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沈黙に包まれたまま、車は再び走り出す。
周防の物言いたげな視線を無視した拓磨は車を降りる時に外していた三角巾をつけ直すと、後はそのまま座席に深く身を預け、視界を閉ざした。
また、その横では、闇に閉ざされ流れ行く窓の外の景色に目を向け、大和が静かに思考を巡らせていた。

そうして、どれぐらい経ったか。
花菱が運転する車は国道や大通りを抜け、いつの間にか入っていた細い路地の一角で停車した。

「大和さん。車はいつもの所に入れてあるそうです」

「分かった」

運転席から振り返った花菱がそれだけを告げれば、大和は予定通りだと言う様に一つ頷いて返す。
それから大和は横で目を瞑って休息をとっていた拓磨に抑えめの声で声をかける。

「降りれるか、拓磨」

「あぁ…問題ない」

応えながらゆっくりと目を開けた拓磨の顔色を確認し、大和は助手席に座る人間にも声をかけた。

「お前も降りろ。車を乗り換える」

声をかけられた周防は大和の言葉に素直に従い、車を降りると率先して拓磨が降りる側の後部のドアを開けた。

「どうぞ」

その周防の行動に拓磨は一瞬周防に視線を向けたが、結局口を開くこともなく、黙したまま車から降りる。

「花菱。後は…」

「分かっています」

車から降りる直前、大和は声を潜め、拓磨達には聞こえない声で花菱へと一言掛けてから車を降りた。
間もなく、三人を降ろした車は発進し、暗い路地の中を迷うこと無く走り去って行く。
遠ざかる車とは逆方向に大和が歩き出し、拓磨もその後に続く。周防は目の端で周囲の様子を確認しながら、拓磨から離れすぎないようにして付いて行った。

時間にして三分ほど、入り組んだ路地を歩いた先に、闇の中に沈んだように静かな住宅街が現われる。深夜も深夜を回ったこの時間、当然人の姿は見当たらない。そう思われた先、暗闇の中に煌々と明かりの灯る自動販売機の前に髪の毛を茶色に染めた若者が二人佇んでいた。その手には自動販売機で買ったと思われる缶ジュースが握られており、たまたまここに飲み物を買いに来たという様子であった、が。

「ちーっす」

「お疲れ様です」

しかし、そんな偶然が深夜の住宅街の中にあるわけもなく、二人の若者は拓磨と大和の姿を認めると、背筋を伸ばし、挨拶をしてきた。また、不良としては珍しく、夜中の住宅街という点を考慮したのか、二人の声は控えめだった。
その不良としてはどこか可笑しな風に常識を弁えた、見覚えのある顔に拓磨は「スワローのか…」と、二人の若者が所属しているチーム名を呟いた。

「っ、覚えて頂けてるとは光栄です」

「っす」

それだけのことで、若者二人は目に見えて、嬉しそうに表情を輝かせる。
それはそうだろう、自分達のトップに立つ人間が、自分達の事を知っていると、認めていると、言っているようなものなのだから。

「相沢さん。こちら、お預かりしていた鍵です」

だが、スワローの総長は一度緩んだ表情を瞬時に引き締め直すと、自分の役割を全うしようと、大和に向けて握った右拳を突き出した。
大和の左手の掌の上に車の鍵が落とされる。

「確かに受け取った」

「俺達は別に足を用意してありますから」

「こっちのことは気にしないで行って欲しいっす」

スワローの副長が先を促すように総長の言葉に付け足して言う。

「お前達も今日は程々にしておけよ。…今夜は何かと物騒だ」

表情を取り繕った所で、傍目から見ても分かりやすくテンションを上げている二人に冷やかな眼差しで釘を刺すのを大和は忘れず。

「…っ」

どこからともなく肌を撫でた冷気に、二人は即座に頷き返していた。

そして、拓磨達はスワローの二人に見送られてその場を後にした。



住宅街の中にある、月極駐車場から一台の車がゆっくりと動き出す。
その車は拓磨を迎えに行った時に大和自らが運転していた車だった。もっと厳密に言えば、大和自身の車ではないのだが、その事実を知る者は数人しかいない。

「身体だけでも休めておけ。着いたら声をかける」

ハンドルを握った大和が、ルームミラー越しにちらりと視線を走らせ、後部座席に座る拓磨へと声を投げる。

「そうだな…。頼む」

僅かに逡巡するような間を開けて答えた拓磨は小さく息を吐いて、目を瞑る。

「……」

大和と拓磨の会話が途切れれば、自然と車内は沈黙に包まれる。行きと同じく助手席に座った周防も口を閉ざしたまま、邪魔をするような事もなかった。




マンションのエントランス付近で緩やかに車を停車させた大和はさり気なく周囲の様子を確認してから後部座席で目を閉じて身体を休めている拓磨へと静かに声を掛ける。

「着いたぞ、拓磨」

「ん、…あぁ」

何処かぼんやりとした緩慢な動作で座席から身を起こし返事をしてきた拓磨をルームミラー越しに見返し、大和はその視線をそのまま助手席に座る周防へと流した。

ひやりとした冷たさを湛えた眼差しが周防へと突き刺さる。

「拓磨を休ませてやれ」

そう伝えろと、向けられた眼差しに反して温度を含んだ小さな声に周防が頷くより先に車のドアロックが外される。始めから周防の返事など必要としていなかったのか、大和は続けて拓磨に言葉を投げる。

「しばらくこっちには顔を出すな。落ち着いたら俺から連絡する」

「……分かった」

周防は今夜の短い時の中でしか大和と拓磨が一緒にいる所を見ていないが、この二人の間には確かな絆があるように感じられた。短い言葉のやり取りの中に相手への信頼や気遣いが見える。
そんな二人のやりとりを横目に周防は先に助手席から降りると後部座席のドアを開けた。が、ここでもやはり拓磨は周防を一瞥しただけで何も言わずに開かれたドアからゆっくりと降りた。

無言のままエントランスへと向かう二人の姿を見送ってから大和は車を発進させた。

ひと先ずマンションのエントランス内へと入った拓磨は周防が入口のセキュリティを解除するのを待ちながら空調のきいた建物内で小さく息を吐き出す。

今になって重怠く感じる身体の変調に拓磨は眉を寄せた。

「大丈夫ですか?」

セキュリティを解除し、ちょうど一階で停まっていたエレベータのドアを開けた周防はそのままの状態を維持しながら背後を振り返って心配そうな表情を浮かべた。

「別に、問題ない」

その視線を振り払う様に淡々とした声で答えて流した拓磨はさっさとエレベータに乗り込む。周防が階数ボタンを押し、エレベータの扉が閉じていくのを拓磨はエレベータの壁に背を預けてぼんやりと眺める。

「あの、先程は申し訳ありませんでした」

ふわりと籠が浮き上がる感覚を感じ取ったと思ったら、次の瞬間に操作ボタンの前に立っていた周防が拓磨を振り返り、頭を下げてきた。その口から謝罪の言葉が告げられる。
先程のと言えば心当たりは一つしかないが、拓磨はその謝罪を受け取る気は無かった。むしろ、その態度が癪に障る。
拓磨は下げられた頭を感情の籠らない眼差しで見下ろした。

「何を勘違いしてんのか知らねぇけど、俺にはお前に命令する権利はない」

集会の最中では立ち位置の違いを周囲に明確に示しておく必要があり、あれやこれやと上からの物言いで言ったが、本来周防と拓磨の間には上も下もない。
しかし、だからこそか、拓磨は周防の謝罪を不快に感じた。

「それでも俺は…俺のせいで手間をとらせましたし」

僅かな間を空けて頭を上げた周防の言い分を、拓磨はだから?と冷淡な口調で遮る。

「そんなことはどうだって良い。俺は猛に言われたからお前の同行に目を瞑ったんだ」

けどなと仄かに熱の宿った台詞が周防の眼前に突き付けられる。

「猛の不利になるような行動を取る人間を…俺は側に置きたいとは思わねぇ」

お前は誰の命令で動いているんだ。
誰の下に付いているんだと、優先すべきは俺のことではないと拓磨は自分のことを二の次として周防に厳しい言葉をぶつける。

「役目を間違えるなよ」

自分の存在が猛の不利になると判断すれば迷わず消えることを選んでしまいそうな強い意志を感じさせる拓磨の言動に周防はハッと息を呑む。

事実、猛と共にいることを選んだ今の拓磨の中では鴉と同様に猛の存在も自己を保つ上でとても重要な位置を占めるものに変わってきていた。また、その事をこの一件で拓磨自身も薄々とだが自覚してきていた。

「それに、自分の事は自分で護る」

そうきっぱりと言い切った拓磨は、エレベーター内に落ちた重い空気を裂くにように鳴った到着を告げる機械音に、壁に凭れていた背を起こすと、開いた扉に向かって歩き出す。
その背中を周防は慌てて追いながら、自分の思慮の浅さを反省した。

それほどまでに拓磨が組のことを気にかけていたとは。認識が甘かったのは自分の方だったのだ。拓磨は組の客人ではない。拓磨は鴉という別組織の人間でありながら、今は組の人間でもある。それも彼らが仰ぐ会長の大事な人。

周防はそう認識を改めるとより一層気を引き締めて、護衛としての職務を果たすべく、拓磨が無事マンションの一室へと入って行く姿を見守った。



周防をマンションの廊下に残して玄関へと入った拓磨は後ろで閉まった扉の音に混じって大きく息を吐き出す。
そして、のろのろと靴を脱いで玄関を上がった所で、まだ寝ていなかったのか光の漏れていたリビングから猛が出てくる。

「帰ったか」

猛の視線が怪我の有無を確かめるように拓磨の身体の上を滑っていく。
そんな猛の視線を受け流しながら、拓磨は足を進めると言葉少なに猛の横を通り過ぎた。

「手、洗ってくる」

緩慢とした足取りで洗面所に入って行く拓磨の姿を目で追った猛は微かに眉を寄せる。

「相当消耗してるな」

拓磨が相手どって来た面子を考えるとそれも不思議ではないが。その前に今の拓磨はまだ体力的にも精神的にもまだ完全に癒えたとはいえない。
不安の影が過る拓磨の様子に猛はリビングに戻ると、拓磨がリビングに顔を出すのをソファに座って待つことにした。
また、ちょうどその時、猛の携帯が着信を告げた。

携帯の画面表示を見れば日向の名前。
猛はちらりとリビングの扉に視線を走らせてからその電話を取った。

日向からの連絡は主に周防からの報告内容であった。今現在、この一室には猛の命令で、組の人間は不用意に入らないようにと通達が出されているので、周防は猛に直接会って報告する事が出来なかったのだ。
猛は日向経由で大和からの伝言を受け取ると、今一度リビングの扉へと目を向け、その双眸を細めた。

『…と、いうことです。何か他にこちらで手配しておくことはありますか?』

そして日向はこちらの様子に配慮してか、手短に用件だけを告げて話を終わらせようとした。それに猛は間を置かずに口を開く。

「昼過ぎで良い。念の為、三輪をこちらに呼んでおけ」

『分かりました』

日向との通話を終えてもリビングに姿を見せない拓磨に猛はソファから腰を上げた。

「………」

当の拓磨は洗面所で手洗いを終えた後、ふと鏡を見るように顔を上げた所でくらりと狂った平衡感覚に、咄嗟に洗面台に左手を付いていた。

「…っ、…まずい」

自身が認識している中でも、一等安心できる場所へと帰って来たことで、とうとう緊張の糸が切れたらしい。加えて気が緩んだところへ、身体へと掛かっていた負担が一気に押し寄せてきた。
せめて寝室まで持ってくれればと、拓磨はそれらを遣り過ごそうと小さく息を吐き、顔を俯かせて、一度きつく瞼を閉じた。

「はっ、これしきで…情けねぇな」

ままならぬ事態に拓磨の口から自嘲の言葉が零れる。
しかし、そうしている内に猛の方が異変に気付いたのか人の気配が洗面所の入口に現れた。
閉じていた目を開けた拓磨はちらりとそちらに視線を流し、問いかけられるより先に自分から言葉を投げた。

「ちょっと目眩がしただけだ。少し待てば…」

「動けねぇんだろ」

強がりは止めろと射ぬく様な眼差しで言葉を遮られ、猛が洗面所に入ってくる。
そう、この男の前では虚勢も無意味だった。
さんざん猛に言われた言葉が頭の中を巡り、拓磨は大人しく口を割った。

「寝室までは持つと思ったんだ」

「過信しすぎだ」

拓磨の側まで寄った猛は動けないでいる拓磨を見下ろし、暴れるなよと言って手を伸ばす。

「は?」

一瞬言われた意味が分からなかった拓磨だが、洗面台に付いていた左手を取られ、猛の首の後ろに回された所で理解が追い付く。
猛の右手が拓磨の背中に添えられ、横抱きに抱え上げられた。

「ちょっ…待て!」

「うるさい、これしきの事で騒ぐな」

そう言われて黙っていられるほど抵抗がないわけじゃない。こう何度も軽々と抱き上げられては男としての矜持が揺らぐ。

「運ばれるのが嫌なら自分の限界ぐらい把握しておけ」

反発心から猛を睨み付けてみたが、逆に正論を突き付けられて、大人しく黙るしかなかった。
そうやって寝室に運ばれた拓磨は意外と丁寧な手付きでベッドに下ろされる。

「お前はもう寝ろ」

「っ、その前に…アンタに聞いておきたいことがある」

拓磨は離れていく猛の右腕を掴み、下から猛を見上げて視線を合わせる。

「何だ」

本当に長話をする気はないのか、端的に問い返された。見下ろしてくる凪いだ静かな双眸に拓磨は僅かに躊躇った後、言葉を口にする。

「…俺はアンタの領分に首を突っ込むつもりはない。けど、今回の一件で知っておかなきゃならないことが出来た」

「ほぅ…何を聞きたい?」

交わる視線の先で猛が興味深そうに瞳を細める。

「俺に知られたくないなら答えなくてもいい…」

「言ってみろ」

「……アンタの敵が誰で、誰が味方か」

もう、組が絡んだあんな事態には早々ならないと思うが念の為だ。猛の側に身を置くことを考えれば鴉の総長としても個人としても知っておいて損はない情報だ。
ただし、そこには当然氷堂組の内情が絡んでくるだろう。…それを猛はどこまで俺に開示してくれるだろうか。

そう一抹の不安を胸に抱いて投げ掛けた問いを猛は「そんなことか」と一蹴した。
そればかりか、聞きたいことはそれだけかと他に話がない事を確認すると勝手に話を切り上げてしまう。

「やっぱり俺には言えないことか…」

「今するには説明が面倒だ。今度、唐澤か日向にでも聞いておけ」

「え…?良いのか?」

「お前が言い出さなくても、いずれ覚えさせるつもりだったことだ」

予定調和の内だと言われても、拓磨は猛が何をどこまで考えているのか知らない。分からない。
ふと、…そういえば前にも猛のことで似たような事を俺は考えなかっただろうか。

別の事に意識を囚われそうになりながら掴んでいた猛の右腕を放せば、その手がベッドに仰向けに寝転がった拓磨の頬に触れてくる。

「なに…?」

鈍い反応を返す拓磨の頬の上をそっと輪郭をなぞるように指先が滑り、何となく猛を見上げた拓磨の顔に影が落ちた。

「なにす…っ」

上から覆い被さる様に突然口付けが降ってきた。
いきなりの事に意識を引き戻され、目を見張った拓磨の耳に咎めるような低い声が落とされる。

「俺が目の前にいるのに考え事か?」

「誰のせいで、俺はアンタのことしか…」

素直に白状しかけて、それは本人を目の前にして言葉にするには若干恥ずかしいことだと途中で気付いた拓磨は不自然に言葉を途切れさせた。しかし、目の前で弧を描いた唇が全ては筒抜けになっていると拓磨に教えていた。

「っ、俺はもう寝る!疲れたんだ」

最後の抵抗として拓磨は猛から顔を反らすと、もっともらしい言い訳を口にして瞼を閉じた。その耳に流し込むように猛の声が注がれる。

「添い寝は必要か?」

「いらねぇし、」

一人で寝れると、拓磨はまだ猛と話しているつもりだったがそうと気付かぬ内に語尾は曖昧になり、急速に引き込まれるように微睡みの中に身を委ねていた。
瞼を閉じた時点で限界にきていた身体が休息を欲したのか、はたまた猛の体温に触れて安心したのか拓磨は落ちるように意識を手放していた。

瞼を閉ざし、小さな寝息を立て始めた拓磨に猛は室内に置かれていた時計に目を向けるとベッドの端に腰掛け直し、拓磨の髪に触れる。

「お前が知りたいと望むなら、俺はそれを叶えてやる」

代わりに、お前が知らないところでお前に関する情報を得ていることは黙認してもらう。とはいえ、それに関して拓磨は知りようがないのだが。

暫く拓磨の寝顔を眺めていた猛は触れていた髪から手を離すと、ベッドの端に追いやられていたタオルケットを拓磨の身体に掛けてやる。

「お前はもう少し自分を大事にすることを覚えろ」

むしろ、覚えさせるべきかとこれまでの拓磨の行動を思い返して、猛は今後の事を思案した。


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