59


「明?…おい、あきらー?」

そして、二人の穏やかともいえる時間は唐突に打ち破られる。

佐久間家の敷地内にあるガーデンテラスで、先ほどまで庭を眺めていたはずの明の姿が、静が少しばかり席を外した間に、無くなっていたのだ。

真面目な性格故か、明が一人で屋敷の中をうろつくことはそうそうない。静は明が立っていたガーデンテラス、庭園へと降りられるように設置されているスロープの前に駆け寄ると、注意深くその周辺を見回した。

「明ー!…まさか、一人で庭に降りたのか?」

名前を呼びながら、静も色とりどりの花が咲く庭へと降りる。途中から迷路のように入り組んでいる庭園へと足を踏み入れて、静は足を止めた。

これだけ呼んで明が返事をしないのはおかしい。

静はそこまで思考を巡らせると舌打ちをした。

「ちっ、人払いが裏目に出たか」

静は止めていた足を動かすととにかく庭園を突っ切り、その近くで仕事をしていた使用人を捕まえた。

「明を見なかったか?」

問われた男性使用人は静の纏う剣呑な雰囲気に驚いた様子であったが、すぐさま表情を整えると首を横に振って答えた。

「自分はここにいましたが、新見様は見ておりません。岳様ならお見掛けしましたが」

「なに?いつだ?」

「三十分ほど前でしょうか」

「…そうか。分かった。邪魔したな」

佐久間家に入って来られて、尚且つ自由に動ける人間などそういない。

静は庭園を突っ切って表門にあたる正門へとやって来たが、複雑に入り組んでいるあの庭園には裏門へと繋がる道もあるのだ。急ぎ、庭園へと戻った静は迷う事無く裏門へと向かう。さすがに裏門となれば警備の者もいる。

「ここに誰か来なかったか?」

裏門脇にある守衛室に顔を出し、静がそう問えば、守衛ははっきりと頷き返した。

「つい先ほど、岳様と新見様がお通りになられました」

「あの野郎…」

やはり、岳が明を連れ出したか。

忌々しそうに呟いた静へと守衛から「岳様より静様宛に言伝を預かっております」と、言葉を続けられる。

「何だと?」

言ってみろと静は鋭い眼差しで守衛に先を促す。

「はっ。新見様を静様のお友達に紹介してくる、とのことです」

「っ、あいつまさか!あそこに明を連れて行くつもりか!?」

ふざけるなと、静はこの場にはいない岳へと向けて悪態を吐く。

行先が分かれば、ここにはもう用はない。静はいそいで二人の後を追う様に裏門から佐久間家を出て行く。

「待ってろ、明。あの野郎はぶっとばしてやる」

邪魔な伊達眼鏡を外し、ポケットにしまうと、静は目的地へと向かって駆けだした。



一方、ガーデンテラスから半ば強引に連れ出された明は岳に腕を掴まれたまま、どこかの団地の一角にある廃屋に連れて来られていた。

「離せよ!勝手に出てきたら静が心配するだろ!」

「だぁから、大丈夫だって。静にはちゃんと伝言を残して来たから」

そんなことよりも、新見くんは自分の身を心配したらと、岳は呆れた様な眼差しで明を見て言う。

「っ、だったら、帰してくれよ!静の所に!」

「ふぅん。そういうこと言っちゃうんだ」

岳は瞳を細めると可笑しそうに口元を緩め、帰さないけどねと明るく告げ、廃屋の入口をくぐる。

建物内部はコンクリートが剥げていたり、落書きが酷かったりしたぼろぼろの外観と変わって、そこそこ綺麗であった。コンクリの床には柄物の敷物が敷かれ、左右の壁際には簡易的な机や椅子、観葉植物に本棚と生活感のあるものが所々に置かれている。

「さてと、茶番が始まる前に新見くんには聞きたい事があるんだけど」

抵抗する明を歯牙にもかけず、岳は廃屋の一番奥に置かれたソファに明を無理やり座らせると、その正面に立つ。両手で明の頭を挟むように壁に手を付き、身を屈めて明の顔を覗き込む。

「っ、何だよ?聞きたい事って…」

うろうろと諦め悪く視線をさ迷わせて、逃げ道を探しつつも律儀に岳と会話を交わす明に、正直岳は好感を覚えたが、それと同時にやはり危なっかしい人だと実感する。

逃がしてあげるわけにはいかないけどな。

岳は口元にゆるく弧を描いたまま、質問を口にする。

「静って誰かに恨まれてたりする?」

「え?」

問われた内容が一瞬理解出来ずに、明は思わず自分を見下ろす岳を無防備に見つめ返す。

「だからさ、静って特定の人間から恨みを買ってるかって聞いてるの」

岳はゆっくりと分かりやすくもう一度明に問う。

「…分からない。俺が知る範囲じゃ、いないと思うけど…多分」

おそらく、そう思うと明は自信なく言葉を濁す。でも、何でそんなことを聞いて来るんだと明は不思議そうに岳を見る。すると、岳にはそれが伝わったのか、岳は隠すこともなく、その理由を口にした。

「んー、実は赤池とかいう奴に、静への恨みを晴らしたくないかって誘われてさ」

「赤池?…赤池って!…あのE組の!?」

「何組だか、俺は知らないけど。その様子だと新見くんも知ってる人かな?」

岳は九琉学園の生徒ではない。静とは別の学校に通っている為、赤池なる男を知らなかった。なので、九琉学園の内情を知る由もない。そして、明もまさか自分が原因で静と赤池が対立しているとはそれこそ知る由もなく。ただ単純に生徒会役員である静とE組のリーダー的存在である赤池が、互いの組織を毛嫌いして敵対しているものと思い込んでいた。

学園内の内情をさらっと明から説明された岳は、それにしては赤池の静に対する敵愾心が強すぎるとちょっとした違和感を覚えたが、一つ頷いて呑み込むと、壁についていた手を離し、身を起こして明の囲いを解く。

「えっとじゃぁ、佐久間は赤池に協力して俺のことを?」

「岳で良いよ。佐久間じゃ静と一緒だし」

まぁ、そうなるよなと肩を竦めた岳に悪びれた様子は一切見当たらない。
それならば、ますます明はここに居るわけにはいかないと、ソファから立ち上がろうとして、岳にその行動を制される。

「新見くんは動かないで。そこが一番安全だから」

「それは、どういう…」

「大丈夫。静があんな雑魚共に負けるわけないし」

もう約束の時間だから黙ってと、岳は一方的に話を切ると、廃屋唯一の出入口へと視線を向けた。

外から賑やかな声が入って来る。ざわざわと十人はいるだろうか。
夏らしく半袖にハーフパンツ、薄手の上着を羽織っている奴もいれば、ジャラジャラとアクセサリーをつけた奴もいる。髪色は金髪や茶髪で、黒髪の奴が珍しいぐらいに皆髪を染めていた。

「おーっ、本当に捕まえて来たんだな」

「ナマ明くんだ!」

「高等部上がって近付けなくなったよなぁ」

「怯えちゃって可愛いー」

ぞろぞろと入って来た男達は岳の後ろに居る明を見て、にやにやと楽しそうに笑う。その視線に明は血の気が引くような感覚を覚えて、ソファの上で後退る。九琉学園の中で向けられたことのある、ある種の視線だ。

「待てよ。俺に挨拶もなし?俺が連れて来たんだけど」

男達の視線から庇う様に岳が前に出て、文句を口にする。
この時、二人は知らなかったが、目の前の男達は赤池に従ったE組の人間達であった。

「うるせぇな。こっちはソイツさえ呼びだせりゃ、お前もボコボコにして良いって言われてんだ」

「しょせんお前も佐久間だしな」

「ちげぇねぇ!」

「バカだな、お前も!」

げらげらと男達が笑う。しかし、それでも岳の余裕の表情は崩れない。

「バカはお前達だ。誰を敵に回したと思ってるんだ」

小さな声が落とされ、明だけがその声を拾う。
次の瞬間、男達の最後尾にいた人間が廃屋の外へと吹き飛ばされる様に姿を消した。

「ぐぁっ!!」

「なんだっ!?ごはっ…」

慌てて背後を振り返った男達の前に、静かな闘志をその身に纏わせて静が立っていた。

「ふざけるのもいい加減にしろ。何でてめぇらがここにいやがる」

当然ながら赤池及びE組に関する、注意すべき人間の情報は静の頭の中に入っている。どこのどいつだと、問うまでもない。目の前の連中全て敵である。

建物内にいる明からはまだその姿は見えないが、一瞬静まり返ったその場に静の声は浸透する様に広がった。

「静!!」

間違う事無く静がそこにいると知り、安堵と心配がない交ぜになったまま、明は思わずその名を口にした。その声が届いたのか、ひやりと静を取り巻く空気が一段と冷たさを増す。鋭く細められた双眸が静の行く手を阻む敵に向けられ、何の躊躇いもなく握られた拳が、静の気にあてられて立ち尽くす男の腹に突き入れられる。

「がはっ…」

「こいつ!!」

一人、二人とその場に沈められ、静の近くにいた男達は激高して静に殴りかかっていく。

「わっ…っ!…っ!」

派手に殴り飛ばされた男が室内に転がり込み、男達が沈められた事でちらりと見える様になったその姿に、明は反射的に上げそうになった悲鳴を押し殺す為に慌てて自分の口を手で押さえる。
静はそんな明の姿を冷えた頭で認識すると、明には視線を向けずに、ただ良く通る鋭い声を投げた。

「明!怖かったら目を瞑ってろ!すぐに終わらせる」

「こいつ!」

「ふざけやがって!」

どたばたと騒がしい場所でありながら不思議とその声は明の耳に届く。

「静…」

瞼を閉ざしたい気持ちはあったが、明は自分の意志でしっかりと瞼を持ち上げると、目の前の光景をその瞳にうつす。怖くても、逃げたくはなかった。だって、静がそこにいる。怖さよりも今は静のことが心配だった。

「てめぇ、佐久間!話がちげぇじゃねぇか!」

そんな思いで静を見つめる明の近くで、男達の中でも一番偉そうにしていた茶髪の男が岳へと詰め寄って、何事かを叫ぶ。それでも岳は平然とした態度で笑って返す。

「何が?俺はちゃんと言われた通り新見くんを連れて来てあげただろ?」

「じゃぁ、なんでアイツまでいるんだ!!」

茶髪の男は岳を怒鳴り付けながら、男達を殴り飛ばし、時は足蹴にしている静を指さし言う。

「そんなこと俺が知るかよ。お仲間は沢山いるんだから、自分達で何とかしろよ」

そう言って岳は自分へと詰め寄っていた茶髪の男の肩を強く、静に沈められて呻くお仲間達の方へ押しやる。

「てっめぇ!後で覚えてやがれ!」

「べぇー、覚えてるわけないだろ。後なんか無い奴のこと」

しっしっと追い払う仕草をした岳はちらりと己の背後を振り返るとそっと小さく息を吐いて、明に声を掛けた。

「ごめんな、新見くん」

「え…?」

岳のその謝罪の意味を聞く前に、全てを一人で片付けた、冷めた眼差しが最後の一人である岳を捉える。
痛みに呻く男達の間を抜け、ただ一人無傷で歩く静は岳の前でその足を止めると問答無用で岳の胸倉を掴んだ。

「てめぇ、どういうつもりだ。明まで巻き込んで」

「ぐっ…、別に何も…。俺はしてない」

そこでようやく明の方をちらりと見た静は、明の全身へ視線を滑らせその無事な姿を確認すると、直ぐにまた岳へと鋭い視線を戻す。

「よくもそんなことが言えるな。明を連れ出した口で」

ぴりぴりと肌に突き刺さる様な鋭い気配に、さすがに明も口を挟めず、ただ二人のやり取りを息を詰めて見守るしかない。

「それは少し、新見くんと話がしたくて…」

「嘘を吐くなら、もっとましな嘘を吐け」

ぎりぎりと岳の胸倉を掴んだ手に力が籠められる。岳は僅かに身じろぎをすると苦しげに息を漏らす。

「はっ…、嘘じゃない」

「だったら、ここに転がる連中はなんだ?」

「…っ」

「いくらお前が俺を気に入らなくてもな、やって良い事と悪い事があるんだぜ」

覚えておけと言って、静は岳の胸倉から手を離すと、握った右拳で岳の頬を振り払う様に裏拳で打ち払った。

「っ、…う」

「ちょっ、静!?」

吹き飛ばされはしなかったものの、その場でふらついた岳に明は思わずソファから立ち上がって、岳を支えようと手を伸ばす。

「触るな」

こんな奴にと、岳に伸ばしかけた手を静に掴まれる。静は尚も冷めた視線で岳を見ると、困惑を隠しきれない明とは顔も合わせずに、明の手を引いて歩き出す。

「帰るぞ、明」

「でも…」

ちらちらと静に右頬を打たれて俯く岳に明は視線を飛ばす。

「でももクソもねぇ。アイツは自業自得だ」

静は明の言葉にとりあう様子を見せず、出入口に向かって真っすぐ歩く。ときおり、後ろを振り返って見ていた明は、最後に岳が顔を上げて、気にしなくていいと言う様に、明に向かって右手をひらひらと振っていたのを目撃した。

果たして、静が言う様に岳は静が嫌いで、自分まで巻き込んで、こんなことをしたのだろうか。明は岳の言動に少しの疑問を覚えていた。

岳は確かに明を強引に佐久間家から連れ出したが、岳が明に危害を加えることはなかった。むしろ、男達からは守られたような気さえしていた。



明と静の居なくなった廃屋で。岳は建物の外に出ると団地の立ち並ぶ右手側と緑の生い茂る左手側に向かって声を上げる。

「今のが新見 明くんだ。あの静が大事にしてる」

岳の声掛けに、私服姿の青少年がぞろぞろと姿を現す。その数、ざっと二十人程か。

「また何かあったら、静が側にいない時は助けてやってよ。彼は本当に一般人みたいだから」

それからアジトの中に転がってるゴミ共は何処かに捨てて来てと岳は言って、再び廃屋の中へその身を翻す。
その背中へ仲間達から声が掛けられた。

「いいんですか?きっと静さん、また誤解してますよ」

「総長は静さんの大事なもの、守っただけだろ?」

「お前、静さんのこと好きだもんな」

好き勝手に言う仲間達の言葉に岳は何も言い返さず、先ほどまで明が座っていたソファに腰を下ろす。ずきりと痛みを発した右頬を右手で押さえて、微かに口許を緩めた。

「嫌いなわけないじゃん」

それこそ、初めての顔合わせでは殴り合いの喧嘩をしたが。

「俺が一番嫌いなのは父親だ」

岳の母は佐久間家当主の愛人だと周囲は面白おかしく噂をするが、本当は違うのだ。岳の母は、父親に生まれた時からの許嫁がいる事を知らず、また父親はその事実を黙ったまま岳の母と恋人になった。母が全てを知って、身を引く決断をした時にはもうお腹の中には新しい命が宿っていた。

そして、同時に静の母もその事実を知り、一人で岳を産み、育てていく決断をした岳の母を佐久間の家に入るようにと引き留めたのだ。最初は父親共々世間体を気にしてのことかと岳も捻くれてその話を受け止めていたが、静の母は何くれと佐久間家の別邸で過ごす二人に不自由が無い様にとあれこれと手配してくれていた。静の母からすれば岳も岳の母親も邪魔もの以外何者でもないだろうに。静の母は、父親のように上辺だけの言動ではなく、同じ子を持った母親として、心から岳のことはもちろん岳の母のことも受け入れてくれていたのだ。

それならば静の母が身を引けば丸く収まったのではないかと幼心に思ったこともあったが、そこは岳も知らない大企業佐久間家としての話が絡んで複雑らしい。
まぁ、この話は静と岳が顔を合わせてから、岳が自分の母に聞いて知った内容だ。だからとにかく、岳は静の母には感謝している。

逆にありえないのは父親の方である。
父親こそが、世間体を気にして岳の母を佐久間家に受け入れた。

静がどこまでその話を知っているのか岳には分からないが、九琉学園の寮に入ってしまった静はなかなか佐久間の家に帰って来ることがない。
だから、きっと静は自分が思っている事も知らないだろう。

佐久間家の別邸で過ごしていた日々は、佐久間家の人間として認められながらもどこか腫れ物を扱うような扱いをされ、何も知らない周囲からは愛人の息子だ何だと偏見の目で見られることもあった。そんな中で、たびたび顔を合わせれば殴り合いの喧嘩に発展していた静との喧嘩は岳にとっては一種のコミュニケーション手段でもあった。

静も岳も本音でやりあう。
そこに大人達が交わす言葉の様な嘘はなく、飾りもない。
それこそ、他人を越えて本当の兄弟の様に。

「あぁ、そうだ。あれは新見くんのおかげなのかな?」

一つ、聞き忘れていた。

静が染めていた髪を元に戻したのもそうだけど、少し落ち着いた雰囲気を纏うようになった。それこそ岳が家に帰って、一時帰宅していた静と一緒のテーブルについて、ご飯を食べても平気になったわけ。
岳としては家族である静と同じ席につけるようになっただけでも凄い進歩だと、ついぽろりと「変な物でも拾い食いしたのか?」と心配で余計な事を口走って、最終的に睨まれて終わったのだが。

思い出して、痛む頬を押さえたまま笑っていれば仲間達から微妙な視線を投げられる。

「ん、なに?」

「いや、殴られて喜ぶって引くわ、俺」

「総長って実はマゾ?」

思いもよらぬ疑いに、岳は少し考えて、否定は出来ないのかもと内心だけで呟く。

だって、よく考えれば殴られるってことは静が俺を俺と認識して殴って来るってことだろ。つまり、静が俺の相手をしてくれているということだ。どこかの世間体しか気にしない人間とは大違いだ。静は、自分で言うのもなんだけど、捻くれてて可愛げもない上に突っかかってくる面倒臭い俺の事を、それでも見放さずに相手をしてくれるいい奴だ。

とはいえ、人の感じ方、受け取り方は千差万別。
静が何を思っているか、岳が何を思っているのか。正面からぶつかっても、言葉が足りなくては擦れ違いも生じていく。お互い言葉に出しても、正確にその言葉が伝わらないうちはどうにもならないことであった。



静に手を引かれて、岳と通った道を戻る。明はそっと前を行く静の背中を見ておずおずと口を開いた。

「お、怒ってるのか?」

「何で?」

「俺が付いて行ったから」

ぴたりと道路を歩いていた静の足が止まる。自然と手を引かれたまま歩いていた明の歩みもまた同じ様に止まった。

「お前、自分からついて行ったわけじゃないだろ?」

「そうだけど」

「それなら怒るわけないだろ」

「っ、じゃぁ何で?何で、静はこっちを見てくれないんだよ?」

静は明の無事な姿を確認して以降、それも僅かな時間で、明とは顔も合わせてくれない。それが明の心に引っかかっていた。

「なぁ、静…」

「――怖かったろ?」

明の呼ぶ声に言葉が被せられる。はたと途中で言葉を切った明は静から告げられる、続く言葉を待つ。

「お前は荒っぽい事が嫌いだからな」

「……」

「なるべく見せないようにしてきたんだが。今日のは失敗した」

失敗?何がと明は思う。静は何も失敗などしていない。
俺を助けに来てくれたじゃないか。
明はそう思った瞬間、静に掴まれていた手をぎゅっと強く握り返し、声を上げていた。

「なに言ってるんだよ!失敗とか…!そんな風に言うなよ!」

「明?」

明からの思わぬ強い反発の言葉に、静は思わず背後を振り返る。明を見れば、明は真っ直ぐに静を見つめ返し、凛とした眼差しで言う。

「そんなこと言うなら、俺が自力で岳を振り払えなかったから。静を危ない目に合わせた。ごめん」

「は…?」

静には上手く明の言葉が呑み込めなかった。それは静自身が、明いわくの危ない目にあったという認識がなかったからだ。あの程度の連中など、静にとってはどうということのない相手であった。実際に静一人で全てを返り討ちにしてきたし。だが、明から見るとどうやら話は違うらしい。

「でも、ありがとう。静が来てくれて安心した」

「……そうか」

いまいち反応の鈍い静に明が眉を寄せる。

「静?大丈夫なのか?本当は怪我とか…」

「してない。お前の方こそ本当に…」

怖くなかったのかと聞こうとして、静はその怖いという中に自分の事が含まれていたらと思って口ごもる。
その時になって、ようやく明も静が気にしている、言いたい事に気付いて眉を下げた。

「その、正直喧嘩は怖かったけど、静の方が心配で。途中から目が離せなかったというか、なんというか…」

その圧倒的な強さに目を奪われていた。静って格好良い上に、喧嘩も強いんだな。

その姿を思い返してじょじょに顔を赤くしていく明に静は瞳を細めると、繋いだ手とは逆の手で明の頭をぽんぽんと優しく軽く叩く。

「別に無理しなくていい」

「無理とかじゃなくて…」

「お前を二度と同じ目には合わせない」

真剣な眼差しを前に、明の言葉は封じられる。
帰るぞと再び手を引かれ、今度は横に並んで歩き出す。

「あ、…そういえば、静。さっきの人達のことだけど」

明も知っている名前が出て来た。赤池とは九琉学園2年E組のリーダー的存在の事ではないのか。

「気にするなと言ってもお前は納得しないか」

不安そうに表情を曇らせて静を見る明に静は上手い言葉を探す。

「まぁ、そうだな。赤池側は俺が叩き潰すとして、その他の連中は黒月が良いように使うだろ」

それで、お互いめでたしめでたしだと静は軽い口調で言う。

「なんだよそれ。もっと分かる様に言ってくれよ」

「んー、どうするかな」

「静!俺は真面目に!」

静との会話に気をとられていた明は静と手を繋いだままだという事を忘れている。そうしてそのまま、佐久間家まで仲良く静と手を繋いだまま明は歩き続ける。そこに多少、間近で目にした暴力的な光景が怖かったという気持ちも含まれていたかもしれないが、明の右手を包み込む様に繋がれた静の手は終始温かく優しかった。



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