02
先日の一件でマキに良いように操られた挙げ句、鴉を寝返った傘下のチームの粛清は俺の号令の元、大和の指揮により粛々と行われていた。
医者から安静を言い渡されていなければ俺も直接動く予定でいたのだが。
南を中心に既に動いている鴉の実動部隊についての報告を大和から聞く。
『南も問題なく片が着きそうだ。ただ、マキの件で動揺してるチームも少なからずいる。出来れば次の集会で顔を見せた方が良い』
「…考えておく」
『それと薬の件だが、出回っているのは主に西だと分かった。西はチームの数が少ないからな、ばら蒔いても直ぐには発覚しないと踏んだんだろう』
「炎竜も西か」
『あぁ。炎竜は武闘派で知れていたから西側に配置して西のチームに睨みを効かせて貰っていたんだ。…それも今や俺が潰しちまったがな』
付け足すように呟かれた台詞は背筋がゾッとするほど低く冷えた声音で、普段からクールな大和の身の内にも苛烈な感情が潜んでいると伝えてくる。
『それから念の為調べさせた夜道での炎竜襲撃事件。実際に炎竜の一人が病院に運び込まれている』
「犯人は?」
『西のチームの一つ。φ<ファイ>だ。ファイには今夜B2の倉庫に出頭するよう指示を出してある』
そこで事情聴取をする予定なのだろう。
大和の的確な指示と判断に俺が口を挟む余地はない。
ふとそう思って俺は深く考えずに口を開いていた。
「俺より大和が上に立った方が良かったんじゃないか」
『馬鹿を言うな』
しかしそんな俺の言葉に大和は即答で返し、冷たく突き放すような声で言う。
『鴉はお前のチームだ。俺のチームじゃ無い』
「………」
『二度とふざけた事を口にするな』
先程見せた背筋が凍るような冷たさではない、まだどこか熱を孕みながらも頬を撫でる北風の冷たさで大和は俺を諌めるように言った。
「…悪い」
『いや、思うように動けないせいで余計な事を考えるんだろう』
「…そうだな。ここのところ時間がありすぎてロクなこと考えてねぇかも知れない」
『一人で考え込む位なら誰かに話せ。俺でも良い。お前の話を切り捨てるような奴はあの人が側には置かないだろう』
大和は珍しく用件以外の事を口にして長話をする。
つられるように俺も初めて長電話というものをして、大和には教えても良いと思い始めていた猛との出会いと関係を余計な部分を省いて簡単に話すことにした。
『……そうか』
話を聞き終えた大和が発した言葉はたったそれだけ。
大和は同情の言葉も憐れみも慰めの言葉も口にはしなかった。大変だったなとも、頑張ったなとも、何も。
俺も始めから何か言葉を求めて話をした訳じゃない。だから、これでいい。
いつもと変わらない大和の様子に俺は口許に淡い笑みを浮かべ、苦笑混じりに言う。
「つまらない話聞かせたな」
『お前の事だ。つまらなくはねぇさ。…大事な話だろ』
「―――」
それには思いの外静かで真剣な声が返り、俺は続く言葉を発せないで途切れさせた。
生じた間に、耳を添えていた電話口から大和を呼ぶ別の声が聞こえる。
その声に俺は室内に置かれた時計に目を走らせて口を開いた。
「…悪いがそろそろ」
『あぁ…、集会の件考えておいてくれ。また連絡する』
「ん…」
プツリと切れた通話に、時刻を認すれば九時を少し回ったところ。
電話をかける前よりどこかほんのりと温かくなった胸に、気分も少し軽くなったような気がして俺はふぅと小さく息を吐いた。
「一限が休講ならこんな早く学校に居るはずないだろ…」
急な事でもなければ、休講情報は学校に行かずともネットで調べられる。学生用の学内情報掲示板に遅くても朝には休講情報は掲示されている。
それに、電話口の向こうから聞こえてきた声は大和に講義の始まりを報せる人の声だった。
「別に無理して電話に出なくても良かったのに」
畳んだ携帯電話をリビングのテーブルに置き、水を貰いにキッチンに入る。棚からガラスのコップを出して、冷蔵庫のドアポケットに常備されているミネラルウォーターを取り出した。
予め緩く閉められているキャップを左手で外し、ボトルを左手で掴んでコップに水を注ぐ。
冷えた水で喉を潤し、コップを持ってリビングに戻った。
窓辺に置かれた観葉植物の隣に立ち、引かれていた淡い色のカーテンを開く。暖かく射し込む陽射しの眩しさに俺は瞳を細めた。
病院で見上げた灰色の空とは違う。
青い空に風に押されて白い雲が流れる。
手にしていたコップをテーブルの上に置いて、左手で熱を帯びた窓に触れた。
「ここは暖かくて明るいな…」
何となくそんな言葉が口から零れた。
十時になると時間通りに三輪はマンションに顔を出した。
予め教えられていた複雑なセキュリティを自分で解除し、三輪は部屋へ訪れた旨を携帯電話を使って日向に連絡する。
俺はその様子をソファに座ったままぼんやりと眺めていた。
そして短い会話を終えると通話を切って携帯電話をリビングのテーブルの上に置き、三輪は持参した診察カバンを開く。中から取り出した聴診器を手慣れた様子で首に掛けた。
「さ、まず胸から診察するから上着は脱いで、シャツを捲ってくれるかな」
羽織っていただけの上着を肩から落とし、俺は片手でシャツを捲り上げる。シャツの下からは肌色ではなく、肋骨の皹を治療する為につけられたバストバンドと呼ばれる装具が覗く。
「一度外すよ。まだ痛みとか呼吸が苦しいとかあるかな?」
「特に無い」
いつも三輪は診察する時、必要以上に俺の肌に触れてこようとはしない。ともすれば誰かに何かを言われているのか、どちらでも構わないが正直俺は助かっていた。
あの事件が無くとも、元から他人に触れられるのは苦手だ。嫌いと言っていいかもしれない。その手が温かければ温かいほど…恐怖で身が竦みそうになる。
ひやりと冷たい聴診器を胸にあてられ、少ししたのち聴診器を外すと三輪は医者の顔で少し触りますね、と断りを入れてから触診をする。
「――っ」
俺はそれに息を飲んで返した。
「…うん、大丈夫そうだね。あと一週間ぐらい装具はつけてもらって、前と同じ塗り薬と湿布を出すから。痛み止めも念の為まだ出しておくけど、そんなに痛まなければ飲む必要はないから」
バストバンドを再び付けられて、次は右腕ねと流れるように診察される。
「痛みはまだある?」
「最初の頃よりはマシだ」
「う〜ん、少し赤くなってるね。ギプス付けて一週間だし少し痒みが出てるのかな。首とか肩はどう?腕を吊ってるから凝ってきてるでしょ」
医者として無駄口を叩かず診察を続ける三輪に俺も大人しく答える。
一通りの診察が終わり、三輪が真剣にカルテに診断結果を書き込んでいるのを見ながら上着を羽織直し、そこで俺は今朝猛に言われた言葉を思い出した。
最近良く見る夢のこと。
話すべきか、話さぬべきか。
医者として三輪は信用出来ると思う。
上着を羽織り終えてからもジッと三輪を見ていたせいか、カルテから顔を上げた三輪と目が合う。
「ん?どうした?他に何か言いたい事とか聞いておきたい事とかあれば遠慮無く聞いていいよ。僕は拓磨の主治医だからね」
穏やかに微笑む三輪に俺は迷ったすえ口を開いた。
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