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周囲のことなど頭から抜け落ちた俺は構わず來希に向けて拳を突き入れる。

「はっ!この…っ」

その手をまた取られる前に素早く引き、顔面目掛けて飛んできた來希の拳を寸前のところで腰を落としてかわす。
來希の体勢が元に戻る前に低い位置からローキックを放ち、脇腹を狙った。…確かな感触が足に伝わる。

「沈め!」

「ぐっ―…っはは…!」

すると眼前にあった來希の双眸が一瞬痛みを堪えるように歪み、ぎらりと妖しく光る。弧を描いた唇から思わずといった風に笑い声が上がった。
その気味の悪さに俺は振り上げた右足を一度下ろして來希から少し距離をとった。

「…どうしたヒサ?かかってこいよ」

「………」

ぎらぎらと輝くその目は純粋に殴り合いを楽しんでいる目だ。愉しくて仕方がないと弧を描いた唇が言う。

強い奴と戦うのは俺も確かに楽しいと感じる。だが來希のこれは…

「戦闘狂め」

「は、何とでも言え。ここにいる騒ぐしか能のねぇ男女よりはマシだろ」

それは親衛隊のことを指しているのか。來希は吐き捨てるように言うと再び構えをとった。

「お喋りは終いだ。さぁ、俺を愉しませろよヒサ」

ぺろりと乾いた唇を舐める仕草が、獲物を前に動物が舌舐めずりをしているようで、俺の背にぞくぞくとした震えが走る。

「…っ、上等だ。いいぜ俺が相手してやる」

しかし、愉しませるのは俺じゃない。お前だ、來希。お前が俺を楽しませるんだ。

互いに振るった拳が頬を捉える。

「がっ…」

「ぐっ…」

衝撃に脳が揺さぶられ、ふらつく足を何とか踏ん張る。先の殴り合いで口の中を切っていた來希は鉄の味に顔をしかめ、血の混じった唾を廊下に吐き出す。
俺は今ので口端が切れたのかぴりぴりと走る痛みに眉を寄せ、舌先で口端を舐めた。

だがそれも一瞬ですぐに殴り合いに戻る。

もう何が理由でこうなったのか俺達はただ、目の前に立つ敵を倒すことしか頭になかった。

だから傍らにいた掃除屋の存在をすっかり忘れていた。
一方的な暴力ではなく、互いに殴り合い…ハイレベルの喧嘩を再開させた二人に掃除屋は息を吐く。

今は喧嘩をする二人と自分、廊下に転がる複数の男子生徒以外他には誰もいない廊下を見渡し、ポケットに突っ込んでいた携帯電話を取り出すと電話をかけ始めた。

「…もしもし、俺だ。今すぐ校舎三階にある視聴覚室周辺を封鎖しろ。それから久嗣(ヒサツグ)に大至急俺の元に来るよう伝えてくれ」

自分の手に負えないと判断した掃除屋、風紀副委員長の藤峰 誠士郎(フジミネ セイシロウ)は応援その他諸々の指示を出すと喧嘩に巻き込まれぬよう二人から距離を取り、仲間が来るのを待つ。

「しかし、あの橘の相手をしてるのは誰だ?ヒサとか呼ばれていたみたいだが…」

その目に確りと二人の姿を焼き付けて。頭の中の掃除屋ブラックリストに書き入れた。







「っはー、はぁー」

漸く片膝を付かせた來希を見下ろし、俺は口端についた血を手の甲で拭う。

下ろし立ての制服も薄汚れ、髪の毛もぐしゃぐしゃな有り様で。來希に至っては元からきちんと制服を身に付けていない。だらしなく開いたシャツから肌色が覗く。

「とっとと倒れろ」

「そうは…いくかよ。こんな、愉しいこ…と…っ」

「ぁ…、どう…?」

不意に來希の瞳から光が消え失せ言葉が途切れたと思ったら目の前で來希の体が崩れ落ちた。
驚き、声をかけようとした俺も次には意識を飛ばしていた。

ドサリと二人の体が廊下に転がる。

「急いで来てみれば何だコレは?」

その二人のすぐ側に、音もなく現れた掃除屋トップ、冷泉 久嗣(ヒサツグ)が立っていた。

「久嗣…。確かに俺が呼んだんだけどな、いきなり手刀で意識を奪うのは止めろ。何度言ったら分かるんだ」

「何故だ?一番面倒がなくて楽だろう」

まったく悪びれた様子もなく言う久嗣に誠士郎は何度目になるか分からないため息を落とす。

「そりゃそうだけど…まぁいい。封鎖してくれたんだろ?なら気絶してる内にこの二人を風紀室に運ぼう。他の奴等はどうせ風紀の常連だ。カードキーだけ回収な」

「あぁ…。だが待て、誠士郎」

倒れ伏す二人に近付き、久弥を運ぼうとその腕をとった誠士郎は久嗣に呼び止められて動きを止める。

「なんだ?まだ何かあったか?」

そして、横から久弥の腕を久嗣に浚われた。

「珍獣は俺が運ぶ」

「は?チンジュウって…コイツが!?」

言われた言葉に誠士郎はぎょっとして久嗣の腕の中に収まった久弥を見る。

珍しく口許を緩めた久嗣に誠士郎はこれからのことを思って頭痛を覚えた瞬間であった。



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