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「…なんかE組の連中が入ってる寮の方が騒がしいらしいけど」

アンタは何か知ってるかと、スマートフォンを片手で操作しながら聞いてきた相手に圭志は一人がけのソファに座ったまま「さぁ?」と軽く肩を竦めて返す。そして、その視線を飲み物を運んできた人物に向けて圭志は続けて口を開いた。

「そんなことより、ここまでのセッティングをありがとうございます。葛西先輩」

「いや…」

するとその返事を遮るかのように別の声が二人の間に割り込む。

「むぅ、なんでそこは僕じゃないの!湊なの!?」

「指示を出すのは高科先輩でも、実際に手配してくれてるのは葛西先輩だろ」

「黒月。そこは嘘でもいいから観月を持ち上げてやってくれ」

そこは九琉学園の西寮。圭志が入寮している東寮とは三階の渡り廊下で繋がっている主に三学年が入寮している寮である。
そして現在、圭志がいるのは三年葛西 湊の部屋であり、その場には自分と高科 観月、葛西 湊。それだけでなく…。

圭志に質問を投げ掛けてきた男、圭志と同じく二年の左京 庵(いおり)。そして、圭志とはテーブルを間に挟んで対面のソファに座り、手元にある紙の束をパラパラと捲る男。こちらも圭志と同じく二年の京極 雄吾(ゆうご)。二人ともE組に在籍している人間だった。

「………」

無言で手元にある紙の束を確認し終えた京極の視線がつぃと対面に座る圭志へと移る。涼やかなその双眸は静かな光を湛え、黒月 圭志という人物を見定めるかの様に真っ直ぐに圭志を見る。

「お前の話が嘘では無いことは確認した」

そう口を開いた京極の手から紙の束がテーブルの上へと戻される。静かな湖面を思わせる深い声音。騒いでいた観月も口を閉ざし京極へと目を向ける。

「だが、それで俺達に何のメリットがある?」

投げ掛けられたストレートな質問に圭志も隠すこと無く、その答えをきっぱりと口にする。

「そんなもんはない」

「はぁ!?」

声に出して驚いたのは話を聞いていた庵で、京極は微かに表情を動かしたのみ。観月に至っては笑いを噛み殺している。

「黒月、さすがにそれは語弊があるのでは」

湊がすかさずフォローにはいるが、圭志は首を横に振り、正直に全てを口にする。

「俺が欲しいのは頭数であって、協力じゃない。むしろメリットを提示すればお前は動くのか?」

じっと明け透けに物事を語る圭志に見つめられて、京極も包み隠さずその本心を告げる。

「いいや」

損得のみで動くのは馬鹿のすることだ。
目先の特だけではなく、それにプラスした何か。付加価値があるか。そう先々を見据えて動く方がより好ましい。

「だろう?だから、俺がお前に提示できるものと言えば一つだけだ」

「…何だ?」

微かに興味を宿した涼やかな双眸が圭志の言葉を促す。

「メリットがない代わりにデメリットもないことだ」

「…それは嘘だろう。神城を敵に回してダダとはいかない」

「そうだぜ。アイツはアンタの為なら何をするか。お前は許されても、俺達は許されない可能性が高い」

話の間に京極の座るソファの後ろに移動してきた庵が京極を庇うように圭志を見て、口を挟む。
その危惧を払拭する様に圭志は視線を京極から庵に向けて言った。

「その辺の心配はしなくていい。なんせこれは俺達が初めから持ってる権利だ。京介にだって文句はつけられない」

「むっ…」

「それにメリットもデメリットもないとは言ったが、それだけじゃ実行する意味もねぇだろう」

圭志の口振りにまだ話の先があるのかと黙って京極は圭志に視線で先を促す。

「この賭けに勝っても負けてもお前達に悪いようにはしない。少しばかり今の立ち位置を改善出来ることは約束しよう」

「…どのようにして?」

京極は圭志の言葉の真意を確かめるように静かに聞き返す。

もともと京極はE組で静かに学園生活を送っていた。赤池など騒がしい一部のクラスメイト達にも関心を払わず、騒ぎを起こすような真似もしてこなかった。それが今日、三年の葛西 湊、もとい高科 観月の声掛けに応え、黒月 圭志と会談するに至った。そこへ辿り着く事となったその理由。京極が行動を起こすことを選んだその理由は…。

圭志は真っ直ぐに京極を見返すと、その詳細を口にした。

「まず、結果がどうなろうと俺の籍はS組からE組に移す。自意識過剰で悪いがそれでE組は注目を集めるだろう」

「自ら敵地に乗り込むって…何考えて」

京介と共にいることが当たり前の様に思われている圭志は学園内にいる反生徒会派や不良共にあまり良い印象を持たれていない。むしろ交流会の時、敵対をしたこともある。そんな圭志が不良共の巣窟であるE組に籍を移すなどと、庵は二人の会話に口を挟もうとして途中で言葉を途切れさせる。

「あぁ…、でも。さっきの署名。何か取引したのか」

庵が口に出した「さっきの署名」とは、京極も目を通していた紙の束のことである。

あれには生徒会を始めとする京介に反意を持つ者、中には面白半分で協力した者もいるだろうが、そんな生徒達の署名が集められている。これは圭志が京介を生徒会長の座から引きずり下ろす為に観月を訪ねた時からこつこつと湊を中心に集められていた署名である。

生徒会長を辞めさせる案の中にあった一つ。
今までの事例の中で一番多いのは不信任案を提出する事だ。会長にふさわしくない、と思った生徒達が全校生徒から過半数の署名を集められれば誰でも簡単に出来る。

それを圭志は実際に実行していた。
中身は主に三年の署名と圭志が時間のある時に集めた「生徒会不信任案提出」に必要な数の署名である。

「あぁ、俺の身の心配はしてくれなくていい。自分の責任は自分でとるさ」

ちらりと庵に視線を投げた圭志はすぐまた前に視線を戻して、話を続ける。

「まぁ、もとからおかしな話だろ。素行や成績が悪い連中だけをE組に纏めておくなら分かるが。家の家格なんかで最初からE組のレッテルを張られるなんて」

そんなんだから、自分の身の程を弁えず、自分の実力を過大評価して、学園という小さな世界の中で権力を振り翳す馬鹿共が出て来るんだ。

「だったら、最初から全て生徒個人の実力でクラスを決めるべきじゃないか」

その筆頭が、目の前にいる京極 雄吾。こいつなのだ。
家業の事を除けば、文武両道。その実力は圭志と同じくS組にいてもおかしくはないのだ。むしろE組にいることがおかしいのだ。背後に控える左京 庵にも同様のことがいえるが。

「ふん…、アンタはよく物が見えてるようだけど、アンタの叔父は違うだろ」

だから雄吾はあんな奴らと同じクラスに入れられてる。京極よりも側近である庵の方が圭志の言葉に不満を隠さずそう口に出した。

圭志の叔父、九琉学園理事長城戸 竜哉のことも庵は把握しているらしい。その不満に対して圭志は受け流すでもなくその事実を認めて頷く。

「竜哉さんは京極個人よりその他大勢の良家の子息の安全をとったんだろ」

「…でも、神城の一件でそれも良かったとは言い切れなくなったか」

「そうだ。京介が科した処分で各クラスのバランスも崩れた」

大人の手でコントロールされた安全で小さな世界。その安全が逆に慢心を招き、横柄な態度を助長させた。

「竜哉さんは今、俺達の学年が三年に上がる時にあわせてクラスの再編を検討している」

そこにチャンスがある。

そう続けた圭志の瞳が本題はここからだと言う様に鋭く光る。

「滅多に出されることのない生徒会不信任案の提出でE組はもとよりこの件は注目を集める」

まぁ、三年に関しては受験の息抜きや面白半部の娯楽感覚でサインした者が大半だろうから除外するとして。

「その生徒会に対する不信任案提出の代表として当然俺の名前は入れるが…、京極、お前も名前を並べろ」

「何故?」

眉一つ動か動かさず返した京極の言葉に圭志は京極を通り越して庵へと告げる。

「実力を示しておくべきだろう。俺だけで成り立った案じゃないと」

「…俺はいいと思うぜ、雄吾。実際、コイツは他のサインしただけの連中と違って、雄吾とは面と会っての交渉を持ち掛けて来た。つまり、アンタはそれだけ雄吾のことを脅威として認めてるってことだろ」

その点は評価してもいいと庵は圭志を認めて頷く。

圭志もその点に関しては否定もしない。あの佐久間 静から渡されたE組に関するファイルには京極 雄吾のことも左京 庵のことも詳細に書かれていた。静もこの二人に関しては高評価の記載をしており、同時に取扱い注意の重要人物としてチェックが入っていた。

「否定はしない」

圭志の京極に対する高評価に京極の側近である庵の機嫌が上昇するのが分かる。

そして、もっとも簡潔な答え[圭志が京極側に与える影響]について、側で話を聞いていた観月がいつの間にか用意されていた茶菓子を摘まみながら誰にともなく呟く。

「なるほどねぇ。とりあえず、不信任案提出の代表者に名前を連ねておけばその実力は示せるし、結果はどうあれ理事長もクラス再編時にその影響力を考慮せずにはいられないだろうねぇ」

大変だなぁと観月は他人事のように理事長の心配をしてみせる。サクサクとお茶請けに出されたクッキーを食べながら。

「観月。お前も一部加担しているからな」

理事長が今後、頭を悩ませるだろう事案の片棒をお前も担いでいると湊が静かに観月に囁く。

「………」

京極はしばし黙り込んで思考した後、それまで意図的に逸らされていた点を口に出す。

「生徒会が解散した後、その後はどうするつもりだ?」

これだけの不信任案が提出されれば、生徒会の解散は確実だが。再選挙で再び同じ顔触れにならないとも限らない。それともお前が生徒会に立候補でもするのか。

もっともな質問に圭志はまさかと、肩を竦めて立候補うんぬんの話を否定する。
そして、ふっと一つ息を吐いて不敵な笑みを閃かせる。

「本当に呑ませたい要求は難題の後に提示するのが定石だぜ」

「お前の本命は生徒会の解散ではないのか」

コツコツと署名を集め、こんな場までセッティングさせておきながら、何手先まで考えているのかと京極は微かに目を見張る。圭志はそれに気づかず、本来の目的を口に出す。

「…生徒会、生徒会長のみが持ってる権限を奪う」

そう、生徒会長だけが持っている。己の恋人を風紀委員長に指名する権利。そして、それに付随する風紀役員の指名権。

今ならそれらを奪うことが出来る。生徒会不信任案提出の理由の一つとして、生徒会長の持つ権限の強さが上げられている。一度に大量の退学者を出した親衛隊のことや、その監督を怠った責任。その全ての指示や責任を負うのが現在生徒会長と風紀委員長を兼任している一人の生徒なのだ。これほどまでに偏って運営されている組織もないだろう。

その一人に集中しているそれらの権利を生徒会解散と同時に分散させ、次になるであろう生徒会役員と風紀役員の権利を完全に対等なものとする。互いの組織を抑止力とし、生徒会に不祥事があれば生徒会を風紀側が解体させられるように。また、その逆もしかり。恋人だから特別扱いで風紀委員長に指名するとか論外だろう。その辺も含めて実力を示しておけば、E組の人間でも風紀になれる可能性がある。

とはいえ、京介が大量の退学者を出したのが圭志の為だったと知っている人間からすれば、これはそれを逆手にとっている。つまり圭志は恩を仇で返しているともとられかねない。それについても圭志は承知の上でこうして動いていたのだが。二人の受け取り方はまた違った受け取り方であった。

「じゃぁ、アンタは神城の負担を減らす為にこんなバカげた真似を?」

圭志の真意を聞いた庵が呆れた顔で圭志を見て言う。その発想に僅かに驚いた圭志であったが、すぐにその言葉に対して首を横に振った。

「まさか。俺はそこまで暇じゃない」

「じゃぁ、何の為に?」

「何故、お前はそこまでする?」

庵と同時に京極も口を開く。

庵から聞いた話では、こんなことをする必要もなく、お前は風紀委員長に指名されるのだろう。なにもこんな回りくどい方法で、その権利を奪う必要が何処にあるのか。現生徒会長である神城 京介の恋人として。何故、恋人と敵対する必要があるのか。
そう最後に質問した雄吾に対し、圭志はふっと口端を吊り上げた。

「俺が俺だからだ」

たぶん、京介には分からない。こちら側に立ったからこそ思う葛藤がある。

俺は間違いなく神城 京介のことが好きだ。ずっと一緒にいたいと思っているし、玲華さん達に告げた言葉に偽りはない。だからこそ、俺も京介のことを守りたいし、愛したいのだ。
大事に守られて、愛されるのではなく、同じ目線に立って、想いを交わしたい。一人の男として。与えられるだけじゃ嫌だ。受け身の姿勢が気に入らない。だったら、そんなルールは壊してしまえばいい。欲しい物は自ら勝ち取るべきだろう。

「まぁ、周りからしてみれば馬鹿な事してると思うかもしれねぇがな」

「………お前がお前である為か」

「雄吾?」

「いや…、なんでもない。庵、ペンを」

「あぁ…」

京極が持ち上げた右手にペンが乗せられる。
そして、京極は圭志の名前の横に自らの名前を書き記す。そして、そこで初めて京極は圭志の名を口にした。

「黒月。お前はこんなことをして神城に嫌われるとは思わないのか」

「かもしれねぇな。だからって、何もせずにただ受け入れるのは俺じゃねぇ。京介にはその辺も含めて俺の我が儘に付き合ってもらうさ」

完成した書類を京極は圭志に手渡す。そして、それを更に圭志は湊に手渡し、時期が来るまで保管しておくようにお願いする。

「…我が儘で振り回される学園の生徒達も大変だな」

「あははっ、いいんじゃない!僕は好きだよ。青春っぽくて」

前の殺伐とした騒ぎよりも、甘酸っぱさのある騒ぎの方が好ましい。

やや呆れた表情で呟いた湊に対し、観月は楽しそうに笑い声を上げて圭志へと声援を送った。





第四章 完

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