現世の守護者


西暦2205年、時の政府は過去へ干渉し歴史改変を目論む『歴史修正主義者』に対抗すべく、物に眠る想いや心を目覚めさせ、そのモノの持つ力を引き出す事の出来る能力を持った『審神者』(さにわ)なる適性者達を厳正な審査の上で方々からかき集めていた。
同時に適性有りと認められた『審神者』の力により刀剣に眠っていた付喪神『刀剣男士』が生み出された。
かくして彼ら『刀剣男士』は歴史改変を目論む『歴史修正主義者』が各時代へと送り込んだ刺客を倒すべく、日夜戦いを繰り広げる事となった。

しかし、戦いは繰り返す事に熾烈を極め、もとより戦など経験したことの無い審神者、真面目過ぎる審神者程その精神を病んでいってしまう者がいた。ただでさえ審神者たる資質を持つ者が少なく、敵は増殖する一方。この時、政府は二つの施策を試みたのである。

一つは、今まで厳格に定められていた審神者を選抜する条件を緩和し、霊力さえあれば人格は問わないという何とも杜撰なもの。だが、その事についてはスルーされた。
何故なら、もう一つの施策の方に注目が集まったからだ。そう、戦慣れしていない現代人に代わって、過去の人間を審神者として招集する。もちろん審神者自身が関する過去の出来事には不干渉を原則としてだ。
それでも歴史が変わってしまったらどうするんだという声も上がったが、時の政府は問答する時間も惜しいとばかりに強引に押し切った。それほど、『歴史修正主義者』との戦いは熾烈を極めていたのだ。

そして、強引に押し切った甲斐あってか、過去の人間を審神者とする施策は上手くいったといえた。なにせ審神者として本丸を預かった人間は戦国時代の人であり、戦とは何か、刀とは何か、審神者の資質だけではなく、審神者として必要な知識も持ち合わせていたのだ。
今では戦国の本丸、江戸の本丸とその時代に生きた人間が審神者を務める本丸が幾つか存在していた。

そしてそれとは真逆の結果を叩き出したのが、審神者となる者の選抜条件緩和である。
霊力は高いが、人としてクズな人間がちらほら現れたのである。審神者としての本分を忘れ、己の好きな刀剣男士が現れるまで、他の刀剣達を酷使したり、気に入らない刀剣の破壊。審神者の地位を利用して、刀剣男士達に無体を敷く。いわゆる、ブラック本丸という存在を生み出してしまっていた。

 

「…以上が、黒より受けた報告に御座います」

下座にて正座した青年が朗々と告げた報告に、一段高くなった畳敷きの上座にあぐらをかいて座っていた人物は不快気に秀麗な眉を顰めた。

「はっ、この家から半ば脅すような形で家宝を奪うだけじゃなく、政府の連中はその誇りまで奪うつもりか」

「仰る通りかと。このままでは…刀剣男士が分霊とはいえ、いつか本霊の宿る刀に何かしら影響が出ないとも限りません」

厳しい表情を浮かべた最たる側近に、上座に座していた人物は己の傍に置いていた刀へと目を向けた。その刀の銘は黒坊切影秀。

「お前も許せないよな。先祖代々から仲間として過ごしてきた奴らだ」

刀に語りかけるように呟かれた声に、どこからともなく応えが返ってくる。

「当然だ。我が兄に、仲間達に何たる仕打ち。その審神者という不埒な輩の首、我が一閃にて刎ねて進ぜましょう」

耳に心地良い低い声が鼓膜を震わせると同時に、刀の直ぐ真横に片膝を付いた、凛とした面差しの青年が現れる。

「だよな。俺は我慢した方だと思うよな?」

「貴方様の思うままに」

「我も坊に付き従いますれば」

下座にて正座していた青年が瞼を伏せて告げれば、上座に現れた青年も似た様な言葉で肯定の意を示す。上座に座っていた男主人は傍らに置いていた刀《黒坊切影秀》を手に立ち上がる。

「坊って言うな、影秀。俺はもう成人済みだ」

「失礼。では、遊士様と」

軽く言い合う様子を見れば分かるように、二人は家族同然の気安い仲だ。

「で、彰吾。お前の事だからもう何か手は打ってあるのか?」

下座に向けて掛けられた声に彰吾と呼ばれた青年は一つ頷く。

「同じ危機感を抱いた者達と話がついております。また、その者達を通じ、政府に潜入する手筈が整っております」

「さすがだ、彰吾」

「相も変わらず、お主の部下は優秀だな」

「まぁな。…さて、我が家の家宝。ご先祖様達が大事にしていた四振りの刀。返して貰いに行くぜ」

 

そうして勢い込んで政府が特別に管理する区域、《特区-トック-》に存在する施設へと協力者達の力を借りて乗り込んだ遊士であった、が…。

「これは、どういうことだ」

刀剣男士達を生み出す為に全国から集められた刀本体が保管されている筈のその施設に、遊士が目的としていた刀四振りに加え、他にも数振りの刀剣、それらの姿が施設内から忽然と姿を消していた。協力者である忍一族、風魔でさえ苦労して突破した施設のセキュリティ。それをそう簡単に賊が破れるとは思えない。何せこの施設には国宝である三日月宗近を始めとして、そうそうたる名を持つ刀剣が保管されているのだ。

「まずいな。一度撤退だ」

細心の注意を払いながら、遊士は見張りとして外に残してきた影秀と彰吾と合流することにした。
そして、施設の外で警戒にあたっていた二人は、建物から出てきた遊士の厳しい表情と、その手に何も持っていないという事実から、すぐに何かあったのだと直感した。だが、二人は焦らずに、遊士の意を汲み、まずは特区から安全な圏外まで離れることに意識を傾けた。

無言で歩くこと数十分、政府の特区を離れ、人がまばらに行き交う道の中で、遊士がぽつりと口を開く。

「施設の地下に保管されている筈の刀が無かった」

「それはどういう意味だ」

遊士の左側を歩いていた影秀がすかさず問い返す。

「正確に言えば、確かに集められた刀剣は地下施設に保管されていた。だが、俺達の目的とする四振り、他にも数振り…か、保管されていた形跡はあったが、何故かその場所だけ空っぽだった」

「まさか、我等の動きに勘付いた政府が保管場所を移したと?」

「いえ、それは無いと思います。他の刀剣は残されていたのでしょう?取り返しに来ると分かっていて、全ての刀剣を移さないのは少しおかしい」

影秀の推測を彰吾が否定する。

「ならば何故…」

「そこが俺にも分からない。保管場所を移されたのだとしても、場所が分からねぇんじゃ手の出しようがねぇ」

三人はしばし沈黙し、遊士は一歩退いて、己の右斜め後ろを歩く彰吾へと声を掛ける。

「そこでだ、彰吾。北条の主には俺から話を通しておく。風魔とうちの黒とを組ませて刀の行方、政府の内情をもう一度探ってくれるよう指示を出しておいてくれ」

「はっ。分かりました」

「では、我はこのまま遊士様の護衛をしよう」

 

結果、政府特区の地下施設に保管してあった刀剣本体の消失。
これは政府にとってもイレギュラーだったことが、風魔達の調べにより齎された。何が原因であるのかも判明しておらず、政府は現在、大慌てで調査をしている最中とのこと。

「以上が、現状だ」

協力者達の集まりに影秀を護衛として連れて顔を出した遊士は、自分達が掴んだ情報を集まった面々に向けて話した。

「だから俺は最初から反対だったんだ!政府の連中は何も分かってない。何も分かろうとせずに刀をただの道具の様に徴収して。土方さんや沖田さんがどんな思いで刀を振るっていたか何て考えもしないで…!」

「そなたの気持ちはワシにもよく分かる。だが、相馬殿。今は怒りに囚われている場合ではない。そう言うことだろう、伊達の」

「その通りだ。今のままだと皆が想像する最悪の結末を迎えることになるかもしれない」

怒りを湛えた和装姿の青年に、落ち着いた雰囲気を纏わせる壮年の男が同意を示しながら、遊士へと話を戻す。

「あの、それって…本霊の宿る刀剣が破壊されるってことでしょうか?」

集まりの端っこにいた巫女服に身を包んだ少女が顔色を悪くして、弱弱しい声で呟いた。
それに遊士は言葉を誤魔化すことなく頷く。

「刀剣本体の消失がブラック審神者による刀剣分霊への狼藉による影響か、現時点でそれを否定出来る材料は無い」

「そんなっ…」

護身刀である宝刀が万が一にでも消失や穢れてしまったら、それはもう人の手には負えない災厄が人々を襲うことになると巫女服の少女は顔色を蒼白にして告げる。

「その事態を避ける為にも刀剣の保護が急務だ」

巫女服の少女を支える様にその細い肩に腕を回した青年が芯の強さを感じさせる力強い声で皆を見回して言う。

「そうじゃな。ワシに一つ考えがある。…ここに集まった面々の中で、今現在審神者の任に着いておる者はおるか」

先程相馬と言う青年を宥めた壮年の男が口を開く。
その問いに三人ばかりが手を上げた。

「ふむ…三人居れば何とかお上の目も誤魔化せよう」

「どういう事だ、御大(おんたい)」

首を傾げる皆の中から代表して遊士が聞いた。

「なに、さほど難しい事ではない。その狼藉を働く無知な輩から刀を取り上げる。皆も知識としては知っておるだろう」

その昔行われた―刀狩り―というものを。
古くは鎌倉時代、北條泰時が高野山の僧侶に対して行ったものから、戦国時代には諸大名が。中でも有名なのが豊臣秀吉による刀狩令だろう。

「三人の審神者が預かる本丸を拠点とし、ブラック本丸と目される本丸に対して刀狩りを行う。どうじゃ」

同時に回収した刀剣は刀剣男士の意向に沿うようにしてやりたい。
本霊に還りたいといえば還し、他の本丸に移りたいと言えば受け入れる。ブラック本丸を乗っ取るのも有かも知れない。とにかく刀剣男士の状態把握と刀剣消失の原因解明を急がねばなるまい。

「まぁ、一計の余地はあるな」

「ですが、どうやって他の本丸に乗り込むのですか?刀剣にしたって審神者の霊力に縛られているのでは?」

頷いた遊士に相馬が疑問点を上げる。それには拠点とされる予定の審神者達が答えた。

「遠征先に他の本丸を指定する事が出来れば意外と行ける…かも?」

「どうやってさ。あれって政府が資材集めの為に行先を固定してるやつでしょ。刀剣を霊力で縛るのだって審神者に万が一がないようにって事だし」

「ま、その縛りをブラック審神者の奴らは良いように利用してるわけだが。とりあえず、何とかすれば他の本丸には行けるってことだろ。刀剣達に関しては最悪力付くで別の本丸に連れて行くとか…」

三人の会話から見えて来た僅かな道筋に、会議が始まってからまだ一言も口を開いていなかった白い学生服を着た線の細い少年が恐る恐るといった様子で手を上げる。

「ん?どうした、竹中少年。何か案があるのか」

最初の会合からずっと親戚の代理という事で参加していた学生の挙手に、遊士が発言しやすいよう先を促す。

「あの、出来るかどうかは分からないけど…親戚にこの案を話してみてもいいですか」

実は僕の親戚の竹中さん、同じ名字でややこしくてすみません。が、その政府の機関で働いてまして、刀剣の現状に憤って僕をこの会合に参加させていたんですけど。その竹中さんに他本丸への転送を協力して貰うのはどうですか?ブラック審神者による刀剣への霊力による縛りを解呪する方法何かも分かるかも知れません。

「ふむ、内部に協力者が出来るのは心強いが…さて、その御仁は信用できるのかね」

親戚というだけで協力してくれるのか。不安が残る。
それにこのことが政府側に流れてしまえばこれまでのことが全て水の泡だ。

しんと各々が検討する様に静まり返った会合の場で、竹中少年は覚悟を秘めた顔で再び口を開いた。

「――一期一振。親戚の彼は親友の家に代々伝わって来た刀が、その誇りが奪われようとしている現状に政府内でも密やかに刀剣を保護しようという仲間を増やしています。正式な名称はありませんが、今は仮に『監査執行部』という名前で内密に活動しています。どうか、信用してもらうわけにはいかないでしょうか」

「…内と外で手を組むってわけか」

「そうじゃな」

竹中少年の主張に遊士と壮年の男は他の面々とも目配せをして意見を促す。

「であれば、我も是非その執行部とやらに加えて頂きたい」

するとそこで遊士の側に控えていた影秀が珍しく竹中少年の発言を後押しする様な言葉を口にした。同時にその内容を耳にした遊士は瞬時に影秀の要望を見抜いてその横顔へ目を向けた。

「執行イコール首刎ねってわけじゃねぇからな。それに審神者を締め上げるのは同意だが、お前の刀身を汚い審神者の血で穢したくはない」

「むっ…その言い回しは些か卑怯であるぞ、坊」

「誰が坊だ!とっくに成人済みだ。それに薄皮一枚程度なら許す」

遊士と影秀の軽いやり取りの間に皆の意見も纏まったようで、これにより今後彼ら・彼女らは外部『刀剣監査執行官』と名乗る様になった。

 

どんよりと立ち込めた雲に、重苦しく澱んだ空気。
共に付いて来た彰吾がその場で柏手を一つ打てば、ふっと幾らか軽くなった空気に遊士は感心したような声を漏らした。

「何度見ても不思議だな。ただ手を叩いただけでこうも変わるとは」

「しかし穢れそのものを払う力はないので、くれぐれもご油断なされぬようお願いしますよ、遊士様」

「どうやら今ので勘付かれた様だ」

遊士の傍らにいた影秀がそう告げ、その身を刀身へと戻す。
ピタリと空中で制止した刀―黒坊切影秀―を遊士は左手で掴むと、本丸の中から出て来た刀剣男士と顔を合わせた。

「てめぇらは何者だ?ここへ何しに来た」

本丸の中から現れた刀剣男士は、ボロボロの服に赤黒い血をこびり付かせたまま、手入れもさほどされていないのだろう、傷だらけの姿であった。だが、それでもまだこちらを睨み付ける眼光は光を失ってはいなかった。
低い声音で問われた誰何に、同じ質問を返す前に遊士達は眼前に現れた刀剣男士の正体をその者が手にしている刀から推測できた。

「同田貫正国か」

名前を言い当てられたことに同田貫は微かに反応を見せたが、それだけだ。

「なるほど。…さしずめお前は番犬か」

そして、同田貫から少し遅れて本丸の入口付近に現れたもう一つの気配。
遊士は二人に向けてこちらの用件を告げる。

「俺達は刀剣男士の敵では無い。事なかれ主義の政府に代わり、刀剣を粗末に扱う審神者を締め上げに来た。外部監査執行官だ」

「は…?」

聞きなれぬ名乗りとその内容に同田貫が目を丸くする。

「これよりこの本丸に存在する刀剣全てを審神者から没収する!」

「ちょっと待て!どういう意味だ!?」

同田貫と同じように意味を掴み損ねたもう一人の刀剣男士が本丸の入口から姿を現した。
背に流れる長い黒髪を後頭部で結い上げ、その肩には薄汚れて所々切れてしまっている浅黄色のだんだら模様の入った羽織。服装も血で汚れていたりと同田貫とそう変わりない悲惨さだ。慌てて出て来た刀剣男士も、その手に握られた刀を見れば一目瞭然の名刀であった。

「和泉守兼定か。相馬辺りが見てたら審神者の首は今日で胴体とさよなら確実だな」

「我々も笑い話ではすみませんよ遊士様」

そういう遊士こそ、家宝である四振りの刀を前にした時、どういう対応を取るのか。彰吾はそれが心配で、軽い浄化なら出来ると言って強引にこの計画に参加させてもらっているのだ。
とりあえずまだ話の出来る段階の刀剣男士を相手に遊士達は拒否権の無い交渉を始めたのだった。



時折監査に来ていた政府の人間を金で買収し、問題無しと上に報告を上げさせる。
そうして自分の城を築いていた男審神者は三日月宗近と鶴丸を今日も自分の側に侍らせて、様子見に行かせた同田貫と和泉守が中々報告に戻ってこない事にイライラしていた。

この本丸の主である男審神者は自分の意のままに行かぬことが大嫌いであり、この本丸に顕現された短刀達はその身形故に「子供は煩くて嫌いだ」と言う何とも理不尽な理由によって毎日審神者から暴力を振るわれていた。そして、それを庇った刀剣達は罰として遠征に送り込まれ、短刀達を助ける事も出来ない日々を過ごす事を強いられた。また、自分の言う事を聞かない刀剣は戦へと送り出され、口答えすれば手入れもされずにまた戦へと放り込まれる。

そんな劣悪極まりない本丸で顕現された三日月宗近は瞬時にその状況を理解すると、仲間達の為に心を殺し、審神者の興味が自分一人へと向かう様に誘導した。
しかし、新入りで昔馴染みでもある三日月だけにそんな事はさせられないと続いたのが鶴丸である。

鶴丸は遠征へと追いやられた燭台切と手入れもろくにされず戦場に放り込まれた大倶利伽羅、審神者からの暴力により酷い怪我を負った太鼓鐘を護る為にもそう決意したのだ。
そうして審神者の意識が三日月と鶴丸に向いた現在、審神者は天下五剣を揃えると言う目標を掲げ、刀剣男士達に無理な資材集めのみを敷くだけとなっていた。
この間に短刀達や戦に放り込まれた刀剣達には怪我を癒してもらいたいが、結局は審神者の手で手入れをされなければどうにもならない事であった。

三日月と鶴丸は審神者に従いながらも、日々この状況をどうにか打開すべく思考する事を止めはしなかった。そしてそれは彼ら二人に守られている他の刀剣達も同じ気持ちであった。


そんな彼らの願いが通じたのか、その時は刻一刻と迫っていた。


同田貫と和泉守に先に案内された大広間で、遊士達は現状の酷さを改めて認識させられていた。

「審神者の野郎…」

遊士はそこで寝かされていた短刀達子供の姿に、傷だらけで放置されている他の刀剣達の姿に拳を握り締めた。大広間には血臭が漂っており、唇の隙間から押し殺したような低い呟きが零れた。突然遊士の身から溢れた殺気に、短刀達が怯えたように身を震わせる。

「おいアンタ、少し気を抑えろ」

同田貫が注意する様に声を上げると、それに気づいた彰吾も遊士の肩を叩く。

「彼等の傷に触ります。気をお静め下さい」

その声にはっと我に返った遊士は悪いと謝罪して、深呼吸をした。だが、それでも気が収まらぬ者もいる。
依然として漂う殺意に、遊士は左手に持っていた刀へと語りかけた。

「影秀。見舞ってやれ」

遊士の呼びかけに刀が淡く光り、瞬きの間に影秀が人の形を取る。

「お心遣い痛み入ります」

では、と言って影秀は広間の奥に敷かれた布団に伏せている太鼓鐘とそのすぐ傍の壁に足を投げ出して寄り掛かっている傷だらけの大倶利伽羅の元へと進んでいく。
人が来てもまったくこちらを見ようとしない大倶利伽羅に、布団から起き上がれないのだろう太鼓鐘。そんな仲間の姿に影秀は忸怩たる思いを抱く。

「伽羅殿、貞殿。お久し振りで御座います」

こんな形でお会いしたくはなかったと、影秀は大倶利伽羅と太鼓鐘の側で膝を付いてそう告げた。

「っ、影秀…か?」

俯いていた大倶利伽羅の瞳が影秀を写し、金の瞳が見開かれる。太鼓鐘も驚いた様子で、口元に苦笑を刻んだ。

「はは…格好悪い姿でごめんな」

太鼓鐘の台詞に影秀は無言で首を横に振る。

「何故、アンタがここに居る?」

影秀は今も尚続く伊達家を護る為に、伊達家に置かれているはずだった。
自分達はその伊達家の歴史を護る為に刀剣男士として政府に一時的に籍を移しているに過ぎない。
大倶利伽羅の不躾な質問に影秀はその視線を大広間の入口へと向ける。大倶利伽羅もその後を追い、大広間の入口へと顔を向けた。

果たしてそこに…

「ゆうし…くん?嘘でしょ…?何で、キミが此処に…」

たっぷりと水が張られた桶、手拭いを手に燭台切が呆然とした顔で大広間の入口に立つ青年と向かい合っていた。

「俺の事が分かるのか?」

「そりゃ、もちろん!遊士くんがまだ小さい頃に引き離されてしまったけど、長年自分達が護ってきた主家の事だから」

「そうか…。助けに来るのが遅くなってすまない」

遊士は燭台切と大広間にいる刀剣達に向けて謝罪の言葉を口にする。驚きも露わにこちらを見つめる大倶利伽羅に苦笑を浮かべ、ひらりと手を振る。
その様子に和泉守が大広間に寝かされた堀川の横に膝を付いたまま遊士を見上げて聞く。

「アンタ、燭台切達の知り合いなのか?」

「この方は伊達に縁のあるお方だ」

その質問に答えたのは遊士の傍らに控えていた彰吾で、伊達の仲間二人を見舞った影秀が遊士の元へと戻って来る。その際、影秀は燭台切にも声を掛けた。

「ご無沙汰しております、兄様(あにさま)」

「その姿…影秀か?」

影秀は現世にて自然と付喪神として目覚めており、審神者の力等は働いていない。また、燭台切光忠と黒坊切影秀は共に長船派の刀であり、長船派の祖とされる刀工光忠と影秀は兄弟であるとされていた。それ故に影秀は燭台切の事を兄様と呼ぶようになっていた。

「久しぶりの再会に水を差すようで悪いが、鶴丸は何処に居る?」

伊達には後一振り、鶴丸国永という美しい太刀があった。
その名を口にした途端、大広間にいた刀剣達の表情が強張り、怒りや悲しみ、やるせないといった負の感情がその場に渦巻き始める。そんな中で、燭台切が悔し気に顔を歪めて言葉を吐き出した。

「鶴さんと三日月さんは僕達を護る為にその身を犠牲にして…」

 

審神者の私室へと足音が近付いて来る。
審神者は真昼にも関わらず鶴丸の膝を枕に寝そべり、三日月に酌をさせていた。
私室の前で立ち止まった二つの影に向けて審神者は声を荒げる。

「おせぇ!何をちんたらしてやがった!あぁ?仲間を折られたいのか?」

「――あぁ、悪かったな。向こうで見たあまりの惨状にコイツが我慢できなくてよ」

「あ?」

審神者が疑問符を浮かべるより先に、室内と廊下を隔てていた障子戸が外側から袈裟懸けに斬り飛ばされる。刀剣の本能として三日月と鶴丸は同時に叩き付けられた殺気に反応して己の刀に手を掛けていた。ただ一人状況を理解できていない審神者の眼前にぎらりと光る真剣の輝きが突き付けられた。

「ひぃぃっ!!」

一拍遅れて上がった間抜けな悲鳴に、審神者に向けられていた殺意を滲ませた金の眼光が不愉快だと顰められる。

「こりゃ……驚いた。…お前さんはもしや影坊か?」

鶴丸は障子戸を斬り飛ばして現れた青年をまじまじと見つめて、久方ぶりに感情を表に出した。

「鶴殿」

名を呼ばれた影秀は一瞬鶴丸と視線を合わせるも、直ぐにその視線は腰が抜けて立てない様子の審神者へと戻されてしまう。

「何じゃ、知り合いか?」

「あぁ、うちで一番のじゃじゃ馬だ」

そう三日月に答えて鶴丸はどこかほっとした様に肩から力を抜く。

「言い訳は無用。我が仲間達へ行った蛮行の数々、その身をもってあがなえ」

影秀は威圧するだけで言葉もろくに発せ無くなった審神者を冷めた眼差しで見下ろし、突き付けていた刀を振り上げる。

「ーっ、っ、っ二人とも、俺を守れぇ!盾になれっ!」

恐怖心が振り切れた審神者が最後のあがきと喚く。
審神者の霊力により縛られている三日月と鶴丸は顔を顰めながらもその命令に逆らうことが出来ない。

「彼らはお前には過ぎたるものだ。今この時を持って審神者契約を破棄する!」

しかし、その事態を一つの宣言が打ち破った。

宣言と同時に掲げられた六角形の木板。その板面に刻まれていた紋様から白い光が放たれ、本丸全体を包むように広がった。白い光を浴びた三日月と鶴丸は身体の内側から浄化されるような温かな気を受け、身体が軽くなったような感覚さえ覚えた。そして何より、喚く審神者の言葉に突き動かされる事もなくなり。

「一思いに死ねること、幸福と知れ」

審神者へと振り下ろされる断罪の刃を前に、何の感慨もなく見送った。

 

…とはいえ、影秀もその命までは取っていなかった。何より遊士との約束で汚い審神者の血で己の刀身を穢すわけにはいかなかったのである。

実の所、首の皮一枚を斬った所で寸止めされた刀だが、審神者には恐怖そのものだったのだろう。遊士は気を失って色々と醜態を晒している審神者の様子を持参してきたビデオカメラで撮影する。

「あー…、影坊。もしやそこで嬉々として審神者を辱めているのは…」

「次期御当主の遊士様だ。鶴殿も当家に居た頃にお会いしているであろう」

「うーん。もう少し可愛げがあった気もするがなぁ」

「人とは成長するものだ」

三日月も加わり、審神者の顔に油性ペンで何やら落書きをし始めた。
まぁ、最終的にはその報復という名の悪戯に鶴丸も加わり、審神者であった男は素っ裸にされた上、縄でぐるぐる巻きにされて本丸の庭に放置される事になったのだが。


 
審神者契約破棄の宣言と共に木板から放たれた白い温かな光。本丸全体を包むように広がったその光が大広間に居た刀剣達の傷も治していた。再び大広間に戻った遊士はこれからの事を説明する。

「本霊に還りたいと望むならば刀解しよう。それでもまだ少しでも人間を信用しようと思える心が残っているならば他の本丸で受け入れる準備は出来ている」

ただし、この本丸に残るという選択肢だけは無い。

遊士は説明の後そう言葉を締めくくると一日だけ刀剣男士達に考える猶予を与え、大広間を後にした。

「しかし、本霊の行方が掴めていないものはどうするおつもりですか?」

大広間から離れて暫く後に彰吾が口を開く。

「一度刀に戻って貰って、刀の状態で他の本丸に保管しておくしかないな」

「…坊。付いて来ておるぞ」

「あ?」

影秀にそう注意されてから遊士も背後にいる存在に気付く。
三人から少し離れた場に伊達家の四振りの刀がいた。

「盗み聞ぎするつもりはなかったんだけど…」

「本霊が行方不明ってのはどういうことだ」

燭台切が困ったような表情で言い訳を口にしたのとは逆に大倶利伽羅がストレートに疑問をぶつけて来る。

「さっきは礼を言うのを忘れていた。今回は世話になったな。助かったぜ。影坊もな」

「遊士なんてすっかり俺よりでかくなっちまいやがって」

鶴丸は仲間たちの回復した姿に遊士に感謝の言葉を述べ、どうやら元の調子を取り戻した太鼓鐘が遊士を見て感慨深げに呟く。彼らは影秀と同じく長年伊達家を見守ってきた刀だ。姿形はどうあれ人間である遊士は何歳になろうが彼等からみれば主家の大事な子供という認識であった。

遊士はその行方不明の中に含まれている伊達の四振りを前に、事実を話すべきか逡巡する。だが、その迷いを見透かした影秀が打ち払う様に言った。

「ここは協力を仰ぐべきかと。我が身の事なれば尚更何か分かるやも知れませんぞ」

「うん…そうだな。その前に場所を移そう」

遊士の言葉にそれなら僕らの部屋に行こうと、本丸内にある燭台切達の部屋に案内された。

「本当はお茶とかも用意できれば良かったんだけど…」

「気にするな。それよりも外傷は治せたとはいえ、心的なものまではどうしようもない。お前達は少しでも自分の身体を休める事に気を遣え」

上座に出された座布団に腰を下ろし、こちらに気を遣う燭台切に遊士はそう言い返す。彰吾は遊士から一歩後ろに控え、影秀は障子戸の前に陣取り、遊士を中心に大倶利伽羅、太鼓鐘、鶴丸と燭台切が各々座布団に座った。

「回りくどいのは好きじゃねぇから単刀直入に言うぞ。――伊達の刀を含めて政府に貸し出している数振りの刀剣本体が現在行方不明だ」

「そんな…!」

「それでお前さんは此処に乗り込んで来たって事か」

衝撃を受けている燭台切の隣で鶴丸は年長者らしく冷静に言葉を挟む。
刀剣本体の消失はブラック本丸の影響を受けてのものか、遊士は鶴丸の鋭い指摘に肯定の言葉を返す。

「そうだ。もちろんそれだけじゃねぇがな」

流された視線を受けて障子戸の前に座る影秀が口を開く。

「我が仲間達を愚弄されて黙っていられるほど我はまだ大人ではない」

ただ、審神者の首を落とさなかった分だけ大人にはなったであろうと影秀は堂々と宣う。

「ま、そういうことだ」

それで、何か変わりはないかと。刀剣本体が行方不明になった事で分霊に不調はないかと遊士は彼等を見て尋ねた。

「特にないと思うけど…俺、さっきまで不調だったから何とも言えないなぁ」

「右に同じだ」

そうだろう。太鼓鐘は先ほどまで審神者のせいで布団からも起き上がれないでいたのだ。大倶利伽羅も傷を負ったまま、不調かそうか分からないだろう。

「僕もはっきりとは分からないけど、特には何も」

燭台切も二人に続いて言う。

「まぁそうだな…こうして俺達が何も感じず存在できてるって事は少なくとも本体はまだ無事ってことだろう」

最後に鶴丸が意見を纏め、暫しその場に沈黙が落ちた。
ちらりと鶴丸はいつも通り仏頂面の大倶利伽羅、難しい顔をした太鼓鐘、困惑を隠させない燭台切とその横顔を流し見てから静寂を破る。

「そういうことなら、俺は遊士の用意した本丸へこの身を預けよう」

「鶴さん」

「鶴丸」

仲間三人の視線が自分に集まるのを感じながら、鶴丸は遊士を見据えてその理由を告げた。

「側にいた方が何かあった時に伝えやすいだろう?」

「…そうだな。だが、本当に良いのか?お前は」

人間に酷い仕打ちを受けていた。人間を嫌いにはなっていないのかと、遊士は言葉には出さずに視線で問う。すると何故か鶴丸は金の双眸を細めて笑った。

「今回はたまたまハズレを引かされただけだ。むしろあの人間こそ哀れだと思うがな」

こんな小さな世界の中でしか威張れない。それも己の安全が約束されていた上でだ。…外の世界、それこそ長い年月を越えてきた鶴丸からして見ればあの人間は器の小さき人間だったと思う。

「人間には様々な者がいる。今度はアタリだと嬉しいが…その辺はどうだ?」

「驚きはねぇかも知れないが、驚かしがいはありそうな審神者かもな」

「なるほど、楽しそうだ」

君たちはどうすると、鶴丸の視線が燭台切達へ移る。

「鶴さんがそう言うなら、僕も着いていくよ。遊士くんの役にも立てそうだし」

「俺も俺も。なっ、伽羅」

「あぁ…」

太鼓鐘に上着の袖を引っ張られた大倶利伽羅もその決定に同意する様に静かに頷き返した。




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