22
眼下を、きょろきょろと顔を左右に動かしながら生徒達が通る。
「何処行ったあの野郎…」
「捕まえたら茜ちゃんがサービスしてくれるって本当か?」
「らしいぜ。昨日、俺にも同じメール回ってきた」
耳を澄ませば俺と同学年の生徒だろう奴等が勝手に情報を与えてくれる。
「お〜い、由希ちゃ〜ん!」
「怖くないから出ておいでー」
「由希様ー、何処ですかぁ?」
やたら下手に出て声を上げているのは二年で、どうやら童顔の先輩は由希と言う名らしい。
「春日の野郎、見つけたら即シメてやる!」
「マジ、信じらんねぇ。アイツこれで何人目よ。人の恋人寝取ったの」
「あぁ〜ん、僕も春日様に奪われてみたい」
そして堂々と居眠りを始めた三年の先輩の名前だか名字だかは春日と言うらしい。最後の女みたいに甲高い声に鳥肌が立った。
「うへっ、気色悪ぃ」
その春日先輩はどうなったかとちらりと三年の校舎に視線を移せば、いつの間にか春日先輩の居る教室は戦場になっていた。
もはや歓迎会の域を越えて、手や足が出ている。
相手をしている春日先輩は非常に面倒臭そうな顔だ。
「けど、強いなあの先輩」
多数を相手に一歩も譲らない闘いをしている。
思ったより頭上と言うのはあまり意識しないのか、俺は気付かれることなくそこで暫くの間体力を温存しつつ、春日先輩の喧嘩を遠目から眺める。
何だか見てたら俺もうずうずしてきた。つい、悪い癖が出てきてしまった。
「この辺かぁ、ヒサ」
「久弥さん」
その時真下から呼ばれて俺は顔を出す。
「カズ、コウタ。ここだ。何で分かった?」
「そりゃちょっとその布に細工をなぁ」
和真と孝太が木の下で俺を見上げていた。
「細工…?」
返された言葉に俺は眉を寄せ、右腕に巻かれた赤い布に左手で触れる。
すると縛られた布と布の間に爪ほどの大きさで薄っぺらな四角い紙のような物が挟まっていた。
「GPS?」
「念の為だ。掃除屋が見回りをしてるとは言え何があるか分からねぇからなぁ」
俺は木から飛び降り、退いてもらった和真の前に着地する。
腕に付けられたチップの説明を聞きながらも、周囲への警戒は解かない。
「カズの命令で学園内にいる黒騎は皆久弥さんの味方にはなってますがここではどうしても紅蓮の力の方が強いですから」
「いや、それだけでも助かる。さんきゅ、カズ、コウタ」
居たぞ!と校舎の窓から身を乗り出して誰かが言う。
「どうするヒサ?」
「ンなもん、こうするに決まってんだろ」
俺はその声の主を見上げ、堂々と姿を見せてやり、挑発的に中指を立てた。
「俺はここですよ」
おまけに優等生らしく優雅に、にっこりと笑みをつけてやる。
「じゃ、また後でな」
和真と孝太に別れを告げ俺は踵を返す。生徒玄関へ回るのももどかしく一階の窓を開けて乗り越え出て来ようとした奴等に背を向け走る。
校舎の角を曲がり、正面にも現れた一団を目に俺は足を止めずに瞬時に頭を巡らせる。片手で校舎一階の窓を開け、軽く飛び上がって校舎の中へと侵入した。
「おわっ!何だ!?」
「っ、こいつ一年の!」
直ぐそこで三年の先輩方に遭遇し、俺は礼儀正しく頭を下げてその間を駆け抜ける。
「待て!」
掴まえようと伸びてきた腕を容赦無く叩き落とし、これまた強烈な後ろ回し蹴りを食らわせて後方へ吹き飛ばす。それにより追ってきていた連中も巻き込まれ、足留めする時間を稼いだ。
階段を駆け上がり、一旦三階で足を止める。上から駆け降りてくる足音に気付き、俺は三階の廊下を走り出した。
「どっか教室入って、数減らすか」
三階には移動教室で使う第一から第三まである化学室や家庭科室、美術室、工作室、視聴覚室、その他教室に、併せて準備室もある。更に一つ上へ上がれば、四階には音楽室や書道室、茶室にと他にも様々な教室が並ぶ。
俺は普段から使用している第一視聴覚室に入ると後ろの扉と窓を開け放し、後ろの扉の脇で気配を殺した。
「ふぅ―…」
どたばたと走る足音と存在を主張する煩い声に口許が綻ぶ。
「待ちやがれ、糸井!」
「親衛隊の前に引きずり出してやる!」
俺を追ってくる連中は皆だいたいガタイが良い。体育会系というのか不良崩れというのか。
宮部の様に線の細い、女々しい連中の姿は見当たらない。
「はっ、良いように使われるだけの捨て駒風情が。かかって来いよ!」
「なにィ!!」
もはや優等生だの何だのという設定は遠い彼方に放り投げ、俺は挑発するだけ挑発した。
集団に追いかけ回されることで、夜の街を思い出す。
俺を慕う仲間を率いて、今宵もまた喧嘩に繰り出す。小さな世界を自由に、好きに、俺は飛び回る。…見た目は違うが蒼天のヒサと呼ばれる少年が今そこには居た。
いきり立って扉から入ってきた野郎の横面に拳を叩き付け、不敵に笑う。
「ぐぁっ…!!」
その後ろで目を見開いた野郎の正面に躍り出て、落とした腰を持ち上げながら握った拳で顎を下から上へと打ち抜いた。
ぐらりと傾いで倒れた自分より大きな巨体に、俺は確かな手応えを感じて男の背後に続く連中を見据える。
「楽しいなぁ、おい。お前等もそう思わねぇか?」
「ヒッ、な、何だよこいつ…!」
「嘘だろ。こんな強いなんて聞いてねぇぞ…」
失礼なことに、俺の言葉には誰も同意してくれなかった。それどころか、若干顔色を悪くして逃げ出す奴等も居た。
根性無しめ。
引け腰のつまらねぇ雑魚を軽く片付け俺は視聴覚室から出る。
途端、パチパチと横合いから小さな拍手が俺へと送られた。
「お前ならやると思ったぜ」
「…來希」
そちらを見やれば廊下の壁に背を凭れ、愉快そうにこちらを見て笑う來希の姿があった。
「そう警戒すんな」
「するに決まってんだろ。俺はまだてめぇを許したわけじゃねぇからな」
女々しいと言われようがこれだけは譲れない。
あの後、教室で顔を合わせた來希は何を思ったかまた眼鏡をとろうとしてきた。更にその理由が俺にとっては意味不明だった。
「見えてんなら必要ねぇだろ?俺はお前のその目が好きなんだ」
そう言って…、コンタクトの件を追及して来なかっただけまだマシか。
壁から背を離し、近付いてきた來希に俺は構える。
「俺の推測は今の戦い振りで確信に変わったが、そんなことはもうどうでも良い。…ヒサ」
「………」
その呼ばれ方に俺は沈黙で答える。
いつからか來希は俺を久弥ではなくヒサと呼ぶようになっていた。
そしてそれを俺は否定もせずいつの間にかすんなりと受け入れていて、…不思議と悪くねぇと思う自分もいた。
そもそも初めから來希とは素でやりあっていた気がする。
コイツといると気は抜けねぇはずなのに、抜いてる俺がいる。
「こんなくだらねぇ遊びで潰されたりすんじゃねぇぞ」
「今のを見てた癖にその台詞しか出てこねぇのか」
続いた來希の言葉に俺は鼻白む。だが逆に、來希はクツクツと肩を震わせると口端を吊り上げた。
「今度は邪魔の入らねぇ場所でサシでやりあいてぇな」
俺を見る眼差しに、仄かに獰猛な輝きが宿る。
絡む視線の熱さに俺は小さく息を飲んだ。
「それでてめぇが負けたらその後じっくり啼かしてやるぜ」
「ふざけんな。誰がてめぇなんかに負けるか」
バタバタとまた聞こえ始めた足音に俺の気が一瞬來希から反れる。
その一瞬が來希と対峙する上では致命的だと学習した筈なのに俺はまた繰り返してしまった。
「ヒサ」
「――っ」
一呼吸で詰められた距離に目を見開く。反射で握った拳を動かす前に抑え込まれ、壁へと体を押し付けられた。
後頭部に受けた軽い衝撃に目を閉じたと同時に顎を掴まれる。
じわりと後頭部から伝わる痛みと顎に掛けられた來希の手を振り払う様に俺は頭を振った。
「離せっ」
そして、些細な抵抗を嘲笑うかのように唇に噛み付かれる。
「ンッ!?」
やんわりと下唇に歯を立てられ、驚いて口を開いた隙に來希の舌が侵入してくる。
奥へと逃げた舌にざらざらとした生温い感触が絡み、引っ張り出される。
「んんっ…んーっ!」
「はっ…」
舌を強く吸われ、ぴりりとした痺れが走る。またしても甘く噛みつかれ、背筋を這い上がってくる妙な感覚に抑え込まれた拳がふるふると震えた。
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