63



着替えなら京介もすると言うので、とりあえず京介の部屋へと向かう事になった。
京介の両親の部屋は三階でリビング等も基本的には三階にある部屋を使用しているそうだ。また、京介の説明によると京介の部屋は二階にあるが、京介が九琉学園の寮に入ってからは二階にある他の部屋も今はあまり使用していないらしい。京介の部屋へ向かう途中に見た多目的スペースも昔は子供部屋に準じる遊具やおもちゃが置いてあったそうだが、今は綺麗に片付けられていて逆に殺風景に見えた。大きく切り取られた丸い窓は日当りが良さそうだが。

「ここが俺の部屋だ」

隣には衣装部屋がある。衣装部屋には部屋の中から行くこともできるがと言いながら、自室の扉を開けた京介は入って直ぐの壁に設置されたスイッチを押す。ぱっと灯かりの付いた部屋に圭志は微かに息を吐く。ここに来るまで離されなかった手に視線を向けて言う。

「もう良いだろ。手ぇ離せよ」

「あぁ」

するりと離された手に、部屋の中へと進んで行く京介の背中を何とはなしに目で追ってしまう。京介の服装がいつもと違うせいか、対外向けに整えられた大人びた雰囲気を纏うせいか、つい目で追ってしまう。しかし、そのことで逆に圭志は自分の格好を顧みてぐっと眉間に皺を寄せた。

「あ?何だこれ?」

室内の中央に配置されていたテーブルソファセットの上に京介は見覚えのない四角い箱が置かれていることに気付いて声を上げた。更にその箱の下には紙が挟まっていた。

「圭ちゃんへ。化粧はちゃんとメイク落としで落とすこと。その後の手入れも欠かさずにすること。面倒臭がらないこと。以上」

お前宛だなと、京介は読み上げた文面を圭志に見せて言う。
その際、ソファに圭志の着替えがひと揃え、綺麗に畳まれて戻って来ている事に気付いた。圭志は重たい足取りで京介の元に歩み寄ると同じく文面に視線を走らせ言葉少なに言う。

「化粧を落としたい」

着替えの前に。服に着けたくないと、京介に言えば学園の寮の中の様にこの部屋にも完備されているバスルームへと案内される。圭志はメイクボックスと思わしき箱と自分の着替え。それらを一緒に持っていくよう京介に促がされ、最初に部屋に入って右手側。衣装部屋とは真逆の方向の内扉を京介が開いて言う。

「奥がバスルーム。手前が脱衣所兼洗面所だ」

化粧落としたら、そのままここで着替えろ。

「他に何か分かんねぇ事あったら声かけろ」

室内にいると京介は圭志を洗面所に残してその場から一旦身を引く。

「あぁ、さんきゅ」

ぱたりと閉じられた扉に圭志は深々と息を吐いた。




何処かいつもと違う圭志の様子に京介は扉の外でしばし考え込む。

違うのは衣装のせいばかりではないだろう。
自分が追い出されていた間に、いったい玲華に何を言われたのか。
そして、あれほど嫌がっていた女装をしていたのは何故か。

疑問だらけだ。疑問だらけだが、京介としては一つ嬉しい事でもあった。

あの圭志が経緯はどうあれ、嫌だと言っていた格好で、人目もある中、自らの足で京介の元へと真っ直ぐに歩いて来た。顔を見れば分かる。羞恥に耐え、様々な心の中の葛藤を抑えて、表面上は涼やかに。その場から京介を攫う様に動いていた。なんとも大胆な行動であるが、圭志らしいと言えば圭志らしいのかもしれない。

「ま、とりあえず、向こうは大丈夫だろ」

何のパーティーか知らないが、京介は最後に形ばかりは調えて退席したつもりだ。後は両親が何とかするだろう。

京介はちらりと圭志のいる洗面所の扉を一瞥して、少しだけその場から離れた。





洗面台の水を出し、さっさとメイクを落とした圭志ははらりと肩から零れた長髪に再び深い溜息を吐く。鏡に映った自分の姿に眉間に皺を寄せて、誰にともなく呟く。

「だから嫌なんだ。こんな格好…」

それが当たり前の顔をして、ドレスで着飾った女が男の隣に立って微笑む。それが普通。世の中の常識だと、凝り固まった男女に対する固定観念が言う。けれどそんなことは圭志も始めから分かっている。

やや乱暴に長髪のウィッグを取り払えば固定していたピンが幾つか弾けて床の上に落ちる。

「いって…!」

頭で理解している事と、心が納得する事は違う。じわりじわりと痛みの残る胸は幼き頃の体験ゆえか。

圭志は自分と女性を比べられることに酷く抵抗感を覚えていた。だから絶対に京介の前で女装などしたくはなかった。そう思ってしまう自分の弱さも圭志は気に入らなかった。まず始めから間違っている事を理解しているから。この二つは比べてどうこうという問題ではない事を本当は知っているから。自分は矛盾を抱えている。

「はぁ…。だからどうしろって言うんだよ」

もやもやと胸の中に残る感情を吐き出すように呟く。

自分でもままならぬ思いがある。それに名前を付けて言うなら圭志のプライドの問題か。

それ故に圭志は夏の間、どれだけ京介と仲を深めたとしても九琉学園の風紀委員長の席に座るつもりがなかった。学園の暗黙の了解。生徒会長の恋人が風紀委員長になるとは、冗談ではない。流される様に、暗黙の了解だからと、指名されたから受ける。その受け身の姿勢が圭志には気に入らなかったのだ。例えそれで全てが丸く収まるのだと言われても。

「俺にも譲れねぇもんはある」

俺は俺の意志で。自分が納得できないことは到底受け入れられない。自分の事は自分で決める。
それこそ玲華の前で宣言した通り。

気持ちを立て直そうと圭志はドレスに手を掛ける。後ろに手を回して何とかファスナーを下ろして、ホックも外そうとして苦戦する。

「ちっ、外れねぇし。どうなってんだ、これ」

嫌な事は続くものか。立て直した気があっという間に滅入りそうになり、圭志は一度落ち着こうと洗面台に両手を着く。

先にズボンを履くかと戻って来た自分の服に目を向けて、そこで何か畳まれた服の間から白い物が飛び出していることに気付く。

「なんだ?」

洗面台についていた両手を離し、着替える手を止めて、服の間から覗いていた白い物、厚紙の様な光沢のある白い紙を服の間から引き抜く。するとその全体が露わになり、その白い物が上品そうな光沢を纏った白い封筒であることが分かった。

封筒は糊付けがされておらず、洗面所の明かりに透かして見たが、残念ながらそれでも封筒の中身は分からなかった。圭志は首を傾げながら封筒の中身を確認する為に糊付けのされていない封筒を開く。その中身は…

「あー…、写真か」

それは玲華がくれると言っていた京介の子供の頃の写真であった。しかも五枚も入っている。

「う…わっ、これ京介か?可愛いな」

一番上にあった写真は京介の幼い頃の写真で。まだぱっちりとした大きな瞳にふくふくとした丸い頬。きょとんとした顔でカメラの方を見ている。今の生意気さは欠片も見当たらない。

「こっちは…」

小学生ぐらいの時か。二枚目の写真には何だが少し得意げに笑った顔の京介が写っている。まだまだあどけなさの残る顔で、何となく想像できるやんちゃしてそうな顔だ。

「んで、三枚目は…」

中学生か。今の京介をもう少し幼くした感じで、反抗期なのか写真の方を睨んでいる。たぶん嫌がったんだろうなと想像できてしまう。思わずふっと口元が緩む。

「それだと四枚目は…。新しいな」

九琉学園の制服を着ている京介だ。今度は迷惑そうな顔をして写っている。しかもネクタイの色や髪の長さなどを見るにまだ生徒会に入る前か。つまりこれは高校一年の頃の写真か。

「よく写真なんか撮れたな」

玲華さんはことあるごとに記念として写真でも撮っているのか。

ついつい写真をじっと眺めてしまう。それだけで沈んでいた気持ちが嘘の様に浮上してくるんだから自分も現金なものだ。

そして、最後の五枚目にはどんな京介が写っているのかとワクワクしながら写真を捲り、そこに現れた光景に目を見開く。

「っ、これは…、俺と…京介か?」

二人の子供が仲良く手を繋いだまま、窓から差し込む柔らかな光の下で眠っている。

短く切られた黒髪の方が京介で、肩の上あたりまで長さのある髪をラグの上で散らして眠っているのは俺だろう。場所は…。

「さっき通って来た多目的スペースか…?」

窓の形や大きさからそう思う。

呟き、無意味に写真を裏返す。すると写真の裏には手書きのメモが付いていた。

京介と圭志 四歳。遊び疲れて眠った後に。
京介、九琉学園高等部入学。中等部。小等部、交流会にて。幼稚園、お迎え時。

写真の裏にはそれぞれそう書き込まれていた。

「本当に貰っても良いのか、これ」

玲華の手書きと思われる文字に躊躇いが生まれる。
さすがにあの写真と交換だとは言え、それは少し玲華に悪い気がしてくる。

写真を丁寧に封筒に戻そうして、まだ封筒の奥に紙切れの様なものが残っていることに気付いた。

「まだなにか」

写真を収めて、紙切れを引き出す。

そこには玲華の字で「高等部卒業の時には京介と圭ちゃん、並んだ写真を撮りましょうね」と。追伸として「元の写真はあるから心配無用」とちゃんとその事についても書き添えられていた。

「はは…抜かりねぇな。うちのクソ親父並みだ」

そうだ、玲華さんは親父の姉さんなんだ。やることなすこと読めなくて当たり前。振り回されるのも。
玲華さん曰く、俺達はまだ子供なのだ。大人に翻弄されている子供。だが、それだけで終わったら面白くはねぇだろう?

圭志は玲華から貰った写真を服の間に隠し直すと、扉の外に居るであろう京介を呼んだ。

「京介」

扉を少し開けて顔を出した圭志にジャケットとネクタイ、腕時計だけ先に外した京介が振り返って答える。

「どうした?」

「悪いんだけど、後ろ外してくんねぇか」

くるりと背を向けた圭志はドレスのホック部分を指さして言う。それを見て京介は分かったと言って背を向けた圭志の元に歩み寄る。

「前の…」

時はと、交流会の時の事を言おうとして京介はその言葉が圭志に届く前に口内で呑み込んだ。

そういやあの時は速水がと、余計なことまで思い出されて京介は不快そうに眉をしかめた。圭志が後ろを向いている間にホックに指をかけ、外す。先に下ろされていたファスナーのせいか、はらりとドレスがはだけ、目の前に現れた健康的な肌色に京介は胸の内に沸いた不快感を晴らすようにその肌へ唇を寄せた。

「っ、おい、京介!」

ふっと背中に掛かった吐息とその柔らかな感触に圭志は肩を跳ねさせる。慌てて背後を振り返ろうとした圭志は京介からがっちりと背後から両腕を掴まれ、いつの間にか身動きを封じられていた。

「いいだろ別に。減るもんじゃねぇし」

それにと言いながら、ちくりと小さな痛みが圭志の肌の上を滑って行く。

「お前…っ」

「こうやって痕付けときゃ、お前だって早々に着せ替え人形にはならねぇだろ」

どんな相手だってと京介は言う。
それは京介なりの気遣いなのか。

圭志は背中に走る甘い痛みに身体を震わせながら会話を続ける。

「そもそも俺がこんな目に合ったのは、お前が交流会で俺にこんな格好させたからだぞ」

「ん?話が読めねぇな」

綺麗に付いたなと赤く咲いた華に京介は満足そうに笑うと、圭志の背中から顔を離す。
ゆるりと緩んだ拘束に圭志はようやく背後の京介を振り返って言う。

「うちの親と玲華さんはグルだ。交流会の時の写真が手に入らなかったから、変わりの写真を頼まれたんだと。それでこのざまだ。ふざけてんだろ」

頼む方も頼む方だが、引き受ける方も引き受ける方だ。

「写真…?お前の写真は俺が…」

ふっと何事か呟く様に考え込んだ京介を圭志は訝しそうに見返す。

「京介?」

「いや、何でも…なくはなねぇな。お前は俺のせいだって言うが、俺は学内の事をいちいち親に報告したりはしてねぇぞ」

それこそ学内の交流会で何をしたなど、言うわけがない。

つまり、これはやはり学内の事を外に漏らしている人間がいると言うことだ。
同時に二人の脳裏に同じ人物の像が浮かぶ。京介と圭志。二人に共通して尚且つそれぞれの親に情報を流す事が出来る人物など一人しかいない。そして、その人物は圭志が学園の交流会で女装したことを知っている。なんならばっちりとその姿を目にしている。

「あいつか…」

「竜哉さんか」

そう、二人の叔父。城戸と名乗っているが、その正体は京介の母、玲華と圭志の父、克哉の弟。本名を黒月 竜哉。

「京介。とりあえず、その話はまた後でしようぜ」

だからさっさと出て行けと、長くなりそうな話に圭志が頭を切り換えて言う。圭志はまだ着替え途中だったのだ。圭志は京介を洗面所兼脱衣所から追い出す。

「あぁ。俺も向こうで着替えて来る」

ジャケットを脱ぎ、ネクタイだけ外した状態で圭志に呼ばれて来た京介もまたあっさりと着替えに部屋へと戻る。ぱたりと閉じた扉に圭志は今度こそドレスを脱いで、洗面所の鏡で背中を確認する。するとそこには先程京介が付けた赤い痕がぽつりぽつりと独占欲の強さを表すかのように背中に散っていた。

「あいつ、付けすぎだろ」

背中に散る赤い華に圭志は薄く目元を赤く染めるとそう文句を零す。けれどもその声は不満を口にしたにしては軽やかだった。



[ 142 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -