04


その頃、審神者代理は自室へと向かう道すがら、ちょろちょろと廊下をうろつく一匹の白い小さな虎に遭遇していた。

「この虎は確か…」

近付こうとすれば逃げる素振りをみせ、立ち止まれば何故か虎も立ち止まるという不可思議な行動を繰り返す虎に審神者代理はふと立ち止まって呟く。思い浮かべた虎の飼い主の姿を脳裏に描けばその声が曲がり角の先から聞こえてくる。

「もう、どこ行っちゃったの虎さん…」

徐々に近付いてくる声と足音に、虎を逃がさぬ為にも審神者代理は廊下で足を止めたまま相手が姿を現すのをその場で待った。虎の方も自分の飼い主に気付いたのか動かずにその場で待っているようだった。

「あっ!いた!もう虎さんったらひと…っ、審神者様!?」

廊下の角を曲がって直ぐ、虎を見つけた五虎退は喜んだのも束の間、その先に審神者代理がいたことに気付いて顔を強張らせた。ぎこちなく挨拶をしてくる。
短刀達にとってなのか、その個人の性格故かは分からないが、未だに数人の刀剣男士達は審神者代理に会うと緊張するのか、つい身構えてしまうものもいた。

いきなりの人事異動だったのだ。その気持ちも分からなくないと、審神者代理は挨拶を返しながら苦笑を浮かべた。

「あ、あの。虎さんが何か迷惑を掛けませんでしたか」

大人しく五虎退の腕に抱きあげられた虎は、自分の事にも関わらず我関せずといった様子でそっぽを向く。それに対して心配気に審神者代理を窺う五虎退に審神者代理は意識して穏やかな空気を纏い、安心させるように返す。

「特に何も御座いませんよ。私の行く先を散歩でもしていたのでしょう」

「そうですか。良かった…」

ほっと息を吐いて腕の中へ視線を落とした五虎退は肩の力が抜けた様だった。

「五虎退!あぁ、良かった。見つかったみたいだね」

虎さんと、五虎退の姿を見つけて歩いて来たのは一期一振だった。

「いち兄」

一期一振も一緒に五虎退の虎を探していたのか、その顔に安堵の色を浮かべている。そして一期一振も直ぐに審神者代理に気付いて軽く会釈をしてきた。

「何かありました?」

「審神者様が虎さんと一緒にいて」

「見つけて下さったんですか」

「偶然通りがかっただけですよ」

一期一振の誤解を解きながら審神者代理は後の用事に関わることで、その人物の居場所を一期一振達から訊いておくことにした。

「話は変わりますが、この時間、山姥切殿が何処に居られるかご存知ですか」

「山姥切殿なら今日は馬当番なので馬小屋に居ると思いますよ」

「山伏さんと一緒だって、当番表に出ていました」

「そうですか。ありがとうございます」

それでは用事があるので、と言って審神者代理は五虎退と一期一振と廊下で別れる。

「あれ?審神者様、今、帯刀していた?」

「そうだね。見た事のない刀だ。…ん?」

そう五虎退に答えながら一期一振は微かに首を傾げた。

 



馬小屋に行くならこのままの格好でも良いだろうと、自室へは寄らずに審神者代理は外へと回った。その途中で広大な畑を目にし、白い布の下でその目を細めた。

「姉上も何を考えているのやら。本丸の造りだけではなく、畑まで。あの時代を再現しているとは」

ふと懐かしくなって審神者代理は畑の側で足を止めた。

「…片倉」

そこへ、本丸の中では誰も知るはずのない名前を呼ばれる。
その声に目を向けた審神者代理の視線の先で、畑に作られたエンドウ豆の柵が揺れる。

「片倉と呼んでいいのか、訊くのを忘れていた」

エンドウ豆の蔓が覆う柵の中からひょっこりと大倶利伽羅が顔を出した。

そう、誰も知らない筈の名前だが、この本丸において例外が一人いた。

大倶利伽羅へと顔を向けた審神者代理は目元を覆う白い布を手で僅かに持ち上げると大倶利伽羅と視線を交わす。

「今はその名じゃねぇんだが、他の連中にも好きなように呼べと言ったからな。お前も好きなように呼ぶと良い」

「分かった」

用件はそれだけだったのか、大倶利伽羅はちらりと審神者代理の腰に佩刀されていた刀へと目を向けると「そいつも懐かしいな」と呟いて畑作業へと戻って行った。
畑の更に奥の方へと目を向ければ、大倶利伽羅同様、今日の畑当番なのか、厚藤四郎と乱藤四郎の賑やかな姿が見えた。

平和な日常の光景に審神者代理は頬を緩ませると、止まっていた足を動かし、馬小屋へと歩を進めた。



 

馬小屋では山姥切と山伏国広が仲良く、真面目に馬の世話をしていた。

「おぉ、代理殿!このような所まで来て、如何なさった?」

ジャージの袖を捲り上げ、馬にブラシをかけていた山伏が近付いて来た審神者代理の姿に気付いて、快活な声を上げる。

「鍛刀のことについて少々、初期刀でもある山姥切殿にお話を伺いたくて」

「おぉそうでしたか。兄弟!代理殿が兄弟に話があるそうだ!」

山伏の声に、大きな馬の陰から白い布の塊が覗く。

「審神者が写しの俺に何の用だ」

他の馬へと餌の用意をしていたのか、山姥切の両手にはバケツが提げられており、ジャージや被っている白い布に藁が付いていた。しかし、山姥切が被っている布を洗うのは至難の業だと聞いている審神者代理は珍しく、せめて布を外して馬の世話をしたほうが良いのではと、他の事に気をとられた。
布越しであっても視線を感じたのか、山姥切はハッとして、手にしたバケツが落ちるのも構わず、藁に塗れた自分を包む布を握ると審神者代理を警戒して言い放つ。

「これは外さないからな」

「…いえ、そうではなくて。鍛刀のことについて、少しお話をお聞きしたくて」

横に逸れそうになった話を本題に戻して告げれば、山姥切は自分がした勘違いに若干目をさ迷わせ、何が聞きたいと仕切り直す様に憮然とした声で聞き返した。

「当本丸に居られる刀剣男士様方の戦力バランスを考えた時に脇差がもう一振り欲しいところでして。そこで投入する資源の割合何かを、どのようにしたら最善かと伺いに来たのです」

落としたバケツを拾い上げ、山姥切は首を傾げる。

「そんなこと俺じゃなくとも。他の奴に聞けば教えてくれるだろう」

馬のブラッシングを終えた山伏が山姥切で目を止めると、ずかずかと山姥切に近寄って行き、遠慮なく白い布に手を伸ばす。

「そうかも知れませんが、私は姉上から鍛刀のことで困ったことがあったら山姥切様に尋ねるようにと、申し送りされておりまして」

事実、初期刀である山姥切は他の刀剣男士達と比べて幾分か、本丸内のことについては詳しかった。日々、自分達が本丸として過ごしている屋敷が昔、青葉城と呼ばれていた城を基に造られていることを山姥切は知っていたし、前の主である女審神者が再現されたこの場所に愛着を持っていたことも知っている。

パラパラと白い布から藁が取り除かれていくのを受け入れながら、山姥切は頼られて緩みそうになる口元を固く引き締め、素っ気無く応えた。

「しかたがないから鍛刀に付き合ってやる」



 

一方で、無理やり付き合わされている者達がいた。

「まったく、どういう教育をしているんだ」

人の話は最後まで聞くものだろうと、厨の入口に立ち、朝御飯の片付けを終えて一息ついている面々に向かってへし切長谷部は愚痴を聞かせていた。

「どういう教育って。僕、伽羅ちゃんを教育した覚えはないんだけど。理不尽じゃない?」

「酷い言いがかりです」

「お小夜。僕の分の柿も食べて良いですよ」

本日の食事当番。燭台切光忠と小夜左文字、宗三左文字がお茶を飲みながら長谷部の愚痴に対し、思い思いに口を開く。

「そもそも何で長谷部くんは僕に言いに来るの?」

「鶴丸国永が捕まらなかったからだ」

「それって…八つ当たり?」

「その通り。お小夜は賢いですね。それに比べてへし切長谷部は心が狭いですね」

宗三から切り分けた柿を貰ってもそもそと食べる小夜の頭を撫でながら、宗三はちらりと入口に立つ長谷部に目を向ける。
喧嘩を売っているなら買うぞと、眉を跳ね上げた長谷部に燭台切が慌てて話題の転換を図る。

「まぁ、鶴さんはジッとしてられないタイプだから。その辺でまた誰かを驚かしたりして遊んでるんでしょ」

「「傍迷惑な」」

思わずといった感じで長谷部と宗三の呟きが重なった。
一瞬顔を見合わせた二人だったが互いにすぐさま顔を反らす。
仲が良いのか、悪いのか良く分からない二人に燭台切は苦笑を浮かべ、空になった皿を手に椅子から立ち上がった。

そして、厨から廊下に視線を流した長谷部は、厨へと近付いてくる煩い足音に眉を顰めた。気配には敏感な小夜も厨の入口へと目を向ける。

「噂をすれば影というやつか」

厨に向かって走ってくる白いものを視界におさめた長谷部は、自分で口にしておきながら、良い得て妙だなと一人ごちる。
相手も厨の入口に立つ長谷部に気付いたのか、挨拶代わりに軽く左手を顔の横まで持ち上げると、その口を開いた。

「厨での摘まみ食いは重罪だぞ、長谷部」

「誰が摘まみ食いなぞするか!」

「ま、それは冗談で。…光坊!伽羅坊の謎が解けたかも知れないぞ!」

長谷部の突っ込みを聞き流し、厨へと足を踏み入れた鶴丸は、洗った皿を片付けている燭台切の背に向かって言葉を投げた。

「え?鶴さん?謎って…」

鶴丸を振り返った燭台切は唐突に投げられた言葉に戸惑うように一度瞼を瞬かせ、頭の中で繰り返した鶴丸の言葉で、漸く繋がった単語に目を見開く。

「分かったの、鶴さん!?」

「あぁ。まだ本人達には確認していないんだが。間違いないと思う」

重々しく頷き返す鶴丸に、やたら真剣な表情を浮かべる燭台切。話の見えない会話に、この場にいる他の二人を代表して長谷部が問いかける。

「何が謎なんだ?というか、何の話をしているんだ?」

「あー、えっと。簡単に説明すると…伽羅ちゃんと審神者代理さんの間に何かあるのかなって話」

「それプラス前主ともな」

勝手に空いている席へと腰を下ろす鶴丸に、燭台切が手慣れた様子で新たにお茶を用意して鶴丸の前に置く。そつなく長谷部の分も用意して、燭台切は長谷部くんも座りなよと着席を促した。
先程から席に着いていた小夜と宗三の対面に燭台切と鶴丸が並んで座り、長谷部は一人別に用意された椅子に座る。

「大倶利伽羅が主と何だって?」

律儀に燭台切にお礼を言って、湯飲みに手を付けた長谷部は話の先を促す。

「うん。基本的にうちの伽羅ちゃんって僕と鶴さん以外には気を許してないって言うか、そういうのはあまり良くないんだけど、とっつき難いでしょ?」

「まぁそうだな。あれは餌を与えてもなつかない野良猫のようなものだな」

「ほぅ…長谷部はうちの伽羅坊のことをそんな風に思っていたのか」

「でも…大倶利伽羅さん。たまに優しいよ」

ぽつりと小さな声で漏らされた言葉に、聞くともなしに参加していた宗三が聞き返す。

「お小夜?」

顔を上げた小夜は宗三を見て言う。

「前に遠征で一緒になった時、編笠の紐が切れて…直してくれた」

「そう言えばそんな話も聞きましたね」

あれはいつだったかと、振り返る宗三に燭台切と鶴丸は表情を和らげて頷く。

「分かり難いだけで伽羅ちゃんはちゃんと優しい所もあるんだから」

「そうそう、伽羅坊はあれで意外と面倒見が良いんだ」

「……どうでもいいが、本題はどうした」

この二人をそのままにしたら逸れていきそうな流れに、長谷部は早々に口を挟む。

「そんな誤解されがちな伽羅ちゃんがさ、審神者代理さんと親しそうな雰囲気を醸し出してたんだよ。大事件だよ!」

湯飲み片手にいきなり声を張り上げた燭台切に長谷部は眉を顰める。

「別に良いことなんじゃないのか?」

なつかないと思っていた野良猫が自ら人に寄って行ったのだ。それの何処が問題何だと長谷部は首を傾げた。
そして、お茶飲みも終わり、燭台切達が問題にしている話の内容も自分達には全く関係のないことだと分かった宗三は小夜を連れて席を立つ。

「で、だ。光坊にも今初めて報告するが、どうやら審神者代理は婆娑羅者らしい。それも碧い雷の使い手だ」

「碧い…雷!?」

「婆娑羅だと!?」

「婆娑羅ですって!?」

報告をした鶴丸と首を傾げた小夜以外の者が驚きに声を上げる。
ただ、鶴丸は思ってもみなかった人物達からの過剰な反応に首を巡らせた。
驚愕の表情を浮かべた長谷部に、厨から立ち去ろうとしていた宗三の忌々しげな顔。

「ふむ…。今川、織田に黒田官兵衛か」

「止めろっ!その名を口にするな、鶴丸国永!」

刀剣として扱われてきた時の元主の名を確認するように口に出した鶴丸に、何故か長谷部は顔色を悪くして悲鳴じみた声を上げた。
だが、今はそれ以上に気になる情報に誰もが長谷部の奇行をスルーしてしまう。特に燭台切は念入りに鶴丸に確認を取った。

「間違いなくバサラなんだね?」

「おう。俺も聞いた時には驚いたぜ。だがそれなら伽羅坊が審神者代理達に気を許していたのにも納得がいく。俺にはその正体までは掴めなかったが、ひょっとすると光坊は知っているんじゃないか?あの時代の伊達の関係者なら」

「う…ん、そういうことなら。一人だけ…、碧い雷の使い手と言えばあの人しかいない」

「――竜の右目。片倉 小十郎ですか」

宗三にも伊達と聞いて一人だけ思い浮かぶ人物がいた。

群雄割拠の戦国時代。奥州から名乗りを上げた一つ眼の若き竜。独眼竜伊達 政宗。そして、その竜の背中を守るようにして、常に傍らに控えていたのが片倉 小十郎その人だ。戦国の世の中にあって、生涯を政宗に仕えた忠臣であり、政宗自身が己の腹心であると公言して憚らぬ存在でもあった。また、片倉 小十郎といえば知略にも優れており、他国の者からもその身柄を狙われたことがあるほど優秀な軍師であった。だがそれだけに止まらず、片倉 小十郎本人も剣の達人であり、主君である政宗と同じ雷のバサラの使い手で、政宗の剣の師でもあった。

きょとんとして話についてこれないでいる小夜に宗三が簡単に説明をする。

「凄い人なんですね…」

「本当、凄いなんて一言じゃ言い表せないぐらいの人で…、あぁっ!何でもう!僕は思い出せなかったんだ!」

驚きを通り越した次に襲ってきた自分に対する憤りに燭台切が頭を抱える。

「いやそこは、伽羅坊が異常に鋭いだけだろう」

俺達の中でも伽羅坊が一番長く伊達家に身を置いていたからなぁ、と鶴丸は燭台切に慰めの言葉を掛ける。同時に今後どう動くかと燭台切に相談を持ち掛ける。

「うぅっ…とりあえず、伽羅ちゃんに確認を取ろう。審神者代理さんが片倉さんだと仮定すると一筋縄じゃいかない気がする」

「そう言えば彼の御仁はとても有能な軍師でもあったと言われていたな」

「鶴さんは会ったことないんだっけ?」

「初代の小十郎殿にはな」

よし、さっそく伽羅坊の所へ行こう!と鶴丸は注がれたお茶を飲み干して席を立つ。燭台切も椅子から腰を上げ、そこでようやく長谷部の異変に気付いた。

「どうしたの長谷部くん。顔色悪いよ?」

すると長谷部は声を掛けた燭台切を通り過ぎ、その横に立つ鶴丸へと恨みがましい暗い眼差しを向けた。

「今後、俺に何か予期せぬ不幸が降りかかりでもしたら、それは鶴丸国永。貴様のせいだ」

そういきなり名指しされた上、責任を押し付けられた鶴丸は訳が分からず燭台切と顔を見合わせる。
何をと燭台切が聞き返そうとした所で、厨の入口から燭台切を呼ぶ声が掛かった。

「長谷部もここに居たか」

急いだ様子で顔を出したのは歌仙兼定だった。歌仙は厨に居る皆から視線を集めながら、長谷部と燭台切で目を止めると用件を告げる。

「へし切長谷部。燭台切光忠。至急、出陣の用意をして広間に集合するように、とのことだ」

歌仙の言葉に、一瞬で厨の空気が引き締まる。

「分かった」

「了解」

呼び出しを受けた長谷部と燭台切はそれぞれ短く返事を返す。
そして、連絡に来た歌仙が去って行くのを見ながら、立っていた燭台切は自分の湯飲みと長谷部の使っていた湯飲みを片付け始める。ついでにと鶴丸が湯飲みを洗い桶に浸ければ、それまで黙って成り行きを眺めていた宗三が燭台切の背中に声を掛ける。

「早く行ったらどうです?それぐらいは僕が片付けておきます」

「本当?じゃぁ、頼もうかな。ありがとう」

「すまんな」

宗三に促されて燭台切はお礼の言葉を口にして、鶴丸に一言声を掛けてから厨を後にする。長谷部も一言申し訳なさそうに宗三に謝罪の言葉を口にしてから厨を出て行った。

「こんな時に遡行軍もタイミングが悪いな」

「あなたは付いて行かないんですか?」

厨に残った鶴丸に宗三が椅子から立ち上がり、腕捲りをしながら言う。

「うん?見送りには行くぞ」

鶴丸は冷蔵庫の前に移動して、何かあるかなーと冷蔵庫のドアを開けた。

「宗三兄さま。僕も手伝う」

その横を椅子から降りた小夜が通り過ぎた。



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