09


キッチンから戻ってきた明の手にはグラスの他に丸くて平べったい缶が握られていた。

「はい麦茶。それと貰ったクッキー何だけど…あれ?」

圭志の前に麦茶の入ったグラスを置き、間食用にとクッキー缶を開けた明は缶の中を見て声を上げた。

「どうした?」

「中身が無い…」

「自分で食べちまったんじゃなくてか?」

圭志の問いに明は首を横に振る。

「これは昨日貰ったばっかで、俺は一口も食べてない。それに今日出そうと思ってキッチンの棚にしまって…あっ!まさか!」

昨日の行動を思い出していた明は何か思い出したのか途端に眉を寄せ怒った様な表情をみせた。

「犯人が分かったのか?」

「多分、静だ。昨日の夜、部屋の荷物を移してる時に来たんだ。何しに来たのか知らないけど、ソファーで一頻り寛いで帰ってった」

「それは妙だな」

何もしていかないとは、と圭志は静の行動をいぶかしみ、憤りを隠さない明を見やる。

そして、その手にあるクッキー缶を見せてもらうとパラパラと小さな欠片が缶の片隅に残っていた。

「…まさかな。明、ちょっとその缶貸せ」

「いいけど…、何か別のお茶菓子になりそうな物探してくるよ」

無いものはしょうがないと肩を落とした明の背を見送りつつ、圭志は隅に溜まっていた欠片を人指し指で掬う。

指についた欠片を舌の上に乗せ、圭志は数度舌の上で転がした。

「――っ」

口に含んだ欠片は酷く甘く、圭志は欠片が完全に崩れる前に、テーブルの上にあったティッシュを二三枚引き抜き、吐き出した。

「媚薬が入ってやがる」

それをどういうワケか知っていたから静は中身を回収しに来た、と。
どれだけ過保護なんだかと、圭志は新しくお茶菓子を用意している明の姿を眺める。

「待てよ。それとも使う気か?」

何を考えているのか、佐久間は喰えない男だ。そんな卑怯な真似しないとは思うが…

圭志は自分に害がなければ放って置くことも考えた。が、明は圭志にとっても大事な友人だ。

一応、注意しておくか。

「明ー、お前佐久間に何か貰っても絶対口にするなよ」

「え?何それ?貰わないけど、もしかして消えたクッキーと関係ある?」

「…ところであの缶は誰に貰ったんだ?」

明の鋭い疑問に圭志はあえて答えず、話を摩り替えた。

「えーと、隣のクラスの安藤」

「誰だそれ?」

圭志は考えるまでもなく、即聞き返す。

「あれ、知らない?結構人気あるらしいよ。俺も詳しくは知らないけどサッカー部のエースだって」

ソファーに戻ってきた明はお菓子の盛られた茶器をテーブルの上に置き、圭志と向かい合う様に腰を下ろした。

「何でそんな奴がお前に?知り合いか?」

「何度か話した事はあるけど親しくはないかなぁ。ちょうど俺が風紀の見回りしてた時に保健室の前で部活で怪我した安藤と会ったんだ。保健の先生が居なくて手当てしてあげたことはあるけど…」
不思議そうに首を傾げる明と違い、圭志は今の話だけでピンときた。

「もしかしてソイツに夏休み遊ばないかって誘われなかったか?」

「え?何で知って…?」

「ちゃんと断ったか?」

驚き戸惑う明に圭志は続けて聞く。

「う、うん。風紀の仕事もあるし、家の用事もあったから無理だって言ったけど…何かあるのか黒月?」

こればかりはきちんと教えて、自分の身は自分で守ってもらうしかない。

特に色事に免疫の無い明は危ない。それこそ何度も言うように、これまで明がどうして無事でいたのか不思議でしょうがない。

圭志はいいか、良く聞けよ、と真剣な表情をして明が今まで敬遠してきた話をし始めた。

「お前がその安藤とかいう奴から貰ったクッキーには薬、今回は媚薬が入ってた可能性が高い」

「えっ!嘘だろ。何でそんなもの…」

「お前が好きだからだ。ここからは俺の推測になるが、安藤はお前の事が好きで、どうにか関係を持ちたいと思った」

「だ、だからって何でそんな真似…。普通に話しかけてくれれば俺だって」

酷く狼狽えた明は若干顔を青ざめさせ圭志を見る。

「話しかけられて、その後お前はどうするんだ?」

「…それは、話を聞いた後ちゃんと断って」

「普通はな。それが学園の外の常識だ。お前には酷なことを言うようだけど、学園の中はそれだけじゃ終わらない」

風紀なら何度か見たことがあるだろ?それに、なまじ相手が男の分、躊躇いもない。


顔を歪めた明から視線を反らすことなく圭志は言い切る。

「理解できないかも知れねぇが、そう言う奴もいるって事を心に留めておけ。今が平気だから先も大丈夫だとは限らない」

とにかく安藤とはもう会うな。

そう締め括って圭志は明の反応を待った。

「…俺、自分でも分かってるんだ。そう言うことに鈍いって」

ぽつりと落とされた声に圭志はソファーから立ち上がる。

「お前にはこっちを教えておいた方がいいか」

ギシリとソファーを軋ませ、明の横に腰を下ろした圭志はきょとんと見返してきた明の両肩を掴み、ソファーに仰向けに押し倒した。

「わっ!っ、何す…」

ずいと近付けられた端整な顔に明は息をのむ。サッと顔を真っ赤に染めて固まった。

「いいか、明。もし、誰かに押し倒されたら…」

圭志は明に襲われた時の対処法を教えるが、それは明の耳を素通りするだけで聞こえていない。

「…ぅ…っ…く、黒月…は、は離して…くれ…」

前髪にかかる吐息が恥ずかしさを助長し、明は情けない声を出す。

「それでもし手が使えないようなら足でこう…っと、明?」

「…たのむ…っ…はなれて…」

涙声へと変わった明に気付き、圭志は慌てて明の上から退いた。

「悪い、大丈夫か」

ほっと息を吐き、弛緩した体をソファーに沈めて明はごめんと謝った。

「せっかく教えてくれたのに俺…」

「いや、お前が謝ることじゃねぇ。気にすんな。何も言わずいきなり押し倒した俺も悪かった」

それから圭志は実践ではなく、言葉で教える方向に切り替えた。


[ 88 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -