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「はぁ…、休みって短いよな」

神城家所有の別荘、そのログハウス内にあるリビングダイニングのソファに身をもたれさせた圭志が天井を仰いで呟く。

「ほら、圭志」

そして、その視界を遮る様にしゅわしゅわと音の立つ飲み物が注がれたグラスを差し出される。ソファでだらける圭志の背後に立ったのは京介だ。京介も同じ炭酸の入ったグラスを右手に持っている。

「おぉ、さんきゅ」

京介からグラスを受け取った圭志はだらけるのを止めて、ソファにきちんと座り直す。京介もソファを迂回するとテーブルを間に挟んで圭志の向かい側にあるソファに腰を下ろした。

「荷物は纏め終わったのか?」

わざわざ京介がソファを迂回し、圭志の隣ではなく、向かい側に座ったのは圭志の隣に荷物が置かれていたからだ。京介の質問に圭志はグラスに口を付けつつ答える。

「まぁ、元から持って来た物も少ないしな。そっちは?」

「一通り確認はしてきた。大丈夫だろ」

手荷物を圭志が纏める傍ら京介はログハウス内を、自分達が使用した場所を点検して回っていた。なぜなら…

「迎えの船が来るのは十一時だったか?」

「あぁ。そこから行きと同じ航路で戻って、どこかで昼だな」

長かった様な短かったような。二人きりでの島での滞在も今日で終わりだ。
しかし、圭志はまだそうしみじみと思い出に浸っていられる時間が無い事も理解していた。
京介が言う様に、迎えの船に乗ったら本土へと戻り、どこかで昼を食べて、それから京介の家、神城家へ行くのだ。

からりとグラスに入れられた氷が音を立てる。
圭志が黙り込んだのを見て、京介が口を開く。

「嫌なら、いいんだぜ」

家に寄らなくとも。京介は圭志と過ごした島での生活に満足している。だから、圭志がこのままどこか学園近くのホテルでも予約して、入寮出来る日までそこに泊っていても良いと思っている。それに別荘を借りる条件として出された約束をしたのは京介だ。どうしても圭志が嫌だと言うなら、考えなくはないと京介は真っ直ぐに圭志を見つめて言う。

(あぁ…これだから、こいつは。強引なくせして優しいとか)

ふとした瞬間に感じさせられるその落差に心を揺さぶられつつ、圭志は揺らがない眼差しを京介に返す。

「人んちの別荘借りといて、それは無いだろ」

俺の印象が悪くなる。

それでなくても、京介は気にするなと言うが、圭志は色々と神城家に迷惑をかけている。

「俺だって挨拶ぐらいするさ」

恋人だと紹介されるのは別として、それ位の常識は圭志も持ち合わせている。あと、圭志が考えるべきことは一つ。

「手土産って何が良いんだ?」

「あ?そんなもんいらねぇだろ」

何をと、まったく頭に無かったのか京介は圭志の言葉をバッサリ切る。それに眉をしかめたのは圭志だ。

「お前は良くても、俺の方が良くねぇんだよ」

京介は自宅に帰る気持ちでも、圭志はよその、しかもお世話になった家にお邪魔するのだ。手土産の一つでも持参してしかるべきだろう。これはただの高校生の発想からすると少しずれているのかもしれないが、圭志はそうした心配りを母親から常識として叩き込まれていた。なんでもご近所さんとの人間関係を円滑にする為の手段なのだとか。

「とにかく、向こうについたら、サービスエリアでも何でもいいから、家に行く前に店に寄ってくれ」

「お前がそうしたいなら、何も言わねぇけど。うちの親は多分手ぶらでも気にしねぇと思うぞ」

むしろ、お前さえ顔を出せば。何も言うまい。京介の親が見たいのは、手土産ではなく、京介の恋人なのだから。
そう心の中だけで呟いて、京介は圭志の言う通りにしてやる。

出発までの残り僅かな時間をリビングでゆっくりと過ごして、二人はログハウスを出る。
最後に京介が玄関の鍵を施錠し、圭志がその後ろ姿に瞳を細める。

「…ありがとな、京介」

俺の為に。

ぽつりと零された小さな呟き。聞かせるつもりの無かった小さな呟きに、京介が振り向く。

「またいつでも連れて来てやるぜ」

その時はまた、俺を誘えばいいと京介は何てことの無い様に笑みを閃かせて言う。

「あぁもう、そういうところ、ズルいよなお前」

「知ってる。…さぁ、行こうぜ」

京介と圭志は肩を並べて、歩き出す。

船着き場までゆっくりと、二人きりで過ごした島での余韻を味わう様に。





帰りの船旅は二人とものんびりと好きに過ごし、港に着いてからは、迎えの車に荷物だけ預けて、港近くにある新鮮な海鮮丼が食べられると有名な店で二人はお昼を済ませる。少し遅くなった昼食を済ませた二人は現在、車に乗り込み、休憩の為に寄ったサービスエリアで手土産となる物を選んでいた。

「消えもの…。焼き菓子とかでいいか?」

「何でも食うだろ」

真剣な表情で選ぶ圭志の隣、京介のあいづちは些か適当だ。
そこで圭志は少し反則な手を借りる事にした。神城家付きの運転手、大人の意見を参考に聞く。すると、返って来た言葉はほぼ京介と同じ内容なのに、妙な説得力があった。

「貴方様が選ばれたものなら、どれでもよろしいかと。大事なのはそこに込められたお気持ちですので」

「なるほど…」

上手いこと言うなと、京介も感心した様な眼差しで運転手を見た。この辺りは年の功か。圭志と京介はそれから少し、他にもサービスエリア内にあるお土産コーナーを覗いたりしてから車へと戻った。


そして、いよいよ車は神城家へと――。



途中、車内でポケットにしまっていた携帯電話が鳴る。

「そういや、久し振りに着信音を聞くな」

隣に座っていた京介がポケットから携帯電話を出して、おもむろに眉をしかめた圭志を眺めて言う。

「誰からだ?」

「―…親父」

圭志の父親といえば、圭志が京介と二人で別荘に行く原因を作った人物でもある。そんな人物からの着信に良い予感はしないと、圭志は携帯電話を睨み付ける。

「とりあえず出てやったらどうだ?」

何の用事か知らないが、電話に出ない事には用事も分からないし、話も進まない。
京介の声掛けに圭志はしぶしぶながら、通話ボタンを押した。

「このタイミングがムカつく。…はい、もしもし?」

不機嫌さをまったく隠さない声に、大人の余裕を感じさせる落ち着いた低い声が応えた。

『やっと出たな。元気か、圭志?二人きりだからと羽目を外し過ぎるんじゃないぞ』

「いきなり説教とか、親父には言われたくねぇし。そんなことよりも、親父には色々と…」

『なんだ?反抗期か?来年の春頃にはお前もお兄ちゃんになるんだから、反抗期は今年中に終わらせておいてくれよ』

「……はっ?何だって?」

電話で話していた圭志の表情が一瞬固まる。次には電話口に向かって、圭志は怒鳴る様に声を上げていた。

「もう一回言え、親父!」

その変わり様に京介はまた振り回されてるなと、圭志の大変さを思って息を吐く。しかし、圭志の言う様に何故このタイミングで圭志に電話をかけて来たのか。そこは少しだけ京介も気にはなった。もう間もなく、この車は神城家に着く。

『きっと母さん似の可愛い娘だぞ。絶対、嫁には出さん』

「ちょっと本当に待て!色々と、何でそうなるんだ…」

いっきに飛躍していく話に、圭志も頭を抱える。京介がその様子に、圭志の肩に手をおいて聞いた。

「大丈夫か、圭志」

「いや、…親父が何言ってるのか分かんねぇ。娘?」

一体何を言われたのかと京介は数秒考えた後、圭志の手から携帯電話を奪う。

「あっ、おい、京介!」

「もしもし、電話代わりました。結局、圭志に何の用ですか?」

京介は名乗りもしなかったが、電話の相手にはそれだけで十分だったらしい。驚きもせずに冷静に会話が続けられる。

『あぁ、京介くん。うちの圭志が随分とお世話になってるようで助かるよ。実は――』

携帯電話に耳を傾け、京介は時折あいづちを打つ。

「それはそれは、おめでとうございます」

ぴんといきなり張った声に、空気が緊張感を帯びる。

「京介?」

いきなり人の携帯電話を奪ったと思ったら、京介は堂々と怯むことなく親父と対峙する様に会話を交わす。

「ところで、何故、俺と圭志が一緒にいると?」

そういえば、圭志は竜哉にも夏休みの事は言っていない。京介も親には恋人の名前までは告げていない。すると何故か、電話の向こう側からは微かな笑い声と共に言葉が返される。

『圭志は昔から人の思い通りに動かされるのを嫌うから、きっと京介くんを頼るだろうと思っていたよ。何と言っても京介くんは昔から圭志のヒーローだからな』

圭志の親だからこそ、圭志を取り巻く環境の事は知っていた。しかし、その圭志本人が親からの介入を、言葉にこそしなかったが、その態度で拒んでいた。日々の夜遊びについても圭志の息抜きの場の様なもので止めはしなかった。だが、その事態があの日一変した。子供同士の喧嘩では収まりきらぬ事態になって、いよいよ圭志に何と言われても構わないと両親は手を打つことに決めた。その時、父親の海外転勤が決まったのは偶然だったが。

圭志の叔父である竜哉が運営する学園ならば、多少外からでも強引に介入する事が出来る。そして何より、そこには神城家の京介が在籍していた。京介は唯一、圭志が幼い頃に心を開いていた相手だ。それ故か女の子と間違えられて、そのショックで圭志は京介とのことを忘れてしまうぐらいに。もしかしたら、本人に自覚が無かっただけで、圭志の初恋の相手は京介だったのではないかと両親は密かにそう思っていた。

「は?ヒーロー?」

聞きなれない単語に京介が瞼を瞬かせる。その横で、今度は圭志が何の話をしているんだと口を挟む。

『まぁ、そういうことだから。うちの圭志をよろしく、京介くん。それと姉さんにも。竜哉を困らせるのもほどほどにな。それじゃぁ、また』

ぷつりと通話が途切れる。

突然着信を告げた電話は、これまた唐突に切られた。

「おい、京介?」

「…お前の親父は人の話を聞かないどころか、自分の言いたい事だけ言って話を終わらせるな」

通話の終了を知らせる画面を向けられ、圭志は自分の携帯電話を京介から受け取る。ポケットに携帯電話をしまう圭志を眺めながら京介は圭志の父親から聞かされた内容を頭の中で整理して、圭志に伝えた。

「来年、お前に妹だか、弟だか、まだ分からねぇが、兄弟が出来るらしい」

「それで俺が兄だ何だと言ってたのか」

落ち着いて考えれば受け止められる。圭志の両親はまだ若い方だし、圭志を寮に入れた後はまた二人して新婚気分でいちゃついていたのだろう。ありえない話ではない。

「それと、九琉から放り出した連中のカタは付けたと」

「…あぁ」

もうすっかり忘れていた。京介が学園から叩き出した連中は大小様々あれど、良い所の出の坊ちゃん達だ。学園の理事長である竜哉さんを始め、最後は大人達が話し合って上手く落としどころを見つけたのだろう。もしかして夏休みの間、竜哉さんが学園にいたのもその関係だったのかも知れない。

「これで晴れて自由の身だな」

「はっ、なんだそりゃ」

全てにカタがついた所で、圭志自身には何も変わりがない。今更、自由が何だと言われても、元から自由に好き勝手やってきたつもりだ。

京介の言葉を圭志は鼻で笑い飛ばす。

「――…それよりも、どうやら俺達の行動はお前の親父に筒抜けになってるみたいだな」

裏をかいたつもりが、結局意味が無かったか。二人で過ごした時間はとても有意義ではあったが。まだ二人は大人達の掌の上らしい。京介の淡々とした事実確認に圭志も真面目な表情を見せる。

「それはそれでムカつくよな。次はもっと念入りに計画を立てて、親父達に見つからない所に行こうぜ」

「あぁ、そうだな」

すぐさま強い反発心を覗かせた圭志に京介も頷き返す。やられたらやり返す様な強い気性を見せる圭志の中にはもう当たり前の様に京介の存在が刻まれているらしい。京介が断るとは微塵も思っていない、その眼差しに京介は口端を緩める。

「早ければ次は冬か」

年末年始にその機会は巡って来るだろう。
夏の寮の改装が終われば、冬期休暇は寮に残るも再び帰省するも自由に選べるはずだ。ただ、冬の休みは夏と比べて当然だが短い。

「寒いのは嫌だが、あえて北に行ってみるか?」

有言実行。さっそく考え出した圭志に京介が口を挟む。

「あまり北に行くと、今度は雪とかで帰って来られなくなるんじゃねぇか」

「それもあるか。…と、すると近場で目くらましでもするか」

「灯台下暗しってやつか。ま、やれねぇこともねぇな」

「そうだろ?お前んちに着いたら、もう少し話を詰めようぜ」

計画を練り出した圭志は子供っぽい事を口にする。
別荘で過ごした二人きりの時間は恋人同士としての仲を深めただけでなく、それ以外にも二人の間に穏やかで優しい、温かな絆を生み出していた。




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