期限付きの恋

アナザーストーリー(鏡 藍人×城戸[黒月]竜哉)



はらはらと舞う薄紅色の花弁。
瞼を閉じれば思い出す。
…桜は別れと出会いを連れて来た。

今しがた終わった式に、卒業証書を手にしたまま屋上への階段を昇る。
カードキーで鍵を外し、押し開けた扉の向こうに側には清々しい程の青空が広がっていた。

風に運ばれてきた桜の花弁が足元に落ちる。
ここは九琉学園高等部。
小・中・高とエスカレーター式の一貫教育をしている全寮制の男子校だ。

「早いものだな…」

眼下で繰り広げられている卒業生と在校生の別れの会に苦笑を溢しながら遠くを見つめるように瞳を細めた。
フェンスの前に立ち、これまでの学園生活を思い出していると背後でキィと静かに扉の開く音がした。
屋上へと立ち入れるのは限られた人間だけ。

コツコツと近付いてきた足音は背後で止まり、次の瞬間にはこの身は温かなぬくもりに抱き締められていた。

「竜哉…」

悪戯に耳を擽る吐息に黒月 竜哉は小さく相手の名を呼んだ。

「藍人」

鏡 藍人。彼も竜哉と同じく今日晴れて卒業を迎えた。
竜哉は抱き締めてくる藍人にその身を預け、眼前に広がる果てない空を見つめて口を開く。

「今日で終わりだな」

「…あぁ」

俺達もと声には出さず告げられた台詞に、竜哉の体に回していた藍人の腕に力が籠る。

「毎日が楽しかった」

「そうだな。忙しかったけど毎日馬鹿みたいに皆で騒いで楽しかったな」

「…俺は後悔はしない。この先もするつもりはない」

けど、と言葉が続けられる前に竜哉の体は藍人の腕の中で反転させられる。

「藍…っン…!?」

そして性急に唇を重ねられた。
何度も何度も、その先の言葉を紡げないように。

「ン…ふ…ッ…」

吐息すら奪われて、竜哉が膝から崩れ落ちそうになると藍人の腕が腰に回され抱き締められた。

「はっ…、竜哉…」

「ンッ…藍…、なにす…」

「それ以上言うな。離せなくなる」

これはリミット付の恋。
どんなにお互いが想い合っていても二人はまだ未成年で、学生で、何の力も持たない。ここが特殊な環境だから認められているだけの恋。
卒業すれば道は別れ、更にその先のことなど誰にも分からない。
だから恋を始める前にリミットを付けた。卒業までの。

視界の端で桜の花弁が舞う。

竜哉は藍人と視線を絡めたまま瞳を細め柔らかく笑った。

「藍人…俺はお前が好きだった」

過去形で告げられた想いに、藍人が返せる言葉も決められてしまう。

「俺も…お前が好きだったぜ竜哉」

最後に優しい口付けを交わして二人はその日九琉学園を卒業した。

九琉学園卒業後は別々の大学に進み、あの日以降、二人は一度も連絡を取ることも顔を合わせることもなく時は流れた。
その間、誰とも付き合わなかったかと言うとそうでもない。
男女共学の大学では共に女性にモテた。
友人の付き合いやサークルで飲み会や合コンといったものにも普通に参加したし、短い期間だけだが彼女と呼べる恋人もいた。
だがそれも大学を卒業する頃には独り身に戻っており、竜哉は大学を卒業すると家業の手伝いの為一度家へと戻った。

同じ様にして四年制の大学を出た藍人は大学で教員免許を取り、九琉学園とは無縁の高校へ新任教師として着任し教師生活をスタートさせた。
しかし、やりがいはあるが大勢の生徒を相手にする大変な仕事で藍人は恋人を作る暇もなくそれからの日々は目まぐるしく過ぎて行き―…

「懐かしいな。…また此処に戻ってくることになるとは」

藍人は母校でもある九琉学園の校舎の前に立っていた。
上からの辞令により、藍人はこの四月から九琉学園へと異動になった。

予め割り振られていた教師寮の一室へと荷物を運び込み、指定されていた時刻よりも少し早く校舎内にある教職員室にスーツを着て向かう。
学生の頃とまったく変わらない内装や校内の様子に藍人は懐かしそうに瞳を細め、今は誰も居ない隣の空間を見つめた。
…懐かしくもあるが、胸を過る想いはそれだけじゃない。

「まだ忘れてなかったのか俺は」

じわりと胸に広がる切なさに、藍人は苦笑を溢す。
これまで何人かの女性と付き合い、過去の想いを忘れられたと思っていたがそれは忘れたのではなく、思い出さないようにしていただけだったようだ。

人の気配のする職員室で足を止め、軽く二度ノックをする。

「失礼します」

ガラリと開けた扉の向こう側は、当然だが学生の頃に教えを受けた教師達は数人しか居らず、そのほとんどは見知らぬ顔に変わっていた。

「この度こちらに異動になった鏡です。宜しくお願いします」

指定された時間に開かれた職員会議の場で、藍人は他にも異動してきた教師達と共に挨拶をする。

「外から来た先生に言うのもあれなんだけど、この学園は少し特殊で…」

「あの、私はここの卒業生なのでその辺は存じています」

受け持つことになった一学年の学年主任にあれこれと説明をされる中で、藍人は話を遮って告げた。

「あぁ、そうでしたか。…そういえば城戸理事長もこの学園のOBだとか。年齢的にも鏡先生と同級生ですかね?」

「城戸、ですか?さぁ、どうでしょう。何せこの学園は広いですから」

「そうですねぇ」

その後は世間話をしながら引き継ぎや細々とした仕事をこなし、昼食は同僚となった先生達に誘われて食堂で食べた。
午後になると少し時間に余裕が出てきて、藍人はキィと座っていた椅子を鳴らして立ち上がった。

「ふぅ…」

着任式の前に自分が受け持つことになるクラスの内情を把握したりと、ノートパソコンに向き合っていた藍人はキッチリ絞めていたネクタイに指を掛けると少し緩める。
ノートを閉じ、息抜きでもしようと藍人は職員室を出た。
そのほんのちょっとの息抜きが、藍人の今後を変えることになるとはこの時は考えもしなかった。

校舎の中を目的も無く歩き始めた藍人は廊下を進む内に懐かしくなって学生の頃よく足を運んだ教室や生徒会室、風紀室を見て回る。
もちろん扉には鍵が掛けられていてその扉が開くことは無いが、藍人はそこであった過去の出来事を思い返してふと穏やかに笑った。

「思えば俺が生徒会長なんて柄じゃなかったな」

人気投票は今でもあるのだろうか。
俺が格上げした風紀委員会は今でも単独の組織として機能しているのか。
思い出を巡るように藍人が最後に足を向けたのは屋上。
ここは生徒会長や風紀委員長といった権力を持った限られた者しか入れない。
階段を上がった藍人は閉められた扉に手を掛け、今はもう開けることの叶わない扉を、過去の幻影を振り払うように押してみた。すると、

「お…?」

キィ―…と、鍵がなければ開かない筈の扉が開く。
その先に、清々しい程の青空。
風に流された薄紅色の花弁が視界の隅で舞い、…フェンスの手前でこちらに背を向けて佇む細身のスーツ姿の男性が目に飛び込んでくる。

その姿に、息を呑む。

「――っ、…竜…哉?」

その光景が過ぎし日の時と重なり、あり得ないと頭では分かりつつも藍人はその背中にそう呼び掛けていた。

「………」

答えない背中に一歩近付く。…そしてまた一歩。

声は届いているはずなのに、その人はまるで何かを待っているように決して後ろを振り返らない。
凛としたその背中を見つめ、切なく疼いた胸に藍人は人違いでも構わないと、ふわりとその背中を後ろから抱き締めた。

「竜哉…っ」

「………藍人」

ややあって返された返事に、抱き締めた藍人の腕に力が籠る。

「なんで…お前がここにいるんだ」

竜哉の耳元で藍人が囁くように言えば、竜哉は体の力を抜いて藍人に寄り掛かってきた。

「ここは俺の家の系列会社が運営する学園だ」

「それで…?」

預けられた身を腕の中に抱いたまま藍人は先を促す。

「俺は今この学園の理事長を任されてる」

「…学年主任の言ってた城戸っていうのはお前のことか?」

腕の中に大人しく収まっていた竜哉の体を反転させ、藍人はそこで初めて竜哉と視線を絡めた。
そこには離れていた時の分だけ、過ぎ去った時間を表すように、お互い大人へと成長を遂げた精悍な顔があった。

視線を合わせた先で竜哉がふと寂しげに笑う。

「俺の知らない間に随分格好良くなったな藍人」

「はぐらかすな。お前…結婚でもしたのか?」

学生の頃、竜哉は黒月と名乗っていた。
それが今は城戸 竜哉に変わっている。
それは…そういう意味だろう?

射抜くような眼差しに、言われた事に思い至ったのか竜哉は浮かべていた寂しげな笑みを苦笑へと変えた。

「違う。俺は多分、この先も結婚することはないと思う」

持ち上げられた竜哉の手が藍人の上着を掴む。

「竜哉…?」

言葉の意味を図りかねて眉を寄せた藍人に竜哉は曖昧に笑った。

「名字を変えたのは黒月本家の騒動に巻き込まれない為だ。…それ以外にはないよ」

「…結婚はしないって、何かあったのか?」

「別に何もない。…そろそろ戻らないと。藍人もだろ?」

勝手に話を切り上げ逃げようとする竜哉を藍人は逃がさない。
持ち上げた右手で竜哉の顎を掴み、反らされた視線を合わせる。

「答えろ竜哉」

「…答える必要を感じない」

「それならそれでも良い。けど、それなら尚更俺の目を見て言え」

強引に視線を合わせられて、竜哉は小さく息を吐くと藍人の視線から逃れるように瞼を閉じた。

「藍人…。俺はあの日お前に嘘を吐いた」

「………」

瞼の裏で強い視線を感じながら竜哉は観念したように言葉を続ける。

「それでも、後悔はしないつもりだった。大学に入って彼女も作った。けど、いざ結婚と考えると何かが違うように思えて出来なかった」

ゆっくりと瞼が持ち上げられ、竜哉は藍人を見つめて再びどこか寂しげな笑みを浮かべた。

「もう良いだろ。話したんだし、手、放せよ」

放すどころか逆に藍人は両腕で竜哉を強く抱き締める。コツリと額を合わせて、真剣な表情で藍人は言った。

「それは勘違いしても良いのか?」

「………」

「竜哉」

「……あぁ」

竜哉が頷いた瞬間、唇が重ねられる。
優しく触れて別れた時の続きをするように…、重ねられた唇は温かく甘い。

「ンッ…ぅ…」

するりと忍び込んできた舌に竜哉が応えれば、鋭かった藍人の双眸が熱を宿し、ゆるりと愛しげに細められる。

「藍…ッ、ふっ…ン…」

そっと竜哉の後頭部に右手が挿し入れられ、口付けが深くなる。角度を変え、吐息が交わる。

「竜哉…」

自然な流れで藍人の首に回された腕に、藍人は左手で竜哉の腰を抱き寄せた。
ふつりと二人を繋いだ透明な糸が途切れる。
はぁっと荒い吐息を溢した竜哉の耳元に唇を寄せ藍人は囁くように言った。

「お前だけじゃない。あの日俺も一つ嘘を吐いた」

「あい…」

「俺は今でもお前が好きだ」

その台詞にぴくりと腕の中で竜哉が肩を震わせる。

「っ冗談はよせよ。卒業してから何年経ったと思ってるんだ」

「本気だ。情けないことにさっき気付かされた。お前が結婚してないって分かって正直安心した」

抱き締めていた竜哉の体を少しだけ離し、藍人は竜哉の目を見つめる。

「竜哉。今度は期限付なんかじゃなく俺と付き合ってくれ」

向けられた強い眼差しにゆらりと竜哉の瞳が揺れる。その様子に藍人は言葉を重ねた。

「次は絶対に手放したりしない」

「藍人…」

「あの日、そう言ってやれなくて悪かった。りゅう…っ」

続きを唇で遮られる。
唇に押しあてられた竜哉の唇に藍人は目を見開く。

「…俺も言えなかった。本当は別れたくないって。勇気がなかったんだ」

すと離れていった唇が言葉を紡ぐ。

「卒業して、離ればなれになっても付き合って行けるか不安で、その覚悟も無かった。好きって想いだけじゃどうにもならないんだって思ってた」

「竜哉」

「都合が良いのは自分でも分かってる。それでも…お前の言葉、信じてもいいか?」

真っ直ぐ見つめ返してきた竜哉に藍人はゆるゆると表情を緩めた。

「信じてくれ。俺はお前だけを愛してる」

ストレートに届けられた想いに竜哉の顔が朱に染まる。

「竜哉…返事を聞かせてくれないか」

躊躇ったのはほんの数秒。
竜哉は藍人の背に腕を回すと忘れることの出来なかった想いを藍人へと返した。

「ずっとお前だけが好きだ」

「ん…」

互いの想いを確かめるように抱き締め合う。
子供のように嬉しそうに破顔した藍人に学生の頃の面影を見つけて竜哉も何年か振りに照れ臭そうに無防備な笑顔を溢した。

期限付の恋。
期限の無い恋。
その終わりは誰かが決めるものじゃない。

別れを告げたこの場所で、諦めてしまった恋を拾い直して二人は共に未来を歩き始めた。
薄紅色の花弁が舞う、穏やかなある春の日に。

end.


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