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圭志が着替えを済ませて洗面所を出ると部屋の中には鼻孔を擽る良い匂いが漂ってきていた。最初に通されたソファセットのある部屋に顔を出せば、そこには私服に着替えた京介がいて、テーブルの上に料理の盛られた皿を並べていた。

「着替え終わったか」

「あぁ、それは?」

さっきまでは無かったものだ。唐揚げやポテト、厚焼き玉子にプチトマト、串カツにおにぎりとまるでオードブルの中身の様なラインナップに圭志は目線を投げて聞く。

「一応、夕食だ。軽く摘まめるものを頼んでおいた」

いつの間に。圭志が着替えに手間取っている間に用意していたのか。ご飯は俵型に握られ、何種類か味付けのされた状態の物と何もついていない握りものと並んでいる。

途端にくぅとお腹が空腹を主張してきた。

部屋の中を漂う食欲を刺激する良い匂いに、これまで張っていた気が緩んだのか、圭志は自分が空腹である事を今自覚した。とりあえず圭志は玲華から貰った写真を上着のポケットの中に隠すと、京介の対面にあるソファに腰を下ろした。

「確かに腹減ったな。食べていいか?」

「あぁ、好きなだけ食え」

京介にそう聞きつつも圭志の手は返事を聞く前にテーブルの上に並べられた皿へと伸ばされていた。唐揚げに刺さっていたピックを手に取り、そのまま口へと運ぶ。

今日はもう何の予定もないし。精神的にも疲れた。圭志は向かい側に座り、同じくご飯を摘まみ始めた京介にすっかり気を緩めて唐揚げやお握り、厚焼き玉子にまた唐揚げと肉多めに食べながら先程途中で切り上げた話を再開させた。

「そういや、さっきの話だけど。学内であったこと竜哉さんから全部筒抜けになってるって」

「あぁ…」

「たぶん、藍人もグルだぜ」

なんせ竜哉さんの恋人らしいからな。本人の口から直接聞いたわけではないが、そんなニュアンスの話、もとい惚気を藍人の口から聞いている。
なにより、理事長である竜哉よりクラスの担任である藍人の方が生徒である自分達により近い場所にいる。生徒間に流れる様々な情報も手に入りやすいだろう。

「…鏡か」

少しばかり考えるように頷き返してきた京介に圭志は首を傾げる。それに気付いて京介は言葉を続けた。

「鏡は一年の時も担任だったなと思ってな」

「お前それ、見張られてんじゃねぇのか?」

圭志の指摘に京介は嫌そうな顔を隠さず、ポツリと呟く。

「そろそろ本格的に奴をとばす計画を立てるか」

「お前本当に竜哉さんのこと嫌いだよな」

「そういうお前はどうなんだ?やけに奴の肩を持つな」

じとりと疑う様な眼差しを向けられ、圭志は軽く肩を竦めた。

「使える大人は使うに限る」

「俺よりお前の方が酷いじゃねぇか」

「色々と学習したと言ってくれ。大人は信用ならねぇ」

二人が学園内で仕出かした騒動の後始末やその他学園の生徒である二人の最終的な責任を理事長である竜哉が請け負って、陰ながら二人の成長を温かく見守っていることなど。二人とも薄々気が付いてはいるが、京介は今更竜哉相手に態度を変えるつもりはなかったし、圭志は子供らしく開き直って大人を利用してやるという方向に頭を切り替えていた。

京介は圭志らしい開き直りに頬を緩めると、その流れで話題を変えた。

「冬はもっとうまくやるんだろ?」

「あぁ。近場で…」

「ん?どうした圭志?」

話の途中で言葉を切った圭志に京介は首を傾げる。すると圭志は僅かに間を置いてから、少し迷った様子で口を開いた。

「近場というか、俺の地元に行ってみるか…?」

「お前の?」

意外な提案に京介は料理を食べる手を止めて、圭志を見返す。

「あぁ…、お前が良ければだけど。灯台下暗しにもなるし」

「良いぜ」

京介も気にはなっていた所だ。九琉学園への入学を蹴って外で育ってきた圭志が過ごした場所。良い思い出もあるだろうが、同時に嫌な思い出もあるだろう。だから京介は今まで学園外の事に関しては何も言わなかった。だが、圭志自らが誘ってくれるなら話は別だ。京介は一も二もなく頷き返す。

「けど、そうすると泊まるとこはどうする?お前の家は入れねぇんだろ?」

「そこはどっか泊まれる所を探す」

「まぁ、最悪、この前お前を迎えに行った時に使ったホテルを使うか」

「それだとバレるだろ」

「最低限の安全策の話だ。さすがにこればかりは決めといた方がいい」

出来るだけ使わないと京介は意地を張る圭志を宥める様に言う。そこらにいるいち高校生と同じであるとはいえ、親の社会的立場を考えた時にどうしても最低限の防衛ラインは必要である。

京介の言葉に不満そうな顔をしながらも圭志も頭では分かっている。だからこそ、圭志は力強く宣言した。

「先に泊まるとこ探して予約しておく」

「それがいいな」

そして、それは自然な流れの如く。不自然なくらい自然に秋をとばして。
夏休み明けに行われるテストや生徒総会、文化祭などの話題を口にすることもなく。何があっても、何が起きても冬は共にいると疑うことはなく。
京介と圭志は子供のように冬休みの計画を立てていた。

「ふぁ…」

話をしている途中で欠伸を漏らした圭志に京介はちらりと室内に置かれていた時計に目をやる。

「もうこんな時間か」

いつもより時間の流れを早く感じて、京介は驚いたようにぽつりと言葉をこぼす。
圭志はその声を聞きながらゆっくり瞬きを繰り返し、限界を訴えた。

「もう無理だ。風呂入って寝たい」

「そうだな。今日は予定外の事もあったし、疲れたろ。先に風呂入って来い。着替えは俺のでいいか?」

「おぅ。何でも良いからとにかく眠い」

「間違っても風呂で寝るなよ。あぶねぇからな」

ふらりと立ち上がった圭志に京介は寝室から必要な着替えを取って来ると、着替え一式を圭志に手渡し、先に風呂に入るよう促した。

「何なら俺のベッドで寝てもいいぜ」

「いや、それは遠慮する。隣のゲストルーム、行く」

さすがに京介の実家で同じベッドに入って寝るのは何となく抵抗があった。

圭志はふらふらと眠気を耐えながら、まずはバスルームに向かう。その背中を京介は心配そうに見送った。

「一人で大丈夫かアイツ」

それからほどなくして無事風呂から上がってきた圭志と交代する形で京介もバスルームへと向かったのだが。

「圭志…?」

ゆっくりと湯船に浸かってバスルームから出た京介はリビングのソファでだらりと手足を投げ出し、身を沈めている圭志を見つけた。強い意志を感じさせる瞳は目蓋の裏に隠されている。

「…寝てるのか?」

俺のベッドで寝ていいといったのだが。

ちらりとテーブルの上に目を向ければ、空のグラスが置かれている。風呂から上がった圭志は何か飲み物を飲んで、一息ついてから移動しようとしたのか。その途中で力尽きたか。

「まぁ、しょうがねぇか」

圭志からしてみれば今日は大変な一日だっただろう。
京介としても予想外の事が多かった日でもあるが、両親に振り回されるのは慣れている。

規則正しく上下する胸に、無防備すぎる寝顔。
強い意志を秘めた眼差しが閉ざされると途端に静けさを感じる。大人と子供の境。その両方を感じさせる綺麗な顔立ち。

「圭志」

ソファに身を沈めた圭志の傍らに立ち、京介はそっとその場で身を屈めると秘密を零すように小さく囁く。

「…好きだぜ。お前が何をしようとな」

京介は掠めるように圭志の唇に触れると、その重たくなった身体を横抱きに抱き上げた。

「っと…」

そうして、圭志の身体を寝室まで運ぶと当然のように自分もその隣に潜り込む。

「ん…ぅ…」

無意識にかもぞもぞと身体を動かした圭志は、自分が寝やすい位置を探って京介の腕を掴む。

「おい、起きたのか?」

「ん、…るさぃ」

腕を引っ張られたかと思えば、今度はぐりぐりと京介の肩口に頭を押し付けて来た。
これは別荘で圭志が寝ぼけていた時にやっていた行動に近い。
本人の意識は夢現といったところで。起きた時には覚えていないことが多い。

「分かったから、大人しく寝ろ」

近い距離にある髪に口付けを落とし、京介も寝る体勢をとる。
ベッドの中で向き合う様に圭志の方を向いて、その身体をゆるく抱きしめる。

「おやすみ、圭」

「んぅ…」

京介の実家では圭志は絶対に別々のベッド寝ると言っていたのだが。結局こういう結果になったのもある意味仕方がないといえよう。
または別荘で常に京介と共にいた影響かも知れなかった。






さてさて、夏休みも残りわずかとなった今日、九琉学園の学生寮は無事改良工事を終え、開寮日を迎えていた。同時に慌ただしくもあるがその三日後が学生たちにとって登校日でもある。
荷物を持って学生寮へと一般の生徒達がちらほらと戻り始め、学園内は夏季休暇前の賑やかさを取り戻していた。
また、三者三様に夏休みを満喫した京介達もそれぞれが寮へと帰寮していた。

ただ…、

「京介。俺、少し出かけて来るから」

「あぁ。俺はまた生徒会の仕事があるからな。何か用があったら生徒会室に来い」

生徒会長である京介の部屋に当たり前の様に荷物を置いた圭志はそれとは裏腹にこの部屋に長居はする気は無いとばかりに素っ気無く京介に言う。京介もそんな圭志の態度に気付きつつも、特段踏み込むこともなく、何ら変わらない様子で言葉を返した。

「それと、遅くても夜には戻るつもりでいるけど、夕飯は分かんねぇから」

「新しくなった食堂で食べるつもりでいるから気にすんな」

「……」

さらりと遅くなる宣言をした圭志の方が京介のことを気にした様にちらりと見たが、結局じゃぁそういうことでと圭志は京介を部屋に残して京介の部屋を出て行く。

「さて、俺も行くか」

そして、京介達生徒会役員は再び生徒会の仕事に取り掛かり始める。
その仕事の大半は夏の大会で成果を残した部活の報告を聞いたり、夏休み明けにある文化祭についての話し合い。風紀では文化祭での警備や来賓者への対応等。生徒会と合同での会議など。夏休み前と被る話もあるが、念には念を入れて話し合いが行われる。

「では、京介。二学期の始業式でこの部活の表彰がありますので。それと合わせて予算の増額申請が来ています」

「あぁ」

「今年はどこも頑張りましたね!」

「たしかに。去年より表彰の数が多いよな」

宗太は生徒会に届いた部活動の報告書に目を通して、会長席に座って決裁していた京介へと声をかける。それに頷きながら、京介は別の書類を手に取り、皐月は宗太から手渡された部活動の報告書に自分も目を通す。そして、生徒会役員ではないが、生徒会との合同会議の為にその場に同席している明がもはや定位置と化している応接室のソファから相槌を打って答えた。

「…ところで、明。静はどうしました?」

ふとそこで今更ながら宗太がこの場に一人足りない人物のことを明に聞く。ちなみに圭志は生徒会役員でもなければ何の役職も肩書も持たない一般生徒である。この場にいなくても特に不思議ではない。何故か静と共に寮へと帰寮することになった明だったが、誰かさん達とは違い寮部屋は当然別々に分かれた。
宗太に訪ねられた明はわずかに首を傾げつつ、その質問に答える。

「あー…、なんか、やる事があるから遅れて合流するって言ってたよ」

「あの静が明を放ってやることですか」

その解答に宗太はそっと京介に目を向ける。するとその視線を感じてか、京介は書面から顔を上げることもせずにさらりと言う。

「好きにやらせておけ」

アイツなら心配ない。

心の底からそう思っているのか、それきり静のことは口にしなかったが。それとは別に今度は皐月がそろそろと口を開く。

「あの、会長。今日、黒月先輩は…?」

この場にいないのは不思議ではないが、夏休みの間、生徒会に顔を出していた圭志がいないのは何となく違和感がある。なので皐月は思い切って京介に聞いてみることにした。そこでようやく京介は手元にある書類から顔を上げた。

「圭志なら俺より先に出かけたぜ」

「え…」

「どこにですか?」

「さぁな。行き先は言わなかったし、聞かなかった」

むしろ、聞くなとあの表情は俺に言っていた。

不意に持ち上がった不穏な話に皐月は驚き、宗太は眉を寄せる。それでも余裕を感じさせる京介の物言いに明が慌てて横から口を挟む。

「ほら!今日は皆が寮に帰って来てるから透とか、自分の親衛隊の桐生とか、高科先輩とか、速水…じゃない、色んな人に会いに行ってるんじゃないか?」

黒月って意外と顔が広いからと、明は何故か圭志をフォローするように言葉を続けた。そして、意外にも京介がその話に乗ってきた。

「そうだな、アイツは顔が広いらしいからな」

今頃、何処の誰と会っているのやら。

「京介はそれでいいんですか?」

「何がだ?」

「いえ、黒月くんが誰に会って何をしているのか気にはならないんですか」

己の恋人である皐月にちらりと視線を流して宗太は複雑そうな色をその瞳に浮かべる。しかし、京介はその心配も一蹴して見せる。

「遅くても夜には戻ると言ったからな」

その言葉を信じていると京介は言い切ってみせた。

「…それは大分、この夏の間に絆を深めたようでなによりです」

宗太は自分の心の狭さを感じると同時に京介と圭志の仲がより一層よい物に変化していたことを感じ取って、小さく息を吐き出す。おろおろと心配そうに京介と自分の間を行き来していた視線を止めるように、その頭に右手を乗せて、優しくぽんぽんと撫でるように叩く。

「大丈夫そうですね」

「宗太先輩」

「皐月が心配するだけ無駄というものらしいです」

「そういうことだ。それより、明」

「え?俺…?なに?」

「自分の心配をしておけ」

「え…?」

圭志が誰に会って、何をしているのかより、京介は今、静が何処で誰に会って何をしているのかを薄々察していた。それは自分の為でもあり、今後明と過ごす為の事でもあるのだろう。自分の蒔いた種は自分の手で刈り取る。開寮日、登校日と生徒達が慌ただしく行き交う。何かをするならその慌ただしい空気に紛れて行うのが最良だ。悪目立ちをせずに済む。








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