03


クッと歪んだ唇が言葉を紡ぐ。

「そんなんで俺を騙せると思ってるのか?本当に死にたい奴はな、初めから抵抗なんざしねぇんだよ。まして、…こんな目はしねぇ」

深い、闇を思わせる漆黒の瞳が心の奥底まで侵入してくる。じかに心臓を握られる様な、底知れない感覚に小刻みに体が震えた。

「いいか。今、お前は俺のものだ。勝手に死ぬことは許さねぇ」

「…んで」

「口答えも一切許さねぇ。ここから出て行くこともだ」

「何でアンタにそんなこと言われなきゃならねぇ。俺がどうしようが俺の勝手だ」

震える体を無理矢理抑え込み、負けじと猛を睨み返す。だが、その先にある冷え冷えとした眼差しにギクリと心臓が縮み上がった。

「餓鬼が。俺は馬鹿は嫌いだ。命を粗末にする奴はもっとな」

顎にかけられていた手がするりと放され、猛が立ち上がる。背を向けた猛に俺は瞼を伏せ、途端襲ってきた体の痛みに耐えるよう掠れた声を漏らした。

「…俺にはもうこれしか償うものがないんだ」

部屋を出ようと扉に手をかけた猛は耳に届いた言葉に足を止める。

「お前は…」

ゆっくり振り返り見た猛の瞳に、途方に暮れて一人泣く小さな子供の姿が写った。








周囲の環境が子供でいる事を許さなかった。無理矢理大人になることを強要された子供は大人にも子供にも成りきれず道に迷う。

猛は小さく舌打ちを漏らすと、扉にかけた手を下ろす。思わず止めた足を引き返し、立つ力も無く床に座り込む俺の前で足を止めた。

「命を命で償えると思ってんだったら傲慢だな」

猛の言葉はきっと正しい。そう、本当は自分でも分かっている。猛の言いたいこと。志郎の望んだこと。だからこそ俺は反論出来ない。

「命は秤にかけるもんじゃねぇ、…俺が言えた義理じゃねぇがな。まして、お前が今やろうとしてることは償いでも何でもねぇ」

「………」

「ただの自己満足、逃げだ。賢いお前なら分かってるはずだ。いつまで、どこまで自分を殺す?」

俯いて見えない瞳には、先程までの取り乱した様子は見られず、その瞳はしっかりと目の前の光景を写す。

「生きたいと告げる目で死を口にする。放っておけと振り払いながら、捨てるなと言う。本当のお前はどっちだ」

「――っ」

何もかも見抜いた様な台詞にびくりと肩が震える。身を、心を護ろうと本能が働き、体を抱き締める様に俺はその場に小さく蹲った。

「選ばせてやる。これが最後だ拓磨」

顕著な反応に猛の瞳が鋭さを増し、次に発せられた言の葉が容赦無く心を貫く。

「嘘偽りなく心からそう望むなら今ここで、俺の手で、お前の息の根を止めてやる。だが…もし、俺の手を取るというならお前の欲しがっていたものを与えてやる」

俺の、欲しいもの…?

そろりと上げた視界の中で、差し出される右手。
どくりと跳ねた鼓動が呼吸を乱す。

「…っ」

その手が、在りし日の光景と重なり雨の匂いを呼び起こす。冷えきった心に差し出された温かなあの手を。

〈俺は後藤 志郎。お前は?〉

失う恐怖から、頑なにぬくもりを拒絶し続けた心に、何故か届くその声。

「…ただ一人、お前だけを愛してやる」

闇より深い漆黒の眼差しが、動揺に揺らぐ心を捉えた。

その瞬間、透明な滴が一筋、俺の頬を滑り落ちた。

「ぁ…、っ…んで?」

信じられない。信じられないものを見る様に俺は瞳から溢れた滴を左手で拭う。

「なん、で…」

悲しくも無いのに涙が溢れるんだ。
ぽたぽたと落ちる涙を、俺は自分の事なのに理解できず、呆然とする。

その頬に、身を屈めた猛の右手が触れる。
まるで、止まらぬ涙を掬うように。乱暴では無いが、優しくも無い指先が目尻に溢れた滴を払う。

「なにを―…っ」

「選んだな。それがお前の答えか」

ふっと緩んだその瞳が怖かった。全てを見透かそうとする、闇より深い色。
そのぬくもりが怖かった。優しく包み込む様な志郎のぬくもりとは違う、強引でこの身を侵食する熱い…熱。

出会った時から本能は警鐘を鳴らし続けていた。

この男は危険だと―。

「っめろ…、俺は何も望まない!」

これ以上、俺の中に入ってくるな。俺の心を乱すな。俺はこのままで良い!

涙で濡れた目で猛を睨み返せば、怪我をしていない方の腕を掴まれる。振り払う間も無く強い力で上へと引き上げられ、無理矢理立たせられた。

「餓鬼が、欲しいものは欲しいと口にしろ」

そのまま腰へと猛の腕が回され、身体を密着させる様に強く腰を抱かれる。隙間無く、布越しでも体温が触れ合うぐらい強く―。

「やっ、止めろ…止めてくれ!俺はもうっ――」

「三度目はない」

弱々しい抵抗と拒絶の言葉を断ち切る様に耳へと流し込まれる鋭く低い声。

「ぁ…」

「お前の世界が壊されることはもうない」

一度目は顔は覚えていないが確かにあった両親のぬくもり。二度目はこの手の中で失ってしまった志郎の熱。

「嘘だ…。嘘だ、俺は信じない」

心が成熟する前に受けた二度の衝撃が俺の世界を壊し、心をも凍らせていた。未だ癒す術さえ知らない傷口は血を流したまま。



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