07


運転席に佐々木。護衛として周防が助手席に座り、俺は猛と共に後部座席に乗り込んだ。

猛は俺が右手に持った封筒を一瞥しただけでこれといって何か言ってくることはなく、俺も特に言うことは何もなかった。

静かな静寂が車内を包む。

俺は新しく配置された周防の後頭部を仕切り越しに眺め、窓の外へと視線を移した。流れて行く景色の中に中学生か高校生か、学生服姿の若者がちらほらと見える。

俺には無縁だった高校生活。中学に入ると同時に草壁の家を飛び出した俺は親戚に所在を捕まれるのが嫌で中学さえろくに通っていなかった。

そういえば…
今更なことだが、それなら俺の居場所を草壁 良治は知らなかったはずだ。探偵でも雇って調べたのか。まぁ、命がかかっていたならそれぐらい普通にやりかねない人間だ。

心に落ちた暗い影の内ひとつを思い起こして俺は流れる景色から猛へと目を移した。

「なぁ、猛。アイツはどうなった?」

「アイツ?」

流石にこれだけでは伝わらなかったのか眉を寄せた猛に俺は言葉を付け足す。

この前、外せない用事があると俺に黙って何かしていたのは気付いていた。それが俺に関することだとも。

「俺の書類上の保護者。アイツ自体はどうなろうと構わないが、結果ぐらいは聞いておきたい」

ジッと絡んだ眼差しはほんの少し深み帯びて、淡々と言葉を紡ぎ出す。

「もう二度とお前の前に現れることはねぇ」

それはどういった意味でか。しかし、二度と現れないというなら俺にとってそれは些細なことであり、どちらでも構わなかった。

「…そう」

聞くだけ聞いてふぃと視線を反らした俺の横顔に猛が手を伸ばしてくる。するりと耳朶から頬にかけて触れてきた手に肩が跳ね、俺は条件反射のように身を退く。

触れてきた掌から熱を感じる前に離れた手は俺を追うこともなく下ろされ、俺を見て猛は微かに口端を緩めた。

「安心したか?」

「…別に。どうでもいいし」

投げやりに返した俺に対し猛は尚も余裕を崩さない表情で告げる。

「お前に降りかかる火の粉は払ってやるさ」

なんてことない様に嘯く猛に俺は言葉を詰まらせた。

「…っそうかよ」

ぎゅっと苦しくなった胸を無意識に押さえる。胸元のシャツを握り窓の外へ向けたはずの視線は建物の影に入って反射し、逆に俺に車内の様子を見せた。

それは時間にしてみればほんの数秒だったが、反射して映った窓越しに猛と視線がぶつかったような気がした。けれど俺は振り向いて確かめる気にもなれず、僅に乱された心を隠して平静を装った。







やがてマンションの地下駐車場へと滑り込んだ車は俺と猛と周防を下ろし、駐車の為遠ざかっていく。

地下のエレベータから直接上階に上がれる様になってはいるが、ここにもまた厳重なセキュリティが敷かれていた。

「流石にここまで来ると逆に不便だな」

眉をひそめ一通りセキュリティを外した猛に続き俺もエレベータへと乗り込む。護衛役の周防も当然一緒だが、俺は初めてそこで周防に声をかけた。

「それでお前はどこまで付いてくるんだ?」

冷ややかに投げた言葉を気にした風でもなく周防は答える。

「それはもちろんお二人が家に入るまでです。何があるか分かりませんから」

「………」

「それと俺のことは壁だと思って下さい。決してお二人の邪魔はしません」

周防はその発言通り、俺と猛が家の中に入るまで付いてきたのだった。
これは前にも感じたことだが、側に他人を、それも信用も信頼もしていない人間を置いておくのは苦痛以外の何物でもない。

玄関扉が閉まり、無くなった周防の気配と視線に俺は小さく息を吐く。

その点でいえば猛の存在は周防より強烈なのに側に居すぎたせいか、はたまた慣れたのかあまり気にはならなくなっていた。

先に靴を脱いで玄関を上がった猛はその様子をちらりと見て、リビングへ向かう。同じように靴を脱いだ俺はリビングには向かわず、あまり活用されていない自室へと足を進めた。

自室には机と椅子、本棚にクローゼットと…ベッドを除けば普通に一人部屋としての家具が配置されている。
俺は手にしていた封筒から写真を抜き取ると両手で持って真っ二つに裂く。ビリビリとそれが何の写真であったか分からないように破き、机の足元に置かれていたゴミ箱の中へ破いた写真を捨てた。

その上にコトンと封筒を落とし、部屋を出ようと踵を返して俺はポケットの中に携帯電話があることを思い出す。

「あぁ…そうだ」

携帯電話を取り出し、今は不必要なものだと机の上に置く。無機質なその機器を見てふと大和の言葉を思い返した。

「…一度集会に顔を出しておいた方が良い、か」

電話越しの報告だけでなく、直接鴉の現状を知っておきたいと少なからず自分でも思う。
部屋に携帯電話を残し、俺は猛のいるリビングへ話をする為に足を向けた。








猛は上着を無造作にソファの背にかけ、ネクタイを緩めて少し寛いだ様子で長い足を組みソファに座っていた。
テーブルの上にはセットされたドリップ式のコーヒーメーカーが置かれており、手元で開いていた書類に目を通していた猛は俺に気付くと目線をこちらに向けた。

「少し話がしたい。今いいか?」

それを見計らって俺は口を開く。バサリと開いていた書類を閉じると猛は書類をテーブルの上に置き、自分の右隣を示した。

「座れ」

それは猛の隣にと言うことか。俺は瞬きの間迷ったが、猛からほんの少し距離を取って猛の右隣へ腰を下ろした。手を伸ばせば直ぐにでも触れられる距離。微かに感じる体温。

とくん…と、弱々しくも身体に生じた奇妙な感覚に俺は眉を寄せ左手で軽く胸元を押さえる。その仕草を目にして隣から訝ったような声が掛けられた。

「痛むのか?」

「いや…別に。なんでもない」

気にしなければどうということもない些細な違和感だ。
俺は押さえた胸元から左手を下ろし、隣に座った猛に視線を移す。

「まだ何時とは決まってねぇけど、鴉の次の集会に俺は出る」

無言で話を聞き、目線で先を促す猛に俺はきっぱりとその言葉を口にした。

「許可は…いらないだろ」

俺はもう自由の身だ。

向けられた強い眼差しに猛はそうだなと頷き、心無し口端を持ち上げる。
鋭いその双眸をゆるりと愉快気に緩ませると視線を絡めたまま言った。

「確かに、俺にはお前を止める権利はない」

契約は既に破棄された。

「だが、逆も然りだ」

「なに…?」

不意に持ち上げられた猛の右手が俺の髪に触れる。僅かばかりたじろいだ俺の髪に触れた指先は、こめかみ辺りに触れると髪を梳くようにさらりと下ろされ耳朶に触れてきた。

「……っ」

「お前に俺を止める権利もないということだ」

それは…。

僅かに開いていた距離が縮められる。
耳朶に触れていた指先が頬を擽り、頤にかけられた。
俺は咄嗟に右手を動かそうとして猛に止められる。

「怪我を悪化させたいのか」

「だったら離れ…」

それならばと左手で顎に掛けられた指先を弾こうとして、それよりも先に顎にかけられていた指先が離れた。思わぬ行動に虚を突かれた俺は瞬間無防備になって猛を見つめる。
その先で猛はクツリと喉を鳴らし、低く笑った。

「口付けされると思ったか?」

「な…―っ、誰が…!」

「今はしねぇ。二人きりの時は特にな。怪我人相手に歯止めが利かなくなったら困るだろう」

すと身を退いて元の距離に戻った猛はソファから立ち上がるとセットしてあったコーヒーメーカーからサーバーを取る。

「飲むか?」

「……いらねぇ」

無駄に熱くなった頬に、俺は猛から視線を反らした。




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