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同時刻、佐助の影を追って階段を駆け上がって行った幸村達は建物の屋上に辿り着いていた。途中にあった関係者以外立入禁止のロープを越え、鍵の壊された目の前の鉄扉を押し開ける。するとすぐそこには猿飛佐助と天海が対峙する様に立っていた。

「佐助!」

「旦那!?」

何故ここにとぎょっとした様に幸村の顔をチラ見した佐助は、同時に幸村が背後に引き連れて来た三振りの刀剣男士の姿を目にして僅かに安堵の息を吐く。どういう原理か分からないが、天海が再び時間遡行軍をけしかけて来た時には刀剣男士が戦力になるだろう。

「おやおや、まさか貴方もですか?」

天海は幸村の登場にも焦った様子を見せず、ただ幸村に目を向けると肩を竦めて感心した様に呟く。

「どうやら今日は千客万来のようですね」

そう言いながらゆっくりと屋上の端、安全対策で設けられていた柵の前まで鎌の形状をした武器、大鎌を両手に構えたまま後退して行く。この時、天海は知らなかっただろうが、遙か遠く下の地上には武田信玄と上杉謙信が天海を待ち構えていた。

「悪いけど、説明してる暇はないから。今はこいつを…」

「うむ。捕らえるのだな」

どのみち逃げ場はもうない。この屋上は転落防止の為のフェンスが張り巡らされているし、屋上への出入り口も幸村達が入って来た鉄扉の一つしかない。他にあるのは給水塔へ上がる為の梯子のみで、隣接するビルに飛び移ろうにも結構な距離がある。もちろん、この高さから飛び降りるなど自殺願望がある者でも躊躇する高さであり、正気の沙汰では出来まい。

「旦那。それと後ろの刀剣方も、奴の鎌には気を付けてくれ。どういうカラクリかアレから時間遡行軍が飛び出してくることがある」

それで独眼竜は階下で足止めをくらっている。

「なんと!?そのような事が…」

「初めて聞きますな」

その様な武器があるとはと、驚く幸村とは対照的に一期一振は冷静に呟く。その傍らで驚きを隠せない幸村に向かって石切丸が声をかけた。

「とりあえず真田殿。きみは下がった方が良いのでは?素手で戦うつもりかい?」

その台詞に長谷部はただ半笑いを浮かべて呟いた。

「そいつなら拳でやれないこともないだろう」

「ふむ…」

戦闘態勢をとった幸村達に対し天海は面白そうに口許を緩めると、手にした大鎌に力を込める。大鎌を起点として黒い霧状のものが鎌から噴出し、

「こんなにも熱烈に追いかけられると応えてあげたくなるじゃないですか」

そう言いながら、振るわれた天海の大鎌から黒い靄が切り離され、佐助達に向かって飛んで来る。黒い靄は濃さを増し周囲に広がると、ばちり、ばちりと何かが弾ける様な音を出し、次の瞬間、赤黒い光を放った。

「っ、来るぞ!」

佐助が警告の声を上げると同時に、切り裂かれた空間から短刀を口に咥えた遡行軍が飛び出してくる。そして、その後を追う様に短刀が数振り、脇差に、打刀までもばりばりと強引に空間を抉じ開け、こちらの世界に乗り込んでくる。

思わぬ場所に現れた時間遡行軍の部隊と長谷部達は考える間もなく斬り結ぶことになった。

「はっ!」

一期一振りが敵短刀を斬り飛ばせば、石切丸も襲い掛かって来た敵脇差と敵打刀を難なく切り伏せる。

佐助は敵短刀の攻撃を苦無に纏わせた闇の婆娑羅で弾きながら、隙をみて天海へともう片手で苦無を投げ付ける。幸村はその戦いを見て、己の拳に炎の婆娑羅を纏わせることに成功すると、口では何だかんだと言いながらも直ぐ側で幸村の守りに付いていた長谷部に向かって声を上げた。

「長谷部殿!某も戦えまする!」

「そんなこと、分かってますよ!」

ちらと炎の婆娑羅を纏った幸村に視線を流すと、長谷部は幸村に答えながら足を前に踏み出した。

「やつの持つ武器を破壊しない限り、埒があかないな」

天海は佐助からの攻撃を余裕の表情で躱すと、まるで戦場の様子を愉しむように眺めている。

「そうそう、愉しく踊って下さい」






「貴殿は何故この様な事をするのだ!」

遅い掛かってきた敵の打刀の刃を体捌きで交わすと、握り締めた拳に炎の婆娑羅を纏わせ、敵打刀の横っ面をその拳で打ち抜く。

「はぁっ…!」

バキャッという音と奇妙な手応えを残して敵打刀は屋上の端へと吹き飛んでいく。
幸村は構えを解かぬまま、戦闘を傍観する天海へと鋭い声を投げた。

「はぁ…。貴方もそれを聞きますか。――ただ、退屈な日々に飽きただけですよ。……おや?」

そこで不意に鋭利な光を帯びた天海の眼差しが尚も口を開けたままになっていた空間の歪へと流れた。

「…なんだ?」

みしりとも、びしりとも聞こえる、何かが激しく軋む様な音。
最初にそれに気付いたのは天海の動きを牽制しつつ遡行軍の相手をしていた佐助だ。
酷く不快な音が小刻みに空気を震わせ始め、刃を交えていた敵すらも落ち着きをなくし始める。身体にかかる空気が重さを増し、纏わりつくような不快さに眉をしかめる。

「――っ、これは…瘴気か…?」

石切丸を始め、それぞれが相対する目の前の敵を斬り捨て、目を向けた先――空間の歪みから、それは発生していた。

暗く深く重苦しく。落ちて堕ちて、沈んでなお、濁って、澱んで濃さを増す。なにものにも等しく降り積もる悠久の時が幾重にも重なり、それを形作っていく。
どろりとしたぬめり気を帯びた空気。その欠片がじわじわとこちらの側の世界を侵食する。

「…な…んで…ござるか、あれは…?」

粘着質を通り越して、もはやおぞましいとしか言いようのない異質な空気が頬を撫でる。顔から血の気が引き、冷や汗が頬を伝い落ちる。寒気がするほどに、おぞましい何かがあの向こう側にいる。

「あぁ…、貴方がいるから引き寄せられたのですかね」

ただ天海だけは何も感じていないのか、平素と変わらぬ様子で幸村へと視線を動かしてよく分からない事を口にした。

ぞろりぞろりと背筋を這い昇る寒気。

幸村は天海の言葉を耳にしつつも空間の裂け目から目が離せなかった。

そこから、何が出ようとしているのか。
自分達の知らない新たな時間遡行軍か。

幸村と佐助、刀剣男士達は身構えたままその場から動けない。

そして、ついに空間の裂け目にその姿が現れる。

ぎょろりと鈍い光を灯す双眸は血の様に赤黒く。鎧兜に覆われた顔は判然とせず、隙間から見えた片手には朱塗りの太い柄。身体が大きすぎるせいで全体像は掴めないが、そこに現れた何者かは空間の裂け目を更に抉じ開けようとこちら側に手甲で覆われた片腕をねじ込んできた。

「――なにをぼさっと突っ立ってやがる!真田、猿飛っ!」

開きっぱなしになっていた屋上の扉から政宗達が駆け込んでくる。そこでハッと我に返ったように屋上にいた者達は政宗を見た。

「燭台切!?大倶利伽羅にもう一人は…!?」

誰かがそう声を上げたが、政宗の目は一点しか見ていない。今度は燭台切の刀を手に、政宗は駆ける。刀に婆娑羅を纏わせると空間の裂け目まで素早く近付き、こちら側に突き出されていた片腕を容赦なく斬り飛ばした。

「っ、政宗殿!」

「こいつがやべぇことぐらい分かるだろ!」

気配が尋常じゃない。

片腕を斬り飛ばされ、叫び声ともつかぬ重低音を響かせて、何者かは空間の裂け目から後退する。政宗は謎の敵を睨み付けたまま、振り向きもせずに長谷部へ声をかけた。

「へし切長谷部。悪いが真田に刀を貸してやってくれ」

「それが主命ならば」

長谷部は政宗と共に駆け付けた燭台切と大倶利伽羅に目を向け、二人が頷いたのを確認して答える。仲間を信じているのだ。
逆に戸惑ったのは幸村の方であった。

「しかし、それは…」

「あれを押し返すのに俺だけじゃ力が足りねぇ。お前も婆娑羅を使え」

緊急的措置で拳に婆娑羅を纏わせているようだが、それも完全ではない。力を出し切る為には相応の武器が必要だ。この場に槍がいないのは仕方がないとして、幸村だって一通りの武器の扱いは学んでいるはずだ。当然、刀もいけるはずだ。

政宗は幸村の戸惑いを斬り捨てると、空間の裂け目へと刀を構える。パリパリと手にした刀身の周囲に蒼白い光が走る。

「長谷部殿。貴殿の身、一時お借り致す」

「どうぞご存分に」

決断した幸村は長谷部から刀を受け取ると、政宗の隣に並んでその刀身へと炎の婆娑羅を走らせた。拳に纏っていた時よりものびのびとしてごうごうと激しく燃える炎。

こちらの動きに気付いたのか、向こう側の気配がざわつき出す。

新たな遡行軍が空間の裂け目を越えて現れるより先に。謎の敵が再突撃してくるより先に。

政宗と幸村は呼吸を合わせて、空間の裂け目に向け、同時に婆娑羅を解き放つ。

「はぁぁぁぁっ!!」

「うぉぉぉぉっ!!」

雷と炎。蒼と紅。二つの婆娑羅が絡み合い、紫電となり空間を超える。その先で紫炎へと変化した炎が向こう側を焼き尽くす勢いで燃え盛る。やがて二人の放った婆娑羅は、空間の裂け目ともいえる出入り口をぼろぼろと崩壊させた。

「待て!逃がすかっ!」

だが、息吐く暇もなく投擲された苦無と鋭い佐助の声が緊張感を呼び戻す。
カキンと大鎌に弾かれた苦無が屋上のコンクリートの上に突き刺さり、天海は重力を感じさせない身軽さで屋上のフェンスの上に飛び乗った。
佐助は更に苦無を媒介に闇の婆娑羅を発現させると先に投じた一投を大鎌で叩き落とした天海に向けて続けざまにその苦無を放つ。

「はっ!」

当然の様に属性の宿った苦無も大鎌で振り払われはしたが、天海はその苦無が接触した部分にあった黒い靄が切り裂かれた事に眉を寄せた。

「これはまた相性が悪い」

「だってさ、旦那方!!」

佐助の呼びかけに、天海へと意識を切り換えていた政宗と幸村は刀を通じて再度婆娑羅技を行使する。

「だったらこれでも喰らっとけ!――HELL DRAGON!!」

「ーー灼熱炎鳳覇!!」

パリパリと刀身を包むように発現した青白い雷光が、政宗の言葉と共に天海めがけて放たれ、その後を追う様に鳳凰の様な形をとった炎が天海の身を襲う。もはや屋上という逃げ場のない場所での容赦の無い攻撃。天海は咄嗟に両手にした大鎌を身体の前で交差させると、その攻撃を真正面から受けた。

「うわー、二人とも場所とか考えなしの攻撃」

「はっ!?いかん…っ!」

「ンなこといって逃げられたら…」

パリパリッと婆娑羅の余韻を残す刀を軽く振り払い、政宗は続く言葉を切る。幸村も咄嗟に天海の元へ駆けようとしていた足を止めた。

何故なら、

「あぁ、痛い…。痛いですねぇ。久し振りに感じる…この感覚…」

HELL DRAGONの直撃を受けてもピンピンとしている。炎の斬撃を喰らっても傷一つ見当たらない。だが、大鎌に纏わりついていた黒い靄は吹き飛んだのか、銀髪を靡かせながら天海はまだその場に立っていたのだ。

「嘘でしょ」

大技を連発して政宗の力が落ちていたのだとしても、幸村が本来の戦闘スタイルである槍を手にしていなかったからだとしても。とても人間技とは思えぬ攻撃を受けてなお、平然としている天海に刀剣男士達も唖然とした表情を浮かべる。

「あれは本当に人間なのか?」

誰かが呟く。
弧を描いた色素の薄い唇が謳う様に声を上げた。

「ふっ、ふふふっ…はーっ、ははは…っ!そう、やはり、生きているとは、こうでなくては…!」

身体を震わせ、生きているという実感に見悶えている天海に佐助が若干引き気味になりつつ、政宗はそれを無視して口を開きかけた。だが、その前に天海の言葉がするりと耳に入り込む。

「あぁ…そうです。きっとあの方も今頃どこかで退屈しているのでしょう。早く…早く、見つけて差し上げなくて」

「おい、あの方ってのは誰の事だ?」

「こうして見知った顔が私の前に現れたのも…きっと何かの兆し。もっともっとこの世が乱れれば…あの方も再び戦場に舞い戻って来るに違い有りません」

天海は政宗の問いかけには答えず、ぶつぶつと独り言の様な事を零すと不意に言葉を切って、政宗達の方を向く。

「そう言うわけで私はまだ貴方方に捕まってあげるわけにはいかないのです。えぇ、とても残念ですが」

「まさか、貴殿は織田信長を…」

「考えたくはねぇが、まさかお前、魔王を捜してるのか?それでこんなふざけた真似を」

幸村と政宗の口から同時に同じ名前が上がる。

「ふふっ…、さて、どうでしょうか」

しかし天海は言葉を濁し、首を傾げると、足場のない背後に向かってフェンスを蹴った。

「待てっ!」

「貴方方の存在が消えていなければ、またどこかでお会い出来るでしょう」

フェンスの上から空中へと身を投げた天海はそう言葉を残し、落下していく。天海は建物の中頃辺りまで来ると落下しながら身体の向きを変え、下に向かって大鎌を空中で薙ぐように横に振った。
するとその先の空間が切り裂かれたように左右に割れ、光の通らない闇が出現する。やがて、天海の身体はその闇の中へ吸い込まれるようにして消えた。

「なんだあれは…」

「なんなのでござるか…」

天海が飛び降りたフェンスに駆け寄り、その一部始終を見ていた政宗達はその光景を呆然と屋上から見下ろしていた。




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