01
人通りも無くシンと静まり返った夜。蒸し暑さが身に纏わりつく。
深夜十二時、時間きっかりに一台の黒い車がマンションのエントランスへと滑り込んで来た。
拓磨は無言でその車の後部座席へ乗り込む。
そして、ハンドルを握っていた大和は拓磨に続いて乗り込もうとした見知らぬ若い男をバックミラー越しに見咎め、涼やかな双眸を鋭く細めた。
「拓磨、ソイツは何だ」
蒸し暑い空気を切り裂く様なひやりとした声に動じた様子もなく、拓磨は事実だけを告げる。
「猛が寄越した人間だ。名前は周防。歳は二十三。コイツの面倒を見る必要はない」
「そうか。…周防、お前は前に乗れ」
拓磨の隣に乗り込もうとしていた周防は大和の有無を言わせぬ冷ややかな眼差しに、文句も言えずに助手席へと回った。
そして車は深まる闇の中ゆっくりと動き出す。
その様子をエントランス内から見送った猛は、懐から携帯電話を取り出すと何処かへと電話をかけ始めた。
「…俺だ。保留にしていた屋敷の件、手配しておけ。数日中にはそっちへ移る」
エレベータへと足を向けながら猛は相手と会話を交わす。
「あぁ…何も問題はない」
エレベータ脇のボタンを押せば、すぐに扉は左右に開いた。到着していたエレベータに乗り込み、エントランスの方を一瞥した猛は静かに扉を閉めた。
シンとして会話も無い車内に周防は居心地悪げにみじろぐ。
拓磨は窓越しに流れていく夜の景色をぼんやりと眺め、大和は時おりちらりとバックミラーに視線を走らせる。
その違和感に拓磨が気付いたのは程なくしてからだった。
座席に凭れていた背を起こし、目だけで背後を確認し、口を開く。
「大和…今、何処に向かってる?」
鴉のアジトがある港の倉庫街とは逆側にあたる、山側へと離れて行く道へハンドルを切りながら大和は静かに答えた。
「国道だ。今夜の集会場所を変更した」
「…何があった?」
聞かされていなかった変更に、それが急遽なされたことだと気付いて訝しむ。
的確な質問に、大和はちらりとバックミラー越しに一瞬視線を合わせて一段と冷え込んだ声で言った。
「倉庫街を警察が張ってる」
「警察が?…騒ぎすぎたか」
「いや、どうも違う感じらしい。俺達を捕まえる為だけにしては物々し過ぎるそうだ」
急遽変更になった理由に考え込むように眉を寄せる。休息をとったとはいえ僅かにダルさの残る身体で、万が一警察を相手にすることになったらどこまで立ち回れるか。
「心当たりはマキの持ち込んだクスリぐらいだ」
「トワから連絡があったのか?」
「いや、小田桐からだ。アイツも今夜の集会には顔を出すと言っていた」
「小田桐が…」
「あぁ、口にはしないがアイツもお前を心配していた」
「そう」
二人のやり取りを耳にしながら周防は首を傾げる。ことのあらましを日向からざっと聞かされてきたが、知らない名前が出てきて疑問を抱いた。
しかし、自分は部外者であり、二人の間には口を挟めるような軽い雰囲気はなかった。
そして車が停まったのは国道沿いにある、潰れてそのまま放置されたアミューズメント施設の駐車場だった。
店舗の硝子は既に意味を成さずに足元に飛び散り、ボロボロになった外壁は元の色が解らぬほど何重にも噴きかけられたスプレーの落書きで埋め尽くされている。
車が停められた駐車場のコンクリもひび割れ、白線は消え、所々から好き勝手に草が生えていた。
そんな忘れ去られた場所に、何台ものバイクと車が集結している。皆思い思いに輪になり、地べたに座り込んで話をしたり、バイクを弄ったり好き勝手やっていた。
「うっわ…すげぇ」
流石に鴉傘下の下の下まで集めることは出来ないので、この場に居るのは鴉本隊と鴉傘下の主要な人間、その下の頭達だけだ。それでも両手では数えきれないほどに人が集まっている。
年の頃は十代後半〜二十代前半。
思わずと言った風に口を開いた周防へ大和は冷ややかな視線を向ける。
「周防、お前は降りたら拓磨に近付くな」
「は?俺は護衛の為に…」
「必要ない。拓磨の側には俺がいる」
周防の反論を最後まで聞くことなく切り捨てた大和は、エンジンを切るとドアのロックを外した。
「ちょっと待てよ、俺は日向幹部から…」
「それはお前の都合だ。俺達には関係無い」
大和の言葉を耳にしながら俺は口を挟むことなく後部座席で静観する。
するとちらりとバックミラー越しに大和と視線が重なり、無言で降りるように促された。
ドアを開ければ大和と言い合いをしていた周防が舌打ちする音が聞こえる。それに被さるように大和の冷えきった声が耳へと届いた。
「部外者が。これ以上拓磨への不審を募らせるつもりか」
「そんなつもりはないけど…」
「だったら大人しくしていろ。袋叩きにあいたいならそれでも構わないがな」
言うだけ言ってキーを抜いた大和は車から降りる。それを待ってから俺は足を動かした。
「余計なことをしたか?」
車から降りた周防は不満そうな顔をしながらも近寄って来ようとはせず、肩を並べてきた大和の言葉に俺は首を横に振った。
「いや…問題ない」
車から降り、歩き出した俺達の姿に好き勝手やっていた者達がざわざわと気付き始める。視線が自分達に集まるのを感じながら輪の中に入っていけば、そこかしこから聞こえる声。
「後藤さんだ…」
「何だあの右腕。炎竜にやられたって本当だったのか?」
「いやちげぇだろ、何だかって言う裏切り者が…」
「それより後藤が先代を潰したって…」
「相沢さんは何も言わねぇし。何を考えてんだか」
「だからそれを今夜の集会で…」
囁かれてる内容を右から左に聞き流し、車やバイクのライトで照らされた集団の前まで進み出ようとしてその手前で俺は足を止めた。
ライトの当たらないところに停めてあったバイクに寄りかかっていた人影が、身を起こしてこちらに向かって歩いてくる。
その姿に俺は瞳を細めた。
明るい所へ出てきた人影は無駄のないすらりとしたしなやかな獣を思わせる長身に、それに似合った鋭い黒の眼光。濡れ羽色の黒髪に赤いメッシュが入っている。
「…小田桐」
足を止めて呟いた俺に、大和も近付いてくる人間に目を向け足を止めた。
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