久弥ですけどそれが何か…?」

「糸井、な」

聞き返せばふぅんと何だか意味ありげな感じで名前を繰り返される。

…というか、この春日先輩無駄に声が良い気がする。程好い低音に微かに甘さが混じった艶っぽい声。妙に意識させられるというか何というか、…出来れば早くこの状態から解放して欲しかった。

その願いは直ぐに通じたのか身体に回されていた春日先輩の腕が離れる。
ほっと息を吐いた俺の横を春日先輩は通り、外の様子を窺ってから鍵を開けて教室のドアを開けた。

「出ろ、糸井。流石に長時間いると冷泉の奴に見つかる」

「あ…はい!」

そうだよな。本来なら鍵の掛かった場所に入っちゃいけないルールだ。
春日先輩は平然とルール破りをしていたみたいだけど。

「あれ?冷泉って…先輩、あの先輩と知り合いなんですか?」

あの変人と。と、俺は外から鍵を掛け直している春日先輩を見る。

「…まぁな」

俺の質問に素っ気なく答えて鍵を掛け終えた春日先輩は俺を振り返るとまたジッと見つめてきた。

「あの…?」

だから一体何なんだ?

「お前、今日は部室棟の方行かない方がいいぜ」

「は?…部室棟?」

「忠告を聞く聞かないはお前の自由だ。じゃぁまたな」

春日先輩は身を翻すと慌てるでもなくゆっくりと歩き出す。去って行く大きな背中をつい見送ってしまい、残された俺は一人首を傾げた。

「部室棟って何かあるのか?」

もっと詳しく聞きたかったが、バタバタと聞こえてきた足音にのんびりもしていられず俺は春日先輩とは逆の方向へ廊下を移動し始める。

階段を一段飛ばしで降り、また中庭の木の上にでも昇って体を休めるかと計算していれば不運にも二階の踊り場で親衛隊と呼ばれる集団に遭遇してしまった。

「居たっ!糸井 久弥!」

そしてフルネームで俺の名を呼んだのは嘘臭い笑顔をどこに落としたのか般若の形相をした宮部 茜で、背後に仲間を引き連れていた。

仕方無く俺は足を止め、教室の並ぶ二階の廊下で宮部と対峙する。

「俺、貴方にフルネームで呼ばれる筋合いはないと思うんですけど?」

「うるさいっ!忠告してやったのに懲りずに何度も和真様や來希様にまとわりついて、迷惑だってことが分からないの!」

いきなり怒鳴られ、一方的な言い分を並べ立て批難してきた宮部に思わず口角が上がる。

「…迷惑?むしろ迷惑を被ってるのは俺ですよ?特に來希に関しては…」

「っ、來希様を呼び捨てにするなんて!」

普通に喋っただけで、宮部の背後にいる親衛達からも批難の声が上がった。

詰まるところ、俺が何を言っても親衛隊は気に入らないということだ。

やれやれと肩を竦める。

「付き合いきれませんね」

「―っ、馬鹿にして!お前なんか学園から追い出してやるんだから!」

「宮部様!こんな奴、早く潰しましょう!」

「宮部様っ」

その言動が更に火を付けてしまったのか、親衛隊は口々に俺を罵り宮部の名前を呼ぶ。
異様な光景に俺は気味悪さを覚えた。

俺が引いているのを宮部は俺が怯んだととったのかわざとらしくにこりと笑う。

「聞いての通り全会一致でお前は追放になった」

「だから…?」

何だと言うのだ。
見返した俺に宮部は浮かべた笑みを深めた。

「お前は今日でおしまい」

ガラリと背後で各教室の扉が開く。肩越しに目をやれば宮部達とは真逆の体格のがっしりとした生徒達が姿を見せた。不良っぽい奴もいれば真面目そうな生徒も含まれている。

「コイツが?茜ちゃんの邪魔してる奴?」

「そう。コイツを学園から追い出せたら親衛隊の中から好きな子を派遣してあげる」

「マジで!それって茜ちゃんでもオッケーなの?」

「もちろん。メールの通りだよ。好きなことしてあげる」

前後を敵に挟まれ飛び交う意味不明な会話には耳を傾けず、俺はどちらを相手にするか考えた。

何も馬鹿正直に宮部の取り巻きを相手にする必要はないのだ。だから話の途中であろうが俺は宮部達に向かって駆け出す。

「なっ…!?」

「何でこっちに!話聞いてなかったの!?」

「悪いが俺は人の思い通りにさせられんのは嫌いだ」

親衛隊一行もまさか自分達の方へ向かってくるとは思わなかったのか、俺が手近にいた親衛隊の一人の胸ぐらを掴み上げれば恐怖の色を浮かべる。

「ひっ…」

ニィと口端を吊り上げ、俺は右腕を振り上げた。

「…なんて、な。邪魔だ退け」

掴んだ胸ぐらを離せばソイツはへたりと腰を抜かして座り込む。しかし、他に道を開けた親衛隊の中でも唯一宮部は道を開けなかった。

「ぼ、暴力に訴えるなんて、最低」

「その言葉、そっくりそのまま返しますよ」

「っ…」

「待て、この野郎!逃げるのか!」

悔しそうに顔を歪めた宮部に、俺は背後から追ってくる取り巻きを振り向く。

「アンタらも男なら言いなりになってんじゃねぇよ。格好悪い」

「てめぇっ!」

宮部の脇を通り抜けざま俺はクツリと笑った。

「残念だったな、俺を潰せなくて」

「――っ」

カッと怒りに赤く顔を染めた宮部の横顔を見て、俺は取り巻きに後を追われながら階段をかけ降りる。一階の渡り廊下へ周り、予定していた中庭へ出ようとして第二陣にぶつかった。

「居たぞ!コイツが一年の鬼だ!」

その数の多さから俺は瞬時に身を翻す。中庭とは逆に渡り廊下から校舎の裏側へと出て、今度は新歓をサボってダベっている不良達に会う。

「何だコイツ?」

「あっ、コイツ噂の糸井!」

「へぇ、奴等が追いかけ回してるんじゃさぞかし後ろの具合が良いんだろうな」

何だか気色悪い笑みを浮かべて立ち上がった不良共を、俺を見た目で判断しているのか、油断している隙に倒す。襲いかかってきた不良の懐にもぐり込み、鳩尾に拳を埋める。次の奴にはハイキックを喰らわせ、最後の不良には拳をかわしてから腹に膝を決めた。

「ぐぅ…っ」

「それじゃ俺急いでるんで」

「て、てめぇ…」

膝をついた不良共を置き去りに俺は走り出す。
しつこく背後から追ってくる声に俺は部室棟に――。








しまった、とその事に気付いたのは第二陣を撒いてからだった。
各部室のネームが掲げられたドアを見て、二階へと身をひそめていた俺は辺りを窺いながら廊下を歩き出す。

「ここ部室棟だ。やばいな」

わざわざ春日先輩が見も知らぬ俺に忠告してくれたというのに。俺は追われるまま部室棟へと入り込んでしまっていた。

早く部室棟から脱出しようと足を早めた俺の耳に何処からともなく声が聞こえてくる。

「誰かいるのか?」

耳を澄ませば続いて物音が聞こえ…悲鳴が…。

「…っ…っ、誰かっ…助けて――!」

「…こっちか!?」

助けを求めるその声に俺は迷わず声のした方へ走る。辿り着いた先は美術部とネームの出された部室で。俺は勢い良く部室のドアを開いた。

中には黒髪も艶やかな小柄な少年一人と、到底美術部員には見えない荒っぽい雰囲気で髪色も派手な不良が四人、待ち構えたように立っていた。

「ようこそ糸井 久弥」

俺を見て、先程助けを求めた声が坦々と言葉を紡ぐ。
ドアのすぐ脇に立っていた不良に両腕を掴まれ、俺は強引に室内へと引き摺り込まれた。

「っ、騙したんですか」

「貴方が勝手に勘違いしたんです」

少年は感情が乏しいのか機械的に答える。
俺は掴まれた腕を振り払おうと身を捩り、肘打ちを打ち込もうと腕に力を入れた。

しかし、

「動かないで下さい」

正面に立った少年に顎を掴まれ、固定される。

「離せ…っ」

少しでも近付いてきたら頭突きでもかましてやる。

そう決めた俺だったが、少年はそれ以上俺には近付いてこず、ポケットから何か布を取り出した。その布を不良に手渡し、布を開けさせ現れた物は赤い錠剤のようなもの。それを少年は親指と人差し指で摘まみ上げた。

「何だよ…それ…」

色といい、形といいこんな場面で出てくる物などろくなものじゃないと直感が告げる。

「これですか?これは…」

「七季(ナナキ)ちゃん、いいから早くやろうぜ」

「俺も待ちきれねぇよ」

七季と言うらしい少年の説明を遮り、不良共が先を急かす。僅に隙をみせた不良共の足を踵で踏んで逃げようとした俺は、それよりも素早く指先を口の中へ突っ込まれ動きを制された。

「んぐっ…!」

「そのようですね。ここまできて逃げようとするとは油断も隙もありません」

顎を掴まれているせいで、口を閉じられない。口の中へ放り込まれた錠剤を吐き出そうにも一緒に押し込まれた指先に邪魔をされ吐き出せない。

じわりと舌の上で溶ける不愉快な感触に、俺は堪らず目の前にいる七季を睨み付けた。

「後悔をしても遅い。宮部隊長が言ったはずです。貴方は今から人に言えないことをされて、宮部隊長に逆らったことを後悔しながら学園を去るのです」

「…う…ぐっ」

こいつ、宮部の関係者か。

最後のひと欠けまで溶けた錠剤に顎から手が離される。それでも俺は諦めず、持ち上げた踵で俺の腕を拘束する不良の足を思い切り蹴りつけてやった。

「この…っ!」

「いてっ!?」

ぱっと離れた片腕にもう一方の腕を掴んでいた不良を倒そうと振り返った所でドクリと心臓が大きく跳ね、俺の意思を無視して身体が傾く。

「…く…ぅ、んだ…これ…?」

ふらりと体から力が抜け、どくどくと加速し始めた鼓動が身体を熱くさせていく。

「いててっ、効いてきたか」

「ぅ…はっ…れに、なにをした…?」

抵抗しようにも力が入らず、俺の腕を掴んだままだった不良に床に倒される。睨み上げて言えば、コクリと不良の喉がなった。

「なにコイツ。良く見りゃ意外と可愛くね?」

「あ、俺もさっきそう思った。上から見れば眼鏡の下の顔結構俺好み」

「…っ、離せ!ぶさけんな!」

蹴りつけてやった不良に腕を押さえつけられ、別の奴に足を封じられる。



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