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警察が動いていた夜。
図らずもその夜に、人知れず会談を設けていた人間がいた。
そこは個人の邸宅と言い切るには立派な庭に門構え。部屋数も幾つあるのか、離れまで建てられており、屋敷と呼ぶべき敷地面積を誇っていた。そう此処は、つい先日には傘下の者達を集めて会合が開かれた場所、郊外にある広域指定暴力団葉桜会の総本部であった。

その屋敷の奥まった一室にて、この屋敷の主である轟木 源重(とどろき げんじゅう)とその右腕とも、補佐とも言われている宇津見(うつみ)が座卓を間に挟み、静かに対面していた。

「ほぅ…、四条がな。まぁ、アイツもそれなりに良くやっているが」

「最近は若い者が力をつけていますから、佐伯の二代目や氷堂、柳原の所なんかも。年々その影響力や存在感が増している事に四条も焦っているのでしょう」

唸るように溢された深い声音に、ほんの少ししゃがれた宇津見の同意する声が続く。

「ただ、それで四条に自滅されてはこちらも面白くはない事になるでしょう」

「うむ、分かっている。四条には近々俺から話をしよう」

組内での不和を和らげ、物事を円滑に進めるのも大事な仕事の内だ。そんな些細な事から重要な情報に至るまで二人は話を擦り合わせ、ふとした拍子にどちらからともなく例の話が上がった。

「あの氷堂がイロを囲っているらしいな」

「えぇ、どうやら真山の一件にそのイロが絡んでいたとか。氷堂も人の子だったと言うわけだ」

猛を前に、あまりに杜撰すぎると呈した宇津見の読みは強ち外れてはいなかったということだ。杜撰な結果になった原因があったのだから。
そこでふと轟木の瞳に鋭い光が宿る。

「氷堂にそこまでさせたイロに興味がないといえば嘘だが…お前は何か仕入れているか?」

「さて。性別が男だというぐらいしか。かなりガードが堅いようで」

「ふむ…、そこまでか」

「えぇ…」

それ故にますます興味をひかれるというもの。あの氷堂が選んだ相手が男だという驚きが二の次になるぐらいには、その存在は秘される様にして護られている。情報がまったくと言っていいほど出て来ないのがその証拠。
二人は静かに視線を交わすと、先に宇津見が重々しく口を開く。

「少し探りを入れてみますかな」

「そうだな…氷堂の機嫌を損ねぬ程度にな」

興味本位でつつき過ぎればこちらが火傷を負いかねないが、人間、好奇心には勝てないものだ。
そうして話が纏まった所で、人払いを命じていた筈の部屋へと近付いて来る足音がした。
やや足早で歩いて来た足音は、二人のいる部屋の前で止まるとその場で膝を折り、室内へと伺いの声を掛けてくる。

「オヤジ。少しばかり宜しいですか。お耳に入れておきたい事が」

「何だ。…入って来い」

声を掛けてきたのは轟木が直々に面倒を見ている若い衆の内の一人だった。
入室の許可を貰った男は失礼しますと言って、部屋と廊下を仕切っていた障子戸を開けると室内へと足を踏み入れた。
客人である宇津見に向かって会釈をしてから、轟木に向き直る。

「で、何だ?何か起きたのか」

轟木の態度から宇津見には聞かせても問題ないのだと受け止めた男は、轟木の促しに口を開く。

「いえ…直接は関係無い話しになると思うんですが、先程佐稜会とサツの方に動きがあった様なので取急ぎその御報告に」

佐稜会とは轟木の締める葉桜会とは系列が異なる暴力団組織の名前だ。
その報告に宇津見がほぅと瞳を細めて反応を見せる。

「佐稜会と言えば、最近じゃ何処の組だったか跡目争いが勃発していたな」

「ふむ…サツが動いたのはその関係か?」

詳細を求められた男はその問いに首を横に振る。

「どうにもそれだけではない様子で。マル暴に別のサツが混じって、ガキ共を追っているみたいです。ここ暫くガキ共もあちらこちらで煩くやってましたからね」

「あぁ…、あの黒い鳥か」

「しかし、アレはこちら側には寄り付きもしねぇだろう。何だってまたそこでガキ共が出てくるんだ」

轟木の疑問に答えたのは、男のもたらした少ない情報から考えを巡らせた宇津見だった。

「切羽詰まった何処ぞの誰かが、あの鳥に要らぬちょっかいをかけでもしたのでしょう」

あれを組に引き入れる事が出来れば、または上手く何らかの交渉が結べれば、それだけでその人物の評価は格段に上がる。あの鳥はただのガキの集団ではない。侮れぬ力と影響力を有しているのがあの鳥だ。ただし、それだけに目が眩んで不用意に手を出せばそれ相応のしっぺ返しを食らうハメになる。

もしかしたら警察は理由をこじつけてあの黒い鳥を籠に封じ込めるつもりなのかも知れない。ヤクザ以上に厄介なグレーゾーンを悠々と往き来する鳥を。

「そいつはまた大きな賭けに出たな」

警察も、何処ぞの誰かも。
成功すれば言うこと無しだが、失敗すれば双方とも大きな痛手を負うことは確実。

感心した様な声の中に呆れの色が混じる。
轟木の漏らした言葉に宇津見も同意する様に頷いた。

「まぁ…例え強引にでもあの鳥を手中に収めたとて、それは一時の事でしょう。今度はその制御をしきれずに破滅するでしょうな」

「うむ」

引続き何か情報が入り次第報告に来いと轟木は男に指示を出して下がらせる。

「はっ。失礼します」

退室する時も男は律儀に二人に向かって頭を下げてからその部屋を出て行った。

「さてと、じゃぁ私の方でも色々と調べておきますかな」

色々と含みを持たせた言い方をした宇津見に轟木は微かに頷く。

「そっちも何か分かったら報告してくれ」

その言葉を最後に密やかに開かれていた会談は終わりとなった。








集会のあった翌日。午後になってから三輪と日向が連れ立ってマンションを訪ねて来ていた。
リビングのソファに座って三輪の診察を受けている俺の視線の先で何故か日向がカウンターキッチンの向こう側に立って昼食で使用した皿などを洗っていた。

「うーん、バストバンドの方はもう少しで包帯に変えてもいいかな」

それからと右腕の方はと続いた言葉に俺は黙って頷き返す。

「指や手首、肩、肘は出来るだけ動かしていこう。筋肉が固まるといけないからね」

腕の様子を確認し終えた三輪がカルテに経過を記入する。その途中でふと顔を上げた三輪の視線が一瞬日向へと流れ、戻されたかと思えば三輪は潜めた声で言う。

「その後はよく眠れているかい?」

何の事かと思うも直ぐに気付く。日向には聞こえない様に配慮された問い掛けに俺は少し考えてから口を開いた。

「まぁ、それなりに…」

すとんと夢すらも見ずにぐっすりと眠ってしまった昨夜は別として、今は気になるほど例の夢を見てはいない。それどころではなかったという理由もあるだろうが、一番はやはり猛が側にいた事か。そちらに意識を取られていたせいか、余計な事が入り込む余地が無かった。心の天秤はまだゆらゆらと不安定に揺れてはいるが、その足場は確りと地に着いている。だが、その事実を正直に口にするのは何となく憚られ、口から出た返事は曖昧なものになった。
しかし、三輪はそんな俺の返答でも追及する事は無く、うんうんと頷くとその口元を緩めた。

「まだ油断は出来ないけど、症状は落ち着いてきてるみたいだね」

良かったと安堵の表情を見せる三輪の顔からは、不思議と医者としてのお世辞を言っているわけではないのが伝わってくる。
そして、キッチンで洗い物を済ませたのか日向がトレイを片手にリビングへと戻って来た。

「で、どんな感じなんだ」

三輪に声をかけながら麦茶と思わしき飲み物が入ったグラスをテーブルの上に下ろす。

「おや、日向の癖に珍しい事してポイント稼ぎ?」

「俺だって茶ぐらい出せるわ」

診察に使用した聴診器やカルテといった道具を医療用鞄にしまいながら三輪がテーブルの上に出されたグラスを見て言えば、日向はわかりやすく表情を動かして心外だと告げる。
俺はTシャツの上に軽く羽織っていただけのカーディガンを肩に掛け直しながら、そのやりとりをなんとはなしに眺めていた。

「…アンタは三輪に弱みでも握られてんのか」

この間といい、日向は三輪にやり込められているという印象を受ける。頭を過った考えが知らず口に出ていた。その台詞に二人が反応したのは同時だった。

「まさか、そんなことはない」

「命は握ってるかな」

物騒な台詞を吐いたのは三輪だった。日向の口元が若干引き攣った様に見えたが、別に日向が三輪にどうされようと俺には関係の無いことだった。
ふぅんと興味の無い冷めた相槌を打つ。

「ちょっ、いや…確かにうちの駆け込み先はお前の所だけど。その言い方はどうかと思うぞ」

「ほら、拓磨。この通りの関係だよ」

にっこりと笑った三輪は日向の言葉の意味を説明する様に続けて言った。

「僕が在籍している病院はちょっとばかり特殊でね。普通に見ればそこらにある病院と何ら変わりはないんだ。普通に一般の患者さんも診るしね。ただ少し規則が緩いだけで」

「規則?」

「そう。基本的に病院ってのは金さえ払えば患者は選ばない。例えそれが反社会勢力の人間でも命には変えられないからね。警察沙汰になろう傷でもだ。ただその場合、通報の義務が生じる。まぁ…うちはその辺が少し緩くてね」

言われて俺はそっとギプスで固定されたままの右腕に触れる。
これもそれも明らかに外部から暴力を受けて出来た傷であり、普通であれば病院から警察に通報されていてもおかしくはない話だった。

「まぁ、そのせいで逆に危ない目にも遭うことが多かったけど。僕が医者を志したのは、誰彼分け隔てなく病気や怪我で苦しんでいる人を治療する為であり、それは自分が窮地に陥っても何ら変わることは無かった」

「それはお前の神経が図太いだけだろ」

「うるさいよ、日向。人の話を遮るな。で、そんな時に僕を助けてくれたのが氷堂会長率いる氷堂組の人間でね。それが縁で、今じゃ僕も組に片足を突っ込んでいるわけだけど」

不思議な事にそれ以降、危ない目にも遭った事はない。

「まっ、そんな僕なんかのつまらない話より、今日は日向から話があるみたいだから聞いてあげてよ。それと…僕はこれを飲んだら病院に戻るけど、くれぐれも拓磨の体調を悪化させるような真似はするなよ」

おどけるように言って話を畳んだ三輪は、テーブルの上に置かれたグラスに手をつけながら後半の台詞を日向に投げるように言った。

「そんなに念押ししなくても分かってる。俺ってそんなに信用ないか?」

「あると思ってるの?拓磨の怪我の一部はお前の失態が招いた事だろう」

一時期日向もそのせいで頭に包帯を巻いていた事があった。長いようで短い、連続した事件のせいで怪我の治療が長引いているのも事実だった。
日向はそんな濃密過ぎる過去を振り返ると、三輪に向かって謝罪の言葉を述べる。

「その節は大変申し訳ありませんでした」

「分かってれば良いよ」

やはり日向は三輪に対しては弱いようだった。
それから日向は空気を変えるように一つ咳払いをすると、俺へと向き直って真面目な表情を浮かべた。
どうやら茶番は終わったようで、ここからが本題らしい。

「さて、時間のある時じゃないと俺の手も空かないから、今日は三輪に便乗してついて来たわけだけど」

日向はそう言いながら上着の内ポケットから封筒を取り出すと、その中から数名の人物が写った写真をテーブルの上に並べた。
単体の写真もあれば、複数人が写ったものまである。

「これは…」

「そっ。今朝、会長に会った時ちょっと言われて。その場には唐澤も居たんだけど、アイツより俺の方が話し相手としては拓磨くんも色々と聞きやすいだろ?」

昨夜はどちらかに聞けと言っておきながら、さっそく猛の方から日向を寄越してくれたらしい。

「先に説明するから、分からない事や疑問があったら後で質問してくれ」

「分かった」

俺も頷き返すと話を聞く体勢をとって、日向の指差した先を追って写真へと視線を落とした。

「まず正式なうちの名称だけど葉桜会氷堂組な。葉桜会っていう系列に入ってると思ってくれれば良い」

それでその葉桜会、俺達は上部団体って呼んでるんだけど。

「この写真の真ん中に写ってる御仁がその葉桜会のトップで、名前は轟木 源重会長。次いで轟木会長の補佐役とも言われているのがその隣にいる宇津見 銀蔵(ぎんぞう)代行だ」

拓磨くんが直接関わる事はないだろうけど、この二人は重要人物だからなるべく顔は覚えておいてくれ。

「で、その周りに写ってる連中が所謂執行部って言って葉桜会の舵取りをしている人間なんだが…要注意なのが個別に写ってるこの人達」

テーブルに置かれた写真の内、単体で撮られた数名の写真を指先で叩いて日向が言う。

「うちの会長が有能なのは仕方ないとして、まだ若いからってのもあるか。会長の事をあまり良く思ってない古い考えに固執した人間ってのは何処にでもいるもんでさ。その考えも組織としては一概に悪いというわけじゃないんだけど、何かあるとすぐ目の敵にしてくるんだよな」

同じ組織にいる人間だから、厳密に言えば敵ではない。が、味方でもないと覚えておいてくれ。名前は四条組長を筆頭に…。
一人一人写真を示しながら名前を告げてくる日向に、その顔と名前を記憶していく。

「逆に友好的で話が分かるのが、佐伯の二代目や柳原組長。他にも何人かいるんだけど、その人達は執行部の人間じゃないからまた後の話で教えるな」

そう言って日向は組の内情に関わることから、たまにどうでも良さそうな話まで織り混ぜて説明してきた。その間に三輪は病院へと戻って行き、日向は夕方頃までマンションにいたのだった。



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