とある冬の日


それはとある冬の日の出来事。

その日は久方振りに朝から陽射しが顔を出し、庭一面に積もっていた雪をじりじりと融かしていた。何度も雪掻きをしていた道は融け出した雪のせいでぐしょぐしょにぬかるんではいたが、久々の好天に外を行き交う人々の明るい声が聞こえてくる。

「ようやく暖かくなってきたか」

昼前に政務を終わらせた城の主、伊達 政宗は換気の為に開け放たれた障子の向こうに隻眼を向けるとその瞳をそっと細めた。
そこには戦場で見せる鋭い眼差しは存在しない。ただ国主として、冬の間は深い雪に閉ざされてしまう奥州の民の暮らしを想うばかり。

政務で凝り固まった身体を解すように肩や腕を回して伸びをした政宗は、政務に使っていた文机を端に押しやると開け放たれた障子の外に顔を出した。

「小十郎に言って刀の手入れ道具を持ってきてくれ」

近くで待機していた小姓にそう声を掛けた政宗は肩に掛けていただけの羽織りを羽織り直すと、自室の刀掛けに掛けていた刀を二振り手に取り、その足で濡れ縁に出て、腰を下ろした。
そうして暫し政宗は雪化粧してきらきらと光る庭とその隙間から僅かに覗きだした緑の息吹の共演を静かに眺める。

「…雪が融けたら、また頼むぜお前ら」

その時ふと空気に溶けるようにポツリと言葉が落とされる。その視線はいつの間にか庭先の景色からどこか遠くを見据える鋭いものに変わっていた。

「政宗様」

程無くして小十郎自らが刀の手入れ道具一式を持って現れる。

「またその様な薄着で出られて。風邪を召されますよ」

「そうか?今日は暖かいだろ」

ちらりと小十郎の方へ視線を向けた政宗は無意識に纏っていた鋭い空気を霧散させると、空を眩しそうに仰ぐ。

「油断は大敵です。確かに陽射しは暖かいですが、風はまだ冷えております」

政宗の座る濡れ縁に道具一式を下ろした小十郎は近くに控えていた小姓を呼ぶと、室内に置かれていた火鉢を濡れ縁の側に移動しておくように言った。

そして政宗は小十郎が下がって行くのを見送ってから、自室から持ち出した己の愛刀の手入れを始めた。








「よし、次だ」

刀の手入れをしていると、政宗に道具一式を届けてから下がって行ったはずの小十郎が、両手に何か葛籠の様な物を携え、こちらに向かって廊下を歩いて来た。
政宗は手入れの終わった愛刀の一振りを自身の左側に置き、次の刀に手を掛ける。

「政宗様。少しよろしいでしょうか」

政宗の元に辿り着いた小十郎は一言政宗に断りの言葉を述べてから、政宗の左側に置いてあった政宗の愛刀を間に挟んで濡れ縁へと膝をついた。

「どうした?」

ちらと、手入れの為に柄を外しかけた刀から小十郎へ視線を投げて政宗は用件を聞く。

「はい。今日は天気も良いので朝から部下達と共に幾つか蔵を開けて、風を通していたのですが…。政宗様はこちらの葛籠に見覚えや心当たりはございますか」

「Ah?」

小十郎の話を聞きながらも慣れた様子で刀の手入れをしていた政宗は小十郎の示した葛籠に目を向け、その手を止めた。

葛籠の色は赤くも青くも、ましてや金色でもない。何の変哲もない黒一色で、戦場で見かける葛籠とはまた違っていた。

「見覚えねぇ。…ん?いや、待てよ」

葛籠を見つめて首を傾げた政宗は、ちょっと貸してみろと言って手入れ途中の刀を一旦右側に置く。小十郎から受け取った葛籠は両手にすっぽりと収まる大きさで、政宗は葛籠をひっくり返したりと葛籠を検分すると最後に葛籠に掛けられていた紐を解き、その蓋を無造作に開けた。
中身は先に小十郎も確認したのだろう、危ない物でもなさそうだったので、この時小十郎から制止の声は掛からなかった。

開けた蓋の裏側には白い文字で、ひらがなの『さ』。その一文字を囲うように丸く円が書かれており、葛籠の中に納まっていた幾枚もの四角い和紙にも同じ文字が書かれていた。

「誰かの書き損じか、悪戯でしょうか」

葛籠の中身を確認していた政宗に小十郎が首を傾げて言う。

「いや、違うな。思い出したぜ。こいつは冬に入る前に出陣した戦場で持ち帰ったものだ」

「冬前と言いますと、あのふざけた野郎共の…」

その時のことを思い出したのか、小十郎の眉間に皺がよる。

ザビー教だの、愛だの、何だのと姦しく精神的に疲弊した勝ち戦であった。

「あのような所から持ち帰った物など、即刻処分致しましょう」

というか、何故持ち帰って来たのです。
そう雄弁に語る眼差しに政宗は肩を竦める。

「俺だって好きで持ち帰ったわけじゃねぇ」

事実、今の今まで蔵の中に放りっぱなしで忘れていた。

「何でも土産だと。立花の野郎が強引に押し付けてきやがった。受け取ってやらねぇと奴の首が飛ぶんだと」

「立花 宗茂が。あれも苦労していますな」

葛籠の出所が分かった所で、中身の使い道はとんと分からなかった。

政宗は葛籠の中から和紙を1枚摘み上げると、顔の高さまで持ってくる。

「そもそもこの『さ』って文字に何か意味でもあんのか?奴らの信仰する宗教なら『さ』じゃなくて『ざ』だよなぁ」

「それは立花に聞いてみませんと分からぬでしょう。本当にただの書き損じかもしれませんし、はたまた敗れた事に対する嫌がらせか」

何にしても意味があるとは思えなかった。

「hum…。まぁいい。また蔵に戻しといてくれ」

「承知しました」

蓋を開けたままの葛籠を小十郎に返し、手にしていた和紙も小十郎に手渡そうとして政宗の指先からするりと和紙が滑り落ちる。

「おっと…」

悪い、と続くはずだった言葉は、刀の上に落ちた和紙が突然眩い光を放った事で途切れる。

「政宗様!」

野郎、やっぱりただの紙じゃなかったのかと小十郎は舌打ちをしながら、眩んだ視界で政宗の姿を探す。
同時に政宗も小十郎の焦った声を耳に、己のすぐ左側で感じた空気の変動に、手入れ途中で右側に置いていた愛刀を反射的に掴んでその場を飛び退いていた。

眩い光と共に溢れ出した冷涼な空気が剥き出しの頬を撫でる。

「ご無事ですか、政宗様!」

「問題ねぇ。それよりも…」

やがて光が収まり視界が元に戻った時、そこには見慣れぬ格好をした見知らぬ何者かが存在していた。そして、小十郎と政宗は息を合わせたかのように、その何者かが行動を起こす前に左右から刀を振っていた。

ひゅっと鋭く刀が空を切る音に、その者はたった今目が覚めたかのようにパチリと眼帯で隠されていない方の目を瞬かせた。

「てめぇ、何者だ」

左側からの誰何にその者は左側に顔を向け、何かに驚いたように目を見開く。その後直ぐに今度は自分の右側に顔を向け、これまた驚愕した様子で身体を震わせた。だが、それは左右から突き付けられた刀の切っ先に怯えたからというわけではなさそうだった。
むしろ驚いたのは政宗も小十郎も同じだった。いきなり目の前に現れたこの青年は酷く政宗に似た顔をしており、右目に眼帯とそんな所まで同じだった。

「もう一度聞く。てめぇは何者だ」

いち早く冷静さを取り戻した小十郎の低い声が青年の耳朶を打つ。

「あの、僕は…」

二度、小十郎の鋭い誰何に青年は困惑した様子で視線をさ迷わせる。

「どうした。答えられねぇのか?」

それとも口に出来ねぇような理由があるのかと、今度は政宗が口の端を吊り上げ問いただす。

「例えば…俺の命を取りに来たとか」

「なっ!それはありえないよ!僕が政宗公の命を狙うとか、絶対にありえないから!」

政宗の言葉に、それまで困惑した様子であった青年が、まるで心外なことを言われたとばかりにはっきりとした強い口調で否定の言葉を返す。

「ならば、名ぐらい名乗れるだろう?」

青年の口から出た政宗公という敬称に、政宗と小十郎は視線を交わし、小十郎が話を促す。

「それはそうだけど。信じてもらえるか…、僕だってまだきちんと理解できたわけじゃないし」

後半ぼやくように呟かれた声を無視して、二人は青年が名乗るのを待つ。
その痛いぐらいの視線に、覚悟を決めると青年はそっと小さく深呼吸をしてから名乗りを上げた。

「僕の名前は燭台切光忠。伊達政宗公が使用している六爪の内の一振り。その名の通り青銅の燭台だって斬れるんだよ」

「ha…?」

名乗られた名前に政宗は隻眼を瞬かせ、小十郎はその眉間に皺を増やした。
そんな二人の様子に光忠と名乗った青年はだから言ったのにと、しょんぼりと眉を下げた。

政宗は燭台切光忠と名乗った青年を頭の天辺から足のつま先までまじまじと眺め、その腰に己の愛刀である燭台切光忠が佩刀されていることに気付く。その刀は先ほど政宗が手入れを終えて、青年がいる場所に置いていたものと同じものだった。

「如何致しますか、政宗様」

驚いた様子で動きを見せない政宗に、厳しい眼差しを崩さぬまま小十郎は政宗に伺いを立てる。
すると政宗は表情を一転させ、その隻眼に好奇心の色を乗せ、光忠に突き付けていた刀を退いた。
これには小十郎ではなく、光忠が戸惑った様に反応した。

「…公」

「小十郎の警戒が解けたわけじゃねぇ。本当にお前が俺の刀であると証明出来れば良し。出来なければ、お前は俺の刀を盗んだ盗人になる」

You see?と政宗は口の端を吊り上げ、光忠の腰にある刀に目をやり、挑発的に笑った。

いつだって好戦的な主の笑みに、光忠は一瞬視線を奪われ気分を高揚させたが、今はまだ暢気に喜んでいる場合じゃないと自分を戒める。与えられたチャンスに応えられなければ格好悪い結末が待っている。自分は誇り高き竜の一振り。その一振りが盗人の汚名を着るなんて許せない。例え、無茶振りしているのがその使い手である主とはいえ…。光忠は瞬時に思考を切り替え、脳みそをフル回転させた。

「そうだ!伽羅ちゃんを僕と同じように顕現させれば信じてもらえるかな?」

「ah…からちゃん?」

「もしや大倶利伽羅のことでは?」

三人の視線が政宗の右手に握られている刀へと向かう。

「僕にしたみたいにさっきの紙を…、あれ?紙は?」

光忠は小十郎に刀を突き付けられているのを忘れたかの様にパタパタと手を動かし、自分の服の中や、濡れ縁の隙間など、紙を探して動き回る。
その何とも大胆というか、間の抜けた行動に小十郎も呆れたのか、はたまた何者かも分からぬうちに怪我をさせてはまずいと思ったのか、光忠に突き付けていた刀を退いた。

「Hey、その紙ならまだ幾らでもある」

光忠の行動を見兼ねてか政宗が口を挟む。

「本当?」

ぱっと振り向いた光忠はどこか安堵した様に顔を綻ばせた。

「で、この紙を大倶利伽羅に触れさせりゃいいんだな?」

納刀した大倶利伽羅を濡れ縁の上に置き、小十郎の持ってきた葛籠の中に入っていた和紙を一枚引っ掴む。
確認を取られた光忠はうんうんと頷き返し、その時を待つ。
小十郎はその間に濡れ縁を下りて政宗の傍らに控えた。その左手は油断なく、黒龍の柄へと掛けられていた。

「OK。行くぜ」

政宗が左手に握っていた和紙を刀へと触れさせた途端、再び眩い光が視界を奪う。光と共に流れ出した冷たい風が頬を撫で、吹き抜ける。光の奔流が収束へと向かえば、そこには褐色の肌に見慣れない着物姿の青年が立っていた。剥き出しの左腕には見事な倶利伽羅竜の刺青が巻き付く様に彫られている。

「大倶利伽羅だ。…政宗公の六爪の一振りだが、馴れ合うつもりはない」

「伽羅ちゃん!」

大倶利伽羅が名乗りを終えると同時に光忠が大倶利伽羅に突撃して行った。

「伽羅ちゃん!政宗公だよ!片倉さんも」

「見れば分かる」

「もう、相変わらず素っ気無いな。もっとこう何かないの?」

「ない」

「嘘つき。伽羅ちゃんだって、政宗公に会えて嬉しいくせに」

「嬉しくないとは言ってない」

じっと政宗の方を見て、表情を変えずに淡々と光忠に応える大倶利伽羅は元からあまり喋る方ではないのか、騒がしい光忠に比べるとその差が激しい。

「あの者の言葉、嘘では無いようですな」

目の当たりにした現象は説明し難く、それ故に疑う余地もない。
黒龍の柄に掛けていた左手を下ろし、小十郎は警戒を解いた。

「あぁ…この目でしかと見ちまったしな。あの二人が俺の刀か。世の中不思議な事があるもんだぜ」

政宗の視線は大倶利伽羅の腰に下げられている見慣れた愛刀に向けられる。

「大倶利伽羅」

「何だ」

「お前の刀寄越せ。手入れの途中だ」

言われて大倶利伽羅は躊躇う事無く腰に提げていた自身の本体である刀を政宗に差し出す。

「うわー、伽羅ちゃん大胆だね」

それを見て光忠は感心したように呟いた。

「お前だって公が望めば差し出すだろう」

「まぁ、そうなんだけど」

何やら刀二人だけに通じる話をしている光忠に政宗と小十郎は揃って首を傾げた。

「何か問題でもあるのか」

口を開いたのは大倶利伽羅を受け取った政宗だ。

「えっと、こうやって僕達は顕現したわけだけど、あくまで僕達は刀の分霊で。本体は刀なんだ」

「公が今手にしている刀が俺の本体で、その刀に何かあれば俺にも影響がでる。ただそれだけのこと」

二人の説明に政宗の傍らに控えたままだった小十郎は、そこでようやく合点がいったという様子で一つ頷く。

「なるほど。お前達は政宗様の刀に宿っている付喪神だということだな」

元より神職の生まれである小十郎は物にも命が宿っているという解釈に対して理解があった。同様に政宗も小十郎の考えには同意見であり、刀を手にしたまま、付喪神といわれた光忠と大倶利伽羅を珍しいものを見るように眺める。

「うん、まぁその解釈で間違ってはいないかな」

「どうでもいい」

政宗から向けられる好奇の視線に光忠は気恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、その隣の大倶利伽羅は我関せずの態度で横を向く。

「hum…とりあえず、先に手入れを終えるか」

それまで燭台切と大倶利伽羅は縁側で待機だ、と政宗は二人から視線を外して言う。

「了解」

「…ふん」

「政宗様。こちらの葛籠は如何がいたしましょうか」

まだ何枚もの和紙が残っている葛籠の蓋を閉めながら小十郎が聞けば、政宗は小十郎の腰に佩刀されている刀へ目を向け、軽い口調で言葉を投げた。

「お前の黒龍も試してみるか?」

「ご冗談を。付喪神とはそう軽々と扱っていいものではございません」

「そりゃそうだ。今のは無しだ」

悪いなと、小十郎と話をしつつ、政宗は縁側に座って話を聞いていた二人にも意識を向けて言葉を口にする。自分達に向けられた謝罪の言葉に光忠は大丈夫だよと首を横に振る。大倶利伽羅に至ってはちらりと政宗に視線を向けただけで、何の反応も返さなかった。

「その葛籠は厳重に封をして、誰の目にも触れねぇように蔵にしまっておけ」

「承知致しました」

政宗の命令に小十郎は頷き返し、政宗の元を離れる。
その際、縁側に座る二人に呼びかけ、声を掛けていく。

「燭台切、大倶利伽羅。何もないとは思うが政宗様を頼む」

「うん。任せてよ」

「言われるまでもない」

「そうか」

頼もしい返答に小十郎は微かに口端を緩め、その場から去って行く。
政宗も刀の手入れを再開させ、暫し静かな時間が流れ始めた。

珍しいもの等興味の惹かれることに対して、色々と政宗から尋ねられると思っていた光忠は黙々と刀の手入れをする政宗の様子を横目に窺い、首を傾げる。

「どうした?」

向けられた視線に気づいた政宗が手を止めぬまま問いかけてくるのに光忠は思ったままのことを口にしてみる。

「いや、何も聞かないのかなと…」

丁寧な手付きで刀身に打ち粉を打つ政宗の姿からは手慣れている感と自身の刀を大事に扱っている感じが滲みだしていて、見ているだけでも心がそわそわするぐらい嬉しいのだが。
政宗は顕現した光忠達を前にどんな気持ちなのだろうかと、何も聞いてこない政宗が気になった。

「そうか、不思議に思ってもしかたねぇか」

「公?」

「なんとなくだが、俺はお前達のことをお前達に訊かなくとも知っているような気がしてんだ」

「そうなの?」

「あぁ。それにお前らは俺自慢の刀だ。自分の刀のことも分からず、戦場では振るえねぇ」

「自慢…。僕達って公の自慢なの?」

「なんだ今更。お前ら自己紹介の時に堂々と六爪の一振りだって名乗っただろうが」

「いや、そうなんだけどさ。公本人に言われると感激も一入で」

嬉しさのあまり若干挙動不審になった光忠の右肩に、ふと突然重みが掛かる。

「え?なに、伽羅ちゃん?」

光忠が驚いて自身の右側に顔を向ければ、そこには光忠の右側に座っていた大倶利伽羅の頭が凭れるように乗っていた。
髪の毛の間から覗く瞼は閉じられ、小さな寝息が零れる。

「うそ、伽羅ちゃん、寝ちゃったの?」

普段ではありえない様子の大倶利伽羅の行動に光忠が驚きに目を見開く。
大倶利伽羅に目を向けた政宗はゆるりと口端を持ち上げると、からかうように口を開いた。

「手入れが余程気持ち良かったのか?」

「そりゃ、僕だって公に手入れされてた時はついうたた寝をしちゃう事もあるけど。今、ここで?」

緊張感の欠片もないなぁと光忠は呟くが、その口元は緩やかに弧を描いている。

「どうしよっか」

「手入れが終わるまで寝かせておけ」

「いいの?」

「お前らにはこの雪が溶けたらまた頑張ってもらうことになるからな」

政宗の言葉に、光忠は太陽の光を浴びてきらきらと光る庭に積もった雪へ目を向ける。
奥州の雪は深い。空気も冷たく、肌がひんやりとする。
初めて人の姿を得て感じるものに光忠はその光景を眩しそうに見つめた。

「だがその前に、お前らにはここでの暮らしになれてもらわねぇとな」

「うん?」

「そのうち小十郎の奴が働かざる者食うべからずとか言ってくるぜ」

最後に目釘を打って、刀を鞘に納めながら政宗は可笑しそうに口元に笑みを刻んで、まるで予言するかのように言う。

「うーん、それは別にいいんだけど。何ができるかな?」

一応やってみたいことは色々とあるにはあるんだけど、と呟くように言葉を続けた光忠に政宗は興味深そうに聞き返す。

「とりあえず言ってみな。出来るかどうかは後でやってみて決めりゃいい」

「うん。まずは公がやってる料理とかしてみたいし、片倉さんの畑とかも気になるし…」

「料理なら俺が教えてやれるぜ。ただ、小十郎の畑はなぁ…」

手伝いぐらいなら大丈夫かと政宗は思案する。
うっかり雑草と新芽を間違えて抜こうものならどうなるかと、以前部下達が小十郎に怒られていた姿を思い浮かべ苦笑する。奴等も悪気があったわけじゃないのだが。

「やっぱり厳しいかな?」

「いや、やってみねぇうちから諦めるのはよくねぇな。小十郎には俺から伝えておくか」

「本当?ありがとう!」

「……何の話だ?」

喜んで肩を跳ねさせた光忠の右肩からふと重みが消える。

「あ、起きたの伽羅ちゃん」

「別に寝てはいない」

不愛想にそう答えた大倶利伽羅に光忠は苦笑を浮かべ、政宗も手入れを終えた刀を手に腰を上げた。そして、大倶利伽羅と光忠の側に足を向けると政宗は大倶利伽羅に声を掛ける。

「伽羅。ほら、刀だ」

手入れを終えたばかりの刀を差し出してきた政宗に大倶利伽羅はその刀をジッと見つめただけで、受け取る素振りを見せない。代わりにぽつりと呟く。

「公は護り刀を持っているのか?」

大倶利伽羅が刀を受け取ってしまうと、政宗は自分を守る術がないのではないかと心配したらしい。政宗は自分の城にいるわけだが、六爪の内二振りは顕現しているし。他の刀、黒坊切影秀などは研ぎに出されている。
大倶利伽羅の気遣いに政宗は頷き返し、大倶利伽羅を安心させるように己の懐から一振りの短刀を抜いて見せる。

「大丈夫だ。こいつを持ってる」

「貞ちゃん!」

太鼓鐘貞宗。政宗が護身用に懐に忍ばせていた短刀を見て、光忠が愛称のような名前を呼ぶ。それを見て大倶利伽羅も納得したのか、政宗の手から己の本体でもある刀を受け取った。

「さだちゃんって呼ぶってことは、こいつにも付喪神が宿ってるってことか?」

光忠の親しげな様子に政宗は己の手の中にある短刀に視線を落とす。

「そうだよ。その短刀にも僕達みたいな存在が宿っているんだ」

政宗公が大事に使用してくれているから、僕達は存在できるんだ。

にこにこと穏やかに笑って言う光忠に政宗はそういうものなのかと短刀の鞘をそっと撫でてから懐に仕舞い直す。

「さて、伽羅も起きたことだし小十郎を呼んで今後の事を話し合うか」

「今後…」

「もちろんお前にも働いてもらうからな。伽羅」

一瞬嫌そうに沈黙した大倶利伽羅の顔を見て、光忠が一番効果のある言葉を掛ける。

「働かざる者食うべからずだよ。政宗公だって民達の為に働いているんだから」

公自慢の愛刀としても公の力になるのが僕達の役目じゃないかと、光忠は誇りを胸に言う。
そんな光忠の顔を一瞥した大倶利伽羅は言葉少なに言い返す。

「誰も働かないとは言ってない」

「はい、言質はとったからね」

これで大丈夫だよと、そっぽを向いてしまった大倶利伽羅を尻目に光忠は朗らかに笑って告げる。

「Ah〜、まぁ、伽羅は無理のない範囲から始めるとして…」

政宗は自室の側で控えていた小姓に小十郎を呼んでくるように指示を出す。



 

その数分後、人数分のお茶とお茶菓子を持った小十郎が政宗の自室を訪れ、話し合いが持たれた。

翌日から、厨に立つ政宗と雪融けが進んだ畑で作業をする小十郎の側で度々二人の姿が見られるようになり、光忠と大倶利伽羅の存在はあっという間に伊達軍の中で広まっていったのだった。



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