58
暑い陽射しから逃れる様に建物の影が伸びる路地裏を進む。人通りは多少あるが、みな暑さを逃れる為かその足通りは速く、誰もが周囲には無関心だ。それを好ましく思っていた背中へ、突然、通り過ぎた建物の角から声を投げられる。
「お前が佐久間 岳だな?」
聞き覚えの無い声。しかし、その声の主は自分の事をフルネームで、断定に近い声音で呼んだ。鼻歌でも歌い出しそうなぐらい気分の良かった岳はその呼びかけに、すっと表情を無にすると、一瞬でにこやかな笑みを顔に貼り付けて背後を振り返った。
「俺、見知らぬ人間に呼び捨てにされる覚えはないんだけど。アンタ、誰?」
岳の視線の先には同年代の男が一人。ちらりと振り返りついでに周囲に流した視線の中に、目の前の男の仲間らしき連中が一人、二人、三人…。岳達からは離れた位置に、岳を囲むように立っていた。
「はっ、さすが同じ佐久間。言葉遣いがなってねぇな」
「はぁ?」
同じ佐久間とは、誰を指して言っているのか。同年代の男の口から発せられた事を考えると思い浮かぶのは一人しかいないが。一体、自分に何の用か。岳と静は家こそ同じだが、同じ学校に通っているわけではないし、唯一静と共通の友人ともいえるチームの人間でもなさそうだ。
岳は冷静に相手の出方を待つ。
「お前、佐久間家の妾の子だろ?中学位まで佐久間家の外に出してもらえなかったんだって?」
「…それがなにさ」
目の前の男は随分と佐久間家の事を調べているようだ。とはいえ、それは世間一般に広まっている話に過ぎない。岳はにこやかな表情を崩さぬまま話の続きを聞いてやる。
「それもこれも全て佐久間家の、いや…佐久間 静のせいだと思わねぇか?」
「……たしかに、アイツのせいで俺は別邸暮らしをしてきた」
この男は佐久間家と言ったが、それはカモフラージュだろう。こいつが言いたいのは静のことか。瞬時に思考を巡らせた岳は男が欲しそうな言葉を返す。
すると目の前の男はそうだろうと、我が意を得たりとしたり顔で岳に本題を告げた。
「だったらその恨みを晴らしたいと思わねぇか?」
「へぇ…面白そうな話だな。詳しく聞きたいが、その前に名乗れよ」
ひやりと一瞬鋭く走った視線に男の周囲に散っていた仲間達は気圧された様に身体を震わせる。しかし、目の前の男だけがそれに気づかず堂々と言った。
「赤池だ。今のは見逃してやるが、口の聞き方には気を付けろ」
「はい、はい」
分かりましたと、へらりと笑って岳は赤池と名乗った男について行く。
その際、この後で立ち寄るつもりだった友人達のもとへメールで連絡を入れ、今日の予定は変更となった。
その路地裏の様子を建物の中から見下ろす一つの影。
「お前の言う通り動いた。どうする?」
影は耳に添えた携帯電話で誰かへと連絡を入れる。
「あぁ、分かった。今のうちに白黒はっきりさせておこう」
お前に付くのか、それとも赤池に付くのか。
この夏休みがE組と呼ばれる面々にとっても分岐点となるだろう。
「言わなくても分かってると思うが、俺はもちろん、お前に付くぜ」
結果がどうなろうと、既に賽は投げられた。
俺達はただ自分達にとっての最良を目指して動くのみ。
赤池 由伸(よしのぶ)、ある種のカリスマ性とその武威によりE組のリーダーと目され、クラスメイト達からもリーダーとして祭り上げられている男だ。しかし、E組の内情に詳しい者からすればそれは表向きの話であると言う。E組にはもう一人、京極 雄吾(ゆうご)という赤池を祭り上げるクラスメイト達からも密かに一目置かれている男がいる。この男は基本的に寡黙で静か、喧騒を嫌う傾向にあり、常に人を侍らせて騒がしい赤池とは対照的と言っても過言ではない。その態度を生意気と捉えた赤池にちょっかいを掛けられたこともあるが、それすらも相手にしたことは無い。
『男のくせに逃げるのか?』
相手にされなかった赤池が投げた挑発の言葉にも京極は動じなかった。涼やかな双眸が血気に逸る勝ち気な眼差しを射ぬく。
『時代錯誤も甚だしいな。お前の相手をして俺に何のメリットがある?』
何故なら、結果は分かりきっていたのだ。京極が手を上げれば、赤池など瞬殺できる。それぐらい二人の間には差があった。京極は生家の生業故に幼き頃から護身術や格闘技といわれる各種武術をその身につけていた。そして、その力をむやみやたらに披露する事もその出自故に控えていた。
『赤池。そこまでにしとけよ。こいつの家がどこだか忘れたわけじゃないだろ?』
そう言って二人の間に割って入ったのは、京極と共にいることが多い佐京 庵(さきょう いおり)だ。
そう、京極がE組に在籍している理由。それは京極の成績不振や素行不良から来るものではない。ただ一点、彼の生家が反社会的勢力、京極家だからという理由である。
元から赤池のような良家の子息が不良を気取っている位の強さでは到底叶わない地力の差が二人の間には横たわっていたのである。
それきり赤池は京極に突っかかって来ることはなく、大人しくしているかと思っていたが。
ここに来て、赤池はE組を巻き込んでひと騒動起こそうとしている。
「奴がここまで馬鹿だとは思わなかったぜ。佐久間、ひいては神城を敵に回してタダで済むと本当に思ってるのか?」
通話を切った佐京はポツリと呟く。
夏休み前の、生徒会長神城による親衛隊粛清の裁きを見ていなかったのか。
「あーやだやだ。やるならもっと上手く立ち回れよな」
まぁ何はともあれ、まずは降りかかる火の粉を最小限に留めるしかない。その為に佐京は足を動かす。
「我が主もとんだ災難に巻き込まれたもんだな」
でも、きっと京極のことだ、巻き込まれただけで終わる気もないだろう。それはそれで楽しみではあるが。
「せっかくの夏休みが。忙しくなるな」
佐京は代々京極家に仕える家の出身であった。
裏で蠢く者達に気付くことなく、佐久間家の食堂で昼食を食べた明はその後静に屋敷の中を案内され、今はその中でも驚くほど大きな部屋の中で足を止めていた。
「図書館…?」
壁一面を埋め尽くす程の蔵書。背の高い本棚が並び、一部は可動式の本棚になっているらしく、棚の横にハンドルが付いていた。天井も高く、本棚に沿う様に螺旋階段が上階へと伸びている。そのスケールの大きさに目を丸くしている明の背中をそっと押し、静は明が図書館と言った部屋の中を進む。
「まぁ、その認識で間違ってはないな」
部屋の奥へと明を促した静は本棚の間を進むと、その一角に設けられていた読書スペース、長椅子と机が設置され、明り取り用の小窓がある場所へ明を案内した。
「うわぁ、凄いな」
きょろきょろと落ち着かない様子で首を巡らす明に静は頬を緩めて言う。
「この家の中じゃ、断トツで俺のお気に入りの場所でもあるな」
「へぇ…、そうなんだ」
「気になる本があれば持っていっても良いぜ」
静は明に自由に見て良いと言って、自分は椅子へと腰を下ろす。明は好奇心に駆られて、直ぐ近くにある本棚の前に足を向けるとその蔵書のタイトルへ目を滑らせ静へと声をかける。
「静は此処にある本、全部知ってるのか?」
「まさか。それは無い。ただ、興味のあるもんだけな」
明は小難しそうなタイトルから目を離し、そうだよなと隣の棚へ目を向ける。
「あ、これは絵本?」
「確かそいつは数点しか出回ってない絵本だって聞いたな」
「えっ!?凄い貴重なものじゃん!」
手にしようと伸ばした手を慌てて引っ込めた明に静は笑い声を零す。
「そんなビビらなくても大丈夫だって」
「そうはいっても、数点しかないものだろ?」
汚したりしたら困るだろと明は静との感覚の違いに戸惑いつつも、笑う静に怒ったように言う。とはいえ、明が一番動揺したのは静が柔らかく笑ったせいだ。そんなちょっとの変化に明の胸はどきどきと鼓動する。
「もう…、静のお気に入りの本とかないの?」
話を変えようと明は本棚の前から離れ、椅子に座ってこちらを眺めていた静のもとに近付く。
「俺のお気に入りか…」
すると今度は静が椅子から立ち上がり、明が眺めていた本棚とは別の棚の前に立つ。壁に設えられた棚には大ぶりの、大判と呼ばれる書架が詰め込まれていた。静はその中から数冊引き抜くと纏めて明の元へ運んでくる。
「お前も座れよ」
机の上に本を下ろして、静は明に椅子をすすめる。
じゃぁとおずおずと長椅子に腰を下ろした明の隣に静も腰を落ち着ける。
びくりと過剰に反応を示した明に気付き、無意識の行動だった静も自分の隣に明がいる現実を意識したが、あえて何も言わずに話を続けた。
「俺が気にいってんのはこの写真だな」
「春夏秋冬…って、これ確か学園の図書室にもあった…?」
明が静に風紀副委員長に指名された後、いつだったか神城に頼まれて図書室まで静を捜しに行ったことがある。その時、静が図書室で見ていた本がこの写真集であった。
「そう、同じものだ。全部で四冊。他にもこの写真家の本はあるけどな」
そう言って静が分厚い表紙を捲る。すると、自然の色彩が豊かな写真が目に飛び込んでくる。
春の桜色。緑の息吹。美しい水流に柔らかな陽光。優しくて温かな生命の輝きがそこには収められていた。
「綺麗だな…」
「だろう?」
写真集を眺めて感嘆の吐息を漏らした明に静もそうだろうと素直に心からの言葉を落とす。一枚一枚ゆっくりとページを捲っていけば、明も静が初めてこの写真集と出会った時の様に、その写真が生み出す世界に引き込まれていく様であった。
「……」
自分の好きなものに共感して貰えることは誰だって嬉しいものだ。
もとより感情表現も豊かな明はその一枚一枚に瞳を輝かせたり、柔和で優しい穏やかな笑みを零す。その横顔をしばし黙って眺めていた静は、すっと表情を真面目なものに変化させると静かに椅子から立ち上がった。
「少し席を外す。お前はそれを見ててくれ」
「え?うん」
声を掛けられて写真集から視線を上げた明はそこにあった静かな眼差しに少しばかり戸惑う。ただ言われた言葉に頷き返せば、明の戸惑いを感じとったのか静が苦笑を浮かべた。
「すぐに戻って来る。良い子にしてろよ」
「バカにしてるのか?」
「そんなことないさ」
むっとした顔の明に静は肩を竦めて、その調子で待っててくれと言って部屋を出て行く。
「何なんだいったい?」
今のはと、明は静から感じた一瞬の違和感に首を傾げる。なんだか張り詰めた様な空気を感じた気がするのだが。しかし、考えた所で自分に分かる事もない。明はとりあえず、静に言われた通りに大人しく写真集へと視線を戻して、静が戻って来るのを待つことにする。
春の次は夏の写真集だ。透き通った海の青色が綺麗で、どこまでも続く地平線が眩しい。
ぱらりと紙を捲る音が静かな部屋に落ちる。
切り取られた風景は夏から秋へ。秋から冬へ―。
静寂に包まれた白銀の世界。その凍える様な美しい世界に心を傾けていた明は、カシャッと響いた軽快な音に写真集の世界から意識を引き戻される。
「なに…?」
明の鼓膜を揺らした音の発生源を探して、写真集から顔を上げれば、部屋の出入口にカメラを手にした静が立っていた。
「静?」
カメラのレンズは明に向けられており、静は掛けていた伊達眼鏡を外している。
カシャッと鳴ったのはカメラのシャッター音らしい。
「ちょっと、何してるんだよ静!」
気付かぬうちに写真を撮られていたことに、抗議する様に明は慌てて椅子から立ち上がる。
「んー、お前を撮ってる」
席を外して何処へ行っていたのかと思えば、静はどうやらその手にしているカメラを取りに行っていたらしい。悪びれた様子もなく、そう言いながら明の元へ近付いて来る静に向かって明は言葉を続ける。
「それは見れば分かるけど、そうじゃなくて。何で俺を撮るんだよ」
「そりゃ、俺が撮りたいと思ったから」
俺の趣味みたいなものだと静は軽口を叩きつつ、伊達眼鏡で隠すことなく露わになった眼差しを明に向ける。
「っ、今度はなに?」
どきりと跳ねた鼓動を落ち着かせる様に明は己の胸元を右手で押さえる。僅かに上擦った声で静に聞き返した。
真っ直ぐにぶつかる視線。
じわりと分かりやすく耳朶を赤く染めた明に、静はその眼差しに込められた好意を心地好く受け止め、頬を緩める。自然と弧を描いた唇で、カメラと一緒に自室から持ち出した一枚の写真を明の目の前に差し出して告げる。
「処分し忘れてたものだ。これと交換でお前の写真を撮らせてもらうぞ」
目の前に差し出された写真を目にして、明が大きく目を見開く。
「あぁっ!これ!!」
大きく声を上げ、静の手からぱっと奪う様に写真を手に取る。明はまじまじとその写真を見つめてぽつりと零した。
「やっぱり、あの時の…」
その写真には私服姿の少年が三人。パーティーでもしているのか、飾りつけのされた会場で飲み物を手にした人が写っていた。そして、その三人の中に、明るめの金髪に焦げ茶色の瞳、不機嫌そうな顔をしているが、まだ少しあどけなさが残る佐久間 静の姿が写っていた。それこそ明が中等部時代に見た静の姿であった。
驚きこそあれ、嫌悪感はまるで感じない。そんな明の反応に静はようやく笑って言葉を紡ぐ。
「謎は解けたか、明?」
静と明の初対面は中等部の時。不良に絡まれていた明を静が気まぐれで助けた。
ちらちらと写真と静を交互に見て、明が余計な一言をぽつりと漏らす。
「写真の方がちょっと可愛い…?」
「何だって?」
「だって、今の静は可愛いって言うより、格好良すぎるから…」
言ってて途中で明は自分の発言の恥ずかしさに気付いたのだろう、ゆっくり静から顔をそらすと言葉尻を詰まらせた。逆に気を良くしたのは静の方だ。
「ほぅ、嬉しい事を言ってくれるな」
明と、名前を呼ばれる。しかし、顔まで真っ赤にした明は静から顔をそらしたまま、静の方を向こうともしない。
「しかたがないな」
ため息と共に吐かれた言葉に、何が仕方ないのかと、ちらっと視線だけで静の方を確認した明はその場で静がカメラを構えていることに気付いてぎょっとする。
「何をまた撮ろうとしてるんだよ!」
赤い顔のまま、静の行動を止めようと振り向いた明に向かってカメラのシャッターが切られる。
「昔の写真はほとんど捨てたからな。空いてる所に今、大事にしてるものを収めておきたい」
「うっ…。何も俺じゃなくても…」
大事にしてるものって、その言い方は卑怯じゃないか。強く拒否出来なくなった明に静はそのことを分かった上で更に言葉を重ねる。
「まぁ、たんに俺がお前の写真が欲しいってのもあるか」
「〜っ、静!」
「ん?なんだ?」
「…もう少し、手加減してく…れ」
こっちは慣れていないんだと。畳みかける様に告げられる好意に明はいっぱいいっぱいだった。
きっと静を睨み付けるように向けられた眼差しは恥ずかしさからか、薄く膜が張っている。耳まで真っ赤にした明は隠されることの無い想いに鼓動をはやらせ、何とか見慣れない裸眼姿の静と視線を合わせ、囁くように言う。
完全に静を意識しているその姿に静も思わず声を漏らす。
「可愛すぎるだろお前」
手にしていたカメラを側にある机の上に置いて、明へと手を伸ばした自分は悪くないと静は頭の片隅で思う。
「わっ、静!?」
怖がらせないようにゆるく明の背中と腰に腕を回し、己の腕の中に明を囲うと静は明の耳元に唇を近づけて、なるべく優しく聞こえる様に囁く。
「少しだけ。怖い事はしない。手加減もする」
耳を擽る吐息に明は反射的に己を囲う静のシャツを掴み、一瞬固まりそうになった頭をぐるぐると動かし、静を見上げる。
「本当に?」
言っている事とやっている事が違うんじゃないかと、僅かにずれた会話に静は気付きつつも、大丈夫だと頷き返した。そして、静は明の背中に添えていた右手を持ち上げると、その手で明の左頬に触れ、僅かに明の顔を持ち上げた。
「え…」
大きく見開いた明の瞳に、隠しきれない熱を宿した静の顔が写る。
唇を重ねる瞬間、静はもう一度、明に伝わる様に低い声で囁いた。
「大丈夫」
「ん…」
柔らかな感触の後、優しく愛撫する様に数回、唇は明の唇に触れては離れる。
ゆっくりと優しく触れる唇に硬くなっていた明の身体から力が抜けて行く。恥ずかしさからか、目をつぶった明に静は繰り返していたバードキスから、明の反応を見る様に少しだけ口付けを深めた。
「ん、っ…」
緩く解けた唇を舌先でノックし、そっと探る様に口内に舌先を潜り込ませる。
ぴくりと肩を震わせ、薄く目を開いた明に静は一度唇を離して、まだ吐息のかかる距離で囁くように言う。
「嫌か?」
「……ううん」
そうじゃない。明は何と言えば良いのか分からないまま、ただ首を横に振る。
「そうか」
「うん…」
ただ静の気遣いを感じて、今日は恥ずかしさよりも、擽ったい。心が温かい。
ふっと自然に交わった視線に、明は再び瞼を下ろす。静も解いた唇を塞ぐように再び優しい口付けを再開させた。
「…ん、…ぁ」
口内に侵入した舌先が、無防備になっていた明の舌に絡みつく。ぬるりと自分とは違う温度を持った生き物に絡みつかれ、ゆるゆると愛撫するように扱われる。ぞわりと今まで感じた事の無い、奇妙な熱が明の思考を乱し、まっさらだった明にその行為を覚えさせていく。
「は…っ、ぁ…」
歯列をなぞられ、上顎を擽られる。
くちゅりと交わる水音に、舌先が擦れ合う熱が気持ち良い。優しく丁寧に、それでいて明の口内全てを征服する様に蠢く舌が、明の口内を甘く痺れさせる。絡みつく熱に頭がぼぅっとしてくる。
「ん…、ぁ、…せ…いっ」
甘く下唇を噛まれて、ぞくりと背筋を駆け上ってきた重たい熱に明は身を震わせる。
「…は…っ、ぁ…ン」
明が息継ぎをしやすい様に時折作ってやった唇の隙間から、明の吐息と共に二人の間で交わった唾液が明の唇を伝って落ちる。もぞりと身体を動かして、息継ぎの合間に静を呼ぶ明に、静は名残惜しさを感じながらも、何とか自制をきかせて唇を離す。
「は…っ……」
これ以上は自分も、明にも酷だろう。何の準備も無い部屋で、しかも自分は明に手加減すると約束したのだ。
自身と明を落ち着かせる為に、最後にバードキスを繰り返して、静は明を己の腕の中から解放する。しかし、明は赤い顔のまま、吐息を乱して腰を落としそうになったので、静は慌てて近くの椅子に明を座らせた。
「少し休め」
静が言えることはとりあえず、今はそれだけであった。
甘い痺れの残る唇に、意識がふわふわとする。椅子に腰かけた明はしばらくその場から動けなかった。その間に静が開きっぱなしにしていた写真集を片付けてくれる。
「はぁ…」
「明」
「っ!!」
名前を呼ばれただけで肩を跳ねさせた明に静はからかいの言葉を投げるでもなく、静かな声を掛ける。
「少しは落ち着いたか?」
「うっ、うん」
ぶり返しそうになる熱やその他諸々の事を何とか意識の外に追いやって明は何とか返事を返す。
「それじゃ、一度部屋に戻るか」
屋敷の外の案内は明日にして、疲れたろうと静は明を気遣ってか、そんな提案をしてくれた。主に明が疲れたのは静のせいでもあるのだが。明はそんな静の気遣いに気付いて心を温かくさせる。
「俺の部屋の隣にお前用の客室を用意してある」
夕飯までその部屋でゆっくりしていると良い。風呂とかも、部屋に備え付けのものがあるから、自由に使うと良い。
静の部屋まで戻り、そう説明を受けながら明は隣の部屋の鍵だという、アンティークにありそうな感じのお洒落な鍵を静から手渡される。
「夕飯までって、静は?」
「俺はこの写真を現像してくる」
「出かけるのか?」
手に持ったカメラを指して言う静に明は首を傾げる。静がわざと自分の為に時間を作ってくれているんじゃないかと思ったからだ。
「いや、すぐそこの部屋にいる」
しかし、静は明の考えを否定する様に、同じ並びに見える部屋の扉を指すとそう言って返した。
「えっ、自分でやるのか?」
「まぁな。それも楽しみの一つだ」
そこまで自分でやると思わなかった明は驚く。
でも、それなら…。
「俺も見てみたいな」
静の見ている世界。景色。それがどんなものなのか。
明も自ら静に歩み寄って行く。
「邪魔じゃなければ、だけど…」
「明」
一方通行じゃない。確かに通じた道に、二人は想いを重ねていく。
静は明の手を引くと、ゆるりと笑みを零して、現像室となっている部屋に明を連れて行った。
そうして、お互いの知らなかった面を発見しつつ、静と明は徐々にだが確実に距離を縮めていく。最初は緊張していた明も数日静と過ごす内に肩の力を抜いて、静の隣でいつも通りの笑顔を零す様になっていた。また、明のペースに合わせてか、時折、静が明に触れてくるようになった。とはいえ、その内容はキス止まりだが。どきどきさせられることはあっても、強引な事は何もなかったので明はその事については恥ずかしがっても嫌がる事は無かった。
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