とある冬の共犯者


城の城主である政宗の居室から少しばかり離れた廊下で、薄曇りの空をいつになく難しい顔をして鶴丸は見上げていた。

「さて、…どうしたものか」

何処か悩ましげにそう口にした鶴丸の懐には数日前、倉から持ち出した一枚の和紙が大事そうに納められていた。

「光坊は主に相談してからが良いと言っていたが。それじゃぁ俺がつまらんし、何より危険を犯した意味がない。…かといって、伽羅坊の協力も得られなかったしなぁ」

大倶利伽羅は鶴丸が持ち出した和紙について、肯定も否定もしなかった。ただ、仕出かした責任は自分で取れと、遠回しに自分を巻き込んでくれるなと釘を刺された。

「う〜ん…」

そんな思い悩む鶴丸の姿を廊下の奥からやって来た政宗が見つけて声を掛ける。

「Ah…どうした、鶴丸。こんな所で黄昏て」

何か分からない事でもあったかと政宗が親切に問う。

「いや、なに…また雲行きが怪しいなと空を眺めていただけだ」

刀剣として長生きをしている分、すらすらと口から出任せの言葉が出る。

「あぁ…また降りだしそうだな」

言われて空へと顔を向けた政宗の端整な横顔を鶴丸はちらりと盗み見る。
光忠に似た相貌、いや…光忠が似た姿を取ったこの主殿は顕現した光忠や大倶利伽羅にも城での生活は慣れたかと。困ったことや不自由はしていないかと、世間話をするついでの様によく聞いていたな。主殿は案外、世話焼きなのだろうか。
ふと沸いた疑問に、そういえばと政宗が歩いてきた先へと目を向けて、辺りを見回してから鶴丸は首を傾げる。

「主殿は一人なのか?」

「ん?あぁ…部屋には光忠を置いてきた」

「置いてきた?」

光忠が居るではなくか。
妙な表現をするなぁとパチリと目蓋を瞬かせた鶴丸の右肩を、政宗はそうだ、ちょうど良いと言って叩く。

「暇してんなら、ちょっと俺に付き合え」

「それは別に構わないが。何処に行くんだ?」

「なに、直ぐそこまでだ」

などと軽く告げられた台詞を信じて政宗の後を着いて行った鶴丸はその後何故か、政宗と共に馬上の人となっていた。
かぽかぽとぬかるんだ道の上を馬はゆっくりと歩く。雪こそ降ってはいないが、頬に触れる空気は冷たい。
次第に小さくなる城の姿に、鶴丸は並走して進む政宗に声を掛ける。

「これはさすがに不味いんじゃないのか?右目殿には言ってきたのか?」

「ちっとの時間なら光忠が稼いでくれるだろ。その隙に行って帰って来るぞ」

自分以外に見当たらない人影に、政宗の隙を付く発言。鶴丸は知らず、政宗が城を抜け出すものの共犯者にされていた。
今更気付いた様子の鶴丸に政宗は口端を吊り上げて笑う。

「今日のお前は俺の護衛だ、鶴丸」

「はははっ……こりゃ一本取られた。だが、俺がいるからには大船に乗った気でいてくれて構わないぞ」

「ha、そりゃまた頼もしい限りだ」

互いに軽口を叩き合いながら、馬の足はかっぽかっぽとゆっくりとした歩みで彼が治める城下町へと下りて行った。






一方、城に置いていかれた光忠は政宗の居室で大倶利伽羅と文机を間に挟んで顔を付き合わせていた。

「で、お前は此処で何をしている」

「何って…お茶を持ってきたら公が暫く席を外すから、もし片倉さんが来たら直ぐ戻るって言っておいてくれって伝言を頼まれたんだ」

その間、暇だろうからって公が貸してくれた本をこうして読んでるのだけど?
それの何がおかしいのかと光忠は紙を捲る手を止めて首を傾げる。
その様子に大倶利伽羅は小さく溜め息を吐くと、微かに眉間に皺を作って言った。

「公なら鶴丸を連れて馬小屋の方に歩いて行くのを見たが」

「えっ…」

「気付かなかったのか?そもそも席を外す程の用なら、直接片倉に会ってそう言ってから出掛ければ良い」

わざわざ光忠を伝言役に自室に残していく意味が分からない。

そこまで告げれば光忠も理解が追い付いたのか、金色の瞳を見張った。

「は、ははっ……まさか自分が本当に政宗公の影武者にされるとは思わなかったよ」

「アンタにまでそうと気付かせず実行に移した公が上手なんだ」

「でも、きみが見た政宗公はちゃんと鶴さんを連れていたんだろう?」

決して一人で出歩いていたわけではない事を光忠は再度確認する。

「その辺は公も気を配っている様だ。むしろその時に公が一人だったら俺が声を掛けていた」

だから、事態の発覚に気付くのが遅れた。
また、ここ暫くは政宗も天候のせいか大人しく城に籠っていたので油断をしていた。まさか鶴丸と一緒に城を抜け出しているとは。
大倶利伽羅は今まで鍛練場で伊達軍の兵士達に構われ、それを稽古という名目で蹴散らしてから、小腹が空いたので光忠を探していたのだ。

一番光忠が居る確率の高い厨に顔を出せば、厨に居た女中から光忠様は政宗様の所にお茶を運んで行ったという話を聞いた。その時点で大倶利伽羅は訝しく思ったのだ。
何故なら、その時には既に外で政宗と鶴丸の姿を見かけていたのだ。そこに光忠の姿はなかった。
不思議に思いながら政宗の居室を訪ねれば、そこには政宗の代わりの様に光忠が文机の前に座って呑気に本を読んでいた。

「とりあえず、片倉さんに報告しに行かなきゃ」

「待て。お前は此処にいろ。片倉の所には俺一人で行く」

「でも…」

二人で行った方が話が早くて済むんじゃないかと、光忠は重ねて言う。
しかし、大倶利伽羅はその言葉に首を横に振った。

「そうかも知れんが。アンタは今、嵌められたとはいえ公の影武者だろう。城から公が抜け出したと他の連中に知られるのは良くない」

「このまま僕に公の影武者を続けろと…?」

「あぁ。…それか片倉をこの場に連れて来る」

小十郎は政宗の側に控えている事も多いが、時折鍛錬場に現れては抜き打ちで兵士達に稽古を付けていたり、畑で農民達と交流をしている事もある。他にも政宗まで通す必要の無い書簡や話を聞いて内々に処理したりと、兵士や家臣達に指示を出している姿を見かける。
大倶利伽羅は先ほどまで自分が居た鍛錬場を除外して先に小十郎の私室へと向かった。

「片倉、居るか」

しかし、返事は無く、室内に人の気配も感じられなかった。
では、外にいるのかと大倶利伽羅は外へと続く廊下に向かって歩みを再開させる。その途中で大倶利伽羅は運良く目的の人物を見つけることが出来た。

小十郎は廊下に立ち止まって庭の方へと体を向けていた。
最初は柱の影が邪魔をして気が付かなかったが、どうやら庭にもう一人男がいて何やら話を聞いている最中だったようだ。

「報告ご苦労だったな。もう行っていいぞ」

「はっ」

「まったく、あの方は…」

頭を下げた男がその場から去るのを待って、大倶利伽羅は残りの距離を縮めて小十郎に話し掛けた。

「何か問題でも起きたのか」

声を掛ければ庭の方を向いていた小十郎の視線が大倶利伽羅に向く。

「大倶利伽羅か。いや、なに予想の範囲内の事が起こっただけだ」

「それはもしかして公の脱走の事か」

よく考えれば、ずっと政宗を側で支えて来た小十郎が政宗の性格や気性を一番理解していると言っても過言ではないだろう。
大倶利伽羅の台詞に小十郎の眉間に皺が増える。

「知っていたのか、大倶利伽羅」

案に共犯者かと眼光鋭く問われ、大倶利伽羅は不意に降りかかった嫌疑に自分は知らないと首を横に振る。

「先に知っていたら俺もお供した」

「そういう話じゃねぇんだがな。燭台切は何処にいる?」

「アイツなら公に知らぬ間に影武者に仕立てられて、公の居室に居る」

「…そうか。そいつはまた手の込んだことを」

取り敢えずこのままでは燭台切の身動きが取れないだろうと、小十郎は大倶利伽羅と共に政宗の居室へと向かう事にした。






その頃、城下町へと辿り着いた政宗達は一旦馬を馬場に預け、鍛冶屋へと足を運んでいた。

「どうだ?出来てるか?」

政宗にそう問われた鍛冶屋の店主は一度店の奥にある鍛冶場に引っ込むと、丁寧な手付きで布に包まれた長細い包みを腕に抱えて戻って来た。

「明日お持ちするご予定でしたが。御覧の通り仕上がって御座います」

店主の男は恐縮した様子で答えると、三和土に膝を付き、腕の中から下ろした包みをゆっくりと開く。
その中から手入れの終わった刀が一振り現れる。

「おぉ、影坊か」

刀の銘を黒坊切影秀という。これもまた政宗の愛刀の一振りである。
店主は政宗の連れである鶴丸の言葉にちらりと目を向けたものの、余計な詮索もせずにただ政宗へと刀を納める。

「Thanks。代金は明日、部下に持って来させる」

さっそく刀を腰に挿した政宗は続けて店主に聞く。

「店の裏は使えるか?」

「僅かばかり足元が悪いですが、使用出来ます」

雪解けに向けて身体を動かしに来る方もおりますので、と二人は店主に店の中を通され、鍛冶屋の裏庭へと出る。鍛冶屋の裏には木々で囲まれた演習場があった。試し斬り用の巻き藁や青竹、矢を射る為の的。庭の片隅には退けられた雪が山の様に積み上がっていた。

「ちっとばかし使わせてもらうぜ」

「はい。では私は鍛冶場の方におりますので、何かありましたらお声がけ下さい」

ぺこりと頭を下げて鍛冶場へと戻って行く店主を横目に、鶴丸はぐるりと物珍しげに裏庭を見回した。

「へぇ、こんな所もあるのか」

政宗は試し斬り様に設置されていた青竹に藁を巻いた物の前に立つと、刀の柄に手をかけ、ゆっくりと鞘から刀を引き抜く。眼前に刀身を置くと、その刀身に視線を滑らせ満足そうに口端を緩めた。

「主殿。試し斬りするなら、その後数合俺と打ち合わないか?」

政宗が刀の仕上がりを確認したいならと鶴丸がそう提案したが、政宗はその誘いに首を横に振った。

「おや?いいのか?てっきり、仕合いたいのかと思ったが」

あと一日を待たず、自ら刀を引き取りに来るぐらいだ。そうなのかと思ったが。鶴丸の考えは外れたようだ。そして、その理由が告げられる。

「先約があるんでな。お前とはそれからだ」

「ははぁ…。なるほど、そいつはしかたがないな」

城に籠りっぱなしであった政宗と約束できる者などあの二人しかいないだろう。ここで約束を破らせてしまったら、自分が恨みを買いそうだ。鶴丸は大人しく政宗が試し斬り用の青竹を相手に刀を振るう姿を眺めることにした。

「いやはや羨ましいね」

嬉々として振るわれているだろう黒坊切影秀の事を思って鶴丸は呟く。
政宗は戦場でこそ派手に刀を振るっている様に見えるが、その基本となる太刀筋は恐ろしく繊細で綺麗だ。それもそのはず、政宗の剣の師匠はあの片倉小十郎である。基礎はしっかり叩き込まれているのだろう。一人静かに刀を振るう政宗は戦場とは違う静謐さをその身に纏っていた。

「ふぅ…。ま、こんなもんか」

ひゅっと刀を振り払い、そっと静かに刀を鞘に納める。終了を告げた政宗に鶴丸は拍手を送った。

「いやぁ、見事なもんだ」

綺麗な断面を覗かせて地面に転がる巻き藁に、細切れにされた青竹。一見すると簡単そうに見えるが、こうも綺麗に切断するのは中々に難しいことだ。

「お前もやってみるか?」

「うーん…、どちらかといえば俺も主殿に振るわれてこそ真価を発揮する刀だからな。やっても主殿のようにはいかないかも知れないぞ」

「俺の真似をする必要はねぇさ。お前にはお前の戦い方があるだろ」

政宗は大倶利伽羅や光忠が鍛練場で刀を振るっている姿を見かけたことがある。それは少し自分と似ていてまったく違う。人間が一人一人違うように刀剣だって一振一振その性質は異なるのだろう。

「鶴丸。お前の刀を俺に見せてみろ」

「仕方ない。主殿にそこまで言われては断れんな。…斬り損ねても笑わないでくれよ」

鶴丸は政宗と場所を交代して、新しく立てた巻き藁の前に移動した。






「伽羅ちゃん、片倉さん…」

主不在の部屋で文机の前から離れた光忠は部屋へと入ってきた小十郎と大倶利伽羅と車座になって顔を付き合わせる。

「そろそろ虫が騒ぐかと警戒はしていたんだがな。お前を巻き込むとは」

小十郎の言葉とその落ち着きように光忠は首を傾げて聞き返す。

「ということは、片倉さんは政宗公の行き先に心当たりが?」

じっと光忠と同じく小十郎へ視線を投げてくる大倶利伽羅に小十郎は自分の推測に間違いはないだろうと自信を持ってその問いに答える。

「行き先に心当たりはある。城下にある鍛冶屋だろう。先日、鍛冶屋に出していた刀がいつ頃仕上がるか気にされていた」

「それが今日なの?」

「あぁ。明日、納めてもらう予定だったが。まさか、御自分で取りに行くとは。…待てなかったのだろうな」

特に小十郎に怒った様子はなく、ただどことなく仕方なさそうに苦笑を浮かべる。

「何か急ぎの用でもあるのか?」

大倶利伽羅は小十郎が最後に落とした呟きを拾って訝しげ気に口を開く。

基本、政宗には好きにしてていいと言われている大倶利伽羅と光忠であるが、それでも主である政宗の予定については、口には出さないものの小十郎の次には把握しているつもりであった。光忠も何か急いで刀が必要になる事態でも起きたのかと、心配そうに小十郎へ視線を投げる。
そんな二人の視線を受けても小十郎の落ち着き払った態度は変わらなかった。

「そうだな。ある意味では大倶利伽羅、お前が政宗様の背を押したようなものだ」

「え?伽羅ちゃん、何したの?」

「知らん」

再びかけられた嫌疑に大倶利伽羅はきっぱりと否定の言葉を紡ぐ。

「ここ最近、大倶利伽羅は時間があると鍛練場にいるだろう」

「そう言えば、そうだね。居ないと思ったら、鍛練場を覗けば大抵いるし。良直さん達や成実殿を相手に手合わせをしてたり」

「それは奴らが勝手に絡んでくるんだ」

それは自分の本意ではないと、大倶利伽羅は冷めた声で言うが、それでもちゃんと相手をしている辺り本気で嫌がっているわけではなさそうだ。
小十郎と光忠はそう受け取り、小十郎が話を続ける。

「政宗様はそんなお前の姿を見て、そこに御自分もまざりたくなったのだろう」

もとより政宗様は文机の前で大人しくしているような方でもない。

「だから一日も早く刀を受け取りに出掛けられたのだろう」

そう話を纏めた小十郎に光忠も苦笑を浮かべるしかない。

「あー、あり得る話だね」

その隣で大倶利伽羅はただ眉をしかめた。

「いずれにしろ、用が済めば早めに戻って来るだろう。わざわざ御自分の代わりに燭台切を残して行ったんだ」

「じゃぁ、僕はこのまま公の身代わりになってた方がいいのかな?」

「それはどちらでも構わん。本当に必要があれば成実を立てる」

今は戦中ではない。約束もなく、政宗様の元を訪ねてくるような者はいないだろう。

「それでも誰かに何か聞かれたら俺の所に来るよう伝えてくれ」

「ん。了解」

一通りの対応を話し合った後、光忠と大倶利伽羅はそのまま政宗の居室に残る事とし、小十郎は退室する。

「政宗様が御戻りになられたら、また顔を出す」

「その時は鶴さんを含めてお説教だね」

「…真っ直ぐ帰ってくるといいがな」

ぼそりと呟かれた言葉は空気に溶けて消える。
まるで何かを予感するかのように…。






城下町で用事を済ませた政宗はその後、馬場に預けていた馬を引き取り、鶴丸と共に城へと馬を進めていた。とは言え、道はまだ雪解け水でぬかるんでいたのでその歩みは行きと同じくかっぽかっぽと非常にゆっくりとしたものだった。

「ふむ。ちょっとの割には時間を食っているように思うが、光坊は大丈夫だと思うか?」

鶴丸が城に残して来たという仲間の顔を思い浮かべて話しを振れば、政宗はあっけらかんとした様子で否定の言葉を口にした。

「いや、そろそろバレてる頃だな」

「えっ?それでいいのか?」

行きとは逆の事を言う政宗に鶴丸は瞼を瞬かせる。

「バレたくないから光坊を代わりに置いて来たんじゃないのか?」

「まぁ、それもあるが。小十郎が気付かないってことはねぇ。光忠を置いて来たのはちょっとした時間稼ぎだ」

城を抜け出した。その事実が発覚するまでの時間稼ぎ。あまりにも早く気付かれると連れ戻されかねない。なので出来るだけ城から離れた後ならバレても問題はないのだ。

「護衛はちゃんと連れて来てるしな」

「はは…っ、なるほど。そういうことか。しかし、それでも右目殿からの説教は免れないだろう」

「そいつは甘んじて受けるしかねぇが、俺とお前で半々だ」

「そりゃ酷いな。俺も光坊と一緒で知らぬ間に片棒を担がされただけだぞ」

「ha、何言ってやがる。大船に乗った気でいろと言ったのは何処のどいつだ?」

「しまった!こいつは最初から泥船だったか!」

なんて、軽口を叩き合い、かっぽかっぽとぬかるんだ道を進む。やがて城下町を背に、周囲は自然の多い雪景色へと変わって行く。

「…ん?」

そして、それに気づいたのは鶴丸が先であった。手綱を握っていた片手を離し、隣を並走していた政宗の方へ向けて、離した手を進路を塞ぐように水平に伸ばす。同時に鋭い声で告げた。

「止まれ、主殿。何かが近付いてきている」

その言葉に馬を止めた政宗も周囲へと警戒する様な視線を投げる。
間もなく、その何かはがさがさと雪の積もった茂みをかき分け、特に気配を消す事も無く、政宗達のいる道から少し離れた前方、左手側の木々の中から飛び出して来た。

「はぁ、はぁ…」

「はやくっ、早くしないとっ!」

息も切れ切れ、着ている服も泥まみれで、その顔面は驚くほどに白い。蒼白というべきか、着物から覗く手足もまだ細く、頼りない。降り積もった雪の中から飛び出して来た二人は政宗達が道にいる事も気が付いていない様で。

「どこの子供だ?」

ぽつりとこぼした政宗の声に勢いよく反応して、二人の少年がこちらを振り向く。

「―っ、たっ、たすけて!」

「ばかっ!よく見ろ!あの人らは刀持ってる。お侍だぞっ」

「でっ、でも…!にぃちゃん!このままじゃ死んじゃうよぉ」

「ぐっ…、だからっ、早く父ちゃん達を呼びに行くんだろ!」

二人とも涙を堪えながら言い合う様に叫ぶ。

どうにも抜き差しならぬ事態に直面している様だ。
このままだと死ぬとは穏やかではない。

無言のまま馬から降りた政宗に鶴丸も同じように馬から降りると、政宗の馬の手綱を預かり、二頭分の手綱を引く。
馬から降りた政宗はそのまま言い合う子供達の元に近付いて行った。

「おい、誰が死にそうだと?」

「――っ」

不意に掛けられた声に子供達は言い合いを止めて息を呑む。子供の意識が自分に向いた事を確認して政宗は言葉を続けた。

「そいつを死なせたいのか?」

子供にも分かりやすく、容赦の無い言葉を投げれば子供達からそれぞれ反応が返る。

「そんなわけねぇだろ!」

「た、助けて下さい!しょうたがっ!弟が崖から落ちて…っ」

その言葉だけで十分。政宗は涙を堪えながらも睨み付けて来る子供とぼろぼろと泣き出しつつも政宗を真っ直ぐに見つめてくる子供。二人の側によるとそれぞれの頭にぽんと片手を乗せて、力強い声で言う。

「OK。案内しな」

その間、鶴丸はこうなる事を予測していたのか、馬の手綱をほどよい太さのある幹にしっかりと括りつけていた。

子供を先頭に政宗と鶴丸は雪景色の広がる茂みの中へと入って行った。



木々の途切れた隙間から下を覗けば、ザァザァと音を立てて流れる濁流。急斜面の様に削り取られた崖の中腹に少しだけ飛び出した形の地面があり、そこに背中を丸めて震えている小さな子供の姿があった。ぱっとみだが、大きな怪我はしていないように見える。着物はどろどろでその細い手足に擦り傷がいくつか見えるが。

「しょうた!」

「もう大丈夫だからな!」

政宗に対して反発していたのが嘘の様に、にいちゃんと呼ばれていた方の子供が力強い声で崖下に向かって叫ぶ。その声が聞こえたのか、震えていた子供がのろのろと顔を上げた。

「にぃちゃん…」

「すぐ助けてやるからな!」

子供達がやりとりする横で政宗は眼下を見下ろし、早くしないと死んじゃうと言っていた意味を理解した。

「雪解け水が流れ込んでるのか」

普段よりも水嵩の増した沢。その色は茶色く濁っており、流れも速い。のんびりしているとあっという間に子供のいる場所まで水が上がって来てしまいそうだ。

「この高さから落ちてかすり傷程度とは。あぁ、あの横から出てる木と茂みが衝撃を吸収したんだな」

よっぽど運が良かったんだなと、鶴丸が呟く。
政宗の隣に並んで崖下を覗き込んで呟いた鶴丸は次いで隣へと視線を投げる。

「それでどうするつもりだ?」

「このぐらいの崖なら下りられねぇこともねぇが」

「えっ?あー…、そういや主殿は馬で崖を下りられる御仁だったな」

「問題はあれだ」

鶴丸の呟きを無視して政宗は眼下を指さす。子供のいる地面の根元。崖からせり出した地面と急斜面の崖を繋ぐ地面に無数のひび割れが見える。

「あれも雪解けの影響だろうな。子供の軽さでもってはいるが」

地面が水分を含んで、地盤そのものが緩くなっていそうだ。

ふむと考え込んだ政宗に鶴丸は慌てて言う。

「おいおい、助けに行って主殿まで一緒にどぼんは笑えないぞ」

よしてくれと言いながらも鶴丸は思う。
ここまで来て助けないという選択肢はないだろう。もしあれば始めから子供に遭遇した時点で声などかけはしないだろう。

鶴丸は真剣な眼差しでこの状況を分析している政宗の助けになるべく、珍しく悪戯以外で頭を働かせる。

何より今、自分は政宗の護衛であり、守るべき主を自らそんな危険と分かっている場へ送り出すなど言語道断である。その通りだと眉間に皺をよせ、眉を吊り上げた右目殿の姿が簡単に鶴丸の脳裏を過ぎった。

「ふむ。主殿。主殿を行かせる位ならここは代わりに俺が…」

政宗を制してそう口にした鶴丸であったが、その言葉はふいに途切れる。どうしたと、政宗が問いかけるより先に何かに気付いた様子で、鶴丸がきらりと金の双眸を煌めかせた。

「主殿。ここは一つ怯えている子供に向かって驚きの術の一つでも披露してやってはどうだ?」

そうだ、ここにはもう一人。鶴丸よりも遥かに軽く、少し足場が悪くても身軽に動ける、適任者がいるではないか。

そう言いながら己の懐に右手を突っ込んだ鶴丸はそこから一枚の和紙を取り出す。まるで誰かの書き損じかのような落書き。和紙の中央にはひらがなで書かれた『さ』の文字。その文字を囲うようにぐるりと丸く円が描かれていた。

政宗は眼前に翳された和紙にすぅっと鋭く瞳を細める。だが、それだけで驚きの色はない。

「おや?驚かないな。もしかして主殿には俺の行動はお見通しってやつか?」

「鶴丸」

「うん?」

「なんか上手い言い訳を考えておけ」

和紙の出所、その件を咎めるどころか、躊躇う事無く右手から掻っ攫われた和紙に鶴丸は目を丸くする。

政宗は己の懐から短刀を取り出すと流れる様な動作で短刀と和紙を触れ合わせた。
鶴丸が己の遊び心を捨てて進言するならば、政宗はそれを信じるだけだ。その言葉を信じて、己の短刀、太鼓鐘貞宗の力を借りる。

そう悠長に考えている時間はないし、使える物は使う。

そう決断した政宗の行動は早かった。

ふわりと零れた暖かな光がその場を包む。

燭台切光忠や大倶利伽羅が顕現した時よりも派手に、咲くにはまだ先の桜の花びらがはらはらと辺りに舞う。幻想的な光景に子供達はぽかりと口を開けてこちらを見る。

やがてふわりと収束した光の中から、後頭部につけた羽根飾りを元気に揺らしながら一人の少年が姿を現した。

「俺をお呼びかな?太鼓鐘 貞宗参上!」

少年は政宗の顔を真っ直ぐ見据えて、そう名乗りを上げた。
政宗は口角を吊り上げるとさっそく貞宗に指示を出す。

「鶴丸の推薦だ。間違いねぇと思うが、あのガキが我に返って泣き出す前に引き上げて来い」

「りょーかい!御安い御用だぜ」

貞宗はすんなりと政宗の指示を受け取ると、何の躊躇いもなく崖下へその身を投じた。そして、驚きの連続で声を失くしている子供達の視線の中、貞宗は崖の途中にせり出していた木の枝を掴むと、その枝を利用して軽業師の様にくるりとその場で身体を回転させる。降りて来た勢いをそれで殺すと、そのまま流れる様な動作ですとんとあっという間に崖下にいた子供の元まで辿り着いてしまう。

急な展開に泣くことも怯えることも忘れてぽかんと貞宗を見上げる子供に貞宗はにぱっと明るく笑いかけて、そっと右手を差し出した。

「さっ、さっさと兄ちゃんたちの所に帰ろうぜ」

差し出した右手に、その言葉に反応してか、反射の様に子供からその手を握られる。

「ん。もう大丈夫だからな」

貞宗は一度、崖の上へ視線をやってから子供を腕の中に抱きかかえ持ち上げる。

「ちょっと俺の首に腕を回してくれるか?そう、そう…」

ぽんぽんと子供の背を叩き、貞宗は続けて言う。

「んで、ちょっとだけ目を瞑っててくれるか?」

言いながら貞宗は地面のあるぎりぎりの位置まで下がる。再度、崖の上を見た貞宗はそこから少し助走をつけて強く地面を蹴った。先程、落下の勢いを殺す為に使った木の枝を今度は強く踏みつけ、そのしなりを借りて上へと跳ぶ。

その衝撃でばきりと枝は折れ、辛うじて陸地を形成していた地面が、急斜面と繋がっていた根元からずしりと音を立てて、下の沢へ向かって崩壊し始める。ばしゃんばしゃんと次々に上がる飛沫を背中に感じながら貞宗は無事、子供を腕の中に抱きかかえたまま崖の上へと着地した。

「ふぅ…」

「よくやった、貞宗」

すぐさまぐしゃぐしゃと大きな掌に頭をかき混ぜられ、貞宗はそちらを見上げる。ばちりとぶつかった隻眼の瞳は力強く温かさに満ちていた。

「さすがは俺の刀だ」

政宗はそう言って貞宗を褒めた後、すぐに子供を兄達の元に連れて行ってやる。

そこでは鶴丸が「実は俺達は竜神様の使いでな…。御使いの途中なんだ。今のは秘密にしといてくれ」等と本当に適当過ぎる説明を子供達に向けてしていた。しかし、子供達はそんな説明よりも崖下から助けられた弟の方に意識が向いている様で、政宗が彼らの弟を連れて行けばすぐに駆け寄って来た。

「しょうた!けがは!?けがはないか?」

「大丈夫か?怖かったろ?ごめんな、兄ちゃん達が目を離したから」

「にぃちゃ…、うっ、うぅ…、うわーんっ!」

二人の兄に抱き締められた途端、弟は安心からか盛大に泣き出す。

「いやぁ、良かったな。貞坊も顕現したてでご苦労さん」

政宗の方に寄って来た鶴丸は軽い調子で政宗と貞宗それぞれへ声をかける。

「鶴さん!」

その声掛けに貞宗はちらちらと桜の花びらを周囲にまき散らしながら応える。

「さて、そろそろ戻らねぇと説教の時間が長くなるな」

鶴丸と貞宗が顔を合わせて喜び合う姿を横目に政宗はそう呟き、二人に行くぞと声をかける。背を向けた政宗達に背後から子供特有の高い声が掛けられた。

「あのっ!おさむらいさん!」

「違うよ、兄ちゃん。神様のお遣い様だって」

「そんなんどっちだっていい!…弟を助けてくれて、ありがとうございました!」

ちらりと振り返れば勝気そうな兄の方が深々と頭を下げていた。それに遅れてとなりの子供も頭を下げる。一番下の弟はべったりと兄達にくっついて赤く目を腫らしていた。

「hum…、礼を言う暇があったらさっさと帰って手当てしてやんな」

それからと、政宗は少し離れた場所へと視線を投げて言う。

「雪解けの山は足場が悪い。山菜を取るならもう少し待つか、大人に同行してもらえ」

雪景色の中、ぽつりと遠くに置かれた竹籠が鶴丸と貞宗の視界にも映った。

「そんでも足りねぇようなら、村の中で一番偉いやつに言って上から食料を配給して貰え」

政宗の言葉に揃ってはいと頷いた子供達から視線を切り、今度こそ政宗達はその場を後にした。






「それにしても主殿の決断の早さには驚かされたぞ」

「ah?」

政宗が馬に乗り、その手綱を鶴丸が引いて歩く。その横、鶴丸が乗って来た馬は貞宗が乗ってみたいと言ったので、貞宗が乗って歩かせている。

馬上から向けられる視線に鶴丸が言葉を続ける。

「いや、ほら、貞坊を顕現させるのをもう少し躊躇うかと思っていたから」

「あぁ…、小十郎がむやみやたらに試していいのもじゃねぇと言ってたな」

「主殿はそれであの葛籠を蔵に封印させたのだろう?だから俺はそこからちょっとばかし拝借して、主殿の隙を狙っていたんだがなぁ」

「え、鶴さん、そんなことしてたのかよ?」

とはいえ、無事顕現できた貞宗としては鶴丸を非難できない。鶴丸の行動が無ければ自分は顕現されなかったわけで。

そんな思いを抱えてちらりと貞宗は馬上の政宗を見る。すると政宗は特に気にした様子も見られず、からりと笑って言った。

「なに、今回は人助けの為だ。小十郎だってそこまでは怒らねぇだろ」

その政宗の笑みは、そこまで計算に入れた上での確信に満ちた笑みでもあった。






ふわりふわりと小さな雪の結晶が空中で踊る様に舞う。ふわりと地面に残った雪の中に溶ける様にして消えて行く。

結局、政宗の代わりの様に政宗の居室に留まって本を読んでいた光忠は視界の端にちらつきだした雪に、同じくこの場に留まり、庭に面した障子を開け、そこにある濡れ縁の柱に背を預けて座るその背中へ声を掛けた。

「伽羅ちゃん、そこにいて寒くない?」

柱に背を預けて、庭の方を向いたまま目を閉じていた大倶利伽羅はその声に目を開けることも無く、短く返す。

「別に」

ただ、光忠に言われる前にもう一人の世話焼きが濡れ縁近くに火鉢を一つ用意して行った。それがいくらか温く、寒さを和らげていた。

「それならいいけど。ひとが風邪を引くと大変だからね」

光忠の言葉に大倶利伽羅は自分達がひとの括りに入るのかと、僅かに思考し、近付いて来た気配に閉ざしていた瞼を持ち上げる。すぅっと動いた視線に光忠も遅れて気付く。

「あ、帰って来たみたいだね」

ぱたりと読んでいた本を閉じ、光忠が文机の前から立ち上がる。大倶利伽羅は無言でそれを見て、ただ増えた気のする気配に瞳を鋭く細めた。

間もなく襖が開く。

「戻ったぜ、光忠。待たせて悪かったな」

真っ先に声を掛けられた光忠は困ったように笑い、首を横に振る。

「それはもう色々と驚かされたけど…えっ!?」

「やっほ!みっちゃん!俺も来ちゃったぜ」

「どうだ?驚いたか、光坊?」

政宗に続いて入室した鶴丸の後ろ、まるで鶴丸の背中に隠れるように張り付いて、ひょっこり顔を出した貞宗に光忠はその隻眼を丸くして驚く。

「わっ、貞ちゃんだ!」

わぁっと喜び合う二人に鶴丸は胸の前で両腕を組んで、うんうんと満足そうに笑顔で頷く。政宗は一人この輪に加わらず、じっとこちらを見る大倶利伽羅の元に歩みを進めた。するとぽつりと零す様に大倶利伽羅の口が開く。

「いいのか?片倉には」

「ah―、今回は大目に見てくれんだろ。人命救助だ」

「…刀を引き取りに行ったんじゃないのか」

大倶利伽羅の視線が政宗の腰に挿されている黒坊切影秀に向く。

「小十郎にはバレてんだな」

「わりと早く」

そう噂をすれば…

「政宗様。小十郎です。入っても宜しいですか?」

噂の当人が政宗の居室をさっそく訪ねて来た。その早さに門番あたりから小十郎に報告が入ったかと政宗はそのまま濡れ縁にいた大倶利伽羅の隣に腰を下ろして、入室の許可を出す。

「入れ」

静かに開かれた襖。さっと視線を巡らせた小十郎の眉間に皺が寄った。




はたして政宗の用意した言い訳は小十郎に通用したのか。
ふわりふわりとちらつく雪が庭で楽しげに舞っていた。



END.

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