01
首を動かし、ぼんやりと窓の外を眺める。灰色の空に灰色の雲。
自分の呼吸音しか聞こえない、静かな白い部屋。
この空間に身を横たえるのは両親が死んだと聞かされた日と今日で二度目だった。
詳細は朧気で覚えていないが、確かに俺はあの時もこうして灰色の空を見上げていたのだ。
違いといえば病室の外に常に誰かの気配を感じることか。
「………」
灰色の空に救いを求めるように手を伸ばしても、無意味な事だと知っている。
何も掴めないまま左手を握り、ぼすりとシーツの上へ落とした。
そして、開いた左手で己の頬に触れる。
「………」
あれだけみっともなく泣いたはずなのに、そこに濡れた感触は一切無い。
自然に乾いたのでもなく、誰かが拭ったのだと分かる。
「………」
しかし、目を覚ました時、部屋には誰もいなかった。
ただ、僅かに残る室内の温もりとベッドの側に置かれた一脚の椅子が、俺が目を覚ます直前まで誰かがそこに居たことを伝えていた。
「…だからなんだ」
ぎゅっとまた苦しくなった胸の辺りを左手で掴む。
「俺には関係ない」
酷く冷めた目でその椅子を見つめ、視界から追い出すように、全てを拒絶する様に再び瞼を下ろした。
起きては眠る、その繰り返しが続く。
身体が休息を求めているのか、体はだるく重い。
精神的なものもあるのだろうと、数時間前に診に来た三輪は言っていた。
窓の外は黒く塗り潰され、カーテンが引かれている。運び込まれた夕食に手をつける気もおきず、俺はベッドの上で何とか上体を起こした。
「くっ…」
少し力を入れただけで鈍く痛む体に自然と眉が寄る。それでも、久方ぶりに泣いたことで幾分か気分は落ち着いていた。
そして、今は固定されギプスで覆われている、折られた右腕に左手で触れる。
あの時、右腕が使えれば俺は間違いなくアイツの息の根を止めることが…。
違う。そうじゃない。
確かにマキは許せない。
だが、それ以上に俺が本当に許せないものは。
消してしまいたかったものは。
深い悲しみを滲ませた瞳が頼りなく揺れ、痛みを無視して左手をギリリと握る。
あの日、あの時、あの場に居た、
「俺自身だ…」
俺さえいなければ。
悲痛を滲ませた細い声が白い壁に吸い込まれて消える。
しかし、それは許されなかった。志郎本人によって。
それは志郎が最期に残した想い。拓磨が自らの道を絶ってしまわぬ様かけられた呪。
《拓磨、いつまでも愛してる…だから生きろ》
その一言が、想いが、俺を生かし、この地に縛り付ける。
それが俺にとってどんなに残酷な言葉だったのか志郎は知らない。
俺に逃げるという選択肢は始めから存在しなかったのだ。
認めたくなんか無かった。だから目を閉じ、耳を塞ぎ、逃げた。認めたら…志郎と過ごした日々まで失ってしまいそうで。
ぽっかりと胸に穴が空いてしまったかの様な虚しさに吐息が震える。
「ふっ……」
震える唇を噛み、自分の意思とは裏腹に、徐々に受け入れ始めた志郎の死に俺は嫌悪を覚えた。
気付きたくなかった。
…突き付けられた現実。
けれどもう気付いてしまった。
認めたくない心と認め始めた心がせめぎ合い、鈍く軋む。
ギリギリのバランスを保っていた心はほんの少しの刺激できっと崩れ落ちるだろう。
「だからどうだってんだ。マキを殺しても志郎は生き返らない。…当たり前だ。…なら、俺はどうして此処に居る?」
復讐する以外に、何の為に生きてる?
その時、思考の海から引き上げるように、静かな室内にコンコンと扉をノックする音が響いた。
「拓磨、入っても良いか」
次いで、熱の無い冷たさを帯びた声が俺の葛藤を断ち切るようにヒヤリと鋭く割り込んだ。
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