03


「ふむ…、現実に起こったことを繰り返し夢で見る、か。それはいつ頃から?」

「病院からこの家に移ってからだから、六日前ぐらいか」

新たにペンを走らせながら三輪は質問を重ねる。

「マンションに移ってからね。とすると事件直後か。その夢のせいで眠れないとかある?」

「いや…、夢を見るのは決まって朝方だからそれはない」

朝方か、と三輪は小さく繰り返し次の質問を投げる。

「他にちょっとした事で驚いたり、イライラしたりすることはある?何か不安に思うこととか」

「…別に」

「あるんだね」

答えを避けたつもりが見抜かれてしまう。
その後も二、三個話を振られ、三輪はカチリとノック式のペンを止めると病名を告げた。

「ASD、急性ストレス障害だね」

「………」

「ストレスの多い生活を送っているとなるケースもあるけど拓磨の場合、心的外傷体験をしたせいだ」

簡単に説明すると、と三輪は医学的な単語を省いて分かりやすく言う。

「今回生命に関わる事件に遭遇したことで、拓磨の身体と心は強い衝撃を受けた。加えて、拓磨は過去にも生死に関わるような事件に遭遇している」

「その話、誰から聞いた」

鋭くなった眼差しを三輪は受け流して話を続ける。

「心の傷が癒えない内に受けた衝撃が負荷になって、現実に起こった事件を夢として見せたり、強い不安感を与えたりする。他にも現実感を無くしたり、イライラするのも過度に警戒をしてしまうのも症状の内の一つだ」

「………」

「長引くようならPTSD、心的外傷後ストレス障害の可能性もあるけど現段階ではASDだね」

話終えた三輪は一度言葉を切ると俺を真っ直ぐ見据えて付け加えた。

「会長は無闇に人の過去を話したりはしないよ」

それは猛の口から伝わったわけじゃないと言うことか。
俺は開こうとした口を一度つぐみ、…話を本題へと戻した。

「……治療法は?」

「身体と心を休めることだね。拓磨が安心だと思える場所で、安心して一緒に過ごせる人と」

「それはまた難しい事だな」

俺にとって三輪の言っている事は無理難題と一緒だ。俺は肩を竦めて薄く笑う。

「そうかな?」

けれどそんな俺に対し、三輪はカルテを片付けながら口を挟んできた。

「どういう意味だ」

「うん、まぁ。それより夢を見るのは朝方だけ?夜中とか寝付いてすぐとかはない?」

「…俺の覚えてる限りは朝方だけだ」

その度に猛に起こされている。
今朝のように、目を覚ませば着替えを済ませた猛がベッドの傍らに立ち俺を見下ろしている。

低いあの声が夢の中へと侵入して来て俺の意識を揺り起こす。
掴まれた手が俺に現実を知らせる。

「拓磨がその夢を見る時、会長は側にいる?」

「起こされはするけど側にいるかどうかまでは知らねぇ。それが何か関係あるのか」

「うん…なるほど」

何やら一人納得顔で頷いた三輪を俺は訝しげに見返す。
すると三輪は何の根拠も示さずに大丈夫そうだねと穏やかに笑った。

「拓磨の心は安心出来る場所をちゃんと知ってるよ」

「は?」

首から外した聴診器を診察カバンにしまい、三輪は再度説明をしながら湿布と薬を俺に手渡してくる。
人の話を聞かないのがコイツらの普通なのか。

聞き返すのも面倒臭くなって、薬を受け取った俺は病院に戻るという三輪を玄関まで行かずリビングのソファに座ったまま見送る。

「それじゃ」

「あ、三輪。猛が俺を連れ出しても平気か聞いとけって」

「ん?激しい運動をしなければ普通に過ごしてもらった方が身体にはいいかな。会長にはそう言っておいて」

「あぁ」

白衣を翻し、今度こそ三輪はリビングを出て行った。静けさを取り戻した部屋で一人、俺はソファに身を沈めて深く息を吐く。

テーブルの端に置いていた携帯を取って、猛へと直接電話をかけた。

「…もしもし。三輪から普通に過ごしてる分には平気だと。…あぁ、分かった。じゃぁな」

用件のみ話して、さっさと通話を終わらせる。
その一分にも満たないやり取りに、携帯の画面を見ればちょうど十一時になるところだった。

「まだ三十分はあるな」

猛は十一時半に日向を迎えにやると言った。
さて、それまでどうするか。

俺はテーブルに携帯電話を戻し、意味無くテレビを付けてみる。

「おかしいな…俺、一人の時は何してたんだ…」

番組は再放送で流れるドラマからお昼の情報番組に切り替わる。
何となくつけた番組に、俺は先週のニュースを思い出す。

マキの覚醒剤所持、使用で逮捕のニュースはテレビでも小さく取り上げられた。だが、一分にも満たない報道は直ぐに次の事件に流されていってしまった。
こうして事件は風化していくのかと冷めた気持ちで眺めながらも俺は絶対に忘れることはないだろうと強く思う。あの瞬間抱いた感情も感じた心も、みな。

「つまらねぇ」

ふつりと、付けたばかりのテレビの電源を落とし、俺はソファに身を沈めたまま考えることも放棄して瞼を閉ざす。

暗闇に包まれた視界に射し込む柔らかな光は暖かいと知っているはずなのに、身体はまた小さく震えていた。…取り戻した温かさに触れて、凍り付いていた寂しいという感情がじわじわと零れ出していた。








うとうとと、眠る一歩手前で体を休ませていれば玄関扉の開く音がして、侵入してきた人の気配に俺は瞼を押し上げた。
警戒したままリビングのドアを見つめていれば、相手は警戒心も無くドアを開く。

「迎えに来たよ」

「…日向か」

「俺かって、怖い顔して何かあった?」

「別に」

いつの間にか時計の針は半を指していたらしい。
煩く口を開かれる前に俺は一方的に話を切ってソファから立ち上がる。

「猛が待ってるんだろ」

そして、日向の横を通り抜け玄関へと向かった。

「そうだけどって、拓磨くん携帯忘れてる」

「忘れてねぇよ。置いといたんだ」

「それじゃ携帯の意味無いだろ?ほら」

テーブルの上に放置してきた携帯電話を日向はわざわざ持ってきて俺に突き出す。
いくら言葉を重ねても退きそうにない日向に、俺は仕方なく携帯を受け取って尻ポケットに突っ込んだ。

「これで良いだろ。行くぞ」

満足げに頷いた日向から視線を外し、俺は玄関に向かう。履き慣れたスニーカーに足を突っ込み、踵を入れる。
その隣には日向の物だろうブランド物の少し洒落た革靴が雑に置かれていた。

良く見れば日向自身もノータイにストライプのシャツ、明るめのスーツの上下と堅苦しくない服装をしているがどれも生地は良さそうなブランド物だ。その全てを日向は違和感無く着こなしていた。

また、日向自身も一般的な見方をすれば美形な部類に入るのだろう。

言葉少なにエレベータへ乗り込み、地下の駐車場へと降りる。
既に待機していた車のドアを開けられ、俺はここ最近で顔を合わせるようになった佐々木と言う名の運転手をちらりと見た。

何ら特徴のない顔だが、やはり纏う空気は一般人とはどこか違う。毎回何を緊張しているのか、その横顔は強張っていた。

「じゃ、行こうか」

後部座席に俺が座り、日向は助手席に乗り込むと運転手に出発するよう告げた。

薄暗い地下から車は明るい地上へと走り出す。

行き先も知らぬ車に身を委ねたまま、俺は窓の外を流れる景色をただぼんやりと眺めていた。

何も変わらない景色に、
変わったのは俺なのかと、未だ現実味に欠ける感情に俺は問い掛ける。
取り残された様に感じるのも三輪は症状の一つだと言っていたのを思い出して俺はふと自嘲するように笑った。

「弱いな…」

ポツリと溢した声が聞こえたのか日向が振り向く。

「拓磨くん?」

それには答えず、俺は目的地に着くまでぼんやりと窓の外を眺めていた。




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