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確実に近くなる複数の足音に、力の抜けそうになる足を踏ん張る。右足に力を入れ、來希の脛を狙いにいった。

「…ン…っあ!…の…やろうっ…」

直前に、來希は足の間に入れた膝で俺の急所を突く。
思わぬ刺激に俺の口から甲高い声が漏れた。

「――っ」

羞恥に顔が熱くなる。
濡れた唇を見せつけるように舐めとると來希は俺の首筋に顔を埋めてきた。

「てめぇ…っ、痛…!」

そこは、数日前にも來希に噛まれた場所。
まだ薄く歯形の残る肌の上を熱を持った舌が這う。

「…っ、はっ…離せっ!」

ぞわりと何処からともなく生まれた微かな熱にこれ以上は不味いと体を捩り抵抗すれば、來希はことの他真剣な声音で言った。

「間違っても俺以外にマーキングされんじゃねぇぞ」

「誰がっ…、されてたまるか!」

叫びとは裏腹に俺は來希に抑え込まれたまま。
油断が隙を生む。

「來希っ!てめぇ、久弥に何してやがる!」

近付いてきた足音の主、和真は壁際へ押し付けられた俺と抑え込んだ來希を目にすると言い訳もさせずに來希の横っ面を殴り飛ばしていた。

「ぐっ―…」

「久弥!大丈夫か!?」

「あ、あぁ…。何で和真がここに…?それに孝太も、後ろにいる連中は黒騎の…」

「久弥さんが一定の時間同じ場所にいるから何かあったんじゃねぇかと思って」

聞きながら然り気無く俺は來希に噛まれた首元を隠す。何となく和真には見せちゃいけねぇ気がした。

「いててっ…、久々にてめぇの拳受けたぜ」

相変わらずのタフさで立ち上がった來希に、和真は俺を庇うようにして立つ。

「來希…ふざけんのもいい加減にしろよ」

「はっ、ふざけてんのはどっちだ。そうやって守るだけで満足か?手も出せねぇ意気地無しが、吠えるんじゃねぇよ」

「てめぇ!!」

ぶわりと和真の纏う気が膨らんだかと思えば、鋭く弾ける。
打ち出された拳と、それを受けた掌がバァンと乾いた音を廊下に響かせた。

突如始まった來希と和真の喧嘩に、悪いが俺は付き合ってはいられない。
これでは余計に人が集まって来てしまう。

「孝太、俺は行くぜ。後は頼んだ」

「あ…久弥さん、前!」

「あ?」

孝太に後を頼み、騒ぎに紛れて姿を消そうとした俺は自分からどんっと何かにぶつかった。
そしてそのままふわりと抱き締められる。

「珍獣」

「げっ!掃除屋っ」

「何だこの騒ぎは。木下が仲間を引き連れて歩いていると報告を受けて来てみれば…糸井」

咄嗟に俺は久嗣を突き飛ばし、誠志郎からは冷ややかな視線を投げ付けられた。何で俺が。

「…見ての通りです」

「橘については何時もの事だが、木下は理由無く暴れるような奴じゃなかったように思うが…とりあえず久嗣。話が出来ないから静めてくれ」

「分かった」

すたすたと黒騎の連中の中を進んで行ったと思ったら久嗣はあっと言う間に喧嘩を続ける二人の背後に回り、手刀を食らわせた。綺麗に入った一撃にゾッとして俺は思わず自分の首裏を擦った。

「俺もアレを食らったのか…」

「久嗣!静めろとは言ったが、その沈めろじゃない!」

「いや、この方が静かでいい」

膝から崩れ落ちた和真に慌てて孝太が駆け寄る。
來希は気配を察してか、手刀が落ちる瞬間体をずらしていたらしく、膝は折ったが意識は保っていた。

「てめぇ、掃除屋…」

「話は歓迎会が済んでからだ。糸井、本当は行かせたくないが、お前はもう行け。…気を付けてな」

ゲームとして始まってしまった以上、お前だけを贔屓するわけにもいかない。

どこまでも公平差を保とうとする誠志郎に俺は頷き返してその場を後にする。

「おい、忘れんじゃねぇぞ久弥!」

背中で來希の声を聞きながら俺は上階へと足を進めた。








五階に上がり、待ち構えていたのか三年の教室から飛び出してきた見ず知らずの先輩を足を引っ掛けて倒す。
その後からも沸いてくる先輩方に俺は話しかけた。

「あなた方も宮部の手先ですか?」

「ぁあ?宮部ぇ?誰だソイツ」

「知らねーな。俺達はただ、ご褒美が欲しいだけなんでな」

こいつらは生徒会から与えられるご褒美とやらに釣られた口か。
なら、俺が相手をする必要はねぇな。

くるりと背を向け、俺は来た道を戻る。
俺の標的はあくまでも宮部や親衛隊達だ。

「待て、こら!」

「逃げんのかてめぇ!」

「そうそう。それじゃ面白くないでしょ?」

階段へと戻って来た俺の目の前に、今度は生徒会書記、吉野 昇が立ち塞がった。

「チッ…」

「総長風に言うと仮面が剥がれかけてるぜ似非優等生、かな?」

「用がないなら退け」

「用?用ならあるよ。俺と遊びましょー。もちろん色んな意味で」

総長がちょっかいをかける子って珍しいから興味があったんだ。生徒会室じゃあまり話せなかったしね。

前には昇、後ろには先輩方。仮にも昇は紅蓮の特攻隊長だ。その名に相応しい程の実力は持ち合わせているはず…。

そう考えて俺は一度踵を返した先輩方に向かって突っ込んでいく。
重心を低く落とし、狙うは下半身。太股、膝、脛。

「ようやく観念したか!」

「捕まえろ!」

俺の大人しそうな見た目に油断してか、隙のあり過ぎる先輩方を倒すのは簡単だ。
大振りしてきた腕をしゃがんでかわし、床に手を付いて伸ばした右足で先輩の足を狩りにいく。
瞬時に立ち上がり、次の先輩には膝蹴りを見舞う。

「がはっ…」

「悪く思わないで下さいね」

そうして俺は三年の教室が並ぶ廊下を突破し、昇を振り切った。

「はっ…やべ…少し休まねぇと…」

昇が立ち塞がった階段とは真逆に設置されている階段を一階下へと降りる。逃げ道を確保する為には四階以下でなくては駄目だ。

俺は階段を駆け降りると四階の廊下へ飛び出し音楽室や書道室、茶室、準備室等の並ぶ廊下を走る。

「確か…この辺に空き教室がいくつか…」

学園内の案内図に空白の部屋が幾つかあった。開いてるか分からないが、臨時会議等で使われる教室が幾つか確保されていた。

扉の上に、何も書かれていないプレートが掲げられた教室。俺はその教室の前で足を止めると扉を横へスライドさせた。
しかし、鍵が掛かっているのか動かない。

「駄目か?」

隣接する同じ教室の扉を引いて見たがこちらも反応は同じ。

「おい、居たか!」

「いや、この上にはもう居なかった。この階は?」

「今からだ」

今しがた俺が駆け降りてきた階段から声がする。

「しかたねぇ…お、わっ!?」

応戦しようと背後を振り向いた瞬間、鍵の掛かっていた教室の扉が開き、腰に回された誰かの腕が俺を教室の中へと引き摺り込んだ。

再び閉ざされた扉の鍵がカチャンと落ちる。

「よぉ…、お互い大変だな」

腰に回された腕に覚えはない。耳元に落とされた艶っぽい声にも。

「っ、だれ…」

「シッ!静かにしろ」

口を塞ぐ、筋張った掌にも。俺の体を背後からすっぽりと包む、大きな体にも。

その正体を知ったのは、ドタバタと廊下を駆ける足音が去ってから。

「行ったか。チッ、面倒癖ぇな」

その台詞…。

「春日、先輩…?」

口を掌で覆われたまま見上げれば、紫色の髪が視界に映った。



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