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少しばかり時間を遡り、玲華に追い出されるような形でその場を後にした京介は居住区域のある洋館から離れる様に歩いていた。先程入って来たばかりの玄関ホールを通り過ぎ、圭志にも説明したゲストルーム等が並ぶ右手側に伸びる廊下を足早に進む。並びを抜けた先にまた小さめの玄関があり、そこから外へと出る。その道なりの先に洋館とは別の建物、別館と呼ぶ建物があった。外観はこちらも洋風の造りをしており、その別館は主に仕事関係で使われる建物だ。一階は広いロビーとラウンジで、受付も存在している。そして、二階に上がれば社交目的で作られた広いホールや三階には会議室等、こちらにも宿泊出来る部屋がいくつか用意されている。

その中でも京介が向かった先は五階。そこに神城家の現当主である神城 耕大の執務室があった。

目の前の重厚な扉をノックする。すると直ぐに中から返事が返り、京介は躊躇いなく目の前の扉を開けた。

「おかえり、京介」

「…あぁ、ただいま」

「夏休みは有意義に過ごせたか?」

「まぁな」

柔らかな笑みに落ち着き払った低い声。目の前でにこやかな笑みを浮かべる美丈夫が京介の父、神城 耕大であった。
そして、耕大の執務室の中にはもう一人。この別館を取り仕切っている老執事が執務机にて仕事をしている耕大の傍らに立っていた。

「お帰りなさいませ、京介様」

「あぁ…」

それでと、京介は今しがた上がって来た別館の中の様子を思い出して口を開く。

「今夜の準備って、パーティーでも開くのか?」

俺は聞いてねぇけどと、執務室の椅子に座ったまま動く気配のない耕大に京介は自ら歩み寄って聞く。その質問に耕大は少し考えた様子で逆に聞き返して来た。

「玲華さんから説明はなかったのかい?」

「なんもねぇし。こっちの手伝いして来いって追い払われた」

「そうか」

「向こうに残してきた圭志が心配だ。だから、用があるなら手短にしてくれ」

京介は自分の父親相手にも自分の意見をはっきりと口にする。

「あぁ、そういえば。圭くんが来てるんだっけ?玲華さんが昨日、克哉くんと電話で何か話していたな」

克哉というのは車から降りる時に圭志から聞かされた、圭志の父親の名前だ。しかし、昨日?今日は圭志に電話して、昨日はうちに?京介は訝しんで少し踏み込む。

「何の話をしてたって?」

圭志の前に京介のところとは。あの人は自分の両親にまで何の話を持ってきたというのか。微かに警戒心を覗かせる京介に耕大はさてと僅かに首を傾げて言う。

「玲華さんは何か頼まれごとをしていたようだけど。あとは玲華さんの実家の話と、そうそう!克哉くんのところ、来年子供が生まれるんだって。何かお祝いを用意しなくてはな」

「その話は俺も聞いた」

「うん?そうかい?」

「あぁ。他に何か言ってなかったか」

「特別変わった事は何もなかったと思うが。…京介。お前、圭くんとは仲良くやっているようだな」

「まぁ…」

急に振られた話題に京介はきょとりと瞼を瞬かせながらも僅かに遅れて返事を返す。

「克哉くんが安心していたよ。お前の事も高く評価してくれているようだし。…だからこそ許可が下りたんだろうな」

「…?」

最後の方は口の中で呟く様に言われてはっきりとは聞き取れなかった。京介がその事について口を開きかけて、その前に老執事の言葉が二人の間に滑り込んだ。

「旦那様。お時間が」

「おっと。そうだったな。京介」

準備をしながら今夜の事を教えようと耕大は老執事が立っていた場所に京介を手招き、老執事はその場から身を引く。そしてそのまま老執事は別の用事の為に耕大に許可を取り、執務室を出て行った。

耕大の傍らに立った京介は執務机の上に置いてあった資料を三枚、耕大から手渡される。

「お前が見てきた通り、今夜うちの主催でパーティーを開く」

ただし、主催者名は俺だが実質開くのは玲華さんの方だ。

「招待客も全部、玲華さんが選んで招いた客だ」

「ふぅん」

それならば京介自身にはあまり関係のないことだ。京介は話を聞いてそう思う。これが耕大関係の話ならば神城家の跡継ぎとして出席せねばならないかも知れないが、玲華が開く場合は少し話が違ってくる。玲華がホストを務めるパーティーの場合、中身は仕事関係ではなく、人間関係を円滑に動かす為の交流。それこそ情報収集など、女が姦しくおしゃべりする場の様なものだ。あくまでこれは京介の認識の上でのことだが。

耕大から手渡された資料に視線を落とせばそこには今夜の招待客の名が優先度や家格の高いと思われる順に並んでいる。

「京介。お前にはその招待客の出迎えに出てもらう」

だから、一応そのリストの名前を頭に入れておけと、さらりと注文を付けられる。何とはなしに客の名前を見ていた京介は唐突に振られた指示に資料から勢いよく顔を上げた。

「え、俺も出るのか?」

「玲華さんからの指示だ。ただ、お前は出迎えだけでいい」

パーティーに参加する、しないはお前の自由にしていいそうだ。

「まぁ、それならいいか」

家の関係、それも仕事上の話なら京介も黙ってパーティーに参加するが、そうじゃないなら不参加決定だ。京介には無駄にしている時間はない。今も玲華の元に残してきた圭志が心配でならなかった。



着々と進む準備の途中で京介は別館の中にいた使用人を捕まえて一つ伝言を頼んでいた。それはもちろん玲華の元にいる圭志へと。

「夜には戻るから、俺の部屋に案内してもらってそこで待ってろ」と、シンプルな内容である。そして、その伝言は圭志の元に届く前に玲華が握りつぶしていた。

「やぁねぇ、夜とは言わずもっと早く返してあげるわよ」

圭志が押し込められた部屋の前で京介からの伝言を受け取った玲華はくすりと妖しく微笑む。

「貴方達の絆を試させてもらってからね」






神城家別館。本館である洋館の玄関ホールを通って行くことも出来るが、庭園の方からも入ることが出来る造りになっている。普段の招待客などは守衛室のある門を通って庭園前にある開けたスペースに車を停めてそこから歩きで庭園の景色を眺めながら別館へと入って来る。また、本館建物の一部、四階部分の通路が別館と繋がっており、内部の限られた人間だけが一度も外に出ることなく別館へと渡る事が出来た。

現在、その別館二階にあるホールは飾り付けがされており、煌びやかな空間を演出していた。

立食形式で等間隔に設置された丸いテーブルには白いテーブルクロスが掛けられており、その真ん中には控えめながら可憐な花が花瓶に活けられている。

「これは…?」

その場に女装をさせられたまま連れて来られた圭志はなるべく人目から隠れるように、ホールの中には入らず、ホールの入口、扉の影から中を覗く。自分の前に堂々とした姿で立つ玲華のぴんと伸びた綺麗な背中に向けて小さく声をかける。

「あぁ。圭ちゃんには説明がまだだったわね。今夜ここでパーティーをするのよ」

その準備が整ったと連絡を受けて足を運んだのだ。圭志は今の己の格好を顧みて口元を引き攣らせる。

「まさか俺にも出ろとか言いませんよね?」

それだけは絶対に嫌だと、拒否すると固い声で言い、圭志は扉を掴んでここから動く気は無いと全身で訴える。その様子に玲華はふっと柔らかな笑みを浮かべる。

「いやねぇ、私だってそこまで非道な事はしないわよ。ただ、圭ちゃんに少し見せたいものがあって。ほら…」

そう言って玲華がホールの中を指さす。圭志達がいる扉とは反対側、圭志達がいる場所がホールの裏口だとすれば、正面の入口。ホールの表玄関というべき扉の前に京介が姿を現した。

「…!」

濃い落ち着いた色合いのテーラードジャケットに、中には白いシャツ。黒のスラックスに普段は着けていない腕時計を左腕に着けている。髪の毛も少しワックスで抑えているのか、いつもよりは綺麗に整えられていた。そのせいか普段より少し大人びて見える。

「京介…」

そして、圭志達には気付いていないのか隣にやって来た京介より少し背の高い男性、こちらもジャケット姿で京介と会話を交わす。

「はぁ…何度見ても耕大さんは格好良いわ」

玲華の呟きにその男性が京介の父親だと圭志も認識する。

やがて京介達のいる扉の方から姦しい声が聞こえ始め、続々とやってきた客人達に対応する為に使用人達の動きも慌ただしくなっていった。

ひとつ大きく頷いた京介から耕大が離れる。耕大はその場に京介を残してホールの中に入るとまるで待ち合わせでもしていたかのように迷わず圭志達のいる奥の扉へと歩いて来る。
そのことにぎょっとして慌てたのは圭志だ。

「ちょっと、玲華さん。聞いてませんよ!俺、こんな格好で」

京介の父親と会うことになるとは。圭志は小声で玲華を非難する様に言う。

「あら、大丈夫よ。耕大さんはそんな細かいこと気にする人じゃないわ」

「俺が気にするんですよ!」

扉の外側に身を隠しつつも圭志は近付いて来る耕大から視線を逸らせなかった。

雰囲気は少し京介に似ているが、それ以上に落ち着いた大人の色気があり、その表情も優しげに見える。がっしりとした体躯で、耕大からは全てを包み込んでしまえる様な温かさが感じられた。それはきっと圭志の前に立つ、玲華に注がれた眼差しのせいだろう。

「玲華さん。そちらが…」

「えぇ、愚弟と真凛ちゃんの所の。圭ちゃんよ」

問答無用でぐぃと玲華に腕を引っ張られて扉の影から引き摺り出される。

「っ、玲華さん!いい加減に…っ!」

して下さいと、吐き出そうとした文句は途中で不自然に途切れる。何故なら、最初に玲華と顔を合わせた時同様に今度は耕大から顔を覗きこまれるように近付いて来られ、圭志は一瞬息を詰めた。

この夫婦はどこか距離感がおかしすぎる。

とっさに視線を巡らせ助けを求めた先の京介は遠く、こちらの事など知る由もなく、綺麗に着飾った見知らぬ令嬢を相手に笑みを浮かべていた。瞬間ぐっと重たくなった胸に圭志は無意識に手袋に包まれた拳を握る。

「うん、確かに。圭くんだな。こんなに大きくなって」

すぐに離れた耕大もまた玲華の様に感慨深げにしみじみと言う。圭志はそこで少し深く深呼吸をしてから、何とか耕大に挨拶を返した。

「お久し振りです。こんな格好ですみません」

「いいよ、いいよ。何かまた事情があるんだろうし。俺は気にしないから、圭くんも気にしないでくれ」

「…はい。ありがとうございます」

とてつもなく恥ずかしい思いをしている。京介の両親を前に緊張するより恥ずかしく思う事があるなんて、圭志は予想していなかった。ここに至るまでも玲華にペースを乱され、振り回されていた圭志は平常心を何処かに落として来ていたようだ。

「ねぇ、圭ちゃん。貴方はあそこにいる京介を見てどう思うかしら?」

だから、ふいに投げられたその玲華の問いに抑えきれなかった感情が混じる。

すっと持ち上げられた玲華の指の先では先程とは違う、少し年上と思われるドレス姿の令嬢と京介がにこやかに会話を交わしている。その隣にはその令嬢の母親らしき女性の姿もある。

「どう、とは?」

玲華に問われて意図せず低い声が圭志の口から漏れた。

何を問われているのか。玲華が圭志に見せたいものとは。

冷静さを奪われ感情が先行した状態で圭志の双眸が鋭さを帯びる。玲華はその様子に笑みを深めると妖しく笑って告げた。

「ただの本人確認よ。あの子には教えてないんだけど、今夜の招待客はみんなあの子にお近づきになりたいって言う家の方達なの」

「…それで?」

「圭ちゃんはあの子の隣に立つのにふさわしいと言えるのかしら?」

それはつまり、そういうことだろう。

「玲華さんは俺と京介を別れさせたいんですか」

圭志は玲華の言葉に被せる様に言う。

まったく冷静じゃない頭が、感情が先行した心が動く。

女装までさせられた挙句、京介の相手を選ぶパーティーを目の前で見せられるとは。そういうことだろう?圭志は玲華の思惑をそう受け取った。

その傍らで耕大は一切口を挟まずに、二人を優しく見守っている。そのことに気付く余裕も失って、圭志は玲華を真っ直ぐに見て言葉を続けた。

「俺だって遊びで京介と付き合ってるわけじゃない」

「えぇ…」

「誰かに言われて別れるつもりもない。それでも万が一、俺が京介と別れる様なことがあれば、それは俺の意志で俺が決めた時だけだ。――貴女に言われてじゃない」

圭志は玲華を相手にはっきりとそう言い切った。

生意気かもしれない。大人から見たら俺達の付き合いなど所詮子供の遊びに思えるのかもしれない。けれども俺達は俺達なりに真剣に付き合っているのだ。

「そう…」

揺らぐことなく真っ直ぐ向けられた眼差し。圭志の意志を聞いて玲華はそっと瞼を閉じる。するりと緊迫した空気が解け、再び瞼を持ち上げた玲華がくすりと蠱惑的な笑みを零す。

「だったら、出来るわね?」

圭志の背中に玲華の手が添えられ、告げられる。

「迎えに行きなさい。貴方が京介を」

この中を通って。そうしたら、そのまま引き上げてもいいわ。

「は…?」

そう言って、圭志は背中に添えられた手にホールの中へと押し出される。

「安心なさい。あの子の人生は始めからあの子のものよ。誰を選ぶか何てあの子が決めることだわ」

かつりとホールの中へ踏み出した靴が鳴る。

色々と混乱したまま、圭志は背後を振り返る。

そこには温かな眼差しと微笑み。耕大と玲華の二人に送り出される形でホールの中へ足を踏み出した圭志はもう後戻りする事が出来なかった。
後はもう進むしかない。前を向いて。玲華を相手に啖呵を切った手前。これ以上みっともない格好は見せられない。ただ、それだけを考えて。凛と背筋を伸ばし、毅然とした態度で。余計なものは極力視界には入れずに。ゆっくりと確実に一歩一歩前に進む。

ざわりとざわめき立った外野の声と視線を無視して。ふわりふわりと優雅に揺れるドレスの裾や時折視界の端でちらつく長い髪も全部意識の外へと追いやり、ただ一人を見る。圭志はホールの中を突っ切って、表扉の近くで見知らぬ令嬢と共にこちらを振り返った京介を真っ直ぐに見つめた。

「っ、けい…っ!?」

ざわめきに気付き、振り返って圭志を捉えた京介の目が驚きに見開かれる。その名を口にしようとして慌てて途中で言葉を途切れされた京介に、さすがにこの格好で自分だと認識されたことに対して圭志は微かに頬を熱くさせる。

「お前、なんっ…」

驚く京介の前で足を止めると圭志は京介の腕を掴み、その耳元に唇を寄せて囁く。

「説明は後だ。行くぞ」

恥ずかしさを堪えて交わした視線の先。僅かに伏せられた圭志の目元は化粧ではなく赤く染まっていた。

ぐっと掴まれて引かれた腕に、京介はすぐに思考を切り換えると視界の端で己の両親の姿を捉える。泰然とした様子でこちらを見守る耕大に何だか面白そうに微笑む玲華の姿。京介は圭志に引かれた腕を僅かに引き返すと一歩先に足を踏み出す。

京介と共にいた令嬢は圭志の登場にあっけにとられていた様だがこの際放っておく。

圭志の隣に並んでまるでその美女をエスコートするかのように己の片腕を圭志に掴ませた京介は囁くような声を圭志に向けて落とす。

「よく分かんねぇけど、俺に合わせろ」

ここから引き上げる。

京介の出迎えの仕事はあらかた終わっていた。ただ、やたらと話しかけて来る客が多いせいで留まっていたに過ぎない。ちょうど引き上げるタイミングを見計らっていたところだ。

京介は視線の先で圭志が何も言わずに頷いたのを見て、ホールの中へと身体を向けて軽く頭を下げる。

「それでは、俺達はこれで。先に失礼させて頂きます」

どうか皆様は引き続き今宵のパーティーをお楽しみ下さい。それでは。

ぺこりと圭志も京介に合わせてお辞儀だけで済ませて、京介にエスコートされる形で堂々とホールを出て行く。



その後、ざわめきを取り戻したホールの中がどうなったのか圭志には関係ないこと…では、なかったが、その話を圭志が知るのはもっと後になってからだ。そしてその話を京介が知るのも後になってから。

神城家の跡取り息子。神城 京介には婚約者がいる。

そう当主夫妻の口から告げられたなどとは、圭志はもちろん当事者である京介にも知らされることはなかった。また、玲華が招待した客の間でも、主に女性陣達の間での話でもあったことから男性側にはあまりその話が広まらなかったせいかもしれない。更に、普段から男親達は自分の娘のお嫁話など進んで口にはしたくなかったのかもしれない。






共に無言で歩き続け、ホールのある別館から一度外に出て、本館である洋館に入る。京介が通って来た道、ゲストルームの方向から絵画の飾られた玄関ホールを抜ける。人目もなくなり、京介の腕を掴んでいた圭志の手から力が抜けていく。そして、二階の居住区域へと続く階段の手前でとうとう足を止めた圭志の手が京介の腕から離れる。
自分の顔を覆う様に両手を顔に当てた圭志が悔やむようにぽつりとこぼした。

「やっちまった…」

いくら平常心でなかったとはいえ、自分はまんまと玲華の挑発ともいうべき揺さぶりを受けて、感情のままに行動してしまった。その行動に後悔はないが、恥ずかしさがわいて来る。

顔を覆ったまま悔やむ圭志に声が掛かる。

「何をだ?…というか、その格好はどうした?」

極普通に、平然とした様子で尋ねてきた京介に圭志は今更ながらぶり返してきた羞恥心に一歩、身を引こうとして京介に腕を掴まれる。

「説明、してくれんだろ?」

逃がさねぇと強い力で腕を引かれる。その強さに何処か安堵している自分もいて、圭志は小さく息を吐く。

「着替えてぇ…」

同時に京介に助けを求める様に本音をこぼした。




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