13


マンションに拓磨を送り届けた車は静まり返った夜の道を走り続けていた。
車内は当然のごとく静寂に包まれており、信号に差し掛かって出されたシグナルの音だけがカチカチと音を立てていた。そうして車は当初予定されていた集会場所、鴉の拠点でもある埠頭の古い倉庫街へと向かって行った。

 



その約三十分前―。

倉庫街を張っていた一部の警察は、一気に明るさを増した夜の中で緊張を高めていた。
国道での集会を終えた鴉の一部、それも上位を占める者達が、拠点へと姿を現したのだ。当然のことながらそれらは拓磨と大和の指示でもある。鴉達は警察が付近で身を潜めていることを知った上で、いつも通りの振る舞いを行う。それぞれ乗って来たバイクや車を停め、倉庫の扉を開け始める。また、扉を開け放ったまま倉庫内の明かりを付けたことで、辺りが煌々と明るくなった。
それから音楽を掛け始める者もいれば、ダーツやビリヤードを始めだし、その勝敗を賭けに盛り上がる者達。

「さて、今夜は俺を勝たせてくれよ」

「ムリムリ…お前、この前も同じ事言って負けたじゃねぇか」

「あれ?デジャヴ?」

棚に並べられていた酒を開けて飲み比べをしようと言う者。

「これってさ、誰の趣味なわけ?度数がえげつないんだけど…」

「も一つ気付いたんだけど、これ知らねぇ間に増えてんのな」

好きな場所に座り、そのまま話し込み出す者達。

「そーいやさ、聞いてくれよ。昨日、隣の地区の奴らがさ…」

「ふぁ、…ねみぃからちょっと俺、向こうで寝て来るわ」

「おー、おやすみ、珠樹(タマキ)」

倉庫内の一角に設けられていた仕切りの向こう側へと寝に行く者。
明かりの届く倉庫の外でもバイクや車を弄りだしたりと各々が変わりなく好きな事をやり始めた。

「…この中にトップの奴らはいるのか?」

「いや、…どれも大なり小なりチームの頭を張ってる連中ですよ」

暗闇の中、相手方からは死角となる別の倉庫の陰に身を潜めていた少年課所属の刑事小林は、組織犯罪対策部所属の刑事吉川の、正確ではない問いかけに硬い表情で答える。

「もっとも、鴉の頭の事を聞いているのなら、答えはいないですけど」

相沢も、後藤と思わしき人物も。

続けて返された言葉に、引っ掛かりを覚えて吉川は倉庫から目を離し、小林を振り向く。

「思わしき人物とは何だ」

「ですから、そちらが後藤の情報を掴めなかったのと同じですよ。鴉という組織は一年前にちょっとしたいざこざがあって、代替わりしたらしいんですけど、表に出てくるのは殆ど相沢の奴なんで後藤の顔がいまいち把握出来てないんです」

「それは少年課の怠慢だろう」

「あ?」

いきなり目の前で火花を散らし始めた上司とソタイの人間にトワは冷めた眼差しを向ける。

どちらも敵に回した相手の方が上手だったというだけの話だ。

ある程度鴉側の情報を知っているトワは、警察機構の中にある派閥や手柄の取り合いといった様々なしがらみに身を浸している二人に、内心で悪態を吐きつつ舌打ちをする。
これだからサツは…、トワは自分の所属先の事を棚に上げて思う。
だが、この場には良い意味で馬鹿みたいに真面目な人間もいた。

「今は互いにいがみ合ってる場合ではないのではないでしょうか?」

トワの同僚でもある遠藤だ。睨み合っていた二人は遠藤の仲裁に黙って顔を反らし、再び倉庫の方を注視する。
しかし、怪しげな物も動きも一向に起こらない。

「そもそも今回の件に鴉は本当に関わっているんですかね」

ソタイから提供された鴉のリストや容疑者からの話を基に協力という態勢を取っている少年課の小林はここに来て自分の中にあった疑問を口に出す。

「それはどういう意味だ」

吉川が苛立ったような声で聞き返すも、今度は冷静な声が返された。

「これまでも鴉はシロとは言わないがグレーだった。そんな奴らが急に暴力団に絡んで真っ黒になるとも思えませんが…、何より鴉というチームには我々には理解出来かねるが何かしらの意志が働いていたように思うんですよ」

それが鴉をグレーゾーンに留めていた、逮捕まで至ることが出来なかった理由だ。鴉は決定的な証拠を残さず、犯罪行為となるギリギリのラインを綱渡りで堂々と歩く、そんな組織だ。

「はっ、何を甘いことを。それだからそちらは温いと言うんだ。鴉がその線を越えたというだけの話だろう」

小林の言葉を吉川は鼻で笑い飛ばすと、右耳に付けていたイヤホンに意識を向ける。イヤホンの先からは熊井組の事務所を張り込んでいる捜査員の声が聞こえた。
ザザッとノイズが入った後に捜査員の緊張した声が届く。

『――こちら、動きがありました。引田が動きます』

「了解した。こちらも引き続き警戒する」

無線を通じてのやり取りに誰もが吉川に目を向けた。

「向こうに動きがあった。こっちもそろそろか」

厭らしく笑った吉川にトワは冷めた眼差しを向けたまま口を噤む。少年課の上司である小林もこれには何も言い返せず、遠藤に至っては素直にその言葉を聞き入れていた。

「まずは第一歩か。世間を嘗めきった餓鬼共に警察という組織の恐ろしさを味合わせてやる」

「…それは少し違うのでは?」

ポツリと零された吉川の本音らしき言葉を拾った遠藤はそれに対しては小首を傾げたが、吉川は遠藤の疑問など聞き入れずに、罠に掛かった事も知らずに来るであろう獲物が来るのを今か今かと待った。

そして…

倉庫街でバカ騒ぎを続ける鴉上層部の人間達が集うこの場へ一台の黒い車が近付いて来ていた。
それに気づいた倉庫の外に居た人間達がいの一番に立ち上がり、背筋を伸ばしてその車を迎え入れる。

「お疲れ様です」

数台のバイクと車が停められた倉庫の側で停まった車から一人の男が運転席のドアを開けて下りて来る。

「変わりはないか」

立ち並ぶメンバーに冴え冴えとした鋭い眼差しを向け、蒸し暑い空気を退ける様な冷めた声がその場を支配する。問われた内容にその場にいた人間を代表して一人の男が即座に答えた。

「今の所ありません。…ところで、総長は?」

「アイツは来ない」

「そっすか…」

その変わりにと言葉を続けて、ここへ来る途中、二十四時間営業をしている店に寄って来ていた大和は車の後部座席を指指さして言う。

「あれらは総長からだ。持っていけ」

車の後部座席にはスーパーでよく見かける店名入りの透明の袋が二つ積まれていた。
袋の中には適当に買ってきた飲み物や菓子、雑誌類が大量に入っていた。

「あざーっす!」 

指示された先を見て、並んでいた男達がお礼を口にしてから車の後部座席を開ける。
大和はその中の代表の男に車の鍵を渡し、これからこの場は騒がしくなるが黙っているようにと伝え、明かりの煌々と灯る倉庫の中に向かって行った。
すると、大和が来た事に気付いていた連中が気安く片手を上げて挨拶をしたり、声をかけてくる。

「大和さん」

「…相沢」

「後藤はどうした?」

「アイツ、隠してるつもりかも知れねぇが顔色悪かったろ」

「おー、そういや俺、あの小田桐から伝言預かってんだ。何か言い忘れたとかで、後藤さんに暫く俺の前に顔を出すんじゃねぇって伝えてくれってさ」

喧嘩でもしたのか?と首を捻るとあるチームの総長の言葉に大和は微かに口端を緩めると伝えておくと静かな声で返す。
そして、倉庫内にいるメンバーに向かって大きくもない声で通達を出す。

「あと数分もせずここには警察が踏み込んでくるだろう。だが、お前達は相手にするな」

鋭く凍てついた声音が、騒音を撒き散らしている音楽をものともせずに各人の鼓膜を震わせる。それは普段敵対者へと向けられている大和の絶対零度の双眸を思い起こさせるには十分な威力を発揮していた。

「…了解」

「オッケー」

「サツか…視界にも入れたくねぇ」

この場に集った者達は元から居た者もいれば、鴉に憧れてという者もいる。他にもスカウトされた者、鴉に返り討ちにされて逆に忠誠を誓った者もいる。
総長である拓磨の情け容赦ない指揮に、副総長である大和の的確な戦略。またそれらを裏付ける確実な情報収集能力。他にも自分達の知らない所で何かが動いているということには皆薄々気が付いてはいた。しかし、その事を軽々しくここで口にする愚者はいない。鴉傘下とはいえ、彼等も一つのチームを纏め上げる実力者達だ。
大和が相手にするなと言うならば、彼らはそれを守るのみだった。

「それと…来てるな、珠樹。後で小田桐に回すから全員の顔を録っておけ」

「はいはーい!」

仕切りで仕切られているベッドの向こう側から突き出された右手がひらりと左右に振られる。渡真利 珠樹(とまり たまき)は茶色に染めた髪に童顔とその実年齢より必ず年下に見られる二十歳の青年だ。小田桐が統率する鴉の情報部隊の一員でもある。
大和は気負った様子もなく、言うことを言い終えると倉庫内に置かれていた一人掛けのソファに腰を下ろす。他のメンバーも各々好きな事を再開させ、そこへ外にいた数人が大和が用意してきた袋を手に倉庫内へと入って来た。

「おい、これ総長から差し入れらしいぜ!」

「へぇ、中身何よ?」

外に居た連中が選別を終えたのだろう、袋の中身を大和の座るソファセットとは別の場所で引っくり返す。
外から運び込まれた物で目視できたのはそれぐらいの物だったが、遠目にそれを確認していた警察はその事を合図に動き出した。

先頭を歩くのはソタイの吉川刑事だ。後をぞろぞろと他のソタイの刑事と少年課の小林刑事、遠藤やトワもそれに続く。

…沈黙を破り、暗闇の中から現れた警察の一団に、大和はソファに座ったままそちらを一瞥した。

「相沢 大和だな?」

先頭で足を止めた吉川は高圧的に倉庫内にいた若者達を見回してから、ソファに座っていた大和で視線を止めて口を開く。対する大和は酷く冷めた表情で淡々と返した。

「誰だか知らないが、答える義理はない」

「何だと?我々は警察だ。この意味が分からぬほど馬鹿ではないだろう」

出会い頭からあしらわれ頭に血を昇らせかけた吉川だったが、そこは腐っても刑事の一人。冷静さを装って言葉を続ける。

「総長の後藤 拓磨は何処だ?奴と鴉には薬物売買の容疑がかけられている。隠すと為にならんぞ」

突き付けられた言葉にそれまで顔色一つ変えなかった大和の口端に冷笑が浮かぶ。

「それは脅しか?さすが権力のある警察は違う」

のらりくらりと一つも質問に答えない大和の態度に吉川は片眉を跳ね上げる。

「あくまでも答えないつもりか」

「俺達には何一つ覚えのない話だ」

故に答える言葉も無く、その必要性も微塵も感じない。それだけの事と大和は自身に向けられた刑事の脅しにも似た言葉を、敵意さえ含んだ鋭い眼差しさえも、全てを冷淡に切り捨てた。
初めから餓鬼と嘗めてかかっていた吉川は大和の纏う凍てついた鋭い雰囲気に気圧されて一瞬言葉に詰まる。そこへすかさずソタイ所属の別の刑事が畳み掛けるように一通の紙を懐から取り出した。大和に向けて突き出す。

「家宅捜索令状だ。倉庫の中を調べさせてもらう」

「…好きにしろ」

大和は再び感情を窺わせない表情で刑事達と相対するとあっさりとその許可を出す。
その直後、大和は倉庫内に居るメンバーに向かって念を押すように一つ警告を入れておく。

「聞いてたな、お前達。間違っても手は出すな。こいつらは公務執行妨害で逮捕するのが常套手段の組織だからな」

その声に確かに!と同調する声や忍び笑いが倉庫内に広がる。
この場において一番真っ直ぐで正義感の強い遠藤はむっとした表情を隠せずに憤っていたが、トワは大和の言った様に常套手段になりつつある行為と言われて納得もしていた。逮捕状を取って捕まえるよりは手間が掛からないのは確かだからだ。また、別件逮捕という手もある。ソタイと少年課の合同チームは指揮官クラスである二人を除いた十八名で倉庫の中を調べ始めた。
そして、ソタイと少年課で指揮役を務める吉川と小林の両刑事は大和と対面する形で勝手にテーブルを間に挟んでソファに腰を下ろした。

「先程の様に言い逃れはさせんぞ」

何とか威厳を保とうと吉川はそう凄みを利かせながら、上着のポケットに入れていた封筒を取り出す。封筒の中から紙を取り出して広げると、大和の前にあるテーブルの上にそれを滑らせた。
どこにでもあるA4サイズの普通紙だ。
そしてそれは大和も以前目を通したことがある鴉傘下のチーム名がリストの様に並べられたものだった。

「これはお前達が薬物の売買に関わっていたという動かぬ証拠だ」

大和の反応を窺いながらそう口にした吉川は、特に変わる事のない大和の顔色に更に揺さぶりをかけようと話を続ける。

「消されると困るんでな、名前は教えられんが。薬物所持及び使用の現行犯で逮捕した容疑者の一人が取引相手の名前を吐いた」

「それがうちの総長だと?……笑わせてくれる」

「それはどういう意味だ」

聞き返した吉川に大和は笑っていない眼差しを返すが、答えない。

「真偽はともかく、こちらは後藤からも話が聞きたい。居場所を教えてくれないか」

初めから拓磨を疑ってかかっている吉川とは違い、少年課はスタンスが違うのか睨み合う二人の横合いから小林が口を挟んだ。
大和の視線がそちらに流れる。

「アイツは気紛れな奴だ。気が向いた時にしか現れない」

「それは…知らないということか?」

「ならば、お前達も後藤の動向を把握していなかったという事だな。このリストの連中が何処で何をしていたのかも」

吉川は我が意を得たりと頷いて言う。大和はその上に否定の言葉を被せた。

「アンタ達がどういう捉え方をしているのか興味もないが、このリストとやらに載っている人間はうちの奴らじゃない」

「そうだな、後藤は発覚を恐れて我々が踏み込む前に証拠の隠滅を図った。そうであろう?」

そう言うだろう事は予測済みだという余裕の表情で吉川は大和の反論を封じる。
その決め付けきった吉川の態度に大和は何の感情も浮かばない眼差しではっと吐き捨てる様に息を吐き出した。

「話にならない」

「ほぉ、認めるのか」

「アンタとは話すだけ無駄だと言っているんだ」

大和は自身の発した言葉通り、刑事達から向けられていた視線を切る様に視線を外と、現在進行形で倉庫内を捜索している捜査員達に目を向け、その様を観察し始めた。

「待ってくれ!それはソタイの見解であって、こちらはそうとは考えていない。確かにリストに上がっているチームが某かの制裁を受けたのだとしても、リストにないチームも複数潰されているのを少年課では把握している」

「何を言い出すつもりだ、貴様」

ジロリと隣からねめつける様に向けられた眼差しを跳ねのけ、小林は言葉を続ける。

「こちらは真実を知りたいだけなんだ。その為にも後藤本人から直接話を聞く必要がある」

真実という、耳障りのいい単語に大和の眉がしかめられ視線が刑事達に戻される。その事に小林がホッとしたのも束の間、とうとう大和から最終通告が下された。

「アンタの言う真実が俺達の知り得る事実と同一になる可能性がどこにある?」

「それは話を聞いてみない事には何とも言えないが…」

「そもそも俺は……俺達は、はなからアンタ達を信用していない。アンタ達は何も知ろうとせず、一人の人間を殺しかけたんだからな」

どうしてあの時、アンタ達は拓磨を助けてくれなかったんだ。真実が知りたいだけだと言う口で、何故あの時は真実をきちんと追及してくれなかったんだ。もっと誠実に拓磨の話に耳を傾けて、真っ当な捜査をしてくれていたら。こんな事態にはならなかった。
こんな時だけ正義面をして現れる刑事に大和の胸に今更過ぎる思いが浮かんで消える。

志郎さんの死を切っ掛けに、鴉の大部分はバラバラになった。しかし、それだけが真実ではない事を大和は知っている。前副総長であった人間から大和はこの地位を引き継ぎ、この場にいるのだ。志郎さんを慕っていた鴉の人間が、その死をただ受け入れるだけで終わるはずがなかった。鴉に刃向かう者には制裁を。こちらの手を知り尽くしているマキを逃しはしたものの、志郎さんと拓磨を襲撃した実行犯は既にこの世にはいないだろう。その為に彼らは鴉を抜けたのだ。鴉の名を汚さない為に。その手を限りなくグレーの所から真っ黒く染める為に…。
そして元鴉の彼らが今何処で何をしているのか、それは大和も知らないことだ。
それきり一切の連絡を絶った彼らに、大和はその覚悟を知り、拓磨の帰る場所として、何も知らされず残された者達の為にも、鴉の再建に奔走したのだ。今の鴉を形作っているものは真実を知る一握りの人間、小田桐や花菱といった前鴉の部隊長から正式に引継ぎを受けた者達。各チームの前総長から話が通っている者もいれば、何も知らされていない者と上層部には新旧のチームが混在している。

「アンタのいう真実が必ずしも正しいとは限らない」

善とは何か、悪とは何か。
それは誰にとっての善なのか。
大和は氷堂の手を取ってから幾分か変化のあった拓磨の表情を思い出し、これまで表面に出していなかった敵意を乗せた双眸で対面に座る二人の刑事を鋭く射抜いた。

「奴らを連れてさっさと引き上げろ。これ以上は不愉快だ」

完全に敵としてみなされ向けられた視線に二人の刑事は夏場だというのにひやりと背中に冷たい氷を入れられた様な寒気を感じて微かに身を震わせた。大和は今度こそ話は終わりだという様にソファから腰を上げた。

「まっ…」

待て、と制止の声を上げようとした吉川は耳元で走ったノイズにその声を呑み込む。右耳に付けたイヤホンから、熊井組の組事務所を張っていた捜査員から緊急の報告が上がってきたのだ。

『大変です!事務所に現れた数名の組員が引田を強引に車に押し込み逃走しました!』

「なにっ?」

『今、別の捜査員が追跡していますが…』

続く言葉に被さる様に、倉庫内を捜索していた一人の捜査員が芳しくない情報を耳打ちしてくる。

「駄目です。何も出ません」

首を横に振る捜査員の厳しい表情の向こう側で、少年課所属、紅一点の遠藤が何故か怒り心頭といった様子で棚の中に納められていた雑誌類をバサバサと抜き落としていた。

「おい、遠藤。お前、それ下手すると器物損壊になるからな」

「うるさいわね!こんないかがわしい雑誌、…じゃなくて、この本棚の隙間とか雑誌の間に何かあるかも知れないじゃない」

「嫌なら別の奴に調べさせりゃいいだろ。どう見たってここは男所帯なんだから、エロ本の一つや二つあっても普通…」

呆れた様子で遠藤に答えるトワは仕切りの中に置かれていたベッドの上で面白そうな顔をして、コンパクトカメラを構えている珠樹をちらりと見下ろす。トワと視線が合った珠樹は軽くペコリと会釈をしたものの口を開くことはなく、この場で起きていること全てを記録していた。
その用意周到な様子にトワは溜め息を一つ落とすと、刑事としての仕事を全うする為に口を開いた。

「餓鬼、そこを退け。調べさせてもらう」

「どーぞ」

珠樹はトワに逆らうことなく、ベッドの上から退いてその場を明け渡した。
それでも警察による捜索は明け方まで続けられた。




そこまでして警察が上げた成果といえば…
熊井組から銃を所持していたとして、したっぱ二人が銃刀法違反で捕まり、別の一人が薬物所持で現行犯逮捕。引田の行方は継続して追跡中で、熊井組への警戒も張られたまま。
一方、鴉の拠点からは熊井組との繋がりを示す様な物も、薬物も何も上がらず、家宅捜索は空振りに終わっていた。
唯一得たものといえば、元から悪かった鴉の警察に対する心証を悪化させたことだけだった。

また、鴉から物証が出なかった以上、鴉に関わるべきではないとソタイの中に設置されていた合同捜査本部から引き上げてきた自身の部下にあたるトワの話に、その直属の上司である新倉 巌は最奥に置かれていた自席に座り、厳しい顔を更に難しく歪めてポツリと低い声を落とした。

「ソタイも下手を打ったな」

「えぇ…」

「ただでさえ、あの後藤の一件で我々は恨まれている。もう少し慎重に事を運ぶべきだった」

そこまで口にして、机上に落とされていた視線がふと机の前に立つ、トワに向けられる。

「お前にしてみれば古巣を荒らされてさぞ腹を立てているかと思ったが、そうでもないようだな」

「別に、俺が出るまでもなくアイツ等ならもう大丈夫だと確信出来たんで」

俺が腹を立てるまでもない。
事実、警察は鴉に遅れをとった。
あちらの方が一枚も二枚も上手で、今回の件に限っていえば尻尾をつかむ前に煙に巻かれた感じだ。

「そうか…」

トワの直属の上司である新倉 巌は、警察署内においてトワが鴉に所属していたことを知る唯一の人間だ。
その心の内で何を思っているのかトワも知らないが、何かと便宜を図ってくれる良い上司ではあった。


[ 82 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -