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「で、その新見くんは何しに来たの?」

「え?」

ことさら不思議そうに首を傾げた岳に問われ、明は一瞬言葉を探すように戸惑う。
目の前の男と静の関係がいまいち分からない明は普通に遊びに来たと答えて良いものかと今度は静の態度を考えて間が開く。自己紹介ならば、自分だけの事で済むが。
迷った空白を潰すように静が言葉を滑り込ませる。

「お前には関係無い。用が済んだならさっさと行けよ」

邪険にしている事をまったく隠さず静が言えば、岳と名乗った相手はそんな静の態度にも慣れっこなのか、明から視線を外すと冷たいなーと本気か冗談か分からない調子で呟いて肩を竦める。

「あ、そだ。静。母さんが静に避けられてるんじゃ無いかって不安になってたから、時間があったら顔だけ見せてやってよ」

そんな事は無いって一応言っておいたけど、帰省してからまだ顔も出してないんだって?と岳は付け足す様に言った。

「……考えておく」

岳に対する静の返答はどこか慎重さを窺わせる反応であり、明はそんな静らしくないその態度が気になった。
そこには間違いなく自分の知らない静がいて、何かがあった。

「じゃ、またね。新見くんも」

二人のやりとりを黙って眺めていた明は、岳が階段を駆け下りて行く直前に言葉と共に投げてきたにこやかな眼差しに更に謎を深める。

俺だったら、こんなあからさまに静に追い払われたら落ち込むところだ。それを岳は平然と、当たり前のように受け止めた上で笑う。

あっという間に玄関を出て行った岳の背中を眺めていれば、意識を引き戻す様に静が明の腕を掴んでくる。

「アイツの事は気にするな。お前には関係ない事だ」

「俺には……。じゃぁ静には?」

確かに岳と明は今のが初対面であり、今後も明には関わりの無い人間であるかも知れない。だが、静と同じく佐久間の姓を名乗った岳は静と無関係では無いはずだ。

何処か心配するように向けられた眼差しに、静はだから奴には会わせたくなかったのだと厄介な奴呼ばわりした実感を抱くとと共に明の優しさというお人好し具合に息を吐く。

「とにかく、此処でする話じゃない。俺の部屋に行くぞ」

「あ、…ごめん」

言われて、まだ玄関を上がって、階段を登っている途中だと気付く。
確かにこんな場所で落ち着いてする会話ではない。
明は静に腕を掴まれたまま、階段を昇りきると赤い絨毯の続く廊下を着いて行った。

静の居室に辿り着くまでに、何部屋か左右にあった扉の前を通り過ぎる。廊下の途中には絵画がかけられていたり、大きく切り取られた窓には可愛らしいレースカーテン。明るい陽射しが柔らかく廊下に射し込んでいた。

やがて正面に大きな窓が見えてきて、そろそろ行き止まりかと思われた角部屋の前で静が足を止める。ズボンのポケットの中から取り出した鍵で部屋の扉が開けられた。

「…お邪魔します」

静に荷物を持たれ、手を取られたまま明は静の後に続いて部屋の中へと足を踏み入れる。

「靴はここで脱いでくれ」

「あ、うん」

部屋を入ってようやく手を離され、明はその場で靴を脱いだ。

そっと好奇心に駆られて見回した静の自室は何と言うか…寮で見た静の部屋とそう変わらず、物が雑然と置かれている印象だった。広い部屋の中央に置かれたテーブルには雑誌や本が積まれ、ソファにはブランケットが丸めて置かれているし。大きな窓には薄青色のカーテンが引かれ、書棚には詰め込まれた本が。別の棚にはCDが、更にその棚の上にはCDコンポが乗っている。
部屋の奥に一枚見える扉が寝室へと繋がっているのか、視界に映る範囲の中には寝具等は見当たらなかった。

「適当に座ってろ」

言いながら明の荷物をソファに下ろした静が部屋に備え付けられている温冷庫の前でしゃがむ。
その背中を見つめつつ明は荷物の置かれたソファへと恐る恐る腰を下ろした。ちらりとソファの端に丸めて置かれたブランケットに目を移し、「まさか、ソファで寝てるわけじゃないよな?」と、寮と同じ生活感を感じてやや気の緩んだ明は余計な疑問を抱いた。

「ほら」

その視線を遮るようにペットボトルが差し出され、明は反射で受け取る。中身は麦茶だろうか。

「…ありがと」

同じ物を手にした静が隣に腰を下ろすのを何も思わず眺めてから、不意に肌に感じた体温にとくりと鼓動が跳ねた。

「っなんで、隣に座るんだよ!」

「あ…?あー…無意識だったわ」

明の隣に平然と座った静は明に指摘されてから、ぱちりと本当に驚いた顔をして言う。だが、静は明の動揺に構うことなく、持ってきたペットボトルをテーブルの上に置くと、掛けていた伊達眼鏡も引き抜き、軽くふぅっと息を吐いて隣の明に視線を合わせた。

「明」

「だ、だからって、俺はもう誤魔化されたりしないからな」

じっと青みがかった鋭く切れ長で神秘的な裸眼を晒して顔を寄せてきた静に、明はどきどきと鼓動を早めて顔を赤くしつつも、近付く距離の間に慌てて言葉を挟む。
このままでは先程の話を有耶無耶に終らせられる気がした。

「…順番が狂ったな」

真実、その通りだったのか静の口から溜め息が落とされ、身を引いた静が伊達眼鏡をテーブルの上に置く。

「順番?」

「こっちの話だ。それより、明。…その前に一つ約束しろ」

「なに?」

向けられた視線はいつになく真剣だった。

「アイツには絶対に近付くな。それを約束出来るなら教えてやる」

そんなに重要な話なのだろうか。
これは部外者である俺が気軽に聞いてもいい話じゃなかったのかも知れない。
いつもの硝子越しじゃない静の眼差しにも気圧されて明は言葉に詰まる。
直ぐにその様子に気付いた静は微かに視線を和らげると、誤解するなよと言葉を補足した。

「どうせお前には話す事ではあったんだ。…俺の事を知りたいんだろう?」

「それは…そうだけど」

ちらちらと見え隠れする静の過去に釣られて来たといえば嘘じゃない。

「それなら簡単な事だろう?一つ、俺と約束をすれば良い」

もとよりアイツは九琉学園の人間でもない。
最もな正論を並べる静に明の中にあった知りたいという心の天秤がぐらぐらと揺れる。

「ぐっ…卑怯だぞ、静」

「何とでも。これが俺のやり方だからな。さぁ、選んでくれ明」

選んでくれと言いながら、明の前には最初から選択肢など存在していなかった。

「…分かった。…約束するよ」

「よし、言ったな。もし破ったらお仕置きな」

「えっ、な、何でそうなるんだよ!」

「おや、何を想像したのかなぁ?顔が赤いぞ、明くん」

カッと頬を赤く染めた明に静はにやりと笑って、その熱くなった頬に手を伸ばす。
するりと撫でる様に頬に触られて明は大袈裟なほど肩を跳ねさせた。

「っ、…!」

「前にも同じ様な反応してくれたけど、明くんはいったい何を想像したのやら。是非とも聞いてみてぇな」

「…っ、バカ静!」

「馬鹿とは酷い言われようだ。単純な好奇心なのに」

少し前までの張り詰めかけていた空気が嘘の様に霧散する。
静の手から逃れるようにソファの上で後ずさった明はソファの端で身を固め、それでも精一杯静を睨み付けた。

「分かった、分かった。もう聞かねぇから戻って来い。ソファから落ちるぞ」

「うっ……誰のせいで。…結局何だったんだよ?」

よく分からない約束までさせられたんだ。
話はきちんと最後まで聞かせてもらわなきゃ、何だか損をしそうだと。明は忙しなく脈打つ己の鼓動を宥めるように服の上から手で押さえ、少しだけ元の位置に戻る。
そして、両手を降参の形に持ち上げた静は言い渋った時とは正反対に今度は明の質問にさらりと答えた。

「アイツは、佐久間 岳は一応俺の兄弟だ」

「兄弟!?」

「とはいえ血は半分しか繋がってない。母親が違うからな」

「え…っ」

驚いたと思えば、次には顔色を青くする。忙しい明の表情の変化に静は苦笑を浮かべつつ、自分と岳との関係性を口にした。

「いわゆる異母兄弟って奴だ」

「あ…ごめん」

「何でお前が謝るんだ。俺はアイツにこそ謝って欲しいぜ」

けろりと飄々とした雰囲気を取り戻した静が、また空気が重くならないように意識して軽口を叩く。

「やっとお前が家に来たっていうのに、お前はアイツの事を気にかけるんだからな。これじゃ寮にいた時とあんまり変わらねぇし、…気を散らしすぎだ」

「そんなこと、気にかけてなんか。俺はただ静の事が気になって。その……仲悪いのか?」

「考えた事もない」

窺うように向けられた眼差しに静は即答で返し、きっぱりと告げられた言葉に明の方が戸惑った。

「考えた事もないって、そんなに…?」

「………手が出なくなっただけ進歩したとは思うが」

ぽろりと独り言を呟く様に落とされた台詞に明はぎょっとする。

「かといって、会話が成立してるのかも微妙な所か」

なおも静の独白は続いた。



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