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守衛室が備えられた門扉をくぐり、奥へと伸びるコンクリートの道を進めば手入れの行き届いた綺麗な庭が視界に入って来る。この地域に建つ家々はそれぞれ各個人が広大な敷地と建物を有しており、隣家との距離は隣家というわりには驚くほど遠くにある。その境には道路があったり、樹木や垣根、鉄製の柵や白壁、煉瓦といった高さのある壁が聳え立っていた。またそれは防犯の一環でもあり、場所によっては防犯カメラやセンサーが付いている家もある。

そんな地域にある神城家の敷地へと入った車は季節の花が咲き誇る庭と噴水の横を通過し、瀟洒な洋館の前で停車した。
さすがにここまで来ると少し緊張するなと圭志はふと京介に視線を向けて、聞き忘れていた事を思い出す。

「京介」

先に車から降りようとしていた京介の腕を掴んで車内に引き留める。

「あ?どうした?」

その様子に京介が不思議そうな顔で圭志を振り返った。

「お前の両親、名前なんて言ったっけ?」

「はぁ?なんでそんなこと」

「いいから!」

お前は実の両親を何と呼ぼうと構わねぇが、こっちは初対面…ではないが、実際小学校に上がる前位には会った事があるようだし、名前ぐらい把握しておかねば。それに結構昔、これもまだ俺が小さかった頃、参加した黒月家のパーティーで親父に言われた事を何故か今、思い出した。忌々しい事に。

『いいか、圭志。お前の母さんも含めて女の人はいつだって美しく可憐で綺麗だ。まぁ父さんの一番はずっと母さんだけどな。だから、女の人には不躾に年齢を聞いてはいけないし、たとえ親戚の人でも女の人はおばさんと呼んじゃダメだぞ』

圭志の真剣な空気に気圧されて京介はやや困惑した様子で両親の名を告げる。

「神城 耕大(こうだい)と玲華(れいか)」

つまり圭志の父親の姉、神城 玲華は結婚するまで黒月 玲華だったというわけだ。

「ちなみにうちのクソ親父の名前は知ってるかも知れねぇけど、黒月 克哉(かつや)で、母さんは真凛(まりん)だ」

「あぁ…そうか」

何だかよく分からない圭志の勢いに乗せられて京介は情報を交換する。

「うん、よし。大丈夫そうだ」

一人納得した様に頷いた圭志から視線を外して京介はもう良いなと圭志に掴まれていた腕を叩く。

「あ、悪い」

ぱっと離れて行った手に今度こそ京介は車から降りた。そして、続いて圭志もサービスエリアで購入した焼き菓子が入った菓子折りを手に車から降りた。

後の荷物は他の者が京介の部屋に運んでおくと言われて、圭志は少しばかり緊張しながら京介の後に続いて洋館の扉をくぐった。

まず広い玄関ホールがあり、入って右手側その一角にホテルのラウンジにあるような一時待機場所、ソファとテーブルが置かれていた。そこから外庭の景色が眺められるようになっているのか大きなガラス窓がある。今は陽射しを和らげる為か薄手の明るいカーテンが引かれていた。玄関ホールから左右に伸びるように廊下があり、正面の壁には絵画が掛けられてる。そのまま上を見上げれば吹き抜けのように高い天井と、二階部分から玄関ホールを見下ろせるようになっているのか、二階廊下のあたりに手すりが見える。

京介はソファの置かれた右手側の廊下の先を指すとぐるりと玄関ホールを眺めていた圭志に説明をしてくれる。

「向こう側はゲストルームだ。客人が来た時に使う部屋なんかがある」

居住区域はこっちだと、京介は左手側に伸びる廊下を歩き出す。その間にもいくつか扉があったがそこは荷物を保管しておく場所だったりと倉庫になってると説明された。主に左手側の建物二階から上が居住空間で階段を上る手前にあった小さな扉から中庭にも出れると、ついでのように教えられる。

「って、いいのかよ?俺がそんなプライベートの場所に入っても」

京介の部屋だけならともかく、神城家の、つまりは家族の生活空間だろう。
俺はてっきり、客人用とかに用意された部屋とか応接室、そんな外部客用の部屋で顔を合わせるもんだと思っていたのだか。

京介は迷う事無く二階への階段を上がり、三階へと続く階段に足を掛けた。困惑した様子で聞いた圭志へ京介は今更だろうと安心させるように言う。

「お前は忘れてるだけで、何もお前を家に入れるのは初めてじゃねぇ」

昔、お前が来た時はたぶんあっちこっち、それこそ遠慮の言葉などなく、建物の中を走り回っていた。お互い落ち着きのないガキだったし。

「…そうか?」

「そうそう。だから気にすんな」

本当に踏み入られたくない場所は鍵が掛けられている筈だ。京介が今日、恋人を家に連れて行くことは決まっていたのだから。そう条件を出したのは両親の方でもあるし、その辺は向こうも考えてあるだろう。京介は特に気負った様子もなく軽く告げると目的の部屋の前、扉は既に開け放たれていたが、三階にある広いリビング、その入口をくぐった。

「ただいま。連れて来たぜ」

「あら、おかえり京介。よく真っ直ぐ帰って来たわね」

そして、その広いリビングのソファに座り寛いだ様子で足を組み紅茶のカップを傾ける女性が一人。艶やかな黒髪を後頭部で結い上げ、どこか面白そうに微笑んだ顔は凛として美しく、芯の強さを感じさせられる。また服装もいたってシンプルなパンツスタイルで、京介の後ろに立っていた圭志へと流された視線はどこか懐かしむようにゆるりと細められた。

「それで、そっちが圭ちゃんね?」

カップをテーブルの上に置かれたソーサーに戻し、ソファから立ち上がった京介の母、玲華は確認するように言う。玲華は女性にしては背の高い部類に入るのか圭志と視線を合わせたまま微笑む。

「まぁこんなに大きくなっちゃって。家に来るのはどれぐらい振りかしら?愚弟に似て格好良く…は、嫌よね。真凛ちゃんに似て美人になったかしら?」

その成長を感慨深く思う玲華に顔を覗きこまれるように近付いて来られ、圭志は一瞬動きを止める。京介の母親といえど、自分の母親同様にどこかまだ年齢不詳さを感じさせられる美貌に迫られては。圭志は助けを求めるように京介に視線を投げた。

「母さん。歳よりくさいこと言って圭志を困らせるな」

「まぁっ、私が歳よりくさいですって?」

京介の一言で身を引いた玲華にすかさず圭志が口を挟む。

「あのっ、…お久し振り、です。玲華さん」

それとこれ、焼き菓子なんですけど。別荘をお借りしたお礼と今日の挨拶代わりにと言って、圭志は手にしていた菓子折りの入った紙袋を玲華に差し出す。中身はサービスエリアで買ってきたクッキーの詰め合わせだ。

玲華は差し出された紙袋と圭志を交互に見て、するりと表情を崩す。

「あらぁ、良かったのに。わざわざ手土産なんて用意して来なくても」

そう言って微笑んだ玲華は温かさを感じさせる笑顔で言葉を紡ぐ。

「ありがとう圭ちゃん。後でうちの人と一緒に頂くわ」

「いえ…」

「ところで、その親父は?」

両親揃っているのかと思えば一人足りない。京介は圭志から玲華の意識を逸らすように聞く。玲華の手に渡った紙袋はさっさと京介が横から受け取り、ソファの上に置く。玲華は京介の問いに今思い出したかの様な態度で口を開く。

「耕大さんなら今夜の準備をしているわ」

「今夜の準備?」

なんだそりゃと京介は眉をよせて聞き返す。すると玲華は京介を見て、さも当たり前のような顔で京介に告げた。

「京介。貴方も家に帰って来たなら耕大さんのお手伝いをしてきなさい」

「はぁ?俺は圭志と…」

「圭ちゃんの相手なら私がするわ」

「なに勝手に決めてんだよ」

「…京介。俺の事はいいから」

言われた通りに行って来いと、雲行きの怪しくなった二人の会話に圭志は割って入る。圭志の経験からこういう時の母親の言葉には逆らわない方が賢明だと思っている。京介は圭志へと顔を向けて、そこにあった譲らない意思の強い眼差しを受けて、仕方がないと諦めた様な溜め息を吐く。

「分かった。すぐ戻る」

そして、自分の母親に向けて釘を刺して行く。

「圭志に手ぇ出すなよ」

「っ、京介!」

さすがにその言い方はないだろうと思わず声を上げた圭志であったが、玲華の方は気にした様子もなく嫌ねと可笑しそうに笑う。

「私は耕大さん一筋よ」

ちなみに耕大さんは別館の執務室にいるはずよと玲華は京介を追い出すようにひらひらと手を振った。

「まったく、やぁねぇ。成長したと思ったら圭ちゃんの事に関してはまったく成長してないんだから」

玲華は圭志にソファをすすめると自分は飲み物を入れにキッチンに向かった。

京介と圭志がまだ小学校に上がる前の頃。パタリと訪問の無くなった圭志の事を京介はそれはそれは毎日のようにうるさく何で来ないのかと、次は何時かと玲華に聞いて来た。けれども次第に京介がその名を口にする回数は減り、京介は九琉学園の小等部へと入れられた。
それも一種の成長か、あるいは心の防衛作用だったのか。あれほど心待ちにしていた日が無くなり、悲しい気持ちに覆われ、やがて変わった生活環境に記憶は上書きされ、薄れていった。だが、それは完全に忘れ去ったのではなく、思い出さないようにしていただけか。

玲華は手ずからアイスティーを用意すると大人しくソファに座って待つ圭志の元にアイスティーを入れたグラスを持って行く。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

京介にはあぁ言ったが、玲華と共に部屋に残された圭志は少しばかり居心地が悪かった。それもこれも京介が最後に余計な一言を落として言ったからだ。テーブルを間に挟んで圭志の向かい側のソファに腰を下ろした玲華が口を開く。

「そう言えば、圭ちゃんが家に来たって事は京介のこと許してあげたのかしら?」

「え?」

何を?許すとは?

圭志はその意味を掴みかねて首を傾げる。すると今度は玲華が違ったかしら?と首を傾げて話しを続ける。

「京介と大喧嘩して、それから家に来るのを止めちゃったって愚弟から聞いてたから」

「あー…」

実際には違うのだが。色々と。圭志の父親は適当な話をでっちあげて説明していたらしい。そしてその話に圭志も便乗させてもらうことにする。

「まぁ…。京介がって言うか、俺も悪かったし…」

「そう?」

「はい。それに京介には…、いや、京介だけじゃなくて。別荘の件といい、この夏の間、玲華さん達にもご迷惑をおかけして申し訳ありません」

神城家、家のことは京介は気にするなと言っていたが、やはりけじめは必要だろう。圭志は居住まいを正すと玲華に向かって頭を下げた。

「それは圭ちゃんが気にすることじゃないわ」

玲華は優しい声でそう言うと圭志に頭を上げるよう促す。

「圭ちゃんは愚弟と違って真面目ね。真凛ちゃんの教育の賜物かしら」

玲華はひとり言を呟くように言うと、凛とした眼差しを圭志に向けて言う。

「でも、勘違いしないで。貴方はまだ子供なの。迷惑なんてかけて当たり前の歳なんだから」

それを分かった上で悪用している子供もいるのだけど。そしてその一番の被害を被っているのは誰あろう九琉学園の理事長、彼等の叔父だったりもするのだが。

圭志は久々に掛けられた大人からの助言に頷き返し、心が少し軽くなったような気がした。

アイスティーのグラスに手を伸ばし、グラスに口を付ける。

玲華さんは少し京介と似ている所があるな。親子なんだから当たり前かもしれないが、こうストレートに心に届く言葉を投げて来るところとか。

最初の時と比べて緩んだ空気に心なしか圭志の表情も柔らかいものになる。

「ん、いいわね。それじゃ、私達もそろそろ行きましょうか」

「行くって、どこにですか?」

私達と玲華に言われて圭志は玲華を見返す。
しかし、玲華はくすりと艶めいた笑みを零すだけでその詳細を口にしなかった。

ただ、

「ちょっとした大人の遊びに付き合って」

と、だけ。



そうして、玲華に連れられるがまま移動した先で圭志は思い知る。玲華も自分の両親と同様に常識に囚われない人物なのだと。むしろ同類か。
部屋の中へ圭志を促した後、玲華はその部屋の扉の前に立ち、にっこりと綺麗な微笑を浮かべた。

「実は愚弟を通して真凛ちゃんから頼まれごとをされたのよ。圭ちゃん、学園のイベントで女装したんですって?その写真がどうしても手に入らなかったから、真凛ちゃんが新しく撮ったのでもいいから欲しいって言うのよ」

困ったわねと言う割に玲華は微笑みを崩さない。

圭志は部屋の中に並べられた衣装、どうみても女もののドレスに、壁際に待機しているその道のプロらしきメイク道具を揃えた使用人達。広い部屋をわざわざ仕切りで区切って用意された写真スタジオらしきセット。それらを見て口元を引き攣らせた。

「まさかと思いますけど…」

「うん。そのまさかよ?」

すぐに終わらせるからと玲華は微笑んで告げた。

「っ、絶対に嫌だ!何で俺がまたっ、京介にでもやらせればいいだろ!」

対する圭志の反応は当然と言えば当然の様に激しいものだった。母親にやられた子供の頃の事も含めて二度ある事は三度ある。とはいえ、圭志は玲華に対する遠慮も捨てて言う。この際、京介でもいいだろとわりと本気を込めて言う。けれども玲華は圭志の暴言に気を悪くするでもなく、冷静に圭志の言葉に応えた。

「あの子じゃ面白味がないのよ。それにこれは貴方のお母さんから頼まれたことだから」

断る権利は始めから圭志にはなかった。

「くそっ、何で俺がこんな目に…」

来年妹だか何だかが生まれて来るなら、そいつにやらせればいいだろう。なんで高校生にもなって俺がこんな格好を。

何とか話をつけて、露出の少ない色味を抑えたドレス。それは奇しくも京介が学園のイベントで用意していた深紅と漆黒の色合いが大人びて見える美しいドレスに近いもので、その一着だけを着る。写真も一枚限りで両親以外には誰にも見せないという条件を付け加えて、圭志は現在顔に薄く化粧を施されていた。自分の髪色と同じ色合いの長髪のウイッグを被らされ、緩く毛先を巻かれる。

「こういう時こそ助けに来いよ」

その出来栄えを見て、いつの間にか服装を華やかなドレスに換えてきた玲華が満足そうに頷く。

「こうしてみると圭ちゃんはやっぱり美人ね」

「…うれしくねぇ」

まだ親父に似て格好良いと言われた方がマシであった。どんな拷問だこれは。京介の奴はあれから戻って来ねぇし、いや、こんな姿は二度と見られたくはない。見られたくはねぇが、少しぐらい俺の事を気にしろよ。お前の母親、美人な見た目に反してうちの親父並みにやること滅茶苦茶じゃねぇか。詐欺だろ。

むすっとした不機嫌顔のままカメラの前に立たされる。

「圭ちゃん。あとで京介の子供の頃の写真あげましょうか?」

「は?」

「圭ちゃんだけ写真撮られるの不満でしょう?だからその代わりに京介の写真をあげるわ」

「……」

それで、どうかしら?と。言われて、ふっと解けた不機嫌顔に向けてシャッターが切られる音が響く。写真に切り取られた黒髪の美女はきりりとした眼差しを僅かに伏せて物思う。誰の目から見ても美しかった。

コンコンと外側から扉をノックする音が圭志の思考を断ち切る。

「奥様。向こうの準備が整ったと旦那様から」

「分かったわ。すぐに行くわ」

ちらりと圭志に視線を向けた後、玲華はまたもわかりやすくにっこりと艶やかな笑みを浮かべた。

「さっ、遊びはお終いにして次に行きましょ」

「次って。その前に着替えさせてくれ」

嫌な予感しかしない。この家に来たこと事態、間違いだったのかもしれない。圭志は真面目に挨拶に来たことを若干悔やむ。だが、何度考えてもここに来ないという選択肢は浮かばなかっただろう。圭志が圭志であるが故に。

玲華はやはり圭志の要望をあっさりと却下する。

「ごめんなさいね。支度に時間をかけ過ぎちゃって着替えてる時間はないのよ」

「…京介には見られたくない」

「うん。分かってるわ」

再び玲華に部屋から連れ出された圭志は歩き難いことこの上ないヒールの高さに苦戦しながら、足首まであるドレスの裾を捌き、なんとか玲華の後について行った。



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