09


慣れた手付きで上着を羽織り、テーブルの上に置かれていたファイルを片付けた猛は何を思ったのか、ソファに座ってその様子を眺めていた俺に近付いて来た。

何だと少し警戒して見上げれば、不意に持ち上げられた猛の右手が俺の頭の上に置かれ、寝室の続きのように優しくくしゃりと撫でる。

「………」

猛の意味不明な行動に虚を突かれ、黙ったまま受け入れていればその手はすぐに離される。同時に俺の側からも離れた猛は上総へ顔を向けると平素と変わらぬ態度で口を開いた。

「後は頼むぞ」

「…はい」

会合とやらに参加する為にリビングを出て行く猛の背中を俺はソファに座ったまま見送る。

「………」

わざわざキッチンから出て見送りに立った上総は俺以上に何だか妙な顔をしていた。

「なんなんだ一体…」

ガチャンと玄関扉が閉まる音に混じって呟けば、ちらりと上総から視線を向けられる。
何とも言い難そうなその表情に俺は眉を寄せ、聞くだけ聞いてみた。

「何だ」

「いや…、会長が誰かの頭を撫でるなんて…あぁ、やっぱり良い。何でも無い。夕飯は何が食べたい?」

無駄に下手くそな誤魔化しに、何だかそわそわとして気持ちが落ち着かない。
これも三輪の言う病気の一種なのだろうか。

妙に居心地が悪い。
落ち着かない。

感じるそれらを無理矢理心の隅に追いやって、僅かに間を開けてから俺は返した。

「カレー…」

「カレーな。分かった。出来たら呼ぶから拓磨くんは寛いでて」

再びキッチンへと入って行った上総に俺はソファから立ち上がる。
リビングから自室に向かい、ドアを開けて中に入ると後ろ手にドアを閉めた。

そして椅子を引き出して座り、無造作に机の上に置かれていた携帯電話を手に取る。片手でフラップを開いて、暗記している番号をポチポチと押した。

「…出れないか?」

鳴り出したコール音に耳を傾ける。
五コール過ぎたら切ろうとした指先はその役目を果たす前に下ろされた。

『……はい、相沢』

電話越しに聞こえてきた冷静な声音にざわついていた気分が和らぐ。

「俺だけど今話せるか?」

『拓磨か。問題ない。どうした?』

するりと耳に入り込んできた涼やかな声に俺は次に開かれる集会に参加する旨を伝えた。








窓の外を灯り始めたネオンが流れていく。
静かな車内の中、後部座席にゆったりと腰掛けた猛は拓磨の髪に触れた右手に視線を落とし、何事か考えるように口を閉ざしていた。

「………」

車に乗り込んできた時からいつもと何処か違う空気を肌で感じていた唐澤はバックミラーで猛の様子を盗み見ると控えめに声をかける。

「会長。今夜の議題ですが…」

「真山の件だろう」

振られた話題に猛は纏っていた空気を一瞬で鋭いものにすると表情を読ませない硬質なものに変えた。ピンと張った空気に無視できぬ威圧感。

唐澤は静かに頷き返す。

「えぇ…、少々好き勝手したので煩く言う連中もいるかと」

これから顔を会わせることになる連中の顔を思い浮かべ、猛は嘲笑するように唇端を歪めた。

「譲歩して真山組長の身柄は引き渡してやったんだ。その下をどう始末しようが勝手だ。始末する手間を省いてやった分感謝こそすれ文句を言われる筋合いはねぇな」

しかし、そう理性的に頭で理解はしていてもこの世界ではまだ猛は若造の部類に入る。その猛の活躍は古参の組幹部にとっては非常に面白くないものだった。会合で顔を合わせるなり些細なことでも必ず口煩く言ってくる者はいる。

「…唐澤。万が一拓磨について聞かれても何も答えるな。いいな」

「はい」

車が滑り込んだ先にはどっしりとした大きな門構えがあり、門柱の脇には黒服に身を包んだ屈強な男達が警護に勤しんでいた。

一度スピードを緩めた唐澤は、側に寄ってきた警護の者に窓を開けて応えると直ぐに敷地内へと通される。

ここは郊外にある広域指定暴力団葉桜会の総本部。門をくぐった先には既に何台かの黒塗りの車が確認でき、猛にとっては面倒なことこの上ない面子が雁首を揃えているのが視界に映った。

それらが屋敷の中へと若い衆に案内されていくのを見届けてから唐澤は屋敷に車を寄せ、車を停車させた。

エンジンを切り、運転席から降りた唐澤が後部のドアを開ける。

「どうぞ、会長」

「あぁ」

古参連中に気をとられていた本部の若い衆は車から降りてきた猛の姿に気付くとぎょっとし、大慌てで側へ寄ってくる。

「ようこそお越し下さいやした。氷堂会長」

「車のキーはこちらに。いつもの場所に回しておきます」

唐澤から鍵を受け取った若い衆は車に乗り込むとエンジンをかけ、大柄な見掛けとは裏腹に丁寧な手付きで車を動かす。

「ちょうど今、四条(しじょう)組長方が来たところで…」

「知っている」

四条組長方、その連中が猛のいうところの口煩い古参幹部だ。それに対し猛の組は立ち上げて五、六年。新興と言われても仕方はないが、こうして本部に呼ばれるまでになった結果を見ればその実力は自ずと知れた。

また、四条組は葉桜会の幹部として名を連ねてはいるがその実力は年々落ちてきていた。

本部の若い衆に案内されながら猛は廊下を奥に向かって進む。その一歩後ろを控えるように唐澤が続いた。

「そんなことよりオヤジは息災か」

「はい。相変わらず下の者達にビシバシ鞭を振るってます」

猛の指すオヤジとは、葉桜会を纏めている人物のことで齢六十八。白髪混じりの黒い短髪に、見るものを威圧するかのような鋭い眼光。深みのある低く渋い声音に、年齢を重ねてもまったく回転の衰えをみせない頭。

その名を轟木 源重(とどろき げんじゅう)
古参はもちろんのこと若い衆からも憧憬と尊敬を集めていた。

この世界に身を置くものとして轟木には猛も少なからず尊敬の念を抱いている。

若衆から返ってきた返事に猛はそうかと短く答え、話を切り上げる。
案内されて辿り着いた襖の内側からはざわざわと陰謀渦巻く声が漏れ聞こえていた。

「耳障りだな」

聞こえてきた声に微かに眉をしかめ呟いた猛の代わりに、ここまで案内してくれた本部の若衆に唐澤が一言御礼を言って下がらせる。

「会長。不用意な発言は…」

「俺は本心を言ったまでだ」

襖の向こう側を見据え、襖に手を掛けた猛は何の気負いもなく堂々と襖を開く。
一歩、座敷へ足を踏み入れればそこかしこから向けられる視線。
あからさまな敵意に悪意、静観する者もいれば一部好意的なものもある。

上座からはいくらか遠く、それでも下座よりは高い位置にある席へ猛は腰を下ろす。その後方に用意されていた座布団の上へ唐澤も腰を落ち着け、会合の開始を待つ。

「上からの指示もなく真山組を潰しちまうとは、とうとう氷堂も終わりだな」

「ちょっとくらいオヤジに気に入られてるからって調子に乗りすぎなんだ」

上座の方から聞こえてくる雑音を猛は綺麗に無視する。

「おい。いいのか、氷堂。好きに言わせておいて」

そして下座側、猛の直ぐ左隣に座っていた男が猛に話し掛けてくる。
年齢は猛より二回り以上は上だ。佐伯(さえき)組の二代目組長佐伯 憲広(のりひろ)

短く刈り上げられた頭に、口許に蓄えられた髭。不思議と不快感を与えないその姿は実年齢よりも幾分か若々しく見える。

話し掛けてきた佐伯に猛はちらと視線を向けると口端だけで答える。

「構うだけ無駄だ」

「そりゃそうだが…、現場では臨機応変も求められる。指示を待って、後の祭りになんかなってた日にゃ目も当てられんと俺は思うがね」

腕を組み、上座を眺めながら言った佐伯に猛はうっすらと口許に酷薄な笑みをはいた。

「…解ってる奴だけ解っていればいい。アンタのようにな」



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